変わらない景色と変わりやすい秋の空
「……あれ、カルナー」
カントは今度こそ格納庫へ向かった。しかしそこにカルナの姿は無く、代わりにパイロットの2人がトランプに興じていた。
「カルナなら機関室に行ったんじゃないか?」
「多分そうだな、エンジンの調子がどうのこうの言ってたしな」
カントは2人にお礼を言い、船のちょうど中心部分にある機関室を訪ねた。
「ん?どうしたんだ?その手」
顔の所々に煤をくっつけたカルナがカントの右手を見ながら言った。
「まあちょっとな、それで……」
カルナの問いを何と無くごまかしつつカントは役場での出来事を話した。落胆するかと思いきやカルナはやっぱりね、と肩を竦めるだけだった。
「まあ、ナタリスはそういうのあんまり得意じゃないからね、こんなことなら議長と一緒に行った方が良かったかもね」
「レイもいるし、って?」
「そ。わかりやすいだろ?まあそんな所が可愛いんだけどね」
カルナは軽く笑った。それはそうとして、とカントは逸れていた話を元に戻した。
「ああ、ルミナスアートの修復はともかく飛空艇が直らないと困るからね……」
「エンジンの方は何とかなりそうなのか?」
「それもわからない。でも仮にエンジンが直っても翼にあんな風穴空いたままじゃどっちみち飛べないね」
「お手上げか……」
とりあえず現状取れる手段を全て確認し終え、カントは飛空艇から少し離れた砂浜にごろんと横になった。
頬を撫ぜる潮風と耳に響く波の音が心地いい。そういえばあらゆる生き物は元を辿れば全て海から生まれた。と、習った記憶がある。コロニーにいた頃はそもそも海などと言う見渡す限りに水を湛えた空間が存在するということ自体想像もできないほどだった。そこに加えてそこから生き物が生まれたと聞いてもいまいちピンとこなかったが今ではそれもなんとなくわかる気がする。
「お、今日は珍しく先客がいるのか」
唐突に頭の上から声が聞こえた。カントが頭だけ動かして後ろを見るとそこにはカントより少し年は下だろうか、浅黒い肌の少年が枕を抱えて立っていた。
「ああ、ここ君の場所だった?」
「まあね、親父に叱られた時のとっておきの避難場所」
少年はニッと白い歯を見せて笑った。そしてカントの隣に腰を下ろす。
「お兄さんこの辺じゃ見ない顔だね、ってことは……もしかしてコロニーの人!?」
別に隠すことでもないのでカントは素直に頷いた。すると少年は目を輝かせてカントをしげしげと観察する。
「……あ、自己紹介がまだだったね、俺の名前はユウ、お兄さんは?」
「俺はカント。よろしくな」
カントが手を差し出すとユウは素直にそれを握った。
「僕、将来宇宙で働くのが夢なんだよ!だから……」
ユウは興奮した様子で話しまくる。カントはそれを聞いてまず最初の感想は変わった子だな、というものだった。宇宙の仕事などほぼどんな仕事をしても命の危険と隣り合わせだ。それに加えて地球にはこの時代を代表する大企業の本社がたくさんある。
普通ならコロニーに住んでいても地球で働く、なんていうのが夢だったりするものだ。しかしこのユウという少年はその全く逆を言っている。
「どうして宇宙で働きたいんだ?」
だからカントは思わずそう聞いてしまった。
「え、うーん……」
するとあれだけ勢いよくしゃべっていたユウはぴたりと口を閉ざし、考え込んでしまった。
「なんだろな……こう、これ!っていう理由はないんだけど……強いていうなら親父から逃げたい、っていうのが大きいかなぁ」
「親父から逃げたい?」
「そう。俺の親父は代々工場を経営してるんだけど俺にも後を継げ、ってうるさくてさ」
物心ついた頃には既に父親を亡くしていたカントにとって父親との記憶はほとんど無いに等しい。だからユウの願いはずいぶん贅沢に聞こえた。
「どうして逃げたいんだ?」
「だって今時資材加工場なんて潰れるか大企業に吸収されるかくらいしか道が無いんだよ?」
ユウは無茶言うよね、と言うような顔でカントを見る。しかしカントの耳に強烈に響いたのは最初の『資材加工場』という単語だけだった。
