追放された悪役令嬢のわたくし、冷酷な将軍閣下に溺愛されておりますわ。ただ——わたくしの氷菓を召し上がった殿方が、なぜか、みなさま、二度と目を覚まされないの
「ロザリンド・オルレア。貴様との婚約は、破棄する」
真夏の夜会で、元婚約者の侯爵子息は、そう言い放ちましたの。
隣で、涙ぐんでみせる、政敵の令嬢。
わたくしが彼女を虐げたという、ありもしない罪状が、読み上げられていく。
「毒婦め。……この国から、去るがいい」
「かしこまりましたわ」
わたくしは、淑やかに、膝を折りました。
「では——ごきげんよう」
抗弁は、いたしませんでしたの。
だって。
その必要が、ありませんもの。
だってわたくし、家を追われても。
薬棚と、この腕だけは、ついてまいりますのよ。
——ふふ。
夏は、これから。
冷たい氷菓の、美味しい季節ですこと。
罪を着せられた、あの令嬢は。
もとはといえば、わたくしが可愛がってやった、遠縁の娘でしたの。
わたくしの調薬の腕に目をつけて、すり寄ってきた。
まあ、そこまでは、可愛いものですけれど。
あの娘、わたくしの、幼い妹の縁談まで、潰そうと、なさいましたのよ。
——ええ。
その時点で、あの方の、この夏の"献立"は、静かに、決まっておりましたの。
夜会を出るとき、わたくしは、給仕の盆に並んだ、涼やかな氷菓に、ふと、目を留めました。
「あら、美味しそう」
わたくしは、そのひとつを、そっと、指先で、撫でて。
「——皆さまにも、ぜひ。近いうちに、召し上がっていただきたいものですわ」
ふふ、と微笑んで、わたくしは、夜会を、後にしましたの。
* * *
追放されたわたくしを、拾ってくださったのは。
思いがけず、あのお方でしたわ。
ガイウス・ドラクロア将軍。
"戦場の死神"と、大陸じゅうに恐れられる、冷酷なお方。
「行く当てが、ないのだろう。……俺のところへ、来い」
鋼色の瞳で、わたくしを見下ろして、閣下は、そう仰いました。
「あら。死神さまが、追われた毒婦を、拾ってくださるの?」
「毒婦、か」
閣下は、ふ、と、口の端を上げました。
「戦場では、毒も、りっぱな武器だ。……嫌いじゃない」
そうして、わたくしは、将軍の邸で、それはもう、大切にされることになりましたの。
冷酷という噂が、まるで嘘のように。
閣下は、わたくしを、甘やかしてくださいます。
「暑いだろう。……氷菓でも、作らせようか」
「あら。氷菓なら、わたくし、自分で作りますわ」
「ほう。……令嬢が、厨に立つのか」
「ええ。得意ですのよ。……人を、"ぐっすり"眠らせる氷菓が、特に」
わたくしがそう言って微笑むと、閣下は、なぜだか、愉しそうに、喉を鳴らしましたの。
閣下は、わたくしのことを、よく、ご覧になっておいででした。
わたくしが、ほんの少し、遠くを見つめただけで。
「何を、考えている」と、すぐに、お尋ねになる。
「あら。祖国に、少しばかり、残してまいりました"献立"のことを」
「献立?」
「ええ。……夏のうちに、お出ししたい方が、幾人か」
「ほう」
閣下は、面白そうに、目を細められました。
「ずいぶんと、もてなし上手な、花だ。……俺の花は」
戦場の死神と恐れられるこのお方は、二人きりのときだけ、少しだけ、無防備な顔を、なさいますの。
「ロザリンド。……どこにも、行くなよ」
「あら。行き場のない女に、そんなことを仰るなんて」
「そういう意味では、ない」
閣下は、ばつが悪そうに、目を逸らされました。
「……ただ、そばに、いろということだ」
まあ。
この不器用な死神さまのためになら。
