覚悟という名の彼女の世界
「き……貴様まさかエ……エルシオンを起動させたのか?」
ソディアに戻り、カントがエルシオンから降りるとどこかで見覚えのある太った幹部が血相を変えてやってきた。因みにソディアにはドックが二つあり、こちらは破壊されていない左舷側のドックだ。
「す、すみません」
コンテナで厳重に守っていたくらいだ。よほど大事なものだったのだろうとカントが頭をさげると幹部は丸い顔を真っ赤にして拳を振り上げた。
「すみませんだと……そんなことで済むかッ!」
しかしその拳はカントに叩きつけられる前にジードによって止められた。
「エルハーグさん、お気持ちはわかるがこいつを叱るのは艦長である私の役目です」
「叔父さん……」
「叔父さんではない、艦長と呼べ!」
「しかしこの小僧が起動したエルシオンは我がゼネラルエレクトロニクスが総力を挙げて開発した試作機ですぞ!これは……これの起動権は最初に起動した者、つまりこの小僧にしか起動できなくなってしまった!これでは使い物にならない、どうしてくれる!」
「わかりました」
そう言うなりジードはカントの頬を殴った。磁気靴の磁力を大きく上回る力にカントの体は軽々と飛ばされ、口の中で血の味がした。
「これで満足ですか?」
「あ、ああ……」
「カント、お前はもう下がれ」
カントがドックから出るとエルハーグもブツブツ文句を言いながらも自室に戻っていった。
「イテテテテッ」
「口の中なんですからこれくらい我慢してください」
カントは医務室で切れた口の手当てを受けていた。現在ソディアには軍医が不在の為、看護資格を持っているオペレーターのミライ クロームが兼任していた。
「それにしてもですよ、軍用艦に忍びこんだ上に新型のルミナスアートを動かすなんていい度胸してますね」
カントの口から血の付いた脱脂綿を取り出して別の脱脂綿に消毒液をつけながらミライは言った。
「それは……そうかもしれませんが……」
「それはそうとしても初出撃で撃破を取るなんて凄いですね!私、オペレーター長いんですがそんな人初めて見ましたよ!」
興奮気味にミライはそう言っている。ふとその時カントにある疑問が浮かんだ。
「長いって……ミライさんって一体……イテテテッ!今の絶対わざとだろ!」
「女の子に歳を聞いちゃいけません」
顔は笑っているが目が怖い。カントの見立てではまだ20代前半くらいだし、自分のことを『女の子』と言うあたり若いのかと思っていたがだが『長い』なんて表現からそうでもないらしい。カントはこの時初めて女は怖いということを思い知った。
手当てが終わり、医務室から出ようとするカントをミライが呼び止めた。
「あ、待って。あなたに渡すものがあるの」
そして手渡されたのは厚さ10センチはある分厚い本。表紙を見るとそこには『EL-00マニュアル』と書いてあった。
「艦長から渡せって言われたの。あの人、殴った手前あなたと顔を合わせづらいのかもね」
ミライはフフフと楽しげに笑った。
カントはなぜ自分にマニュアルが渡されるのかわからなかったが特に行くところもなく、手持ち無沙汰だったのでマニュアルを確認しがてらエルシオンのあるドックに行ってみることにした。
ドックにはエルシオンの他にはカントが助けた左腕と右腕の無いアルゴンが1機あるだけだった。そしてその足元にはパイロットの少女がいた。
「ああ君か、さっきは派手にやられてしまってな……おっと礼がまだだったな、私はエイラ ヒューゲル准尉だ。先程は助けてくれてありがとう」
と言って右手を差し出した。かんとは少しの間それが何を示しているのかわからずきょとんとその手を眺めていたが、やがてそれが握手を求められているということに頭の理解が追いつき、慌ててその手を握った。
「いやいや、あれは殆どエルシオンがやっただけだし、俺もほら、勝手に乗っただけだし……」
「いや、それでも命を救われたことには変わりない。ん?その本は何だ?」
エイラはカントが小脇に抱えているマニュアルを指して言った。カントが表紙を見せるとエイラは少し難しい顔をして、