「おい、今資材加工場、って言ったか?」
今度はカントが興奮してユウの肩を掴む。ユウはカントの食いつきに半ば呆気にとられながらも首を縦に振った。
「じゃあ親父さんに頼んで飛空艇の修復材を手配してくれないか?」
「うーん、できなくもないけど……」
しかしそれを聞くとユウは顔を曇らせて言葉を濁す。しかしカントにはできない、と答えられなかっただけで充分だった。ユウに飛空艇の側で待っているように言い残すと飛空艇の中のナタリスの私室へ向かってダッシュした。きっとナタリスも喜ぶに違いない、と確信して。
しかしカントの確信は的を掠ってすらいなかった。事の次第を説明したカントに帰ってきたのはドア越しの『私には無理』の一言だった。てっきり二つ返事で了解するとばかり思っていたカントは思わぬ肩透かしを喰らい、一瞬返す言葉が見つからなかった。
「どうしてだよ、せっかくのチャンスなんだぞ?」
「どうせ『代理』の私じゃまた門前払いされるだけよ。そんなに行きたいなら1人で行けば?」
いくら代理といえどそれすらもいない状況で交渉などできるわけがない。カント1人が向かったところでそれこそ門前払いだ。おまけにカント達は1度役所に断られた身だ。ハードルの上昇は生半可ではない。
「そんなの行ってみなきゃわからないだろ?」
「うるさい!うるさい!行かないと言ったら私は行かない!」
ついにナタリスはそう叫んだ。役所で初対面の大人にあれほど言われた後だ。苦しいのもわかるがそればかり言ってもいられない状況が状況なのだ。
「お嬢様!」
ナタリスの声を聞きつけて早速ミルがやってきた。そして当然のような顔でカントの首を絞めにかかる。
「……!……!」
もう声どころか完全に息もできない。カントは必死にミルの腕を叩いてギブアップを訴えた。
「お嬢様に何をしたのですか、ゴミ虫野郎」
「……て、てめぇ……殺す気か」
「答え次第では本当に命は無いものと思ってください」
もちろんカントに後ろ暗い所は無いのでミルに事態を説明した。その上でミルの方からも協力を仰げないか、と聞いてみた。
「……私は……何も言えません」
ミルは暫しの間何やら内なる葛藤をしていたがやがてそう締めくくり、カントに背を向けて廊下を歩いて行ってしまった。カントとしては命を懸けてまでミルに協力を仰いだのだがそれは期待できそうにない。仕方なく1人で説得を続ける。
「なあ、お前親父さんに代理を頼まれたんだろ?ならお前の体はもうお前1人のものじゃないんだ、わかるだろ?」
扉の向こうからの返事は無い。それからカントは何回か声をかけたもののどうやらナタリスはだんまりを決め込んでしまったようだ。物音1つ返ってこなかった。もうこうなれば根比べだ。カントは扉前にどっしりと腰を下ろした。
「お前が聞くまで俺は諦めないからな!」
「……」
「……」
「……」
「……」
「何?1日中私につきまとって!嫌がらせのつもり?」
ナタリスの言う通り、カントはトイレと入浴時以外、本当に1日中ナタリスの後ろにくっついていた。もう日はとっくに落ち、外は綺麗な夜空が広がっているだろう。カント自身は別に嫌がらせのつもりは無かった。むしろその逆だ。それだけ必死だ、ということを伝えたかったのだ。しかし嫌がらせと取られても文句は言えないとは思っていた。
「お前が俺の話を聞くまで俺は諦めないって言ったろ?」
「……もうほっといて」
「やだ」
半ば2人とも意地になっていた。ナタリスも今更折れるのはきまりが悪いし、カントも絶対に諦めないと言った手前引くに引けないのだ。
ナタリスが足を止めた。その横にはトイレがある。
「入ってこないでよ」
「わかってるよ」
カントにそんな趣味は無いし、第一そんなことをすればミルに何をされるかわかったものではない。今だって殴りかかられないのが不思議なくらいなのだ。ふとその時カントはこの状況に何かと既視感のようなものを感じた。デジャヴというやつだ。しかししばらく考え込んでもその正体には辿り着けなかったのでひとまず諦めることにした。
「ナタリスー」
