1-4、契約
「しかし、夏にしては遺体の損傷が少なく。いや、そういえば体の皮膚が剥がれてはいたが」
「皮膚が? 遺体を誰かが運んだのですか?」
「いや。先も言ったが絞殺で、発見されるまで誰も気づかなかった。しかし、絞め傷以外にも、太ももに傷があった」
「傷から血は?」
「血というより……体液が」
死体の皮膚はもろく、すぐに剥けて体液が溢れる。血ではなく体液が流れ出ていた。だとしたら、手足に傷がつくとなれば、背負って遺体を移動したか。
「それ、冬なら死後十日は、腐敗しないのですよね」
「なにか当てが?」
「いえ……平安の貴族は、夏でもかき氷を食したといいます」
「かような時に、料理の話など……」
銀華のこれを、確かめる術はない。ないのだが、どう考えても、おかしい。
夏なのに遺体の損傷が少なかった。絞殺後に縄に吊るすならば、体を抱えるときに脇下や体の側面に傷がつくならわかる。太ももの裏側に傷がついたのは、死後何日かしてから、遺体を背負って運んだ、と考えるのが自然だ。
だとして、一般家庭にも冷蔵庫と呼ばれる、氷を使用した保管庫はあるが、遺体を入れられるほどの氷や冷蔵庫を持つ人間はいないとみていいだろう。
ならば、と銀華は深呼吸した。
「氷室、という、氷を貯蔵する地下を持てる土地さえあれば、死体の腐敗を遅らせることが、可能ではあるのです」
「それはまことか!?」
灰夏が銀華の肩を掴んだ。
恐れ多くも、次期当主候補に触れたことに銀華は身を捩らせ、恭しくこうべを垂れた。灰夏の手に力が籠る。
無理もない、実の母親の死が、もしかしたら他殺だとわかるかもしれないのだから。
しかし、それでも十年前の話だ。犯人はもう、捕まらないだろう。
「推測です」
「だが、ならば」
土神の双子の次期当主候補はいがみあっている。
それはこの国では有名な話だった。
しかし昔は、灰夏も弟の土夏も、仲が悪かった訳ではない。母が死したあの件から、土夏は心を閉ざしたように思う。
だからこそ、灰夏はこの件の真相が知りたいのだ。
「灰夏さま、は。私の妹をご存知ないですか?」
「オマエの?」
「次期当主候補さま――土夏さまの妃候補として、本日のお茶会に招かれました」
「なるほど。……ソナタ、名は銀華と申したな?」
「はい」
灰夏が銀華に興味を示す。まるで、最初から決めていたかのように、なんのためらいもなく、
「ソナタ、俺の妃にならないか?」
「……は? 私はただの平民です。加護もなければ、なんの役にも立たない……」
加護がない、とは嘘をついた。銀華には、『なぜだか』加護を持っている。
しかし、面倒事に巻き込まれたくない。
「そんなことはない。先の死体の腐敗の件、見事だった。それに、氷室のことも」
「そ、れは……私は単なる平民にすぎません。土子さまが正式に次期当主候補妃に決まれば、私は土子さまの侍女として入ることになっています」
灰夏が銀華の手を握りしめた。
赤切れだらけだった。痛々しく、灰夏はその手を優しく撫でた。撫でたところで赤切れは消えない。
しかし銀華は、人間として認められたような気持ちになった。涙を堪えたからか、銀華の腹がくぅ、と鳴った。不本意だ。慌ててお腹を押さえても、お腹の虫は収まらない。
「はは、なんだ、腹が減ったか?」
「申し訳ありません、今朝からなにも食べておらず」
灰夏は考えるまでもなく、袖から懐紙に包んだ洋菓子――マドレーヌを取り出し、銀華に渡した。
銀華はおろおろするばかりで、それに口をつけない。マドレーヌは高貴な人間の菓子だ。銀華が躊躇うのを見かねて、灰夏が懐紙を開けて、銀華の口にマドレーヌをちぎってねじ込んだ。
「次期当主候補さま!? 次期当主候補さまからこのようなほどこしなど」
「いい。俺はオマエが気に入った。知識もある、推察力もある。銀華か、美しい名だ」
銀華は灰夏を見る。やはり美しい。けれどこの次期当主候補があの、噂の双子とは。
双子が生まれたのは五行の神始まって以来で、不吉だというものもいれば、吉だというものもいる。異例の次期当主候補を、しかし当主はいつくしみ育ててきた。
「俺は、当主は弟が継いでもいいと思っていた。だが、弟の土夏は、当主になれば、俺を殺すだろう」
「そんな……! それじゃ」
「それはもう、覚悟していた。だが、俺とて、母の死因を知りたい。そして、弟とのわだかまりを解きたい」
おおかた、灰夏と土夏を仲違いさせるために、宰相がふたりの母親を殺したといったところだろう。マドレーヌを飲み下して、銀華は複雑な表情をしていた。甘い味なんて味わう余裕もない。
