死霊憑きはあの夏をもう夢みない
どれくらい時間が経ったのだろうか。
俺が目覚めた時にはすべて終わっていた。
……もう、夜が帰ってきている。
「────おはよう」
シーナから無機質な声がかけられた。
その言葉には不思議と刺がある。
何かを咎めているようだったが、それが何なのか僕にはわからなかった。
シーナの視線の先には、死霊憑きが地面に倒れている。
死霊憑きはすでに人間へとそのカタチを戻していた。
あれからどうなったのだろうか。
僕の記憶は、春野侑希に自分の胸を貫かれたところで終わっている。
シーナがこれを……?
いや、違う。それは有り得ない。
いくらシーナの力が情報に関するものだからといって、死霊憑きを人間に戻すことなんてできない。
きっと、これをやったのは僕だ。潰れた腕も、貫かれ胸に空いたはずの穴もないのだから……。
「これは……酷いな」
なんとか立ち上がり、死霊憑きだったものの体を見る。
状態は深刻だ。
全身ズタボロで、至る所に鬱血がみられた。
人間の躰であんな動きをしたのだ。人の部分が耐えれるはずもない……彼女の能力は器の補強ではなく、あくまでもエンジンなのだから。
その、疑似的な『心臓』は機能を失ったのだろう。そこにあるのは残骸だけ。これ以上彼女を壊さないのが幸いだ。
しかし、何よりも一番ひどかったのは強大だった彼女の両足だ。
筋肉の鎧でできた大木は枯れ、血が巡っていないのか肉は乾ききっている。健康そのものだった小麦色の肌は、紫を通り越して黒く変色してしまっていた。
素人目に見てもこれだけは分かる。彼女はもう、その足で歩くことは二度とないことを……。
すると、隣に立つシーナがポツリとこぼした。
「それは〈渇き〉のせい……だと思う」
「……そっか」
「……そう」
短い会話が終わる。
────僕のせいではない。
きっと、そう言いたかったのだろう。シーナの言葉は僕を気遣うそんなニュアンスを含んでいた。
ふと、ポケットの中で機械が動いた。
ポケットの中に手を突っ込めば、中にはグチャグチャな機械の纏まりがある。辛うじて繋がっているみたいだが、崩壊は目の前。
とてもではないが、使える代物ではない。
どうやら、今月も新しいのに買い替える必要がありそうだ。
その間、シーナにじーと見られていた。
「ナナは反省して」
分かっている……そう言おうとした瞬間、重心がブレた。
自然、僕はシーナに寄り掛かってしまう。
「……ごめん」
「いい。わたしは気にしない」
「いや、それもだけど……怪我させたみたいだから」
寄り掛かるまで気付けなかったが、シーナの右頬っぺに小さな擦り傷が出来ていた。
血は出ていないけど、少し深い。たぶん傷跡が残るタイプのやつだ。
すると、僕がそれを見ていたのに気づいたのか、シーナは顔を背けてからこんなことを言った。
「いい。ナナが責任とってくれるんでしょ?」
僕はそれにすぐ答えることができなかった。
何か言おうと思ったが、こういう時に気の利いた言葉なんて浮かばない。
それに、感情のない自分がそれに答えていいのかも分からない。
シーナの表情も見えず、計算するための材料も手に入らない……。
静寂が流れた。
気まずい沈黙は、数秒足らずの時間を永遠に引き延ばす……。
「こ、こは……?」
そんな静寂を破ったのは、目覚めた春野侑希だった。
「本馬陸上競技場。ボロボロだけど」
「……ほんとね」
倒れたままの侑希は何の感情もなく呟く。
彼女はもう人間に戻っているのだ。
そこに認識の歪みはない。
彼女は今、正しく現実を理解していた……。
「……私さ。あの日、お姉ちゃんに助けられたこと後悔してた。どうして私なんだってね。だって、お姉ちゃんの方が凄いんだよ?夢に向かって真っすぐで、誰よりも努力してて……。だから、私はあのとき願ったんだ。お姉ちゃんの夢を叶えたいって」
僕とシーナは、彼女の独白をただ聞いていた。
春野侑希がその記憶を留めておける時間はほとんど残されていなかったから。
「……でも、気付いた時には目的が変わってた。インターハイの日程すら忘れて、馬鹿みたいに犯人捜しの毎日……。夜だけはお姉ちゃんの夢を再現して……渇きによって自分の存在を忘れていく。……それの繰り返し。
ほんと、私って馬鹿。お姉ちゃんの気持ちにもっと早く気付いていればこんなことにならなかったのに」
彼女の言葉に僕たちは答えられない。
それに答えられるだけの感情と経験を僕たちは持ち合わせていないのだ。
何を言ったところで、それは空虚でしかない。春野侑希にそんな言葉は今必要ない。
「春野侑希」
「……えっと、ごめんね。喫茶店で話したことは何となく覚えているんだけど、名前が……」
「いいよ。君の〈渇き〉は忘却だ。ボクたちのことを忘れていたってしょうがない」
「……うん、それでもごめんね」
「ボクはナナ。で、こっちがシーナ。ボクたちはさっきまでの君と同じ死霊憑き。いくつか確認するけどいいか?」
「うん。ナナたちにはそれが必要なんでしょ?」
侑希も察しがついているようで素直に応じる。