「よし、私も手伝ってやろう」
と言って手に持っていた部品を箱に入れ、エルシオンを見上げた。
「いや、でもエイラは自分の仕事があるんじゃ?」
するとエイラは肩を竦めて首を振った。
「あれはもうダメだ。元々この船は戦闘を想定してなかったからな、予備のパーツが殆ど無いんだ。応急処置で何とか動くようにはなったが……この状態ではな」
エイラはアルゴン左腕と右脚を指した。確かにカントの素人目から見てもこれでは戦いにならないだろうと思った。
「それにしても、この機体は美しいな」
そのエイラの声につられてカントもエルシオンを見上げた。フォルムは無骨だが余すところなく全身真っ白で側頭部に2本、アンテナのような角がついているのが特徴だった。
「確か戦闘中は所々赤く光っていたような気がしたのだが……何かそれに書いてないか?」
「あ、ああ、ちょっと待ってくれ」
カントは分厚いマニュアルの目次から機体図の欄を見つけ、ページをめくった。
「うーん、と、起動すると赤く光る部分があるみたいだな」
そんな感じにカントとエイラはエルシオンのマニュアルをめくりながらボタンの位置やレバーの動かし方を見ていった。しかしカントが不思議に思ったのはその中で何故かエイラは機体の動かし方をカントに教えるようにしゃべることだ。例えば
「ほう、ここのペダルを踏むと加速するのか、右のペダルが右のスラスター、左が左スラスター、なるほど。これはアルゴンとと同じなのだな」
こんな感じだ。そして30分程経った頃、艦内にサイレンが鳴った。
『総員、戦闘配置に就け!カント キサラギとエイラ ヒューゲルは即ブリッジに来るように!』
カントは何故自分も呼ばれるのかまたしても疑問だったが下手なことをしてまた殴られるのも嫌なのでおとなしくエイラに付いて行った。
「来たな、まずエイラ、お前はアルゴンに乗って待機だ。そしてカント、お前はエルシオンに乗って出撃しろ」
カントは一瞬目の前の人間が何を言っているのかわからなかった。しかしカントよりも先に口を挟んだのはエイラだった。
「ですが……」
「お前の中破したアルゴンでまともに戦えるのか?今このソディアでまともに戦闘ができるのはエルシオンだけだ。そしてエルシオンを動かすことができるのはカントしかいない。わからないか?」
そして次に異を唱えたのはエルハーグだった。
「エルシオンを戦わせる?冗談じゃない!もし破損でもしたらどうする!あの機体は何としても失う訳にはいかんのだ!」
「ではあなたは!ここでエルシオンもろとも宇宙の藻屑となるというのですか!少なくとも私は御免だ。カント!行けるな」
そう言うジードの目を見てカントは確信した。マニュアルを渡したのはこのためだったのだ。そしてエイラがカントに操縦方法を教えたのもおそらくこうなるであろうと予測していたからだ。
「嫌だ……とは言えないんでしょう?」
ジードは無言だ。眉ひとつ動かさない。だがそれは何よりもわかりやすい肯定の合図だった。
「わかりました」
「エルシオン起動」
[エルシオン、起動スタンバイ、起動します]
カントの声に感応するようにエルシオンの声がコクピット内に響き、エルシオンのデュアルアイとボディが赤く輝く。
『私、ミライ クロームが最大限サポートします。って、今更堅くならなくてもいいですよね、ではまずドックから出てカタパルトに向かってください』
「えっと……歩くのは……よし」
やっと立ち上がった子供のようによたよたと何とか歩き、カタパルトに辿り着いた。
『ではカタパルトデッキを解放します。側面の武装を掴んでください』
機体の両側面の壁が開き、シールドとビームランチャーがせり出てきた。
『足元のカタパルトに足を置いてください。後はタイミングよくスラスターを吹かせるだけです』
カントは左手でシールドを、右手でビームランチャーを掴むとカタパルトに足を置いた。するとカタパルトに足が固定される。
『カタパルト固定を確認。カタパルトデッキ解放します』
