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三.かごめかごめ




 すっかり桜が散ってしまった、五月も初めの頃。


 すこし時期外れではあったが、わが大学のオカルト同好会に一人の新入生が入って来た。

 名前は高比良操たかひら・みさおさんという、長い黒髪がよく似合う清楚な女性である。

 彼女の入部はとある事情から、新学期に行われる新入生のサークル勧誘を実行できなかった僕にとって、大いに喜ばしい事であった。

 何故、毎年四月に行われる勧誘行事が行う事が出来なかったかを説明するならば、三月に学生自治会がオカルト同好会に勧告した内容に触れねばならないだろう。


 それは大野前部長が無事卒業する、一月程前での事。

 我がオカルト同好会は新たな部長として僕が指名され、部室の継続使用に関する届けを自治会へ提出しに赴いた折である。

 今ではすっかり寂れてしまった我が大学のオカルト同好会ではあるが、その歴史は意外と古く、それ故にか部員が片手の指よりも少なくなった今日でも、狭いながらも部室が宛がわれていて今年度も当然使用できる物と僕は考えていた。

 しかし自治会は非情にも、オカルト同好会はこれ以上部員数の確保と活動は見込めないとし、僕に年度内の部室退去を勧告してきたのであった。

 僕は自治会の決定に大いに憤慨し、声を荒げながらの抗議も試みたがやはり多勢に無勢、民主主義国家であるこの国では少数の意見など押し通るわけでもなく。

 結果、あえなく肩を落とし誰も居ない部室へと戻る羽目になったのは言うまでも無いだろう。


 そして、失意に沈む僕は部室を見渡し、途方に暮れてしまっていた。

 と、いうのも不本意ながらもいざ部室を明け渡す事を考えるに、一つ問題が浮上していたからだ。

 なにせ部室に並べられた本棚には、代々の先輩方が収集した妖しげなタイトルの本が所狭しと並べられ、どう処理したものかと瞬時には思い浮かばぬ程の量なのである。

 きっと、僕一人では運び出すだけでも丸二日はかかってしまう量の本がここにあるだろう。

 ――いや、大手の古本屋に電話を一本入れたら全て買い取り、もしくは引き取って貰える上、いくばくかの現金が僕の手元に舞い込んでくるのかも知れない、という一石二鳥の解決方法は思いついていた。

 しかしそれでは大野先輩をはじめ代々の先輩方にはあまりに不義理であるし、オカルトを愛する僕にはそんな先輩方の情熱が込められた奇書や青春の思い出が詰まった怪書、妄念が込められた官能書を売ることなどできようはずがない。

 だから僕は今時珍しくなりつつある折り畳み式携帯電話を取りだして、数少ない知り合いに電話を掛ける事にしたのだった。

 勿論、この行き場のないオカルトな本の貰い手を探すためである。

 しかし、ただでさえ量が多い上一般人には縁遠い書物など、欲しがる好事家がそうそうには見つかるはずも無いのが現実というものだ。

 程なく僕は携帯電話片手に愕然として、その場で頭を抱える羽目に陥っていた。

 電話をかけた者達は友人と呼べれば知り合いでしかない者までいたのだが、皆が皆口を揃えて「ゴメン、いらない」と答えていたのである。

 いや、よくよく考えればそれも仕方のない事であろう。

 なにせ昨今ではインターネットで検索をかければ、いくらでもオカルトな話など入手できるのだ。(性的な刺激を満たす画像なども)

 それを今更、場所を取る上小汚い書物を手に入れようと思う者は、コレクターでもなければ居ようはずも無いではないか。


 ……と、いうわけで。

 万策尽きたかに見えた僕であったが、この時の僕は頭を抱えたまま、右手に持った携帯が表示するアドレス一覧を眺め躊躇いと、覚悟を用意しつつあった。

 アドレス一覧は恐らく佐多君の携帯の十分の一もない程の名前が並んでおり、ただ二名を除いてすべて交渉済である。

 いまだ電話をかけていない二人の内の一人は佐多君だ。

 ――たしかに佐多君に相談し頼れば何とかなるかもしれない、という気もしていたが、殆どサークルに顔を出さぬ彼に頼りたくないという僕なりの意地もあり、最初からそれを選ぶ気にはなれなかった。

 僕がこの時連絡を取るべきか悩んでいたのはもう一人の人物。

 最近メールアドレスを交換した、じんおとねという女性である。

 彼女は僕の携帯のアドレスに唯一の女性として登録されており、そのオカルトな背景と僕自身女性とコミュニケーションを取ることが苦手な事もあってか、そう頻繁に連絡を取り合う仲ではない。

