血は雨に流れ、死霊憑きは嗤う
※第一章よりも残虐になる可能性があります(食べる、切断など)。苦手な方はご注意を。
────影が蠢く。
夜なのに星空は見えない。
どんよりと重たい雲が空に広がっていた。今にも地に落ちてきそうなそれは、代わりに大量の雨を降らす。
雨は塗装されたアスファルトを黒く濡らし、小さな川を形成しては流れていた。
────雨は降り続ける。
人は建物の中へと消えていった。
────雨は降り続ける。
びちゃびちゃと濡れた地を弾く。
────雨は降り続ける。
路地裏に咲いた、一輪の赤い華を濡らしていく……。
「────ぅ、あ────はぁはぁ────────」
人通りのない、暗い路地裏に死霊憑きはいた。
生暖かいケモノの吐息が肉にかかっている。垂れ流しの赤い唾液がそれを濡らしていた。
焦点の合わない目は何も見ていない。
死霊憑きは、ただ目の前にある大きな肉の塊に齧りつくだけだ。
そこに人としての尊厳はもうない。
本能と、抗いようのない衝動に駆られるまま、死霊憑きは食事を続けていく。
「ぁ────?」
ピタリ、と死霊憑きはその動きを止めた。
肉の一部が何かに弾かれたようにビクンと跳ねたのだ。
死霊憑きはもう一度同じところに齧りつく。
すると、先と同じように肉の塊はビクンと跳ねた。
理由は簡単だ。肉が生きていたから跳ねたのではなく、筋肉に繋がる健の部分を死霊憑きの歯が弾いたから。新鮮な筋肉が刺激によって収縮を起こしただけ。
それを、ケモノならば面白がってもう一度齧ったのかもしれない。怪物ならばより酷い方法を思いついたのかもしれない。
しかし、死霊憑きは齧る場所を変えるだけで、そのまま食事を続けた。
そこには何の感情もない。もしあるとするならば〝食べたい〟ただそれだけだ。
死霊憑きは、食事に手や足を使わなかった。使うのは己の顎と口、生えそろった歯のみ。
骨があろうと、その骨ごと嚙み砕く。咀嚼して肉を嚥下する。
大きさなんて関係ない。齧りつき、引きちぎっていく。ぞぶぞぶ、と奥へ奥へ潜りこんでいく。
途中。流れ落ちた赤い液体は、勿体ないとばかりに啜った。
途中。顔、口、体が汚れていったが、そんなこと死霊憑きは気にしなかった。
はじめは……臭いのキツさに、しばしば口が止まった。
はじめは……味のキツさに、しばしば吐き戻した。
……けれど。
今はもう、味なんてしない。
────の匂いなんて忘れてしまった。
肉の最奥にそれはあった。
まるで大切な宝物のように、死霊憑きは初めて手を使ってそれをすくい上げた。
肉の触感は他のとは違う。
柔らかくて暖かい。
それが一体なんなのか。
そこには何が宿るのか。
意味するモノを死霊憑きは知らない。もう、理解できない。
死霊憑きに今あるものは本能と、抗いようのない強い衝動────〈渇き〉だけだ。
────〝食べろ〟
本能は告げる。
しかし、死霊憑きはそれを躊躇していた。
────〝食べろ!〟
衝動が死霊憑きを襲った。
今までで一番大きい。
強烈な〈渇き〉に死霊憑きは抗えなかった。
「ヤ、ダ……ダベダ……グ、ナンデ────ナイ」
最後の抵抗は届かなかった。
何が自分を止めようとするのか、その理由すら分かっていないのだ。自分が何者なのかさえ今は考えられない。
それだけ〈渇き〉は強かった。
人だったモノが耐えられるはずなどなかった。
だから……。
死霊憑きは滲む視界の中、それに齧り付いた。
味なんてしない。
匂いなんて忘れてしまった。
何を〝食べた〟のかなんて、死霊憑きはもう理解しない。
口元は溢れる血で真っ赤に染まる。
ボロボロと零れ落ちるそれを、死霊憑きは大事そうにそっと抱きしめた。
けれど、それは迫る衝動のまま、すぐに自分の口へと運ばれた。
────齧りつく。
────咀嚼する。
────嚥下する。
繰り返し、繰り返し。繰り返す……死霊憑きは一時間かけて肉を平らげた。
────雨は降り続ける。
血は雨に流れる。
死霊憑きは雨に濡れる。
その姿は泣いているようにも見えた。
しかし、血の滴る真っ赤な口元は醜く歪んでいる。
雨の中、死霊憑きは嗤っていた。