わたくし、あと幾皿でも、氷菓を、お作りして差し上げてよろしくてよ。
* * *
さて。
将軍の邸での、夏の日々は、穏やかで、甘やかで。
——ただ、少し、奇妙な噂が、流れ始めましたの。
「奥様。……その、街で、妙なことが」
ある朝、侍女が、青ざめた顔で、そう告げました。
「奥様を、断罪の夜会で嘲笑われた令嬢が。……ある宵、氷菓を召し上がったきり、目を、覚まされないそうで」
「あら」
わたくしは、扇を、そっと、開きました。
「まあ、それは。……よほど、甘い夢を、ご覧になっているのね」
「そ、それが……その令嬢だけでは、ないのです」
わたくしを陥れた、元婚約者の侯爵子息も。
偽証をした、あの侍女も。
夏の宵、涼やかな氷菓を、最後に。
ひとり、また、ひとり。
深い、深い、眠りに、つかれていく。
そして、そのどなたも。
眠る前に、召し上がっていたのは。
——わたくしの、手ずからの、氷菓でしたの。
とりわけ、元婚約者の、あの侯爵子息には。
わたくしを"毒婦"と罵り、大勢の前で、辱めてくださった、あのお方には。
特別に、念入りに。
いちばん甘い蜜と、いちばん深い眠りを、合わせて、差し上げましたの。
あんなに、わたくしを、嫌っておいででしたのに。
氷菓だけは、ぺろりと、召し上がってくださって。
……ふふ。嬉しいこと。
* * *
「ロザリンド様。……こわく、ないのですか」
ある宵、簾ごしの涼風を受けながら、侍女が、おずおずと尋ねました。
「奥様を、貶めた方々ばかりが、次々と……」
「こわい?」
わたくしは、扇を広げて、口元を、隠しました。
「いいえ。ちっとも」
しゃり、しゃり、と。
氷室のほうから、氷を削る、涼やかな音が、聞こえてくる。
「むしろ——楽しくて、仕方ありませんの」
「楽しい……?」
「ええ。だって」
わたくしは、扇の陰で、悪戯っぽく、微笑みました。
「暑い夏に、冷たい氷菓を、召し上がっていただく。……これ以上の、おもてなしが、ありますこと?」
侍女は、それきり、何も、申しませんでしたわ。
しゃり、しゃり。
今宵も、氷室からは。
わたくしの、いちばん得意な"仕事"の音が、涼やかに、響いておりますの。
一度、こんなことも、ございましたの。
祖国から、閣下を訪ねて、ひとりの貴族が、まいりまして。
その方が、酒の席で、わたくしを、こう嗤ったのです。
「追放された毒婦が、将軍に取り入るとは。……たいした、あばずれよ」
わたくしは、にっこりと、微笑んで差し上げました。
「あら。暑いなか、遠いところを。……ぜひ、わたくしの氷菓で、涼んでいらしてね」
その方が、翌朝、客間の寝台で、安らかな寝顔のまま、二度と目を覚まさなかったことは。
——もう、申し上げるまでも、ございませんわね。
そのころには、邸の兵たちも、囁き始めておりました。
「あの、将軍の毒花に、逆らった者は……眠って、二度と、起きぬらしい」
けれど、そんな噂を、むしろ面白がるように。
閣下は、ますます、わたくしを、そばから、お離しになりません。
「よい。……皆、そなたを、恐れればいい」
閣下は、わたくしの肩を抱いて、愉しそうに、囁かれます。
「俺の花は、美しくて、少しばかり、毒がある。……戦場より、そそるな」
* * *
その夜。
閣下が、わたくしの手を取って、ふいに、こう仰いました。
「ロザリンド」
「はい、閣下」
「そなたの氷菓は……ずいぶんと、よく効くな」
わたくしは、鋼色の瞳を、まっすぐに、見返しました。
このお方は、気づいていらっしゃる。
とうに、何もかも。
——ならば、隠す必要も、ございませんわね。