 このメールアドレスを登録したのも、つい先日ひょんな事から――いや、なかば巻き込まれる形で彼女の“仕事”を手伝い、その後一緒に酒を呑んだ後での事だ。

 果たして僕は数分の躊躇の後、意を決し神さんへメールを送る事にしたのだった。

 自分としては親しいとは言い難い仲であると思ったが、ここに至り僕も遠慮をしていられるほど余裕があるわけで無く、佐多君を除き縋れる者があれば縋りたい心境であったのだ。


 やがて神さんからの返事は一分もしない内に返って来た。

 それもメールではなく、直接僕の携帯に電話が掛かってきたのである。

 僕は恐縮しながらも神さんにメールにも書いていた事情をもう一度丁寧に説明し、もしよかったらと何度も付け加えながらも本を貰ってくれないかと交渉を試みた。

 しかし神さんは『君には前回手伝ってもらったからな、よく考えたら報酬も君の取り分あげてなかったし、まあ、俺にまかしとけ』とだけ一方的にまくし立て、僕の反応も聞かぬままプツリと電話を切ってしまったのだった。

 この時の神さんは電話の向こうであっても、にししとあの笑みを浮かべているであろうと容易に想像がつく様子で、僕は安堵を覚えながら後日送り先の住所を聞かねば、だとか、これだけの本を郵送するのだからアルバイトでもしてお金を稼がなくては、などど考え、その日は大学の寮へ帰る事にしたのだが。

 そして翌日の夕方、突如大学の自治会に呼び出された僕は、信じられぬ事にオカルト同好会の部室使用許可を条件付きで申し渡されたのである。


 僕はやはり大いに驚いて、やや不快な心地でその理由を自治会の人に問い詰めた。

 だが彼らは僕の問いに対して頑なに口を閉ざし、ただ条件付きですから、とだけ言うばかりである。

 その条件とは大学から顧問としてある職員を派遣するので四月から受け入れる事、というもので、僕は非常に嫌な予感を覚えつつも部室に戻り、いつもの活動(といってもオカルトな書物を読み漁るばかりであるが)に勤しみつつ、その“顧問”がやって来るのを待つ事にしたのであった。

 結局この時の嫌な予感はキチンと的中し、神さんが“顧問”として部室のドアを叩いたのは大学の入学式とサークル勧誘行事も終わった二週間後の事である。

 ナニをどうしてどうやればこのような事になるのか、僕にはサッパリ理解出来なかったが、権力というものは時として民主主義国家であるこの国であっても極少数の意見を押し通せるようで、以前世話を焼いてやった“坊主”が恩返しにとそれを使ってくれたのだ、と混乱を来した僕に神さんはこの時にこやかに語ったのだった。

 加えて、ただこの大学の一サークルの存続に権力を使わせるのは面白くなかったので、戯れに彼女自身を“顧問”とさせる条件を突き付けてみた、とも神さんは僕に説明してくれた次第である。