カントが考え込んでいた時間がどれくらいかわからなかったがナタリスがトイレに入っている時間が長いので声をかけてみる。しかし返事は無い。一か八か突入しようかとちらりと思ったがもし間違いだったらただでは済まされないので結局そのまま待つことにした。
ナタリスはトイレの1番奥の個室に入ると便座の上に立って天井を押した。すると天井の板がガコッと外れ、上には狭くて埃っぽい空間があった。
そしてそこを少し進むと隣の男子トイレの個室の天井に繋がっている。ナタリスは初めこの空間を発見した時は何て危ない設計ミスだ、と抗議を入れるつもりだったがまさかこんなところで役立つとは思わなかった。服が埃まみれになってしまったがこの際仕方がない。
「ナタリスー」
隣からカントの声が聞こえた。ナタリスは慎重に天井の板をはめ直すとカントが女子トイレの方を見ている隙に男子トイレから駆け出した。カントもまさかナタリスが男子トイレから出てくるとは予想もせず、そのまま視界の外へと逃してしまった。
「……はあ、はあ」
荒く息をつき、心臓が激しく鼓動する。人間の本能のせいかもしれないが何かから逃げる、というのは変に興奮してしまうものだ。それともただ単に走ったから、というだけなのかもしれないのだが。カントが追いかけてくる気配は無い。あまりにも必死でどこをどう走ってきたのかわからなかったがナタリスは現在貨物室にいた。
「おう、執事の人はどこへ行ったんです?」
不意に後ろから声をかけられた。びっくりして振り返るとそこには綺麗な赤毛と顔に煤や油をこびりつかせたカルナがいた。作業が一段落したのかいつも傍にある道具箱を持っていない。
「執事?」
「カントのことですよ、今日ずっと一緒にいたじゃないですか」
「そ、そんなんじゃないわよ!あれはただつきまとわれてただけ」
自分でもなぜだかわからないがつい語気を強めてしまう。その顔を見てカルナは満足げにニヤッと笑うとナタリスの肩を叩こうとして自分の手のひらを見、やめた。
「まあでも、カントの気持ちもわかってやってくださいよ」
そう言って貨物室から出て行ってしまった。なんとなく自分が責められた気がして先ほどの興奮もガクッと落ちてしまった。
こんな日は早く眠ってしまおうとカントに見つからないように慎重に自室の前まで戻るとそのドアの前にミルがいた。
「ミル、どうしたの?」
「っ、お嬢様、その……」
ミルは何か言いづらそうに口をもごもごさせていたが自分の顔を叩き、大きく深呼吸をすると僅かに目線をナタリスから逸らしながら、言った。
「……別に、あの男の味方をするわけではありませんが……あの男の言い分にも一理あるかと……思います」
ナタリスはなんだかミルにまで裏切られた気がした。ミルにそんな気は無いのだろうし、だからこそあれだけ言いづらそうにしていたのだろうがそこまで読み取る余裕がナタリスには無かった。ナタリスだってこれが単なる自分の我が儘、だなんてことはわかりきっていた。カントは何も間違ってはいない。でも、それでもミルだけは、幼い頃からずっと一緒にいて、いつも味方になってくれたミルだけは。例えナタリスが間違っているとわかっていても味方になってくれるのではないか、そう思い込んでいた。
ナタリスはなんだかこの空間が酷く居心地の悪いものに感じた。
「おいナタリス!いくらなんでも遅すぎないか?」
カントはこれで何回目になるかわからない呼びかけをした。例によって返事は無い。ひょっとしたら気分が悪くなって中で動けなくなっているのかもしれない。そう思って女子トイレに足を踏み入れようとした瞬間、後ろから声をかけられた。
「よおカント……何やってんの?」
ぎょっとして振り返ると声の主はカルナだった。確かに傍から見ると女子トイレに入ろうかどうしようか迷っている挙動不審な男、に見える。
「いやカルナ、これは決して……」
「そんなことよりカント、お姫様は多分今頃1人寂しく泣いてるんじゃない?」
「お姫様?ナタリスのことか?」
カルナは何も答えず、ふんふん鼻歌を歌いながらタオルを肩に乗せてシャワールームの方へ歩いて行った。




