秀才が見上げた天才の壁
コロニードライはゼネラルエレクトロニクスの第2本社のあるコロニーである。
ゼネラルエレクトロニクスはいち早くLAの開発、生産に着手し、他の企業から一歩抜きん出る形で世界のトップに君臨している。ソディアはたった今ドライのドックに停泊したところである。カントはエルハーグに連れられ、ひときわ大きなビルに足を踏み入れた。
「いいか小僧。これから会うのは副社長のケイン コフィス様だ。決して失礼の無いようにするんだぞ」
そんなに釘を刺さずとも下手なことは言えない、とカントは思った。
1番重く責任があるのはカントなのだ。何を言われるかわからない。ならばカントにできるのはなるべく機嫌を損ねないようにすることくらいだった。
エレベーターに乗っている時間が永遠に感じられた。エレベーターのランプが消える。扉が開いた。部屋にはスーツを着て白髪混じりの髪を固めた、いかにも社長という風格の初老の紳士が立っていた。顔を見る限りそこまで怖そうな人ではなくてカントはひとまずホッとした。
「も、申し訳ありませんでした!」
カントが何か言う前に隣にいたエルハーグが腰を直角に曲げ、深々と頭を下げて謝罪を述べた。カントもつられて頭を下げる。どんな怒号が飛んてまくるかとカントはビクビクしていたがそんなことはなく、返ってきたのは穏やかな声だった。
「カント キサラギ君……だったね?君はルミナスアート1機作るのに一体幾らかかるか知っているかね?」
「いえ……わかりません」
「100億だよ。君が動かしたエルシオンは予算に糸目をつけず作った試作機だ。しかし君も知っての通りあれは最初に登録したパイロットにしか動かせない。つまりあれは我々にとってただのくず鉄になってしまったということだよ」
これなら一気に怒鳴ってもらった方が良かった、とカントは思った。ケインの話し方は少しずつ、しかし確実に相手の精神を削っていく。世界一の企業の副社長ともなればこのくらいの話術はお手の物なのか。カントは感心すると共に恐怖を覚えた。
「……しかし、我々はエルシオンをただのくず鉄とするには時間と金、そして人間を使いすぎた」
人間?とカントの頭に疑問が過ぎったが次のケインの言葉でそんな疑問は吹き飛んでしまった。
「君には我がゼネラルエレクトロニクスに対して70億の借金を負ってもらうことになる」
絶望しかなかった。カントが一生働いても到底稼げる金額ではない。
「これでも我が社は大分譲歩している方だよ。無論、君が完済できなければその子供、それでも無理ならば孫に払ってもらうことになる」
「……」
言葉はおろか、息すらできなかった。何となく予想はしていたものの、現実はそんなものを簡単に越えていく。
「顔を上げてくれ」
カントが頭を上げると目の前に1枚の紙が差し出された。その紙にはしっかりと、太い字で『借用』と書かれていた。
「しかしだ。我々も未来ある青少年に莫大な借金を負わせるのは望むところではない。そして企業としても不毛だ」
「じ、じゃあ……」
カントに一筋の光明が見えた。
「しかしただで、というわけにはいかない。そこでだ。君にはエルシオンの実戦データを取ってもらいたい。それを我々が買い取る、という形にするのはどうだろうか」
「データ?」
「そうだ。もともとエルシオンはデータ取りさえできれば用済みだった。もう既に君はエルシオンで何戦か実戦を経験しているね?そのデータは後継機の開発に不可欠なものだ。この話にのるかそるか、選ぶのは君だ」
そしてカントの前にもう一枚の紙を差し出した。そこには『契約書』と書かれている。迷う必要なんて無かった。ミサキを助ける為の力が手に入り、かつ借金を背負う必要もなくなるのであればカントにとってはそれ以上望めない結果だった。震える手で契約書に何度も何度も目を通し、サインをした。
するとケインはにっこりと笑ってカントの肩を叩いた。
「よし、そうと決まれば当社からエルシオン専属メカニックを付けよう」
カントがエルハーグと副社長室で別れ、ビルから出ると入り口でエイラとジード、ミライが心配そうな面持ちで待っていた。
「ど、どうだった?」
カントは黙って契約書をエイラに渡した。それを他の2人が覗き込むようにして見る。
「良かったじゃないか!」
エイラが腕でカントの頭を締め付ける。
「痛い、痛いって!」
「しかし、あのゼネラルエレクトロニクスがこうも都合のいい条件を出すとはな……返って不気味だな」
「まあいいじゃないですか、艦長、もっと喜んでいいんですよ?待ってる間はあんなにそわそわしていたのに……」