 ――そんな時だ。

 高比良操さんが入部を希望して、部室のドアを叩いたのは。





「部室を見つけた時には驚きました。なにせ大学のサークル勧誘行事にはオカルト同好会が無かったので、私てっきり無いのかと」


 大学近くの居酒屋で開いた、ささやかな歓待の席。

 一通り自己紹介も終え、なぜか佐多君の音頭の元で行った乾杯の後、彼女はウーロン茶を一口啜り僕にそう言って微笑んだ。

 僕はその瞬間、清楚な彼女の笑みに心奪われて思わず引きつった笑いを浮かべてしまっていた。

 それから、えもいわれぬ未来への期待に胸が膨らんでいく音を聞いて、高鳴る鼓動を鎮めるべく胃にビールを流し込むのである。

 なにせ明日からのオカルト同好会の活動は僕と彼女の二人きり、と言う事になるのだ。

 いや、佐多君もわがサークルに所属してはいるが、彼は殆ど顔を出さないので実質二人きり、と言っても差し支えは無いだろう。


「まあ、色々と事情があって、ね」

「事情? どういう事ですか部長?」

「うん。それは――」

「操ちゃーん、その前に明日からの活動について、ちょっと先に話聞いてもらっていい? あ、これ副部長命令ね」

「あ、はい、ごめんなさい佐多先輩」

「ああ、ごめん、謝らなくていいから。えっとねえ、明日ってか、今週は俺とミーティングって事なんだどさ――」

「ええ? そんな事、僕しらないよ佐多く」

「ああ、こういった雑事は俺に任せて下さいよ、部長。新入生の教育なんて、下っ端にやらせとくもんです」

「いや、教育っていうか佐多君、今までサークルに殆ど顔みせなかっ」

「でねえ、操ちゃん。部室って暗かったでしょ?」

「ええ、そうですね」

「でしょでしょー?! 古いサークルだからさあ、割り当てられた部室も旧い建物でさー。だからね、折角だし明日は大学の外でミーティングしよっか」

「外、ですか?」

「僕も――」

「そ。あ、いいお店しってるんだ、俺。ちょっと遠いけど、すっごいご飯が美味しいんだ」

「えっと……私、その、引っ越したばかりでそんなお店」

「いいのいいのー。俺、奢っちゃうから。送り迎えもするからさ」


 鳶に油揚げをさらわれる心地とはこの事なのだろう。

 見事なまでに高比良さんとの会話を遮られ、さりげなく彼女の隣の席から押し出される形で佐多君に対面席へと追いやられた僕はあえなくいつかのように一人酒を啜る羽目に陥りつつあった。

 いや今回ばかりは部長として、いやさ一人の男として、高比良さんとの会話を取り戻すべく幾度か佐多君の会話に割り入ろうとしてはみたものの、なにせ相手は百戦錬磨の合コンマスターである。

 象に挑む蟻のごとく僕は佐多君に手も足も出ず、結局高比良さんとの会話は碌に出来ずに酒を呑む羽目に陥っていくのではあるが。

 “神様”というものは確実に存在しているようで、そんな圧倒的な劣勢に陥りつつある僕に救いの手が差し伸べられたのは乾杯から三十分程たってからであった。


「よー、やっとるな若者。――、と、君、おかると同好会ってこんだけしか部員がいなかったのか?」


 ひょこひょこと杖を突きながら僕の視界に現れ、振り返った佐多君と高比良さんの、いやさ居酒屋にいた客や店員すべての視線を集めた女性は、脳天気にそう言って呆れたように、しかし相変わらず凄味のある美貌のまま片眉を上げたのであった。

 彼女こそ、新たにわがオカルト同好会の顧問となった神おとねその人である。

 つまり、今回の新入生歓待の幹事を務めた佐多君の真意はどこにあれ、この飲み会は高比良さんと神さんを歓迎するものであったのだ。

 神さんは相も変わらず派手な赤色を基とした小袖の振袖を身に纏い、閉じた左目と大きな右目を輝かせ、白い絹糸のような白髪といった非常に目立つ出で立ちだ。


「悪ぃな、遅れちまって。あれだ、都内は車に乗るもんじゃねぇな。流石の俺も信号に引っかかるわ渋滞にハマるわでよぅ」

「……先にはじめさせてもらいましたよ」

「あー、いいよいいよ。遅れた俺が悪ぃんだから。――よっこいせ、と。隣り、いいよな?」

「ええ」

「あ、にーちゃん! ――そそ、君だよ、君。俺にビール、大ジョッキ頼むわ。……なぁ、君。こっちの二人で部員全部?」

「ええ、そうですよ。こっちが新入生の高比良さんで、こっちが副部長の――」

「さ、佐多です! って、部長?! この娘、いや、この人が顧問?!」

「そ、そうだよ?」

「うっそ!? 君、ってか、貴女、じゃない、えっと……」

「あん? はは、まあ、改めて自己紹介といこうか。俺、神おとねっつうんだ。このサークルの顧問でな、当然君らよりずっと年上。ま、よろしくな」


 神さんはそう言って、いつものように口の端を上げどこか意地悪そうに笑った。

 気が付けば一瞬静まりかえっていた居酒屋の喧噪は戻って来ており、“顧問”の意外な姿に驚く佐多君と高比良さんもやや立ち直りながら改めて自己紹介をしたのである。

 程なく、傍目からもやけにやる気をだした店員によりビールの大ジョッキが運ばれてきて、僕らは改めて乾杯を行いそれぞれが飲み物を口に運んだ。


「っぷぁ、うめぇ! やー、若いもんと呑む酒は格別だな」

「おお! 神さんいい飲みっぷりですね! って、若いモンとって、神さんも相当若くみえるッスよ?! 神さんって幾つかなーなんて」

「まあな。ああ、操ちゃん……って、呼んでも?」

「え? ええ、かまいませんよ」

「俺も下の名前で――」

「じゃあ操ちゃん、君さ、未成年だからウーロンなんだろ? じゃ、せめて食べないとな。ばぁちゃん、金だけはもってっから、好きなだけ食え。奢っちゃる」

「ホントですか? ありがとうございま」

「マジ?! やった! いや、神さん太っ腹だわ! 俺一生付いていき」

「君は今日もばぁちゃんに付き合って貰うからな? 嫌とはいわねぇよな? おーい、にーちゃん! 注文聞いてくれや」


 と、いった調子で神さんはもの凄い食いつきを見せる佐多君をあしらいつつも、逃がさぬとばかりにがっしと隣りに座る僕の首に細い腕を回しながら店員を呼びつけたのである。

 ――正直な所、僕はこの時内心では神さんの事を見直していた。

 というのも、常日頃“若者と触れ合いたい、できればえっちな事も”みたいな事を口にしていた神さんであるからして、佐多君と非常に“ウマ”が合うのでは無かろうか、などと密かに思っていたからだ。

