一話
どうやら前世で私は恋をしていたらしい。
そう気付いたのは10歳の時だった。
何の記念だったかは忘れてしまったが、企業同士での一大事業に関連したパーティー会場で私は前世の記憶とやらを思い出した。
父の経営する会社と対になるような関係の深い会社の社長一家。夫婦はどちらも外国の血が入っているようで、全体的に色素が薄かった。
そんな彼らが連れている二人の男の子は顔立ちは両親にそっくりだったけれど、髪の色は全く違った。親に似て金茶の髪をしているのが双子の兄で、覚醒遺伝なのか烏の濡れ羽のように黒く真っ直ぐな髪をしているのが弟らしい。
21世紀になっても婚姻による縁というのは大きな繋がりになるものなので、相手方の夫婦は私と息子達……いや、兄の方と仲良くさせて婚約でもさせたいようだった。
無論、この時の私は純粋に退屈な大人の集まりで遊び相手を紹介されたことに喜んでいたのだが。
「よろしくね、緋佐奈ちゃん」
「……よろしくお願いします」
にこやかな兄に対して、弟の暗いことと言ったらなかった。私はその時まで仏頂面というか、死んだように無表情を貫く10歳児には会ったことがなかった。
二卵性とはいえ、大体似たような顔してるのによくもまあこんなに性格が違ったものだと半ば感心してしまう。
兄は弟を嫌っている様子がないが、弟に苦手意識があるのは明白だった。
能面のように顔を強ばらせて、なるべく自然に見えるようにしつつも距離を一定以上近付けさせようとしない。その様にはなんとなく既視感があるものの、覚えはなく、妙にもやもやとした気分になったのを覚えている。
「こちらこそ、よろしく」
友達が増えるのは嬉しい限りなので、笑顔で握手を求める。兄の方と握手を交わして、弟にも手を伸ばす。
瞬間、ぱしりと乾いた音がした。
いや、そんなに大した音自体はしなかったのだが、如何にも思わずと言った調子で手を払い除けられてしまったのだ。
兄は少しだけ驚いた様な顔をしたけれど、そういったことをする弟には慣れているようですぐに謝ってきた。
けれど、私はそれどころではなかった。
手を払い除けるだけの音が無駄に広いホール全体に響き渡るように思うほど、訳のわからない衝撃を受けていた。
母の意向で普通の小学校に通っていたし、どちらかといえばガキ大将としてクラスに君臨し他クラスから他校まで喧嘩という交流はしていたから、別に痛かったわけではない。
むしろハエが止まったのかと思ったぜ的なことを口にしそうなレベルである。
しかし、乾いた音と弟のまるでこちらを見ていないような無機質な目に脳内が弾けたような感覚がした。
空っぽの男の子、叩かれた音。
遠くに聞こえる、私ではない私の声が破裂音のような衝撃をもって脳裏に甦る。
『よろしい、気に入った』
聞いたことのない言語のはずなのに、意味が浮かぶ。
海底に撒かれた機雷が連鎖的に爆発を起こすように、見たことのない景色が、聞いたことのない音が、知らない感情が次々に爆ぜる。
早くも頭痛と知恵熱が迫ってくるのを感じながら、とりあえず私は口を開いた。
今ここで何も言わねば、過保護な父のことである。
きっと、変に気を遣って二度とこの弟と会うことはあるまい。
「よろしい、気に入った」
咄嗟に脳内を駆ける言葉が零れ落ちる。
なるべく普通に聞こえるようにしたけれど、声が強ばっているような気がした。
そんな私の顔も相当しかめられていたのだろうか、弟の顔に僅かな驚愕らしきものが広がる。
「覚えていろ、必ずまた会いに来る。その時は楽しみにしていろ」
どこぞの悪役のような台詞を宣った私は、頭痛に負けない内にとその場を速足で後にした。
父が焦ったように追い掛けてくるのを感じながらホールを出たところで私はぶっ倒れた。
頭の中に、知っているのに知らないことばかりが溢れていく。
そのあと三日三晩寝込んでから私はようやくその情報が自分のものではなく、所謂、前世の記憶というものだと気が付いた。
子どもながらにそれが普通にあるものではないと察していた私は心配する家族を宥めながら、じっくりとその記憶を吟味していた。
外を駆け巡って遊ぶことも好きだったが、本を読むことも好きだった私にとってその前世の記憶とやらは楽しむに足りうる立派な物語だったのである。
なんたって、前世の私は女王様だったのだ。
その上、婚約者までいて、前世の記憶というよりは本当に何かしらの映画かドラマでも見ているようだった。
心を持たない氷の女王は多分恋をしていた。
心を無くした能面公爵と呼ばれる婚約者に。
女王は最期までそれに気が付くことはなかったけれど、きっと彼女は恋をしてた。
……参考資料は最近読んだ少女漫画だったが、思い込んだ10歳の乙女は強かった。
当時の私は、前世の記憶に登場する婚約者と態度がそっくりな双子の弟くんを能面公爵の代わりにどうにか幸せにしてやろうと本気で思っていた。
今思えば早すぎる黒歴史の幕開けなのだが、のめり込んでいた幼い私は気が付かない。
リアルな記憶なのに、現実味が無いほど鮮やかで刺激的で……子どもの私にはわからない残酷さは全くと言っていいほど見えていなかった。
それで、幼さ故の安直なまでの真っ直ぐさで次々に迷惑な行動を起こしていったのだから笑えない。
特に、そのツケを払うことになった20歳の私は。