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死霊憑きにつき。  作者: 五月七日 外
死霊憑きはあの夏をもう夢見ない。
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2019.8.11

 ────明るい真夜中のことだ。


 不可思議な表現だが、今の状況を説明するならそれ以外の言い方を知らないのだから仕方ない。

 時間帯はあまりいい思い出の無い丑三つ時。だというのに、この陸上競技場は昼かと見間違うくらいに明るかった。

 だから……明るい真夜中。

 語彙力の乏しい自分にはそうとしか表現できなかった。

 もしも、今の状況をこれ以上的確に表現できるのならそいつは小説家にでもなった方がいい。最近知り合った『先輩』を思い出しながら、フェンスを乗り越える。

 明らかに不法侵入だが、そんなの知ったことではない。

 自分は侵入者を追いかけてきただけだ。咎めるならそいつにしてくれ。

 適当な理由を考えながら、観客のいないスタンド席に向かう。

 道中、相方にメッセージを送信し、いつもの入り口からスタンド席に侵入した。

 適当に位置取った席からグラウンドを眺める。

 視線の先、トラックの最終コーナーに。


 ────風を切る少女……春野瑞希(はるのみずき)がいた。


 いつもと同じゼッケン付きのユニフォーム。

 いつもと同じく額には汗。

 いつもより獣じみた走り方で、瑞希は最終コーナーを曲がる。

 観客もいなければ、競争相手もいない一人だけの競技会。

 瑞希はそれを理解していない。……いや、もう理解できないのだ。そんな常識はとっくの昔に剥がれ落ちている。異常を異常として知覚できず、認識できず、理解できていない彼女はもう、人なんていう存在から外れている。もう……こちら側の存在だ。

 瑞希は最終コーナーを曲がり終え、あとはラスト一直線。

 先日、バランスを崩しかけていた彼女の苦手とする部分だ。

 だが、今日は()()な脚がそれを許さなかった。

 勢いを殺すことなく、そのままゴールへと駆け抜ける。ありもしないゴールテープを一着で切ると、瑞希は観客席に向かって手を振った。きっと、彼女には視えているのだろう。彼女の世界(じょうしき)の中にいない自分には、そこに誰がいるのか全く見えないが……。

 しばらくの間、セレモニーみたくゆっくりと歩く瑞希。

 その歩みが途中で止まる。


 ────目が合った。


 瞬間、瑞希の世界が(かげ)る。

 競技場内を闇が覆う。

 正しい時間が流れ始める。

 けれどそれも一瞬のこと。

 瑞希との短い邂逅は、コンマ数秒で終わった。




 ☆★☆★☆★☆




「よっ、元気にしていたか」


 ナナは、スタンド越しに陸上少女へと声をかけた。

 彼女の表情は先と変わり不満げで、その目は「見たらわかるでしょ」と語っていた。

 ナナはそんな少女を無視してスタンド席から彼女の後ろへと飛び降りた。四メートル近い距離がたったの一歩で縮まる。

 勢いをつけることなく飛んだそれは、競技で言うところの立ち幅跳びに近い。常識外れの距離を記録しているが、常識という世界の枠組みの外に住まうナナはそんなこと知らない。