 僕が言うのもなんだが、後腐れの無い行きずりの肉体関係を結ぶならば佐多君は理想的な存在であると言える。

 なにせ女性に対しては縛られる事が無いかわりに縛ることもないだろうし、見てくれも中々の色男で、女性経験も豊富なのだからキチンとした恋愛をしないのであれば、彼はこれ以上無い程神さんにとって都合の良い存在となれるであろう。

 勿論、僕としては神さんが気に入らない男と寝る姿を想像したくもなく、そのように意気投合をする場面など見たくは無い。

 いや、彼女にたいして特別な想いがあるわけではないのだけど、しかしというか、やはりというか、佐多君のような人物に知り合いの、それも目も眩むような美女が目の前でお持ち帰りされるのは良い気がしないものなのである。

 そんな僕の心情を見抜いてかどうかはわからないが、神さんはその後も佐多君の猛烈なアピールをのらりくらりと躱しながら、次々と酒をおかわりし、その度に運ばれてきたジョッキを豪快に傾けグビグビと鯨飲してゆくのであった。

 その飲みっぷりといったら惚れ惚れとするもので、加えて派手にジョッキを持ち上げるからか、白い喉が蠢く様がよく見えて何とも言えぬ艶めかしさすら漂わせていたのだった。


「っくぅ! いや、うめぇ。あ、ほれ、操ちゃん、それ食いな。唐揚げ、ンまいぞ」

「は、はぁ……」

「おお! すごい飲みっぷり! あ、神さん、おかわり注文してきましょうか?」

「おう、ついでに平らげた皿も持って行ってやれな」

「え? いや、それは店員にでもやらせましょうよう」

「いいから行ってこいって。顧問命令な、副部長?」

「はい……」

「ああ、佐多君、僕も手つだ――」

「君はこっちでのむんだよ。んだあ? 俺の酒が飲めねぇわけじゃないだろうな?」

「や、やだなあ、神さん。酔ってるんですか?」

「んなわけあるか。俺が勧めた酒をイヤイヤ飲まれるのが気にいらねぇだけだ」

「そんなこと、ないですって」

「うそこけ。なあ、操ちゃん、こいつ、さっきイヤイヤ飲んでたよな?!」

「え、えっと、あの?」

「ち、ちがう! ちがうよね、操ちゃ――じゃない、高比良さん!」

「あ、名前でもかまいませんよ、部長」

「え? ホント?」

「だはは、よかったなぁ、君。ほれ、祝いだ、飲め、飲めよって、あり? ここにあった瓶ビールどこだ?」

「あの……さっき神顧問が飲み干してしまって、佐多先輩がもっていっちゃいました……」

「んだよぅ、操ちゃん。女同士、俺の事は“おとね”って呼んでくれよぅ」

「あう……、わ、わかりました」


 ……今更隠す事でも無いが、実の所神さんはお酒がとても強く、そして案外絡む酔い方をする。

 前回一緒に飲んだ時も、最初こそお互いに凹んでいて静かな飲み方をしていたのだが、後半になるとそれはもう凄いからまれっぷりで、やれどうしてオカルト好きなのか、だとかやれ大学の成績はどうだとか、果ては童貞奪われるならどんな体位がいいかなどという下品な話までして、ほとほと僕を困らせたのだった。