それに、僕の代わりかシーナがコクリと頷いた。
「それじゃあ一つ目。交通事故を起こした車の運転手が今日……いや、昨日捕まった。君はやろうと思えば死霊憑きに成れると思う。そいつに復讐しようと思うか?」
「……正直いうとね。いまでもそいつのことは憎い。顔も知らないような人にお姉ちゃんの夢を潰されて。しかも謝罪もなし。……でも、お姉ちゃんはそんなこと望んでいなかったし、また死霊憑きになるなんてのは嫌。人間同士なんだもん。きちんと法に則って償ってもらうから大丈夫よ」
侑希は迷いながらもそう答えた。
彼女はもう死霊憑きにならない。
シーナもそう思ったようで「大丈夫」と僕に伝えてきた。
「わかった。じゃあ二つ目。今ならまだ君と春野瑞希の中身は入れ替えられる。このまま元の生活に戻るか、君が入れ替えていたみたいに春野瑞希が無事だった世界に戻ることも出来る。どっちに戻りたい?」
「……このままでいい」
侑希は答えだけを言った。
きっと理由はたくさんあるはずだ。
だが、それを彼女は答えなかった。
それを言ってしまえば、何かあったときの保険になる。言い訳になってしまう。逃げになってしまう。
それを侑希は嫌った。
だから、侑希はそっと希望だけを付け足した。
「お姉ちゃんは必ず目覚めるから……。私が待っててあげないとね」
「そうか……じゃあこれで最後だ」
春野侑希は人間の世界に戻れるだろう。
そのことはここまでのやり取りで確認できた。
彼女は、これまでに起きた事実を正しく認識し受け止め、これからの展望もしっかり持っている。
それだけで十分だ。彼女は僕たちよりもずっと人間らしい。
先までの質問は彼女のため。
最後の質問は僕たちのため。
あくまで個人的なものだ。
あまり期待を込めずに僕はそれを聞いた。
「事故の後、君へ変なことを吹き込んだ人間はいなかったか?」
「事故の後……?」
「いや、覚えていなければいいんだ」
「ううんまって。いた気がする。私に望みを叶えてやるって言った人が……」
「⁉そいつの特徴は!なにか覚えてないか!」
「え……えと、金髪の……綺麗な女の人?だったと思う。ナナたちみたいな雰囲気の変わった人で。たしか……サイカ。そう、そんな名前だった」
「サイカ……?」
聞き覚えのない名前にシーナを見るが、シーナも知らないようで小さく首を横に振る。
思わぬ情報だったが、それ以上のことは侑希も覚えていないようだった。
しばらくして、菖蒲から到着したと連絡が来た。
春野侑希を背負って移動すると、駐車場には大きな白いエスユーブイ車が一台。
幼女姿の菖蒲に似合わない車の後部座席には春野瑞希が乗せられていた。
見た目はキレイだが彼女は意識不明の重体だ。体には生命維持の機械がロボットみたくいくつものチューブで繋がっている。
「その子も治療が必要そうだね……。ナナ、早くその子を助手席に乗せな」
侑希を見た菖蒲に言われるまま侑希を助手席に乗ようとするが、彼女の成長した足が巨大すぎてなかなか乗せられなかった。
「もう……後ろでいいからさっさと乗せる」
菖蒲に急かされ、侑希を瑞希の隣に座らせる。
大きな足は助手席を倒しその上に乗せる形で解決した。
バタン、と扉を閉じ車内には春野姉妹だけ。
そこでようやく菖蒲は僕たちの状態に気づいた。
「はぁ……二人ともボロボロじゃないか。全くこんなになるまで無茶して……」
「ボクは大丈夫だ」
「わたしも」
「はい二人とも黙る。いいかい、まずはナナ。君の能力はまだまだ不明なところが多いんだ。〈死〉がトリガーなんて言うのもリスクが大きいし、〈渇き〉もだんだん長くなっている。死霊憑きが眠らない理由はもちろんわかってるだろ?」
「それは……」
「だったら乱発しない。今日だってこの二人を助けるための短時間の使用だと思ったのに……。見たところ腕二本分と心臓一つ分、それの再生には使ったな」
「な、なんで」
「なんでってね。そんなの君の血みどろの服を見たらわかるっての」
言われて気付いたが、確かに僕の格好も酷かった。
これはバレても仕方がない。
腕の部分に胸の場所、そこが赤黒く染まっていた。
「次にシーナ。君は……あーもう、わかってるならいいんだ。でも気をつけなよ」
「わかった」
菖蒲からの小言がないので。
何事かとシーナを見れば、彼女の体は淡い幻紫光色の光に包まれていた。
能力を通じて何かを伝えたのだろうが、いったいなんと言ったのだろう。
聞こうにも「内緒」の一言でシーナに片づけられてしまった。
「……ったく、それじゃあ私は病院に戻るけど二人はどうする?ここで待つなら迎えに行くけど」
「いいよ。歩いて帰るから。それより、春野瑞希の方はどうなんだ?」
「ああ、春野侑希に憑いていた生霊はきちんと春野瑞希の体に戻っているよ。これで良くも悪くも元通りさ。あとはこの子たち次第だろうね」
「そっか」
菖蒲と別れ、僕たちは帰路についた。
そして、その途中。
僕は再び意識を失ってしまった。
「ナナ!!」
シーナの声が、頭の中で嫌に響いた。