ソディアの側面が観音開きに開き、そこからデッキが延びてカタパルトデッキが完成した。そして前方の電光板の緑のランプが3つ点灯、[LAUNCH]の文字が点灯すると同時にカタパルトが発射、エルシオンは赤い残光を引いて宇宙へと飛び立った。
『いいか?お前の任務はこのソディアを守ることだ。決して深追いするな、いいな?』
「了解!」
エルシオンをソディアの上側に移動させる。戦艦を攻撃する場合、大抵はブリッジを狙うからだ。
[前方、敵ルミナスアート確認、数5、距離1500]
エルシオンが観測された情報を即座にカントに伝える。
「他には?」
[否定。当機のレーダー圏内には他の敵勢力は検出されません]
カントはスラスターを吹かし、加速する。そして敵機をランチャーの有効射程圏内に入れるとSAS(射撃補助システム)をONにした。これは敵機に存在を知られる代わりに動き回る敵機に連続して照準を合わせ続ける、即ちロックオンだ。
黄色い閃光がランチャーから放たれ、敵機の集団の中央を掠めていく。いくらロックオンといえどすれば確実に当たるというほど魔法のシステムではない。ビームにも弾速があり、距離が離れていたり敵の機動力が高いと当たらない。だからロックオンをしてもある程度はパイロットの技量を必要とするのだ。
[敵機との距離、500]
エルシオンが言うのを聞く間もなくエルシオンにビームの雨が降り注いだ。
カントは後ろに飛んで何とか回避するがこのまま下がり続ければ敵をソディアに近づけてしまう。そう考えてシールドを構えて前進、敵との距離を詰め、ビームランチャーを撃つ。しかしどれも敵機を掠ることもなく虚空に消えていくばかりだ。
カントがさらに距離を詰めようと射撃を止めた瞬間、敵のビームがエルシオンを掠め、手元に命中した。エルシオンがオートパイロットでランチャーを捨てた直後、ランチャーが爆発を起こした。
[警告、停止状態で射撃していては的になります]
「そんなことわかってるけど……」
何せ数と、そして何より練度が違いすぎる。ランチャーという中距離武装を失くしたカントはシールドを構えたままジリジリと後退を強いられた。
「くそっ!見ていられるか!」
コクピットのモニターでエルシオンとヘリアム5機の戦闘を見ていたエイラはコクピットの椅子を思い切り拳で叩いた。こんな、訓練すら受けたことの無い、まして軍人ですら無いカントが戦いを強いられているのに自分は黙って見ているしかない、それがエイラを焦らせた。
エイラは10年前の大戦で両親を共に亡くした。それからは軍事学校で過ごし、エスカレーター式に軍人になり、両親の仇を討つためにパイロットを選択した。
しかしいざなってみると仇などどこにもいない。ここまで来てエイラは目標を失ってしまった。自分は何のために戦っているのか、何のためにLAに乗っているのか。その意味を。しかし今戦っているカントの姿を見ていると何かを見つけた気がした。自分は守りたい。ここの艦を守るエルシオンを、カントを守りたい。そう思った。
『エイラ ヒューゲル、出撃します。カタパルトデッキを開けてください!』
そんなエイラからの無線にブリッジのクルーは動揺を隠せなかった。
「ヒューゲル准尉、俺が出したのは待機命令のはずだが?」
『私は軍人でもない一般人に戦闘を命じて自分は後ろで見ていろと教わったことは1度もありません!どうしても駄目と言うのなら外壁を破壊してでも出ます!』
規律に厳格なエイラは今までに1度だって命令に違反しようとはしなかった。それが今は脅迫まがいのことをしてでも出撃しようとしている。ジードにはそれが信じられなかった。
またそれはエイラにとっても同じだった。まさか自分が軍規を破ってまで守りたいと思う物は今までになかった。昨日までのエイラには想像もできなかっただろう。
「了解しました。左舷カタパルトデッキ、解放します」
「クローム中尉!私は何も……」
「わかっています。これは私の独断、軍法会議にかけるなり何なりしてくださって結構です」
『ミライさん……ありがとうございます。アルゴン、エイラ ヒューゲル出撃します!』
[警告。頭部バルカンの残弾、残り5パーセント以下、残弾に注意してください]
「くそっ!」