 同じ()()に立つ、瑞希も特にそれについて指摘することは無かった。


「……べつに、ふつうよ」


 鬱陶しいそうに、瑞希は後ろ髪を縛っていたゴムを解いた。

 漆黒の髪はさらりと肩口あたりまで流れ落ちていく。けれど、瑞希はたった今レースを終えたばかりだ。髪の一部が流れる汗と共に首にへばりついた。

 その嫌な感触を無視するように、瑞希は歩みを早める。

 今日は全国大会の決勝だった。

 その高校生活最後のレースで、やっと満足のいく走りが出来たのだ。

 家族や仲間たちと喜びを分かち合いたいし、今までお世話になった先生やコーチたちへの挨拶まわりもある。


 それにしても────あの子が見つからない。


 ゴールテープを切った瞬間から探しているというのに、ただ……目的の人だけが見つけられない。

 だからだろうか、どうしようもなく。後ろをついてくる奴が邪魔だった。

 彼女にしては珍しいほど、瑞希は後ろをついて回る人間(ナナ)へと嫌悪感を放つ。

 それでも、人間(ナナ)は瑞希の放つ雰囲気など気にしないようで変わらない距離を保ったまま後ろをついてくる。


「■■■■───、■■■■■■──■」


 瑞希の知らない音がノイズ混じりに聞こえた。

 人間が何を言っているのか分からなかった。

 音として拾うことは出来ても、それを言語として脳が認識できない。だから、人間が何を言っているのか瑞希は理解できなかった。


 ぎちぎちぎちぎち。


 (からだ)の奥から、歯車(にく)のズレる音がした。

 ────それを知ってはいけない。

 ────それを自覚してはいけない。

 瑞希は本能に従うように首を振る。

 人間の言葉を外へと追いやる。

 人間はそれでも瑞希に言葉を投げかけてくる。……瑞希の知らない言葉を。


「───■■■■。■■───?────……■───■■■」


 うるさい。

 人間の言葉は私に『────』を確認してくる。

 ────ぎちぎちぎちぎち。

 歯車(にく)のズレる音は大きくなっていく。


「────……■■■。■■─■───■■■」


 うるさい。うるさい。うるさ────い。

 人間の言葉は私に『■■』を突き付ける。

 ────ぎちぎちぎちぎち。

 歯車(にく)のズレる音は、もう……すぐそこまで迫っている。


「■■■。────■■■──」


 ────知らない。

 そんなこと……『────』なんて私は知らない。

 そんなこと知りたくもない。

『■■』なんて……知りたくもなかった。


 ぎちぎちぎちぎち。

 ────ぎちぎちぎちぎち、ぎちぎちぎちぎち。

 ズレた歯車(にく)はもう元には戻らない。

 ぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎち。


「お前は春野侑希(はるのゆうき)すらも忘れちまったのか?」


 彼女の〈起源〉が切れる寸前。

 少女は人間の言葉を聞いた。……いや、聞いてしまった。

 全てを理解した彼女は、静かに振り返る。

 知りたくもなかった。……いや、知るよしもなかった『現実』を少女は認識した。


 ────春野侑希。


 たった四文字の情報。

 それだけで、少女の世界(じょうしき)は呆気なく崩れ去った。


「私を────して」


 自分よりも頭二つ分ほど()()()人間(ナナ)を前にして。

 少女は願った。

 ……もう、歯車(にく)のズレる音はしない。


「……私を殺して」


 最期の願いを口にして。

 少女は、死霊憑きと成った。




 ☆★☆★☆★☆




「私を殺して」


 瑞希の言葉が届くよりも前。

 ナナの視界がブレた。


「つっ────!?」


 異変に気付くよりも幾分か早く。衝撃が雷のようにナナの体を貫通した。ナナは舌を噛み、ブラックアウトしかけた意識を何とかこの場に留まらせる。

 しかし、宙を浮いていたらしいナナの体は逃げることも出来ず、弾き飛ばされるゴムボールのようにノーバンでスタンド席へと突っ込んだ。


「……こんなの、反則(チート)だろ」


 受け身も満足に取れなかったが、ナナはなんとか立ち上がりながら悪態つく。

 信じられないが、ナナは瑞希に蹴り飛ばされたらしい。十メートル離れた場所……つい先の時間までナナが立っていた場所に、大きく右足を振り上げた瑞希がいた。

 今しがたナナの体がぶっ飛んできた距離に、背筋を冷たいものが流れる。


「痛っ!」


 遅れて痛覚がナナを襲った。

 久しい感覚に、思わず顔が歪んでしまう。

 痛覚の原因を見やると────咄嗟にガードで使ったのだろう、左腕はぐちゃぐちゃにひしゃげて、肉と骨が飛び出していた。流れる……というよりも、吹き出すようにして、肉の隙間という隙間から真っ赤な血液が溢れている。