「ええ。とっておきの、レシピですの」
わたくしは、艶やかに、微笑みました。
「わたくしを泣かせた方々には、特別に。……よく、効くように」
しばらく、閣下は、わたくしを、じっと、ご覧になっておりました。
恐れるでも、咎めるでも、なく。
やがて。
ふ、と、この上なく、愉しそうに、笑われたのです。
「……戦場で、剣より、毒を選ぶ女は」
閣下は、わたくしの指先に、口づけを、落としました。
「初めてだ。……気に入ったぞ、俺の毒花」
「あら。こわく、ございませんの? こんな、わたくしが」
「こわい?」
閣下は、おかしそうに、喉を鳴らしました。
「死神が、毒を、こわがってどうする。……むしろ、これほど、そそる女は、いない」
その言葉が、あんまり、甘くて。
わたくしは、生まれて初めて、淑女の仮面の下で、ほんの少し、頬を染めてしまいましたの。
「では、閣下」
わたくしは、扇を閉じて、艶やかに、微笑みました。
「わたくしが、この先も。……夏のたびに、氷菓を、お作りしても、よろしいの?」
「構わん」
閣下は、即座に、そう仰いました。
「ただし——ひとつ、条件がある」
「あら。なんでございましょう」
「その"おもてなし"のたびに。……俺にも、隣で、酌をさせろ。退屈しのぎに、な」
なんという、お方でしょう。
わたくしは、思わず、扇の陰で、くすりと、笑ってしまいましたわ。
「ええ、喜んで。……わたくしたち、きっと、いい夫婦に、なれますわね」
* * *
夏が、深まってまいりましたわ。
わたくしを陥れた方々は、もう、ひとり残らず。
涼やかな、夏の眠りに、つかれました。
追放された悪役令嬢のわたくしが、今では、"戦場の死神"に、こんなにも、愛されて。
……あら。これも、一種の、意趣返しと、申すのかしら。
「ロザリンド」
いつのまにか、背後に、閣下が。
わたくしを、後ろから、そっと抱きしめて、囁かれました。
「片付いたか。そなたの、夏の"おもてなし"は」
「ええ、閣下。おかげさまで」
わたくしは、閣下の腕の中で、うっとりと、目を閉じました。
「これからは。……ただ、あなたのために、氷菓を、お作りしますわ」
「ああ。……そなたの毒なら、喜んで、食らってやる」
夏の宵。
氷室からは、今も、しゃり、しゃり、と。
氷を削る、涼やかな音が、響いております。
その音が、いったい、何のための音なのか。
この邸で、閣下と、わたくしだけが、知っている。
そして、それでも——いいえ、だからこそ。
閣下は、わたくしを、誰よりも深く、愛してくださいますの。
夜ごと、閣下は、わたくしを腕に抱いて、こう囁かれます。
「今宵は、何皿、こしらえた」
「あら。今宵は、お行儀よく、一皿だけ」
「そうか。……よい夏だ」
まるで、他愛のない睦言のように。
わたくしたちは、そんな会話を、交わすのですわ。
「ふふ」
わたくしは、扇で口元を隠して、艶やかに、微笑みました。
「——さて。今宵は、どなたに、召し上がっていただこうかしら」
だって、この広い世界には。
まだまだ、わたくしの、大切なひとを、嗤う、不心得な方が。
いらっしゃるかも、しれませんもの。
そのときは、また。
——とびきり冷たい氷菓を、ご用意して、差し上げますわ。
蜜月 憂です。夏の音シリーズ、黒幕令嬢編の第二弾は「氷を削る音」。淑やかに微笑みながら、自分を嗤った者を涼やかな氷菓で"おもてなし"するロザリンドと、それに気づいてなお彼女を溺愛する将軍の、歪んだ蜜月をどうぞ。「ざまぁしてスッとして、ゾクッとして、それでもキュン」を楽しんでいただけたら。