カントの拙い操縦技術で何とか持ち堪えられているのは単純にエルシオンの機体性能とオートパイロット、そして運のお陰としか言いようがなかった。ビームランチャーが無くなれば残る武装はバルカンとブレードしかない。バルカンでは牽制程度にしかならなく、ブレードは接近しなければ当たらない。もう八方塞がりかと思われたその時、
『カント!これより援護する!』
エイラの声だった。そして声と同時に背後から正確に狙われたビームが飛び、敵のヘリアム1機のエンジンを貫いて爆発を起こした。
『今だ!』
エイラの声を聞くまでもなくカントはエルシオンを加速させていた。
従来のLAのそれを大きく上回る速度にヘリアムのパイロットは反応できていない。エルシオンの腰部に格納されているビームブレードの出力器を右手で引き抜く。ここから黄色いブレード部分が展開し、LAを両断するに十分な長さの刃となる。
「食らええええッ!」
1機の腹部、コクピットを両断する。残り3機。背後から発射されるビームは正確にヘリアムのコクピットを狙うが距離があるためシールドで防がれてしまう。しかしそれだけ動きが止まればカントが狙うにも十分な隙だった。背後からコクピットを突き刺す。ここまでくると流石にあとの2機は退却を始めた。
カントは追いかけようとペダルを踏みかけてジードの言葉を思い出し、後ろ髪を引かれる思いでエルシオンの進路をソディアに向けた。
『良かった……カント、無事だったんだな』
ソディアに戻ったカントを最初に出迎えたのは壊れかけのアルゴンに乗ったエイラだった。
「良かったってお前……何で出てきたんだよ」
『何でとは酷いな、私の援護が無かったらあの後どうするつもりだったんだ?』
「いやそれはそうだけど……」
『まあ話は後でしよう。この機体、もう動かないんだ、悪いが手を貸してくれないか?』
エイラを連れてソディアに戻ったカントはエイラに誘われて食堂へ向かった。エイラは予想していたジードからのお叱りは無く、肩透かしを食らった気分だったが無いなら無いでそれに越したことはない。
「で、なんであんな無茶したんだ?」
「私はさ、決めたんだ。お前はこの艦を守るために戦ってくれた。私はそんなお前を守る」
そう真面目な顔で言ったエイラを見てカントは思わず吹き出してしまった。
「お、おい、なんで笑うんだ?私、そんな変なこと言ったか?」
「いや……エイラはもっとさ……堅い人だと思ってた」
「そうか……そうかもしれないな、少なくとも昨日までの私はそうだったのかもしれないな」
エイラは自嘲気味に笑った。
「まあそれは置いといて、出撃の後は腹が減って仕方ない」
エイラは食堂の脇にある自動販売機のスイッチを押す。すると取り出し口から何かが出てきた。
「カントも何か食べたらどうだ?」
「俺はあんまり腹減ってないけどな」
カントにとっては今日1日だけで色々なことが起きすぎて空腹を感じるどころではなかった。そういう意味ではエイラの落ち着きが羨ましくもあった。
「きっとまたすぐ出撃だぞ、何か腹に入れておけ」
エイラが自動販売機から同じものを取り出し、カントに放った。
「これは……ホットドック?」
エイラは口をもぐもぐさせながら無言で頷いた。カントの知っているホットドッグとは違い、パンの中にソーセージと野菜が埋め込まれている。これも無重力で空中分解しないように開発されたもののようだ。ホットドッグを見つめているとカントはツヴェルフでミサキとスクールの帰りによく買い食いをしたのを思い出した。あの時はまさか自分が、ミサキがこんなことになるとは夢にも思わなかった……。
「おーい、カント?どうした?」
エイラに目の前で手を振られ、カントは我に返った。
「あ、いやちょっとな」
その記憶を振り払うようにカントはホットドッグに思い切りかぶりついた。
しかしカントのホットドッグが半分も無くならない内に再び出撃命令が下った。今回は前回のことを考慮してかエイラも艦の防衛に着くようにとのお達しだ。カントは食べかけのホットドッグを無理矢理口に押し込み、食堂の床を蹴ってドックへ向かった。