甘くて苦い、初めてのチョコレート
ベッドで寝返りを打ったカントは下半身をもぞもぞと這い回る感触で目を覚ました。
布団をめくってみるとそこにはぶかぶかの服を着たエルシオンがカントの端末を持って丸くなっていた。
「パイロット、フェルト ラムからコールです」
「どうしてここにいるんだ?」
確か昨晩カントがベッドに入った時はいなかったはずだ。
「何か問題があったでしょうか」
「いやいや、俺は男、お前は女、これだけの要素があれば問題として十分だろ」
見かけは女性らしさがまだ発達していないエルシオンだがこの光景をフェルト以外の誰かに見られたら何と言われるかと思うと背筋に嫌な汗が流れる。
「否定。私は外見を人間の女性に模倣しているアンドロイドの為『女』ではありません」
「いやまあそうなんだけどさ……」
カントは頭を掻いた。
「確かにアンドロイドなんだけど、なんて言うのかな、エルシオンは……」
何とかエルシオンに人間の『道徳』を教えようとするがカント自身も何故そうなのかを理論的に知っているわけではない。
ダメだからダメ。と自然に常識として植えつけられただけなのだ。子供の教育ってこんな感じなのかな、と思った時、子供、という単語からエルシオンの名前がふと気になった。
「何かエルシオン、って長いよな、あの機体の名前と被るし、別の名前で呼んでもいいか?」
「肯定」
「じゃあ……エルシオン……エルってのはどうだ?」
エルシオンは暫くの間ぺたんとベッドに座ってカントの顔を見つめてきた。それが何かを考えているポーズなのか不満を表すポーズなのかはカントにはわからなかった。何せ表情も何もないのだ。
「エル……エル、ですか」
気に入ったのかエルは何度もその名前を口の中で反芻する。カントはその反応を楽しみながら端末を起動した。エルの言う通りフェルトからメールが一件来ていた。
『今すぐきて』
文字数にしてわずか5文字。いつものフェルトの感じからしてもっと絵文字や顔文字を突っ込んでくるかと思いきや予想以上にシンプル、いや必要な情報も抜けていて朝っぱらから人を呼びつけるメールとして成り立っていない。
「今すぐ来て、って言われてもな……」
一体どこに行けばいいのだろうか、そしていかなる要件なのか、不安要素は留まるところを知らない。
「場所については私が案内します」
ぴょん、とベッドから飛び降り、エルは扉の前でカントに目配せした。早くしろ、ということだろうか。
カントは大急ぎで着替えを済ませ、エルの案内でフェルトの部屋に入った。以前1度だけ入ったことがあるがその時とは随分印象が変わっていた。
まず部屋が汚い。と言っても生活感に溢れた汚さではなくあちらこちらに書類や何かのパーツが転がっている。その中心にフェルトはいた。
「眼鏡をかけてると新鮮だな」
「ふふ、それ前も言ってたよね?」
フェルトはうーん、と大きく伸びをすると眼鏡を外し、紙の束との境目がわからなくなっている机の上に置き、髪を縛っていたゴムを解いた。
「よし、行こうか」
「どこに?」
「言ってからのお楽しみ〜」
そっちの行き先についてはエルも知らないようでフェルトに引っ張られるカントの後ろをぴったりとついていった。
3人は基地を出て街へ向った。街のあちこちで破壊されたビルの瓦礫の撤去作業が行われていたり、危うい建物の周りに黄色いビニールテープが貼られたりしていた。
「何か申し訳ないことをしたなぁ」
「そうかな?もしカントがいなかったらそもそも合衆政府が消えて無くなってたかもしれないし、むしろ被害は最小限に抑えられたと思うけど」
ぽつりと漏らしたカントの独り言をフェルトは完璧に拾った。確かにあの爆弾が落とされれば地図を書き換えるレベルの被害は確実だった。ということはラッセルはあの場で死ぬつもりだったのだろうか、ふとそんな考えが頭をよぎった。
「着いたよ!」
カントの腕を掴むフェルトが止まった。そこは現在最も多くのチェーンを経営する最王手ファストフードショップ。コロニーツヴェルフにももちろんチェーンがあり、カントやミサキもよくお世話になったものだ。今目の前にあるのはその本店である。
「懐かしい店だな」
「アメリカ州に来たらこれを食べないとね」
フェルトは注文も取らず2階のイートスペースに向った。首を傾げながらもカントはそれに続き、エルは更にその後ろに続いた。
フェルトが手を振った。その視線を辿ると奥のテーブル席をいくつか組み合わせた所にエイラとミライが座り、フェルトに手を振っていた。
「遅いじゃないか、何をしてたんだ?」
「いや、ちょっと資料集めを……そんなことより!」
フェルトはカントに向き直り、目の前に手のひらサイズの円柱形の物体を突きつけた。
「「「お帰り!」」」
フェルト達が紐を引くとパン、という破裂音と共に円錐の底から紙吹雪が噴き出した。それを身体中に被りながらカントは未だに事情が飲み込めない。
「ちょっとしたお祝いよ、カントの無事の帰還を祝った、ね」
「あ、ありがとう」
