1-7、干合
銀華の赤く腫れた目を一撫でして、灰夏が残りの料理を運んでくる。
小皿に何種類もの料理が乗って、机一杯に並べられた。それは神の料理というにはふさわしく、彩りも豪華で、食材も見たこともないものばかりだった。
「灰夏さま、運ぶのはわたくしがやりますのに」
「いい。最後まで俺がやる」
銀華は手伝いたかったのだが、灰夏に丁重に断られた。
そもそも、次期当主候補にこんなことさせられるはずがない。
それに、最後まで、という言葉が引っかかるが、銀華は黙って机の前に座っている。
いいにおいがして、思わずお腹の虫が鳴いた。
「ご、ごめんなさい」
「いい。そんなに腹が減っているのか?」
「や……はい……」
実家ではろくにご飯なんて食べてこなかった。銀華は、目の前に広がる料理に釘付けだった。
金目鯛の甘酢あんかけ、ふかふかのまんじゅう、豚肉の焼き付け、具沢山の汁物、ほかほかのご飯。漬物もついている。
「さあ、冷める前に食べろ」
「い、いただきます!」
料理を前に、手を合わせる。待ってましたと言わんばかりに、銀華が箸を手に取った。
まずは汁物を一口飲んだ。
「あったかい……おいしい」
甘くておいしい。具はネギに豚肉、サツマイモだ。
具材の一つ一つを味わう様に咀嚼して、次は炊き立てのご飯を口に運ぶ。
甘く、粘りがある。噛めば噛むほど香りが立ち、粒の一粒一粒が主張する。
汁物にサツマイモを使うのは意外だったが、甘みが出てとても美味しい。
白米は、甘みが際立って、粒もふっくらしていて今までに食べたことのない味だった。きっと、屋敷の米がいいのだろうと銀華は思った。
「こんなにおいしいんだ、お米って」
なにも、普段冷めたご飯を食べているからではない。このご飯が、特別においしいのだ。
いくら神々の屋敷に献上される米とは言え、こんなにも違うものなのだろうか。
金目鯛の甘酢あんかけをひと切れ挟んで、餡をたっぷりつけて口に入れる。上品な油と、甘酢のうまみ。あわせることでお互いを引き立てている。
金目鯛は、あまりこの辺では取れない。
灰夏には、どこか食材を手にれる極秘の取引先があるのだろうか。
新鮮な白身の魚は、下処理がされていて臭みもない。油は甘く、あんかけにするから熱々のまま食べられるのもいい。餡の硬さもちょうどよく、銀華は金目鯛をもう一口、口に入れた。
「あ!」
「どうした?」
「この甘酢、甘みが強いですよね」
「ああ、これは銀華がだいぶ衰弱しているから、栄養がつくように甘くした」
「え、灰夏さまが作ったんですか?」
「意外か?」
灰夏が銀華の真ん前に腰かける。まるで子供のように嬉しそうに、並べた料理を見渡している。そうして、両手を広げて、
「ここにあるものは、全部俺が作った。オマエに食べさせるのだから、俺が直々に作らねば気が済まない」
「ええ! すごい! 灰夏さまって、料理の才能まであるんですね!」
キラキラした目を向ける銀華に、灰夏はぼっと顔を赤くした。
他者から好意を受けることに慣れていないせいか、もしくは好いた人間からの賛辞がうれしいのか、銀華にはどちらものように思えるが、そういう反応をされると銀華の方も恥ずかしくなる。
「灰夏さま……?」
「いや……銀華が笑うと、俺もうれしい」
「私が、笑う……?」
自分でも気づかなかった。どうやら自分は笑っていたらしい。
うまく笑えていただろうか。笑うことなんて久しくしていなかった。
銀華は自分の顔に手をやった。口角が上がっていることに気づいて、ふと気が抜けるのを感じた。
自分は、ここを居場所だと思い始めている。加護の片割れ、と灰夏は言っていた。
「灰夏さま。加護の片割れ、とはどういう意味ですか?」
今さらに気になって、食事の手を止めて銀華が問うた。
灰夏は、自分も食事に手を付けながら、何の気なしに答えるのだった。
「干合、という考え方は知っているか?」
「はい。仲の好い五行の組み合わせのことです」
「その、干合だ。加護持ち同士が干合の関係だと、その加護が変化する」
例えば、甲と己なら土に、乙と庚なら金に、丙と辛なら水に、丁と壬なら木に、戊と癸なら火に。
つまり、癸の加護持ちの銀華と、戊の加護持ちの灰夏は、干合して火になるのだ。
「でも、灰夏さまは、加護がないと……」
弟で同じく次期当主候補の土夏の言葉である。
灰夏には、加護がないとののしっていた。
銀華は考える。しかし、自分の失言に気づき、座ったまま灰夏に頭をさげた。
「も、申し訳ありません!」
「いい。俺が加護なしだというのは、みな知っていることだ。だからこそ、ソナタと触れ合い、加護の片割れとしてソナタとの間に、火の剣が顕現したことに、救われた」
つまり、灰夏に加護があるという証明が、今日、銀華と出会ったことでなされたのだ。
あの加護の剣は、加護持ち同士でしか現れない。
つまり灰夏は、土こそ作り出せないが、戊の加護をその身に宿している。
土を生み出せないのは恐らく、灰夏が双子だからだ。双子ゆえに、片方にしか土を生み出す能力が現れなかった。
本来加護は、一人につきひとつが受け継がれる。五行の神の中でも、双子の誕生は土神が初めてのことだった。
神の加護は生まれ持ってのものしかないし、遅くとも十五歳までには発現する。また、人間にもまれに加護が発現するが、やはり成人までには現れる。
灰夏は十五になってもなんら加護がなく、十で加護を宿した弟と、なにかと比較され嘲笑されてきた。