「う、うるさい!」
「良かったのですか、あのような取り引きで……」
「我が社としてはあれが動いただけでも大きな成功と言える。それに、彼女が彼を選んだんだ。それに越したことはないだろう」
「そうですか……」
エルハーグは額の汗を拭った。一時はどうなることかと思ったが自分の責任問題とならなかったのが彼にとっては1番の収穫だった。
「さて、彼にはもっと働いて貰わなくてはね……」
ケインは窓の下で豆粒ほどの大きさで喜び合っているカント達を見下ろして呟いた。
カント達がソディアに戻ると丁度ドックにパーツ類の入ったコンテナを運び込んでいるところだった。ただソディアは修復されていない。
「やあやあ君がエルシオンを勝手に動かしちゃったトンデモパイロット君かな?」
コンテナの影から何ともテンションの高い少女が茶色の巻き毛を揺らしながら現れた。
「ふんふん、ふーんふん、ほほ〜、結構歳食ってるねぇー」
ジードの周りをくるくる回りながら観察する。
「いやいや俺だから」
「えっ、そーなの?もぉ〜早く言ってよ〜」
カントが少女に振り回されている間に少女を追うように神経質そうな眼鏡の青年が現れた。
「ちょっとフェルト!失礼だって、自己紹介くらいしなきゃ……」
何とも神経質そうにカント達に頭を下げる。その横でフェルトはカントをまじまじと指でフレームを作って観察している。並んだ2人は何ともシュールだった。
一行はフェルトに引きつられ、ぞろぞろとソディアのドックに向かった。そこにはエルシオンコクピットと何本ものケーブルで繋がった大きな機械や、幾つかのコンテナで大分賑やかになっていた。
「えーっと、僕はゼネラルエレクトロニクスから派遣されましたエルシオンの専属メカニック、ノイン ハウザーです。主に機体整備を担当させていただきます」
片やノインが両踵をそろえ、背筋を伸ばして挨拶をしたかと思えば、
「はいはーい、フェルト ラムでーす。私は主に武装関連のサポートをするよ〜」
片やフェルトがスクールの自己紹介張りに元気に名前を述べる。そこまで聞くとジードは2人の(主にフェルトの)相手に疲れたのかそそくさとブリッジに退散し、ミライもそれに続いた。
「あらら〜艦長さんにも見てもらいたかったのにな〜。ま、いいや、じゃあパイロットの2人にはエルシオンの新しい武装を紹介しまーす」
フェルトがコンテナの一つのコンテナの扉を開けた。中に入ってもいたのは変わった、と言うか変な形のシールドのようなもの。無駄にリアルに汚い笑顔を浮かべた太陽の額にファンシーな亀が描かれていた。
「あー、えっとそのさ、これ、何?」
「え?見ての通り、スーパー太陽シールドだよ?」
カントが一応聞いてみるとカントの予想の斜め上をいく回答が当然のような顔で回答が返ってきた。
「うん、それは何となくわかってたけどね、この見た目とその名前は何があったんだ?」
汚い笑顔を浮かべた太陽とファニーな亀。見れば見るほど訳がわからない。
「えーそう?かっこいいと思ったんだけどな〜」
「いやこの亀は何だよ!何?これを見た敵が『あ、可愛いから攻撃止めよ』とでも言うとでも思ったか?」
するとフェルトはあちゃー、と額を叩き、ノートに何事か記した。
「可愛さで敵を足止め……これは私には無かった発想だよ!さすがパイロット君!ほら、やっぱりシールドといえば堅さがウリなわけじゃん?堅いと言えば亀かなーって思ったんだけどね」
「なあカント、私そろそろアルゴンの調整に……」
そう言って逃げ出そうとするエイラの腕をカントはむんずと掴んだ。ノインはエルシオンの方に行ってしまったし、今フェルトと2人にされたらカントの精神がもちそうにない。
「いやそういうのいいから、普通の形と名前にしてくれ……」
「そう?まあパイロット君がそう言うなら仕方ないか〜、それじゃ、次行ってみよー!」
そして隣のコンテナに向かう。カントは湧き上がる嫌な予感を抑えることができなかった。
「次のはね〜、自信作だよ!名付けて持ち運び楽々蛇型ハイパーランチャータイプ37!」
予想通りと言うか何というか次もわけのわからない物体が顔を覗かせた。
「一応聞くけどこれはビームランチャーだよな?」
「違う違う!これは持ち運び楽々蛇型ハイパーランチャー!これはね〜従来のランチャーと違って外付けのエネルギーマガジンを使わずに機体本体から直接エネルギーを供給することによって……」
フェルトは何か熱く語りだしだがカントとしてはそれ以前にツッコミを入れなければならない点が山積みだった。
