3-5、真実
屋敷に帰ると、灰夏が料理を始めた。
今日は、昨日から仕込んでいた煮豚の仕上げをするのだという。
銀華はいつものように、灰夏とともに台所に立った。
先日茹でこぼした豚バラのゆで汁に、分厚い脂が浮いていた。
「豚バラ肉って、こんなに脂が出るのですね」
「ああ。この豚肉は特別な豚肉だから、融点が低く、口の中で脂が溶ける」
何回か茹でこぼしたら、ゆで汁の中で豚バラ肉を冷まして、一晩涼しい場所に置くと、脂が固まる。
それを丁寧にすくい取って、調味液で三十分ほど煮込んだら完成だ。
本来なら、煮込んだあとにさらに一晩置くと味が染みるが、銀華が待ちきれないようなので、今日は直ぐに食べることにした。
「さて、豚バラの煮込みに、チンゲン菜の蒸し物を添えて。さっぱりさせるために、熱い烏龍茶を淹れてくれないか?」
「はい。烏龍茶は脂肪を分解しますしね」
「よくわかってる」
羊肉といえば、モーゴという国で主として食べられている肉だった。新鮮なものは臭みがなく、脂がしっかりしていて美味しいのだとか。
脂。脂?
「灰夏さま」
料理を机に運んで、さて料理を食べ始めた銀華は、豚バラの煮込みを口に入れて、はてと首を傾けた。
「どうした?」
「はい。先程、この豚バラの脂は融点が低いとおっしゃいました。融点はどういう意味ですか?」
「融点というのは、低いほど人の舌の上で溶けやすい。逆に、融点の高い脂は、溶けにくいから、モーゴの羊肉などは、熱い茶とともに食すのが常だ」
つまり、羊肉の脂は。
「それです!」
灰夏の話が正しければ、羊肉の融点は高く、人肌ですら溶けにくいのだ。
それを、佐賀は氷の酒とともに食した。
となれば、胃の腑の中で羊肉と冷たい酒が混じり合い、脂が胃の出口(十二指腸)で固まって詰まって食べ物が消化されなくなる。
そして、最後の三日は水すらも飲めず、恐らく死因は脱水だ。
ひとは飲まず食わずでは三日も生きられない。
「しかし、脂が胃の腑で固まっても、本来なら人間は、膵臓から分泌される酵素で、脂が消化さるるはずなのです」
うーん、と銀華が顎に手を添えて考える。
可能性としては、その酵素がうまく働かない病だった、という線が濃厚だ。
銀華は、今までに灰夏から聞いた話を想起する。
そういえば、灰夏の母が身罷られた際の取り調べで、胃もたれの薬を所望していた。
使用人の無人も、長年胃もたれがあったと言っていた。
その胃もたれの原因が、膵臓の働きの低下によるものだったら。
そして、その胃もたれの症状が十年前からあったなら、現在はかなり膵臓の働きが弱っていたはずだ。
すべてが繋がる。
佐賀は、膵臓の病ゆえに、固まった脂をうまく消化できない体質だったのだ。
「灰夏さま。佐賀さまは膵臓の病ゆえに、固まった脂を消化できなかったのです。そして、死したのちに佐賀さまの胃の腑に、熱湯を流し込んだことで、胃の腑を塞いでいた脂を溶かしたんです」
だから、口と食道がやけどでただれていた。
そしてこれは、佐賀に羊肉を食べさせた、火之が犯人だということを示している。
羊肉を提供した木神の当主は、恐らく火之に利用されたか――共犯。
「火神の当主さまは、佐賀さまの膵臓が弱っていたことを知っていたのです」
故に、冷たい酒と共に羊肉を食べさせ、胃の腑で脂を詰まらせるようにした。
この謎が解けたところで、証拠が不十分で火之に罪は問えないだろう。
口のやけどは、佐賀が熱い茶を飲んだのだと言えばいいし、羊肉と氷の酒だって、たまたま食べ合わせが悪かっただけとも言い逃れられる。
「周到ですね、火神の当主さまは」
「ああ。だが必ず、しっぽを出すはずだ」
暴くには、まだ準備が足りない。
ふたりは食事の手を止めて、暗い顔でうつむいている。
火之の目的は察しがつくが、それを暴くには、現行犯で火之の仕掛けを暴く必要がある。
