2019.5.31
「ナンパされるだなんて女の子冥利に尽きるじゃないか」
いやあ、おめでとおめでと。などと言って僕をからかうのは菖蒲だ。昨夜、出会った死霊憑きのことを報告していたというのに、彼女の興味はその前の出来事に向いている。シーナも少しは気になっているのか、カウンターでコーヒーを淹れながらチラチラとこちらの様子を窺がっていた。
今日は五月三十一日。
梅雨の季節らしく空には重たい雲が広がっており、今にも泣き出しそうなあいにくの空模様。
こんな日に朝から出かけようなんて誰も思わないのだろう。開店して一時間は経つが客が一人も来ないのも頷けた。
そんな営業状態で暇だからなのか、本題にはまったく進まず話題はナンパについてだった。
菖蒲が思い出したように話しを続ける。
「そう言えば、シーナも戸倉でナンパされたらしいじゃないか。そのときはどんなだったんだい?」
戸倉とは、隣町のことだ。二駅ぶんほど歩けば着く距離で、ここよりも幾分か都会じみている。主要駅の周りは高いビルがいくつも建ち並びショッピングモールも集中している。飲み屋街としても有名で、昼は若者の街。夜は大人の街という二面性をもつ場所だ。
残念なところは中途半端に都会なせいで、風紀が悪いところだろう。少し前まではそんなこと無かったらしいが、今の戸倉は違う。軽犯罪が多く、最近は行方不明者も何人か出ているので夜に出歩く人はすっかり減ってしまった印象だ。夜に住まうは危険な人間だけ。きっと、そんなことを知りもしない一般人が被害に遭っているのだ。ちょうど、昨日の僕みたいに。
「あんまり覚えていない。いつものことだから」
シーナの返答は素っ気無いもので、淹れたてのコーヒーをカウンターに置いた。僕と菖蒲はホット。シーナはアイスだった。
自覚は無いのだろうが、シーナは誰が見ても美人の部類に入る。日本人離れした白い肌に銀色の髪。身長はモデルとまではいかないが、女子の平均身長に近い僕より頭一つ分は高い。顔立ちも綺麗に整っていて、容姿の良いところをあげればキリがないだろう。唯一の欠点。凪のように静かなその表情を除いて。
それに比べて僕の方は味気ない見た目だ。コーヒーの水面に浮かぶ中性的な顔立ちは、よく見ると可憐な少女のそれだが、男っぽく見せるために黒髪は短く乱雑に切られている。体のラインも真っすぐに近いので、さらしを巻けば少年でも通じると思う。菖蒲が言うには、どんなに頑張っても僕はボーイッシュ止まりらしいが……。
と、そんなことを考えていると菖蒲も似たようなことを考えていたのだろう。チラチラと菖蒲の視線が僕とシーナを行き来していた。
「ナナもシーナも格好はそう変わらないんだけどね。やっぱり、シーナの方が男の保護欲をくすぐるのかねえ?」
「そうなんだろうな。ボクの中身は男なんだし、シーナの方がその……可愛いだろ?」
「そうなの?」
言って、シーナはキョトンと首を傾げた。
何事にも無頓着な彼女は、見た目どうこうにも興味がないのだろう。
そう思っていた僕だったが、続くシーナの言葉は意外なものだった。
「わたしはナナの方が可愛いと思うけど」
「っ────⁉」
「ぶふっ────!!」
それに、僕は絶句し、菖蒲は吹き出していた。
「あははっ!!これは一本取られたんじゃないのかい、ナナ?」
「こ、れは……シーナが変わっているだけで……。ボクは可愛くなんてないからな!」
「いやいや、私もナナは可愛い方だと思うぞ?ナンパされたっていうのも頷けるなぁー」
菖蒲は完全にからかいモードに入っていた。腹を抱えてケラケラと笑っている。地につかない足もバタバタと大忙しだった。
爆弾を投下したシーナはというと、こちらも菖蒲に同意するように小さく頷いていた。
……どうやらここには、僕の味方はいないようだ。