 だもんで、僕はこの時のエンジンが掛かってきた神さんに一抹の不安を覚えつつも、ふと彼女が車でここにやって来た事を思い出し、それとなく問いただす事にしたのである。

 ――少なくとも、喋っている間はお酒を口に運び入れる事はないからだ。


「あん?」

「だから、車ですよ、車! 神さん、今日車でしょう? この前だって、飲酒運転で僕を寮まで送った後、そのまま帰って行ったじゃないですか」

「んだよ、そんな事気にしてたのかよ」

「気にしますって。今は同乗者も罰金くらうんですよ? それに危ないじゃないですか ねえ?」

「え、ええ。私も部長と同意見です」


 コミュニケーションを兼ねて、さりげなく高比良――否、操さんに同意を求める僕。

 神さんという特殊なケースを除けば、このように女の子と話す機会などここ数年無かっただけに、たったこれだけの会話でも実の所冷や汗ものであった僕なのだ。

 故に、操さんの普通の反応は何よりうれしかったり、した。

 そんな、内心ではホッコリしてしまっている僕であったが、小さな幸せはそう長くは続かない。

 まるで水を差すように、佐多君が戻ってきて会話に割り込んできたのだ。


「たっだいまー、操ちゃん、神さん! え? え? 何の話? 俺もまぜてよ」

「応、副部長。ああ、悪ぃがよ、水貰ってきてくれ。顧問命令な」

「うへぁ……、そりゃないっスよ」

「いいから。あとでご褒美、あげるからよ」

「マジ?! 俺いってきます、神さん!」

「応。――、心配すんな、今日はちげぇよ。どうせこの辺りにゃ駐車場はねぇってんで、車は知り合いに貸して俺は送ってきてもらったんだ」

「誰に?」

「ほれ、君を俺に紹介した彼。今日、デートに使いたいんだとさ。そんな事よりよ、君らもっと面白い話でもしろよぅ、若いモンが年寄りに説教するなんざ、世も末ってもんだろう?」

「たっだいまー! 神さん、はいお水! で、何何? 俺もさ、話に混ぜてよ!」

「面白い話って言っても……」

「あ、じゃあ私いいですか?」


 意外にも、神さんの提案に操さんが反応を示した。

 彼女も彼女なりに、この歓迎会にはなにか思う所があったらしい。

 挙手は遠慮がちではあったが、すこし上目使いな目の奥には好奇心が見え隠れしているのを僕は見た気がした。


「んー? ナニナニ? 操ちゃん、どったの?」

「あー、副部長。その前にほれ」

「え? なんスか神さん?」

「さっき言ったご褒美だ。ほれ、やる」

「マジ?! ……なにこれ。飴?」

「黒糖飴だ。うまいぞ」

「あ、えと……アザっす」

「食え。今すぐ」

「へ? あ、やだな、神さん、コレ舐めるとお酒が――」

「ったく。“黙ってろ”って意味だよ、坊ちゃん。きゃんきゃん犬じゃあるまいし、男のおのこがペチャクチャと喋るんじゃねえ。それ、操ちゃんが言いたい事話したい事、なんも口に出来ねぇだろうが」

「あ、えと……あはは……あの」

「食え。飴玉無くなったら喋って良いぜ」


 胸がすく思いとは正にこの事ではなかろうか。

 いやどうやら神さんも僕同様、佐多君に対する印象はあまり良くは無かったようだ。

 佐多君は可憐な見てくれとは裏腹な、辛辣な神さんの言葉にすっかり呑まれてしまい、おずと手渡された大きな飴玉の包装ビニールを破いて口中に放り込んだのであった。

 自分でも性格が悪いとは思ったが、この時、内心ではほくそ笑んでしまったのは嘘偽り無い感情であるだろう。

 一方、操さんは神さんと佐多君のやり取りにやや気後れしてしまいながらも、再び元の明るい調子に戻った神さんに急かされる形で、先程の続きを口にするのであった。


「えっと、折角ですね、オカルト同好会の歓迎会なので、その……もし、あれば、でいいんですが、先輩方の“オカルトに対する切っ掛け”を教えていただけたら、と思ったり、して……」


 そう言って、操さんはモジモジとしてしまう。

 そんな彼女の仕草はなんとも清楚であり初心な様子であったが、この時の操さんの言葉に、僕はときめきよりも強い感銘を受けてしまっていた。

 日頃の佐多君の態度は別として、多かれ少なかれ、サークルに入って来る新入生は(その大部分は伝聞であったけれど)皆“友達作り”の為に所属する所が多いのである。

 当然、このような飲み会の席ではサークルの話よりも互いの個人的なプロフィールの話題に終始する(と、その大部分は伝聞であったけれど)のが常であるのだが、彼女はなんと真摯にオカルトについて語りたい様子であったからだ。


「ちなみに、私はその……小学生の時に図書館で見た世界の怖い話って本が切っ掛けでして……部長さんは?」

「僕、僕は……うん、幼稚園の時だね。じぃちゃんが死んだ時、その前の夜に夢枕にじぃちゃんが立ってさ。ばいばいって言われて。それ以来、霊とかそういうのに興味もったかな」