しかし、あの干合の加護の剣は伝説上の産物だと、灰夏は聞いている。なぜ銀華との間に現れたのかは、灰夏にもわからない。
「同じ加護同士の結びつきは多々あれど、干合というのは、理論のみしか知らなんだが」
五行の神の一族は、例外なく加護を宿して生まれてくる。
しかし、加護の力は本来強すぎるが故に、その魂は『半分』にわけられてこの世に降りるのだ。
ゆえに、加護持ちの人間が本来の力を得るには、もう半分の魂、つまり同じ加護持ちと婚姻するか――灰夏と銀華のように、干合の結びつき同士で婚姻する必要がある。
元はひとつの魂ゆえに、ふたつが出会うと殊更惹かれ合う。
とはいえ、加護持ち同士の婚姻は同じ五行同士が常であるから、干合で惹かれ合うというのは、灰夏も話に聞いていただけにすぎなかった。
しかしここで、銀華はある重要なことに気づいてしまった。灰夏に加護があると証明されたように、干合した銀華にもまた、加護があるという証明をしてしまったことだ。
だとして、銀華の加護は水。水の加護は水神に現れる。水、そうだ、銀華は――
ふと過ぎった幼き日の記憶、確かに銀華は、水の加護を持っていた。だから、その地を追われて、義母に拾われた。
隠さねばならない、過去だ。
水神は五行の神々を害そうとしたために、水の一族は廃された。そして、水の加護が発現した人間達もまた、同じく。
「わ、私……干合とは、やはりなにかの間違いでは」
銀華の言いたいところは灰夏にもわかったらしく、ふと息を吐き出して、灰夏は銀華に笑むだけだった。
「そうだな。なぜ俺たちの間に干合の加護が現れたのかは謎だが。しかし、加護の剣がなによりの証拠だ。俺とソナタが元はひとつの魂だったという」
とはいえ、銀華もまた、出会ったばかりにもかかわらず、灰夏に気を許しつつあるのは確かだった。
灰夏が、「さあ、食べろ」と促し、銀華は後ろめたさを隠すように気持ちで食事を再開する。
ひとが自分のために作ってくれる料理が、こんなにも美味しいことを、銀華は今日、初めて知った。
「灰夏さま、私」
「ああ」
「私今、幸せです」
また、銀華がふわりと笑って、今度はまんじゅうにかぶりついた。
生地はもちもちむちむちで、小豆の餡は甘くて美味しい。
「このおまんじゅうも、甘くておいしいです」
「そうか……実は、あんこも、できるだけ手作りしている」
「あんこも!?」
「ああ。あと、調味料も」
「お味噌とか、お醤油とか、お酒ですか?」
「ああ。俺は本当は、次期当主候補なんかじゃなく、小料理屋をやりたかった」
『かった』と過去形なのは、灰夏のあきらめの表れだ。
銀華の手からまんじゅうが落ちそうになる。すんでのところでこらえて、銀華は灰夏をまっすぐに見る。
灰夏の言葉に銀華はなんだか悲しくなって、しかし笑みを崩さぬままに、
「じゃあ、小料理屋『も』やりましょう」
「銀華……?」
「当主と小料理屋。両方やってはいけないという決まりはないのでしょう?」
「ないが……前代未聞だ。それに俺は、弟の土夏が当主になればと――」
「人生を諦めるのですか?」
銀華の言葉には、重みがあった。まるで、銀華自身に言い聞かせるような言葉だった。
灰夏は、銀華と契約結婚しておきながら、自身は当主にならないという。
そのくせ、銀華を神嫁に迎え入れて、土夏の勢力に対抗する力を手に入れた。
母の死の真相を究明したい、というのは、灰夏の詭弁だ。
本当は、灰夏だって、父である現当主に認められたくて足掻いている。
「銀華?」
「灰夏さまが諦める必要などないのです。土夏さまは……灰夏さまを意地でも廃するでしょう。廃された次期当主候補の行き着く先は、死です。ならば、灰夏さまが当主になるのです。当主になり、土夏さまの命を助ける。そして小料理屋も」
「しかし、当主が小料理屋など、聞いたことがない」
「だから、一番手になればいいんです。この後の当主さまたちが、好きな生きかたを選べるように」
そうはいっても、灰夏が異端であることは銀華にもわかった。灰夏は次期当主候補にしては優しすぎるのだ。
しかし、その優しさに、銀華は救われた。だからこそ、偽りの神嫁も受け入れてしまった。
もっと残忍な人間だったほうが、どんなにかよかった。
「銀華には救われるな」
「……! いいえ、救われたのは私の方です!」
銀華は照れ隠しに汁物を喉に流し込む。
甘くておいしい。サツマイモが少し煮とろけているのがまた、甘さを引き出して美味しいのだ。
サツマイモと言えば、甘いお菓子が常なのだが、灰夏の料理の腕には驚かされるばかりだった。
ふたりのやり取りを、真美子がほほえましく見守っている。
ほかの侍女や下男たちも、少し離れたところから、ふたりを見守り、その顔はうれしさがにじんでいる。
「侍女頭。なにを笑っている」
「いいえ。灰夏さま。ようやく理解者が現れて、笑っているのは灰夏さまのほうです」
「俺は笑ってなど」
パクパクと、自分の料理をおいしそうに平らげる銀華を見て、灰夏もまた、ほほえみを湛える。
この娘は純粋で裏表がなく、無自覚だろうが人を勇気づける。そして、自分が銀華にできることと言えば、これくらいだ。どんな運命のいたずらだろうか。
「銀華が加護持ちでよかったよ」
「灰夏さま?」
「いや、なんでもない」
灰夏も料理を口に運んだ。我ながら、よくできていると口元が緩んだ。




