四話
あまりにも短いとは思いましたが、次話との兼ね合いもあり投稿させていただきました。
夕太は大学生なのにいつもスーツ(しかも喪服だ)を貫く意味不明さも無表情もいつも通りに仁王立ちしていた。
何が入っているのかすっかり型崩れするほどに荷物を詰め込まれた四角い革のカバンを持っているのが大変気になるが、それどころではない。
怒気というには違和感があるのだが、少なくとも良いものではない気配を纏っている。
三人仲良く置物のように固まっていると、夕太は普段より荒い歩き方で真っ直ぐにこちらに来た。
よくわからない類いの威圧感に目が逸らせず、灰色が混じった薄茶の瞳を見つめるはめになる。
「どうしてまた婚約破棄なのですか」
表情も声音も全く普段と変わらず無機質なのにどうしてこんなにも様々な感情が揺れているように感じるのだろうか。
「今度は完璧だったでしょう」
平坦な声に僅かな焦りが浮かんでいるのがわかり、常の夕太ではないことが否が応でもわかってしまう。
少し長めの黒々とした前髪から覗く瞳は何も見ていないマネキンのように変化を見せないが、しっかりと私を映している。
私が身動ぎしただけなのに、まるで夕太の瞳が揺れているようにさえ思えた。
夕闇も深くなり虹彩に当たる光が室内灯の真白なものだけになると、茶が薄まり灰色が濃くなる。そういう時の灰色が強くなり微かに青味がかった目を見ると、どうしても胸の奥底にいる公爵の面影がちらついて苦しかった。
感情の一切を削ぎ落としたような無機質さと、吹雪の晩にだけ咲く氷花が薄闇に浮かび上がるようだと吟遊詩人に言わしめた青灰色の瞳。
心を持たない女王にとって、その冷たさこそが唯一の温もりだった。
能面公爵が心無いと人々に言われる時だけ、孤独から逃れられた。
人でないと陰で謗られても、何が悪いのかどうしてココロなんて不確かなものを根拠に正論を覆されるのかをついぞ理解することが出来なかった彼女の最後の癒し。
恋と言うにはあまりにも拙い、たった一つ残された仲間への無意識下の愛着。
それだけが女王が得た心の欠片で、最期の一瞬さえも気付くことができなかった想いだ。
その独りよがりな愛着がもたらす苦しみや悲しみがわからずに、それを恋だと認識した幼い私。
その間違いに半ば気付いていたのに決定打を受けるまで目をそらし続けた醜い大人の私。
昼に夕太の心の叫びであろうあの言葉を聴いてから、ずっと自分を責めた。
前世なんていう幻想じみた思い込みで幼馴染みを苛め、抑圧していたのかと思うと心が軋むように痛んだ。
なんて馬鹿なことをしたのかと、後悔した。反省した。
償いたいと、心から望んだはずだ。
なのに、なのに、どうして、こんな。
夕太の一挙一動が、顔立ちは殆ど違うのに一瞬だけ浮かび上がる公爵に似た色合いが、捨てるべき過去を甦らせてどうしようもない愛しさを生む。
逃げるのも、捨てるのも、離れるのも、許されない。
情けない悲劇の主人公気取りを振り払おうと頭を振る。
頭を疑われようと夕太にだけは前世のこともこの心の醜い内も洗いざらい告白して、償いの道標にしようと顔を上げた瞬間、ドサリと大きな音がした。
はっとして床を見ると、夕太の持っていたカバンが無造作に落とされたらしく、まるまると太って革が突っ張ったまま横に倒れていた。
どうするつもりなのかわからず、唖然として夕太を見上げた途端に彼はしゃがみこんでカバンの蓋を開けた。
かちゃ、という金具の音が妙に響く。
「もういいですから、早く選んでください」
下を向いてカバンを漁りながら早口で言う。
夕太は何がしたいのか図りかね逡巡する。
しかし、真剣に言っているようなのだが、意味するところが全くわからない。
どうしていいか迷っていると夕太は無言でカバンに手をかけた。
「次はどれですか」
そう繰り返した夕太は自棄になったように荒々しくカバンの中身を引き摺り出す。
叩きつけられるように豪奢な絨毯を敷いたフローリングに並べられたものを見て、思わず思考が停止した。
文庫より少し大きな四角。
パステルでカラフルな表紙。
瞳を煌めかせる愛らしい少女を抱いたツルツルなカバー。
タイトルは『花あそびの君』。
10年前に空前の人気を博した、
少女漫画 である。
全く予想だにしていなかった展開に辛うじて私の口から零れた言葉は
「のぁああああああぁああぁああ!!!花君はもっと丁寧に扱え愚か者が!!!」
だった。
色々と不味い感じはしたが、それだけは譲れない。
コメディが夕太編に奪われたと言ったね、あれは嘘です。
次回、前世もおざなりのまま、笑えるかは別としてコメディ突入の予感。
『花あそびの君』
要するに王道少女漫画。明るく天然な主人公と俺様な御曹司のラブストーリー。ただし、緋佐奈イチオシのキャラクターはメインヒーローではなく、脇役の青年。
青年こと「有川様」は能面公爵ばりの鉄面皮かつ、無感動。ちょっと強引なヒロインのお陰で無自覚ながら感情を得ていくが、明確な心を認識する前に主人公を庇って死んでしまう。