「ああ、そうなんですか。私、そういった具体的な体験自体はなくて……結構、憧れちゃってる部分、あるんですよ」

「そうなの? はは……僕もちょっと前まではそうだったんだけど、でも実際体験しちゃうとなんていうか……いい気がするもんじゃあ、ないよ?」

「え! 部長、そういう経験ってあるんですか!?」

「まあ、ねえ」


 操さんの予想以上の反応ではあったが、僕は曖昧な返事をして頭を掻いたのであった。

 思い出された“そういう経験”が、神さんと出遭ってからのものであったからだ。


「いいなぁ。じゃ、顧も――おとねさんも?」

「んあ? ああ、あるせ。たんまり、とな。この目も、足も、ソレがらみなんだぜ?」

「嘘?! あ、いや、本当ですか?」

「ああ、本当さ。詳しい話はちょっと言えないけどな。あと俺、一応霊能者なんだぜ?」

「本当にぃ? じゃあ、なんかやってみせてよ神さん!」


 ……佐多君はとてもタフで、かつ飴を舐めるのが凄く早いらしい。

 すっかり口中から飴玉を消し終えた彼は、神さんの言葉に誰よりも早く反応して見せて、冗談半分、まるで気になる子に意地悪をするような気安さでチャチャを差し込んだのであった。

 僕としては佐多君の反応は非常に危険なものであると察して、背に冷たい物が奔る思いをしたのだが、対する神さんは気分を害した様子も無く、いやそれどころかあの意地悪な微笑みを浮かべ、何を考えているのか徐に店員を呼び幾度目かの追加注文を行ったのである。

 そして程なく運ばれてきたのは、徳利に入った日本酒と一口のぐい呑みだった。


「……なあ、副部長。要望通り面白いもん見せてやるけども、後悔すんなよ?」

「はい? やだなあ、神さん。後悔なんて、俺しませんよ」

「そうかい。そりゃ、良かった」

「あ、信じてないわけじゃないんですけどね? もし、もしですよ? ソレ、なんにも起こらなかったら、この後俺と二人きりでどっかいくってのはどうスかね?」

「ああ、いいぜ? なんだったら、朝までしっぽりと裸の付き合いだってしてやるよ」

「マジ?! やりぃ! 神さん、冗談でしたってのはナシですからね?!」

「応。だけど佐多副部長、君もそれなりの覚悟してもらうかんな? ――操ちゃん、よっく“耳を澄まして”おくんだぞ? 今から生まれて初めてホントのオカルトってのを体験出来るからな?」

「え? あ、えっと、その……」

「何、操ちゃんらには被害はいかねぇよ。こいつは、俺と副部長の勝負ってことだかんな」


 今までとは違う、どこか妖しげな雰囲気を醸し出す神さんに困惑する操さんと余所に、僕は神さんの操ちゃん“ら”という言葉に大きな安堵を覚えた。

 勿論、“ら”の中には僕が含まれている事を悟ったからである。

 これから何が起きるのか皆目検討もつかないが、神さんの“呪い”や素性を知る僕にとってそれは大変重要な事なのだ。


「で? どんな霊能力? を見せてくれるんですか? 俺、怖くない奴がいいなあ」

「ふふ、まあ、霊能力というかちょっとした“言霊”遊びみたいなもんさ。なあ、副部長。かごめかごめって知ってるか?」

「あれでしょ? 『うしろの正面、だあれ?』って奴ですよね?」

「そうそう。知ってるなら全部歌えるよな?」

「んー、地方独自のものもあるかもしれないスけど、まあ、いちお」

「いいよいいよ。じゃ、ルールの説明な。ここにぐい呑みがあるわけだが、かごめかごめを歌いながら酒を注ぐんだ」

「うん? 霊能の話スよ?」

「まあ、最後まで聞け。でな? 途中でこぼしたり、相手に『うしろの正面、だあれ?』と歌われたら負けってわけだな」

「はぁ……」

「で、こっから本題。『うしろの正面、だあれ?』と歌われて負けた方はな、昨夜寝る前、最後に思い浮かべた人物の名を口にしなければならないんだわ」

「は? あの、それは……」

「人物の名を口にしない、あるいは出来なかった場合は喉に一筋、傷が入る。猶予は二度あって、三度目には首が落ちるってわけだ。途中で酒をこぼした場合もカウントされる。理解出来たか?」