 垂れ流しの血液で、地面は赤く汚されていく。

 見るも無残な左腕の状況が、吹き飛ばされたスタンド席が、『ただの蹴り』の衝撃を露わにしていた。

 ナナは使い物にならなくなった左腕を肘あたりからちぎり落とし、血の足りない頭を働かせる。……標的の観察を行う。


 ────大木が生えていた。


 陸上で鍛えたとはいえ、瑞希の体は少女と呼ぶにふさわしいものだった。その、地面に根を下ろしたみたく生えそろった両足を除いて……。

 両足だけが、強靭な筋肉の鎧に覆われている。

 両足だけが、少女の体に似つかわしくないほど大きく成長している。

 ナナよりも頭二つ分ほど大きくなっていたのは、そのあまりにも強すぎる脚が原因だった。

 才能ある人間が一生かけても手に入らない至上の肉体。恐らく、瑞希はそれを能力────死霊憑きの権能で手に入れたのだろう。

 常識を超えたその肉体は、人間を辞めるには充分すぎていた。


「────■■■!!!─■■■■■───!!!」


 死霊憑き(バケモノ)は、ナナが未だ生きながらえていることに気付くと、人間には理解不能の言語で雄たけびをあげる。

 ナナは変わり果てた瑞希の姿を一瞥した。

 もう、ナナの言葉は彼女に通じない。

 ナナは覚悟を決めて、自身と同じ怪物────死霊憑きと対峙した。


「■■────!!!」


 死霊憑きは、ケダモノのごとく唸る。

 獣が跳ぶ前のように────死霊憑きの肢体は地面を掴んだ。

 後ろ脚は木の幹みたくぐんぐん膨れ上がっていく。太ももがバネの容量でエネルギーを溜めていく。


 ────みしみしみシミしみしミシミシミシミシ!!!


 ヒトだった身体(ぶぶん)が悲鳴を上げる。

 死霊憑きはそれにかまうことなく、さらに姿勢を低く。ナナを狩るための準備を完成させていく。

 太さはとっくに少女の胴体を超えていた。

 構成成分のほとんどが筋肉のそれを……死霊憑きは一気に解き放つ。


『私を殺して』


 迫りくる強大な力を前にして。

 ナナの脳裏では、瑞希の最後の願いがフラッシュバックしていた。

 コンマ数秒と掛からず。十メートル近い距離を詰めた死霊憑きは、もう、そんなこと覚えていないのだろう。

 意識の糸を限界まで張り詰めた、薄く細長い時の流れの中で。

 一瞬だけ、ナナは瑞希と目が合った。

 その顔はなぜか苦悶の表情を浮かべていた。


 ……なんだ?


 刹那。ナナに疑問が過る。

 死霊憑きは〈死〉に最も近い存在だ。

 だからこそ〈生〉として在るときに感じられた『当たり前』のほとんどを実感することは出来ない。痛覚にしろ、ナナみたく余程強いものでなければそれを感じることすら無いのだ。

 しかし、死霊憑きは苦悶の表情を浮かべていた。

 それは明らかにおかしい。

 死霊憑きは今、ナナと同等の痛みを抱えているということになる。

 ……と、そこまで考えた時だ。

 ナナの命を狩るべく、振り上げられる死霊憑きの右足……。

 その太ももあたりに。

 心臓のように(うごめ)くナニカを見た。


 ────脈を打ち、膨張する器官。


 死霊憑きの疑似的な『心臓』は、人の頭ほどの大きさまで膨れ上がると、一気に破裂した。

 と、同時。

 物理を凌駕した圧倒的な力が、理不尽な暴力としてナナに振るわれる。

 ブレる視界の中。

 ナナは右手を犠牲にそれの役割を確認した。

 疑似的な心臓だなんて、生易しいものではない。

 それこそがこの死霊憑きの力の源だ。


「─■■■───■────!!」


 再び雄たけびをあげる死霊憑き。

 宙へと吹き飛ばされたナナはその意味を理解した。


 ────これは〈渇き〉だ。あいつは、今。〈渇き〉に耐えられなくて叫んでいるんだ!!


 だが、ナナがそのすべてを理解するよりも、死霊憑きの方が僅かに速かった。

 物理法則を超えた死霊憑きの足が、空を蹴り、ナナの上空をとる。

 太ももの器官はその度、その度。

 膨れ上がっては破裂する。

『心臓』の数は計七つ。

 そして、今まさに八つ目が死霊憑きの右腕に宿り始めていた。


 撒き散らされる赤。赤……赤、紅。

 その世界の中、ナナは視界の片隅に〈幻柴光色(げんしこういろ)〉の輝きを見た。

 ポケットで震える機械(スマホ)が、それを幻覚ではないとナナに教える。

 それだけで、ナナは瑞希の願いを叶えられると確信した。


「さすがだな……シーナ」


 安堵の息を漏らすと、ナナは自然の流れに身を委ねた。

 目の前には黒い影────死霊憑きが八つ目の『心臓』を破裂させている。

 宙で身動きを取る術などないナナには、破壊そのものの右腕を(かわ)すことは無理だ。

 ガードするための腕は先の攻防で、両方とも潰れている。

 防御も回避も不可能な一撃が無慈悲に振るわれた。



 ────ぐちゃり。


 醜く破顔する死霊憑きを見ながら……。

 ナナは心臓の潰れる音を聞いた。








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