そもそも土夏は、神嫁の土子のことは大事にするだろうが、そのほかの人間は奴隷のように扱うだろう。母が死して、土夏は冷淡になった。弱いものには目もくれない。
「銀華、俺の妃――偽りの妃として、力を貸してくれないか」
「偽りの……?」
「そうだ。銀華と俺で、母の死の真相を暴く。しかし、真相を明かす前に土夏に殺されては本末転倒。ゆえに、俺の権力を保つために、飾りの妃になってほしい。幸い、ソナタは俺の干合のひめぎみ。だが、この跡目争いに縛り付けるつもりはない。全てが片付いたら、相応の身分と、礼を与えてソナタを自由にする」
銀華は一拍迷って、しかし、そもそもの問題に気づく。
「神々は、『同じ』加護持ち同士で婚姻すると聞きました」
「……ああ。先ほど、俺とソナタの間に、加護の剣が顕現した。あれが、俺たちを結ぶえにしだ。干合同士の、深い運命。干合は、同じ加護持ちよりもより強い結びつきがある」
「私と、次期当主候補さまが……?」
灰夏は、確かめるように銀華の胸元に手をかざした。そこに散る赫灼の火花こそが、干合の証だと灰夏が笑った。
灰夏が銀華をここに連れてきた理由、灰夏が先ほど「試したかった」と言ったのは、改めてこの干合の剣が顕現できるかを見たかったようだ。
しかし、灰夏はその火花を抜き取ることはなかった。抜き取ればまた、銀華が倒れるかもしれない。だから灰夏は、火花を銀華に見せるだけに留まった。
「この火花――そしてソナタの中から顕現される剣こそが、俺とソナタの縁だ。干合という結びつきの」
だからといって、契約結婚なんて。銀華は逡巡する。そんなたいそうなこと、自分にできるはずがない。あの剣が特別なものだとしても、銀華に神嫁など務まるはずがない。
しかし、銀華が灰夏の神嫁とならなければ、少なくとも、目の前にいる灰夏が死んでしまう。土夏の神嫁は土子に決まったといっても過言ではない。灰夏の権力を維持するには、現状、神嫁が必要だろう。
運良く、銀華と灰夏は干合の加護の片割れ。先ほど、銀華と灰夏の間に起こったあの剣は、ふたりを結ぶ縁だと灰夏は言う。灰夏は干合についてあえて銀華には説明しないが、灰夏は『どうしても』銀華を神嫁に迎えたい。
銀華は考える。今日会ったばかりの、見ず知らずの次期当主候補。銀華は目立たぬように生きてきた。しかし、必要とされる喜びを、知ってしまった。なにより、この次期当主候補は、銀華のなにかを知っている。銀華もまた、この青年にただならぬなにかを、感じとっていた。
銀華は拳を握りしめて、
「わかり、ました。私も微力ながら尽くします」
「ああ、銀華。オマエのことは俺が死んでも守る。契約成立、だな」
銀華の不安をかき消すように、灰夏が銀華を抱きしめた。銀華には、灰夏の本心がわからなかった。干合の片割れと言ったって、銀華にはその実感が持てない。それは、灰夏が、『あの夢』の面影を持つからかもしれない。
同じ後宮内で、土子を迎え入れた土夏が、土子の首筋に顔をうずめる。土子の香のかおりが鼻を掠める。花のような甘い香りだった。
「ああ、ああ。オマエが来てくれたお陰で、俺の目的に一歩近づいた」
「目的?」
土子は土夏の頭を撫でつける。絹のような赤茶色の髪と、目の色は黒かった。土国の王族ならば、どちらも赤いはずであるが、双子で生まれた故に、半分しか赤茶色を有さない。それは灰夏も同じだった。
「土子。俺は次期当主候補であって次期当主候補じゃない。何故だかわかるか?」
「双子だから?」
「そうだ。俺は双子の兄貴を殺さなければ、本来の権力が使えない。むろん、兄が神嫁を持とうものなら、俺はそれを阻まねばならない」
神嫁を持てば、当主もその座を兄に譲るべく動き出すだろう。
この国では、長子が跡を継ぐのが当たり前だった。
しかし、兄次期当主候補には、加護がない。対して、土夏には、土の加護がある。土子と同じく、豊かな土や肥やしを作り出せるのだ。
「そうなんだ。わかった。私が傍にいるんだもの、土夏は大丈夫だよ」
ニコニコと上機嫌に土子が土夏の頭を撫で梳く。
土夏の目的を聞いても、土子は一切動じなかった。それは、土子も常から思っていたことだからだ。
兄次期当主候補は無能だと聞くし、ならば弟である土夏が国を統めるべきだ。弱いものは好きじゃない。弱味は誰にも見せるべきではない。
土子はそう思って生きてきた。それは、姉の銀華を見てきたからこそ、思ったことである。
「土夏、私、土夏が大好きになっちゃったよ」
「俺もだ。俺も土子が好きだ。なによりも大事にする」
灰夏と土夏。二人の次期当主候補が当主の座を巡って動き出す。まだ、お互いに神嫁を決めたことは、知らせていなかった。