「……まあ、一応。あ、って事は、俺がわざと酒をこぼせば……」

「喉に傷が入るから俺の力の証明になるわな」


 事も無げに言い放つ神さんに、佐多君は言葉を飲んで黙り込んでしまった。

 それから、正面の席に座る神さんをじっと見つめる。

 彼の視線はどこか懐疑的でいて、しかし獲物を見定めるような好色な物も感じ取れ、僕は思わず同情を抱いてしまうのであった。

 佐多君はここに至り、神さんの話を殆ど信じてはいないと見て取れたからだ。

 それは彼女の力を知る僕にしてみれば自殺行為に等しいのだが、彼に忠告を与えるほど僕は人間が出来てはいない。

 やがて佐多君は無造作に日本酒が入った徳利に手を伸ばし、ちらりと神さんを見て酒をぐい呑みに注ぎはじめたのである。


「かーごーめーかー」

「歌っている間は注ぎ続けろよ? まあ、わざとこぼすなら関係無いけどな」

「ごーめー、とと、ああ、こぼれちゃいました」

「……一度目、な」

「んー、はは、喉に異常なーし! 神さん、今日は寝かしませんよぉ、なんつって!」

「佐多先輩――」

「佐多、君……」

「ん? どったの? 操ちゃん、部長?」


 喜んだのも束の間、隣で両手を口に当て息を飲む操さんと目を丸くする僕の様子に、佐多君は怪訝な表情を浮かべ己の喉をペタペタと触っては手の平を確認し始めた。

 が、その手の平には血など付いていようはずも無く、首を傾げるばかりである。

 そんな彼に神さんはあの、意地悪な笑いに凄味を持たせながら、頬杖をついてトイレに行き、鏡を見てくるよう勧めたのだった。

 果たして言われるがままトイレに向かった佐多君であったが、行きとは違い真っ青な表情でトイレから戻って来て、力無く座席に腰を落としたのである。

 ――その首には、まるで何か紐でも擦ったかのように赤い線が入っていたのだ。


「『かごめかごめ』の歌ってよう、死罪にされる罪人の歌でな。なあ、君、知ってるか?」

「聞いた事はあります。かごめかごめ、は“籠目”、つまり罪人を運ぶ籠の編み目って解釈だったり、籠の中の鳥も檻の中の咎人を暗喩しているって話ですよね?」

「あ、私、『かごめかごめ』って女郎さんの歌だとばかり……」

「歌の意味は幾つあってもいいのさ、操ちゃん。重要なのは、どんな意味で歌われたのか、ってことだ。この場では罪人、ってこった」

「その場合、最後の後ろの正面だあれ、ってのは――」

「流石部長、よくわかってんな。首を切り落とされた罪人が、自分の背中を見ているってこった。なぁ? 副部長?」


 問いかけに佐多君は答えない。

 先程までの明るさは何処へやら、ただ青くなって喉をさすり続けるばかりである。

 佐多君といえど流石に“神さんが本物であるという証明”を目の当たりにし、しかも命の危険を感じてはいつも通りの態度を取るわけにはいかないらしい。

 だが神さんは、そんな佐多君を更に追い込むがごとく、酒が溢れたぐい呑みを手に取り飲み干して、まだ日本酒がたっぷりと入った徳利に手を伸ばし酒を注ぎ始めたのである。

 『かごめかごめ』を歌いながら。


「え?!」

「あ、神さん?!」

「――よあけーの晩にー、と。ほれ、次は副部長の番」

「あ、え? あの、もう俺は……」

「ンだよ、これ途中でやめらんねぇんだから」

「そんなの! き、聞いて無いスよ!」

「あんれぇ? ま、いいじゃねえか。ほれ、やらねえと負けってことになんぜ?」


 そう言いながら徳利を佐多君へと差し出す神さん。

 ニヤリと笑うその笑顔は凄艶であり、悪魔のようでもあった。

 佐多君は言葉を飲みながらも、そんな神さんから徳利を受け取りおずとぐい呑みに酒を注ぎ始める。

 注がれる酒の量は非常に少なく、またすぐに酒を注ぐのをやめてしまうのであった。

 そして神さんの番。


「うしろのしょうめん、だぁあれ、っと。俺の勝ちぃ」

「う、あ……」

「ほれほれ、昨日誰の事を考えながら寝た? 早く言わねぇと、今度は傷口が開くぜ?」


 緊張感の無い神さんの台詞に、佐多君はただ焦ったように口をパクパクとさせるのみである。

 どうやら、覚えてはいないようだ。

 只でさえ気の多い佐多君であるからして、それも仕方無いのかも知れない。

 だがルールはルールでもあるらしく、程なく佐多君の喉にあった横一文字の傷からジワリと血が滲んできて、神さんが言った様に傷口が開いたようになってしまったのである。

 その様を僕と操さんは絶句しながら眺め、遂に恐怖のために震えだした佐多君は息も荒く椅子から立ち上がるのであった。


「も、もうやめてくれ!」

