ミヤコワスレ
生あるものはいつか死ぬ、それは万物共通のものである。
だが、ただ一人永遠の命を持つ男がいる。
羨ましいと思う人はいるだろうか、もしかしたらいるかもしれない。だが、彼にしてみれば欲しい人がいるのならば是非とも譲ってあげたいくらいだ。
周りの人は年を重ねるにつれて老い、死んでいく。そんな当たり前のことなのに彼には出来ない。
彼の体は成年を迎えてからまったく成長していなかった。体も顔ももう長い間このままだ。
死にたくても死ねない。
自分の時間は止まったまま動かない。
いつも自分一人だけが取り残される。
何度も何度もそんな経験をしてきた彼はいつからか人と関わることをやめてしまった。
親しくしなければ別れの時にあんなにつらい思いをすることもない。そう思っていた。
彼の唯一の癒しと言えば花を見ることだった。花もその命は短いが強く美しく咲く姿は彼の胸を強く打つ。もし、いつか自分が死ねるときが来たなら花のように死にたいと思う。
家の庭に小さいながらも花壇を作り、毎日欠かさず水をやる、花びらに付いた水滴が太陽の光を反射して宝石のように輝いている。
その日もいつものように水をやっていた。
「おはようございます、きれいな花ですね」
明るい女性の声が近くで聞こえた。
長い黒髪に目鼻立ちのくっきりとした整った顔、花柄のワンピースは彼女によく似合っていた。
「それ、何ていう花ですか?」
「ミヤコワスレ」
長らく人と会話をしていない彼は少々ぶっきらぼうにそう答えた。だが、彼女はあまりに気にしていないようで花を興味深げにじっと見つめていた。
「可愛い花ですね」
「どうも……」
眩しい笑顔でそう言われるとどう答えていいのか分からず、自分が誉められたわけでもないのにお礼を言ってしまった。
「私、今日から好きな花が何か聞かれたらミヤコワスレって答えますね!」
「はあ……そうですか」
「また、見に来てもいいですか?」
笑顔でそう尋ねられると何故か断れなかった。
「どうぞ、お好きなときに」
「ありがとうございます、ではまた明日来ますね」
そう言って彼女は去っていった。
「おはようございます!」
「……おはようございます」
朝から元気な人だ、にこにこと屈託のない笑顔で話しかけられると悪い気はしない。
「あの、お名前をうかがってもいいですか?」
名前、はて、自分の名前は何だっただろうか。もうずいぶん昔のことだ忘れてしまって思い出せない。
「……名前は、ない」
「ん?どういうことですか?」
「忘れた」
「うーん……それは困りましたねぇ」
何が困るのか、彼女は真剣に何か考えていた。その間に彼はじょうろの水を汲みに行った。
戻ってくると彼女は満面の笑みで彼を迎えた。
「名前、考えました!」
「は?」
「ミヤコワスレのミヤさんなんてどうでしょうか?」
短絡的な名付け方だった。それでも彼女は鼻高々と胸を張って言った、その姿は何だか可愛らしかった。
「……うん、悪くないね。ミヤさんでいいよ」
「気に入ってくれたんですね!よかった」
「君の名前は?」
「私の名前ですか……私の名前は」
彼女は少し間を薄いピンク色の唇を開く。
「花菜といいます」
「花菜か、いい名前だね」
「いやぁ……照れますねぇ」
「花菜」
「なんですか、ミヤさん」
止まったまま錆び付いていた彼の時間が少しずつ動いていく音がした。