カントは3人の顔を見回した。帰って来た、そう改めて感じることができた。
「よーし、食べるぞー!」
テーブル一杯に並べられた種類様々なハンバーガーやフライドポテトをフェルトは次々と口に放り込んでいく。カントが席に座るとエルはその後ろに立った。
「エル、お前も座ったら?」
「エル?」
「ああ、エルシオン、って長いし機体名と被るからこう呼ぶことにしたんだ」
素早く食いついたエイラにカントは事の次第を説明する。
「では失礼します」
エルはおもむろに机の下に潜り込み、カントの膝の上によじ登った。
「一応聞くけど、何をしてるんだ?」
「座りました」
「俺の聞き方が悪かったな、どうしてそこに座った?」
「いけませんでしたか?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど……」
「なら私はここで」
「……まあいいか」
膝の上に座るエルが心なしか楽しそうだったのでカントはそれ以上そのことに関わるのをやめた。
「じゃあエルちゃんも一緒に食べよ」
ミライがハンバーガーを1つエルに手渡した。
「でもエルはアンドロイドで……」
「食べる事くらいならできますが、した方がいいでしょうか」
「そうね、皆んなで食べた方が美味しいしね」
エルは了解、と頷き、手渡されたハンバーガーの包みを外してかぶりついた。
「……」
「どう?」
「塩っぱい、あと少し酸っぱいです」
「口に合わなかったかな?」
エルは自分が齧ったハンバーガーをじっと眺めた。まるでそれが生まれて初めての食事だったかのように。
「いいえ、美味しい……と思います」
「そういえばフェルト、俺が言うのも変だけどエルシオンの方は大丈夫なのか?」
カントはソディアから出た時から聞きたかったことをフェルトに聞いた。
ボロボロのエルシオンを見た時、かなり厳しい、と言っていたし、ノインも完全に修復するのは不可能とまで言っていた。今整備班は1人でも多くの人手が欲しいはずだ。ましてフェルトの代わりなど誰にもできないわけで、今ここにフェルトがいるのはかなり致命的なのではないかと思ったのだ。
「大丈夫、修理はちゃんとやるよ」
「まあそれならいい……」
「……ノインが」
「よくねえよ!」
「まあまあ、それよりも私はこの子の方が気になるかなぁ」
今度はフライドポテトの感想を言わされているエルを見ながらフェルトは言った。
一通りお腹も膨れ、今度は買い物でもしようか、と話している女性陣に断りを入れてカントは1人空港へ向った。
空港の窓口で昨日の飛空艇について聞いてみる。だが返答はそんな飛空艇は来ていない、ということだった。
「あのままUターンして戻っちまったのかもな」
ミル達に会うことは諦め、カントは別れたメンバーを探しにハンバーガーショップの近くの店を見て回った。特に洋服屋を中心に。カントの経験則上女という生き物は買い物といえば真っ先に洋服屋に向かう、という法則があるのだ。
法則は今回においてもやはり当てはまっており、女性服専門店の中できゃいきゃいはしゃぐ声が聞こえてきた。
「おーい、何やって……」
カントは足を止めた。このまま声をかけていいのだろうか、今まで女性と買い物をして自分の身に降りかかった出来事を見返してみるとそこには涙と屈辱の記憶しかない。
しかも今回はエルを除いても3人分、過去最高だ。そんな量を持たされた日には一体自分がどうなってしまうのか皆目検討もつかない。
「あ、カント!」
カントの中でここは逃げておく、という選択が固まり始めた頃、運悪くフェルトに見つかってしまった。
「来てきて!かわいいと思わない?」
フェルトに引きずられた先は試着室の前だった。そこにはエイラとミライが待機していた。
「あれ、エルは?」
「エルちゃん、開けてもいい?」
「はい」
サッ、と目の前のカーテンが開き、小さなメイド服を着せられたエルが姿を現した。
「やっぱりかわいい〜」
「次はこれを着てみて」
「いや、こっちの方も……」
完全におもちゃにされていた。
「エル、嫌な時は言っていいんだぞ?」
「いいえ、嫌ではありません」
それから小1時間、カントはエルの着せ替え人形ショーに付き合わされた。
「で、結局何も買わないのかよ」
「まあ、試着するのも楽しみの1つだからな」
カントの予想に反して買い物袋の大きさは小さく、特にエルが気に入ったものが数点収まっているだけだった。とは言ってもエルはほとんど感情を表さないので殆どエイラ達の好み、という状態だったのだが。それでもエルに合う服が1着も無かったので着替えができただけでもカントには有り難かった。
ふと道を歩いているとカントは見覚えのある後ろ姿を見止めた。
「ちょっといいか?」
カントはエイラ達には先にソディアに戻っていてもらい、その人影を追いかけた。
「おーい、ミル!」
カントが声をかけた人はくるりと振り返り、しまった、という風に口に手を当てた。
「どちら様でしょうか?」
「いやいや、わかるだろ俺だよ」
「私の知り合いに『俺』という名前の人は存在しないのですが」