ランチャー全体が蛇の形になっており、口の部分が発射口になっている。そして何よりも問題なのがグリップの後部から伸びる蛇の尾がぐるりと腕部を取り囲むようになっていることだ。
「いやさ、エネルギーどうこうよりこの蛇どうにかならなかったのか?これじゃ腕が曲げらんないだろ」
「そっかぁ、曲がらないのは不便だよね〜でも!持ち運び楽々蛇型ハイパーランチャータイプ37にはまだ秘密があるのです!」
そう言ってランチャーに駆け寄り、グリップ少し前にあるフェルトの体大もある突起を取り外した。それは丁度箱状になっているらしく、蓋の部分を取り外す。すると中には幾つものポリタンクが入っており、茶色の液体で満たされていた。
「おいおいちょっと待て!何だこれは!」
「ん?コーヒー牛乳だよ?知らないの?」
コーヒー牛乳といえはお風呂の後に飲むとやたらと癖になるおいしさのあれだ。しかしそれがビームランチャーの中に格納されている意味がわからない。
「やっぱり水分補給って大事でしょ?の時用のコーヒー牛乳を入れるケースを付けてみました〜!」
「やべ……頭痛くなってきた……」
「え?どうしたの?ビタミン足りてないのかな?」
「……」
結局カントの主張でシールドとランチャーのビジュアルを再考、名称は後々決める事にした。エイラは自分のアルゴンの調整に向かい、カントはノインと機体の調整をすることにした。
「このケーブルは何なんだ?」
コクピットから垂れている大量のケーブルを指さす。
「ああ、これはシミュレーターとデータのやり取りをするケーブルだよ。ほら、あれがシミュレーター」
ケーブルの先を辿っていくと黒い長方形の箱に繋がっていた。
「カント君のデータを見てエルシオンの操縦系を少し弄ったんだ。使用感を聞かせてくれないかな」
ノインに言われ、脚部に付いているボタンを押してワイヤーを出し、それを使ってコクピットまで昇る。レバーを動かしてみると少し緩くなっており、大分動かしやすくなっていた。
「おお!すげーな、一気に動かしやすくなったよ」
戦闘データから操縦の癖まで判るのか、とカントは改めて感動した。
「じゃあシミュレーターを起動させるよ、ハッチを閉めてくれるかい?」
カントがハッチを閉めると起動もしていないのにモニターが点き、その片隅にノインの顔が現れた。
「今からシミュレーションを始めるよ。まずは前回の戦闘データからシミュレーションを構築するから操縦感を教えてくれるね」
ノインはてきぱきと準備を進めていく。カントはエルシオンを一切動かしていないのにモニターの景色が勝手に動き、出撃直後のソディアの直上の位置で止まった。
「いやーノインさんはフェルトみたいにおかしくなくてよかったよ」
思わずそんな呟きを漏らす。するとノインは哀しそうな表情をして言った。
「僕はさ、自慢じゃないけどスクールの技術課程を首席で卒業したんだ。それでゼネラルエレクトロニクスに入ってからもおよそ腕のいいメカニックや開発者は山ほど見てきた。誰も僕が足元にも及ばないほど、それこそ天才と形容してもいいほど、ね」
「でも……」
カントが言いかけるがそれをノインが哀しい目で遮った。
「僕もそうだと言いたいんだろう?」
カントは頷く。するとノインは少し表情を緩め、微かに笑った。
「ありがとう。でも君には誤解しないでもらいたいんだ。僕が見てきた中で本当に天才と呼べる人物はフェルト ラムただ1人だ」
「え……」
とてもカントにそうは見えなかった。ノインがこうまで言うほどあのフェルトに才があるとは思えなかった。
「確かにネームセンスとビジュアルセンスは皆無だけど開発者としてもメカニックとしても彼女を超える人間を僕は見たことがない。例えばさっきのランチャー。カント君はパイロットだからよくわからなかったかもしれないけどLAから直接エネルギーを供給するというのはかなり革新的なアイデアなんだよ。それに君はパイロット用のマニュアルを渡されただろう?」
カントは10センチを超える分厚いマニュアルを思い出した。
「僕達メカニックにはその倍近い厚さの整備マニュアルが配られたんだ。僕はそれを完全に理解するのに3日はかかった。でもフェルトはたった1時間で丸暗記してしまったんだ」
カントは言葉も出なかった。カントなどまだあのマニュアルすら理解できていない。
「まあ驚くのも無理はないよ。何せあのセンスの無さだからね」
ノインは苦笑して始めるよ、と言ってシミュレーションを始めた。