指を切らない指きった
「……」
ジルコニアのブリッジは不思議な静寂に包まれていた。そしてその原因を作っているのは艦長、アリシアその人だった。
おもむろにアリシアは立ち上がり、ブリッジから出て行こうとする。それが何を意味するのか、ブリッジのクルーは目を伏せることしかできない。
「待ってください」
コニーがその大きな手でアリシアの肩を掴んだ。
アリシアが出撃するということは軍上層部からの命令違反に当たる。それは即ちジルコニアのクルー全員の責任になるということだ。
「離しな。これ以上あたしを止めると命の保証はできないよ」
今までかつてないほど低く、ドスの効いた声と共にコニーを睨みつける。
「あなたはこの艦の艦長です。それを放棄するおつもりですか?」
それでもコニーは怯まない。見ているだけで殺されそうに鋭いアリシアの瞳を見つめ返し、手に力を入れた。
「……責任は全部あたしが取る」
とだけ言い、1回りも2回りも大きいコニーの手を払いのけ、ドックへ向かった。
「カイル……さん」
ミサキは自分の目の前で起きた現実を受け入れることができなかった。この艦に乗ってまだ数日と経っていない中、最も交流が深かったのがカイルだった。出撃前は元気に冗談を言う余裕まで見せていたカイルがもう戻って来ない、2度と会うことはできない、これらを受け入れることは戦争を知らず、身近な人を亡くしたことのないミサキにはあまりにも重い現実だった。
「この……バカモンが……機体はどんなに壊しても直してやる。じゃがお前さんは死んだら誰にも直せんのじゃぞ……」
最後まで悪態を吐いていたサイゾウでさえも壁に額を押し付け、拳を握りしめていた。
そんなミサキ達を押し退け、アリシアは1人鎖で頑丈に封印されたリシアムへ向かった。
「まさか乗る気じゃあるまいな?」
無駄だとわかりつつもサイゾウはアリシアに問いかけた。
「……」
無言の否定。サイゾウはそれだけでアリシアの覚悟を受け容れた。
「おい!カタパルト開け!アリシア、鎖は……」
サイゾウが言う前にアリシアは答えた。
リシアムを起動させ、力ずくで鎖を引きちぎる。
赤い機体。エースであるアリシア専用に作られた超接近戦特化機。武装は腰部にビームブレードが2本、脚部に内蔵型のビームブレードが1対、後は腕部のグレネードランチャーのみだ。機体は徹底的な軽量化、そして高機動化が図られ、各所に格闘戦用の複雑な機動をするための補助スラスターが備え付けられている。
「アリシア ローゼ、リシアム、出るよ!」
「何だよ……これ……」
自らの発したビームの威力に1番驚いたのは他でもないカントだった。ヘリアム・カスタムは逃したものの1機のヘリアムが跡形も無く消え去ってしまった。そんなことができるのは他に戦艦の主砲くらいのものだ。
『カント、敵はあと1機だけだ。2人で畳み掛けるぞ!』
エイラの声が聞こえたのと同時に敵の戦艦から物凄い勢いで迫ってくる機影をキャッチした。
「エイラ!」
あまりのスピードにそこまでしか言葉にならなかった。しかしそれでもエイラはすんでのところで反応し、斬撃を盾で受けることに成功した。
「な、何だこいつは!?」
リシアムは目にも止まらぬ速さでブレードを繰り出す。最初の1、2撃は盾で防いだもののあとはコックピットに喰らうのを避けるので手一杯。あっという間に四肢を切断され、ダルマ状態になったアルゴンを弄ぶかの用に頭部を鷲掴みにし、握り潰した。
「この感じ……この空気、この緊張感……あたしはこれを待ってたんだ!」
分厚い装甲板越しに宇宙の空気を感じられるわけではない。というか宇宙に空気は無い。だが機体を動かした時に感じる微妙な重力、そしてパイロットシートから見渡す無限に広がる宇宙。全てを呑み込む無の空間を肌で感じることのできる唯一の場所。
アリシアにとってコックピットとはそういう場所だった。艦の指揮官としても高い能力を持つアリシアだったがやはり彼女の本質はパイロットだ。戦場こそが何処よりも自分が輝ける場所、アリシアはそう考えていた。
「バケモノかよ……」
カントが手も足も出なかったエイラがものの数秒で撃破された。カントの心に初めて恐怖が広がっていた。リシアムの双眸がエルシオンを睨みつける。
「く……うわァァ!」
大声を上げて自分を鼓舞し、ブラスターを構えてトリガーを引く。しかしビームは出なかった。
[警告。ビームブラスターは最大出力時の影響により100秒間のオーバーヒート中です。残り30秒]
そこに戦いという言葉は無い。あるのはただ獲物と狩人という関係だった。
「死にな!」
リシアムがブレードを振り上げる。
「主砲、撃てッ!」
ソディアだった。ソディアのビームはエルシオンを掠め、彼方へと消えていく。
「カント!エイラを回収して早く艦に戻れ」
ジードの怒鳴り声がエルシオンのコックピットに響いた。
ソディアの主砲によりリシアムが距離を離した一瞬、カントはアルゴンのコックピットブロックを掴むとソディアまで全速力で機体を走らせた。
「180度回頭、全速力でこの宙域を離脱する!」
「逃すかァ!」
ソディアはエルシオンが取り付くと同時に全速力で移動を始めた。その後ろをリシアムが、そして更に後ろをジルコニアが続く。
「艦長!どうするつもりですか?」
ミライが問いかける。ソディアはエンジンが片方欠けている受けに足はジルコニアの方が速いのだ。いや、それ以前に対物理シールドもまともに使えない状態ではリシアムにあっという間に堕とされてしまう。
「……艦全域に通達!これより我が艦は地球に降下する!」
ソディアの乗組員全員が息を呑んだ。このまま追いかけっこをしていても堕とされるのを待つばかり、しかし地球に降下しても大気圏突入時の熱で焼け死んでしまう。
緊急時の大気圏突入時は対物理シールドを使う、というのがマニュアルだがそのシールドも不安定な状況で突入するのは自殺行為と言う他に言いようが無い。その上地球に辿り着く前にリシアムに堕とされてしまう可能性も十分にあった。
「皆の不安はわかっている、だが俺は少しでも生き残る可能性のある方に賭ける」
そこでジードは誰かの意見を仰ぐかのようにブリッジを見渡した。ミライを始めジードの意見に反対しようとするものは1人もいなかった。それを確認するとジードは大きく息を吸い、
「大気圏突入まではカント!お前が艦を守れ。お前の勝手な行動が招いた結果だ。これはお前の義務だ」
カントはエイラをドックへ送る。そして再びエルシオンに乗り込もうとするとコックピットブロックから出たエイラに呼び止められた。
「カント!お前ならできる!だから……死ぬなよ」
肩に拳を当てられる。根拠などどこにもない。だが決して空っぽではなかった。温かく、力強く、力が流れ込んでくるように感じた。
「ああ。わかった。約束だ」
小指と小指を絡める。昔からあるおまじないだ。