「お前も相変わらずだな」
カントが笑うとミルも微かに笑って見せた。
「腕、取ってしまったんですね」
ミルはそう言ってギプスの取れたカントの右腕を指差した。
「日常生活に支障は無いみたいなんでな」
「惜しいことをしました。ギプスもろとも腕を開きにしてやろうと思ったのですが」
「あれは柔らかいものは切れないんだろ」
ミルは聞こえよがしに舌打ちをした。
「おい、今お前舌打ちしたよな?」
「いいえ」
それから2人は他愛のない世間話をした。カントが行動を共にしていた時と同じように。
「では私はこれで。お嬢様へのお土産を買っていただけですから」
ミルは手に下げた紙袋を少し持ち上げた。有名な店のチョコレートのようだ。
「そういえば事務所に聞いた時はお前のとこの飛空艇は空港に着いてないって言われたんだけど」
「さあ?丁度行き違いだったのではないですか?」
特に深く問い詰める必要もなく、カントはそうか、とだけ返した。その返事を聞き届けるとミルはカントに背を向け、空港の方へ歩みを進めた。
「ミル!」
「ありがとうな」
はい。ミルは振り向かずに答えた。
「あなたと過ごした時間、短くはありましたが楽しい時間でした」
ミルは振り返らない。涙は堪えることができる。だが言葉はどうにも抑えることができそうに無かった。
帰ってきてください
その言葉を飲み込むのに必死だった。
飛空艇でカントを送り出したあの時、つい言ってしまいそうになった言葉。元々カントは合衆政府本部まで、という約束でミル達と同行していたに過ぎない。だからここで別れるのは初めから決まっていた事のはずだった。
でも心というやつはどうも思い通りに動いてはくれないものだ。もう一度会ったら止められなくなる、そうわかっていたからわざわざ空港の事務局に頼んだのに。
カントにはカントの世界があり、そこにはミルの知らない仲間が居て、カントにしかできないことがある。そう自分に言い聞かせ、ミルはカントに背を向けたまま歩き続けた。ほろ苦いチョコレートを口に放り込んで。
「カント、ちょっと」
一足遅れて飛空艇に戻ったカントをフェルトは入り口で待ち構えていた。
「どした?」
「話があるの」
フェルトの後に続いてフェルトの部屋に入る。相変わらず散らかった部屋だったが床に散らばる紙類をかき分けかき分け、何とかスペースを作り、フェルトはそこに1枚の図面を広げた。
「カントはエルちゃんのことどう思う?」
「どう、って言ってもな……」
何せ昨日会ったばかりだし、カントもエルについて詳しいことは何も知らない。ただエルシオンとしてずっと一緒にいて、その声を聞いてきたせいか不思議と他人な気はしなかった。
だがフェルトが言っているのはそういった類のことではないようだった。
「あの子、アンドロイドだよ?それにしては異常に人間ぽいと思わない?」
「言われてみればそうかもしれないな」
「そうかもしれない、じゃないんだよ、カントはあんなアンドロイド見たことある?」
答えはノーだ。公共交通機関にいるアンドロイドならばカントだってそりゃ見たことはあるがそれらはエルとは違って何というかもっと『ロボットっぽい』のだ。
だが最新の技術を以ってすればエルのようなアンドロイドを作ることもできるのではないか、何となくカントはそう考えていた。
「いい?現在のどんな技術をもってしてもあんな食事をしたり、希薄ではあれ感情を持ったりするアンドロイドを作ることなんてできない」
「お、おいちょっと待てよ。でも現にエルが存在してるじゃないか」
「それがそもそもおかしいんだよ、それにこれを見て」
フェルトは床に広げたエルシオンの機体図の腹部、コックピットの辺りを指差した。そこはエルが自分が接続されていた場所、と言った所だったがそれにあたる場所は黒く塗り潰されており、アンドロイドが接続されている、といった記述は無かった。
「私、昨日調べてみたの。確かにエルちゃんの言うスペースはあった。でもエルシオンのどの資料を見てもそこにアンドロイドが格納されている、なんて書いてない」
「それはつまりどういうことなんだ?」
もったいぶるフェルトにカントは結論を急がせた。フェルトは今までの熱い調子から一転、声を落として眉をひそめる。
「あの機体には私達の知らない何かが隠されてる」
ぽつり、と口からこぼすように言った。カントはフェルトが何を言いたいのか殆ど理解できなかったがただ1つ、明らかにおかしい点には気づくことができた。
「ん?それおかしくないか?だってエルシオンはゼネラルエレクトロニクスが作ったんだろ?」
自分で作ったのにその構造を自分で理解していないなんてどう聞いてもおかしな話だ。
「わからない。でも1度本社に戻った方がいいと思う。エルシオンの完全な修理もそこじゃないとできないし」
本社、という単語でカントの頭にラスベガスで出会った恰幅のいい男性が頭に浮かんだ。だがそれをフェルトに伝える前に艦全体にジードからの呼び出しがかかり、言いそびれてしまった。