結局、死霊憑きについて報告できたのは昼前になってからだった。
☆★☆★☆★☆
星宮まどかが店を訪ねてきたのは、昼過ぎのことだった。入ってきた彼女のスーツは黒く濡れており、今は雨が降っているようだ。扉が開くときの雨音からしてゲリラ豪雨というやつだろう。
カウンター席についてから適当に注文を終えたまどかは、げんなりした様子のままハンカチで濡れた部分を拭っている。
僕はまどかとの簡単な挨拶だけ済ませ、店の片隅にあるソファーから菖蒲とまどか二人のやり取りを聞いていた。
「なんだまどか、今日も歩きで来たのかい?」
「それが聞いてくださいよ菖蒲さん!小平さんと野瀬くんったら私を置いて焼肉に行っちゃうんですよ⁉これって酷くないですかー?というか酷いですよね?」
「そうは言ってもなあ……君って、死体を見て吐いちゃう系の人間だろう?」
「吐いちゃう系って……たしかに私はそうですけど、でも今朝のアレは仕方ないです……よ」
まどかは今朝のアレとやらを思い出してしまったのだろう。血の気が引いた彼女の顔は真っ青だった。
「シーナ……」
「わかった」
菖蒲に言われたシーナは、淹れ終わったコーヒーをまどかの前に置いてから店の奥へと引っ込んでいく。まどかが吐いてもいいようにビニール袋かバケツでも取りに行ったのだろう。
まどかは刑事なのだが、死体が苦手で見ると気分が悪くなることがほとんどだ。きっと、同僚の二人がまどかを誘わなかったのはこのためである。肉を見て吐かれたら昼飯どころではないのだから。
「最近は良くなったのよなんて言ってた割には全然じゃないか」
言いながら、菖蒲はまどかの背中を擦る。
「菖蒲……それって余計に吐くんじゃないのか?」
「ん、そうだったか?」
「ナナちゃん、ありがと。でも擦ってもらった方が楽みたい……おかげで少し回復してきたわ」
「そう……ならいいんだけど」
まどかの言っていることは本当らしく、シーナがバケツを持って戻ってくる頃にはすっかり顔色も元に戻っていた。
「……まったく、こんなんじゃあ情報交換のしようがないじゃないか」
しばらくして。
昼休憩をコーヒー一杯で済ませたまどかに菖蒲は嘆息していた。
まどかの方はというと、居心地の悪そうな笑みを浮かべて頬を掻いている。
「あはは……スミマセン。とりあえず、資料だけは置いていくので何か気になることがあれば連絡ください。飛んでいくので」
「はぁ、まあいいさ。別に私も急いでいるわけではないのでね。しかし……資料ってこれだけなのか?」
クリアファイル片手にそんなことを菖蒲は言う。テーブルには新聞紙が置かれていた。
いつも分厚い紙の束を持ってくるまどかにしては、それは明らかに少ない量だった。
しかも、今回は新聞紙をセットで渡しているのだ。
メディアの情報をあまり信頼していないまどかにしては珍しいものを資料として渡している。
「実は、今回の事件は不確定なことが多すぎてたいした情報が警察にもないんです。いえ、正確には情報が多すぎて精査できていない……というところですね。最近の戸倉は事件が多いので」
「戸倉ね。最近は行方不明者も出ているらしいが、それとの関連性はないのかい?」
「警察では今のところ別件として扱っています。でも……私、個人としては関係あるかなと。ま、ただの勘ですし今の段階で余計な先入観を持つのはよくないでしょ?」
「なるほどな。それでこの量というわけか」
「はい。なので、今日のところはとりあえずということでよろしくお願いします」
☆★☆★☆★☆
まどかが店を出て十数分後のことだった。
それは丁度、菖蒲が資料に目を通し終えるくらいの時間だろう。
だからなのだろうか。
「ナナ、ゲームセンターとやらに興味はないか?」
……なんて、変なことを菖蒲が僕に言ったのは。