「あん? だめだよ。途中で辞めたらお前さん、首を持って行かれちまうぞ」

「ひ?!」

「何、こいつはな、三度で必ず終わるようになってんだ。次お前さんが勝てばいいんだよ、勝てば」

「そ、そうなんスか?!」

「ま、な」


 言って、何事も無かったかのようになみなみと酒が注がれたぐい呑みを手に取り、一気に飲み干す神さん。

 そして、やはり何事も無かったかのように酒を注ぎ初め、『かごめかごめ』の歌詞とぐい呑みに注がれる酒の水位はみるみる進んでいくのであった。

 そこから読み取れる神さんの意思は、まるで負ける気など無い、と言いたげだ。


「つーるとかーめがすーべったー、と。ほい、お前さんの番だ」

「ひ、うぅ」

「最後の一節、こぼさずに注いで歌えればお前さんの勝ち。あはー、こりゃちっとサービスしすぎたかな?」


 いや、まいったとばかりに振る舞う神さんではあったが、彼女が一気に注いだぐい呑みはすでに表面張力で淵から盛り上がる程酒が注がれており、佐多君に与えられたプレッシャーたるや相当なものであろう。

 案の定、佐多君は何度も手を振るわせながら徳利を傾けては元に戻して、息を更に荒げてしまう始末であった。


「落ち着いてやれよ、手が震えて酒こぼしちゃ浮かばれねぇぜ」

「う、ぁあ……」

「ちなみにな。この“遊び”で首を持って行くのは、それまでソイツに知らず泣かされた人間の生き霊なんだ」

「生き、霊?」

「そ。生き霊ね、操ちゃん。かつてソイツに泣かされ、ソイツを恨み、憎み、怨念と化した人の意思が首を刈るんだよ。なあ、お前さん。お前さん、随分と色男のようであるけどよ、女の子をかなり泣かしてきたんじゃないかい?」


 神さんの問いに佐多君は答えない。

 いや、集中するあまり聞こえていないのかも知れない。

 代わりに、意を決して徳利を傾け、消え入るように『かごめかごめ』最後の一節を歌い始める。

 そしてほんの少しずつ、ぐい呑みに注がれる酒。


「操ちゃん、耳を澄ましときな? 首を刈る瞬間、思い出して貰えなかった女の声が聞こえるんだぜ?」


 否。

 神さんの言葉は佐多君の耳に届いていたらしい。

 彼は『後ろの正面』と口にした所で神さんの話を聞き、ビクリと大きく肩を振るわせてしまい、あろう事か徳利をぐい呑みの上に落としてしまったのだった。

 ――瞬間、僕と操さん、そして佐多君は聞いたのである。

 それは僕は当然、操さんでも、神さんでもない女の人の声。

 確かに、囁くように聞こえた、『だあれ?』という誰かの声を。


「わあああああああああああああ!」


 同時に佐多君は恐ろしい悲鳴を上げて、脱兎の如く居酒屋の外へと駆け出していってしまった。

 そのあまりの剣幕に神さんが現れた時と同じく、こちらに店中から視線が集まってくる。

 そんな中、神さんだけは楽しそうにケラケラと笑って、やおら店員さんを呼び、こぼれてしまった酒を拭き取るタオルとビール(大)のおかわりを頼んでいた。


「あの……佐多先輩、大丈夫でしょうか」


 神さんを除き一早く我に返ったのは操さんであった。

 彼女は見た目に反して胆力があるのか、質問をしながら佐多君が出て言った入り口の方を一瞥し、神妙な顔で神さんの綺麗な顔を不安げに見たのだった。


「ああ、大丈夫さ。ちょっとからかっただけだから」

「え?」

「いや、俺にそんな大した神通力は“今は”もうねぇよ。精々、占いとショボい呪い位しかできねぇんだわ」

「でも、先輩の喉には……」

「ありゃ……ま、催眠術みたいなもんだ。ほら、操ちゃんならわかるだろう? しつこい勘違い男ってのは、追っ払うのも一苦労だしよ」


 涙を拭いながらそう言って、店員さんが持って来たビール(大)を半分程、一気に飲み干す神さん。

 操さんはそんな神さんをぽかんと呆気にとられてように見つめ、やがて彼女もぷっと噴き出してしまうのである。

 それ以降は何とも楽しい歓迎会となったのだが、途中から僕はふと操さんはどう思っているのかが気になってしまい、しかし最後まで確認できずじまいで帰路につくことになってしまったのだ。

 つまりは、“生き神”である神さんという“オカルト”を目の当たりにして、憧れはどのように変わったのか、という疑問である。

 だがその答えは翌日、あっさりと氷解する運びとなった。



 そこに、オカルト同好会の顧問としてしばらく東京に滞在する事となった神さんとにこやかに談笑する、操さんの姿があったのだ。




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