婚姻の儀の準備はつつがなく進んでいる。
灰夏は儀式に使う屋敷の調度品を見繕い、土夏が料理を担当する。
料理となれば、灰夏の得意分野だ。
しかし、土夏がどうしてもと我を通した。
衣装も大体あつらえ終わり、しかし、その日は『また』、土神の書斎で事件が起きた。
「当主さまがお倒れになった!」
「え、当主さまが?」
その知らせは銀華のもとにも寄せられて、銀華はいの一番に当主のもとへとはせ参じた。
土神の当主の屋敷では、当主が苦しそうに喉をかきむしっている。
苦しそうにぜえぜえと肩で息をして、窒息しそうにうずくまっている。
銀華は、自分の父当主を思い出す。
同じ症状だ。
「あの、当主さまの容態は!?」
「あ、過剰免疫反応かと」
銀華が医者に問うと、震えながら答えた。
銀華は記憶をたどる。
確かに、灰夏とともに参加した会合で、灰夏は緑詩に、当主はあんずの過剰免疫反応があると言っていた。
だったら、銀華は身を乗り出した。
倒れ込む当主の肌を見る。
赤い蕁麻疹、息ぐるしさ、そしてそれは、食事中に起きた。
今日こそは、あの日助けられなかった父当主を、それと同じ症状の出ている土神を、救うのだ!
銀華は震える声で叫んだ。
「茶碗をこちらへ!」
「銀華さま!? しかし、医者以外が神に触れるなど」
「神とて、毒で死ぬのです! 早く!」
医者が、薬を捨てて、空の茶碗を銀華に渡した。
銀華は、その茶碗に手をかざす。
銀華の加護が、毒出しの水を湧き出させる。
透き通った水がなみなみと茶碗に揺れている。
みな、銀華の加護を見て言葉を詰まらせた。あの加護は、滅んだ水神の。
「これを、飲ませてください」
「なん、水の加護……? 水神はほろんだと」
周りの人間の悪意にさらされる。
誰も動かないため、銀華はみずから土神に加護の水を飲ませた。
するとすう、と赤みが引いていき、土神の息が穏やかになる。
いったん、命に別条はないだろう。
しかし、周りの人間は銀華をさげすむように見ていた。
それはそうだ、本物の水神の生き残りだと知って、歓迎されないのは明らかだった。
そして、今日の銀華の髪の毛は、きれいな白銀をさらしている。
もう、銀華が水神の一族だということは、隠しきれないだろう。
この国を害そうとした水神の、末裔。
「あとは、お医者さまにお願いします」
「いやしかし、水神の加護の水を飲んだのなら、医者の役割などないに等しい」
加護持ちの神は、重宝される。五行の中で最も重宝されたのが、水神の加護の水だ。
この水は、たちどころに病をいやすから、水神は、他からも一目置かれていた。
そしてそれは、水神を疎ましく思う理由もなる。
こと、水神と火神は、昔からお互いをけん制しあってきた。
五行の中で最も強い力を持つのは、火だ。火は太陽を表すからで、太陽がなければ人は死ぬし、また、太陽が二つあっても、ひとは死ぬ。ひとは太陽に生かされているのだ。
その火神を抑えることができる唯一が、水だった。火は水に消される。だから、五行の五つの国は、お互いがお互いを抑えて長い間均衡を保ってきた。
冷ややかな視線を抜けて、銀華は月の間に戻った。
だれが当主に毒を盛ったのだろうか。
「あれは過剰免疫反応。だとしたら、料理に?」
今日の当主の症状は、銀華の父と同じ、過剰免疫反応による症状だった。
当主に過剰免疫反応があったことは銀華も先程思い出したが、あの場所に、過剰免疫反応になるような食べ物はなかった。
食事が原因ではない過剰免疫反応。
この犯人は、壬の当主――銀華の父の死に一枚かんでいるかもしれない。
「だったらやはり、器、なのよね」
現状、当主が死して得をするのは、灰夏か土夏か、
「私は、そんなこと」
銀華のみである。土神が死ねば、後継者は長子である灰夏になるだろう。
あるいは、土神ののちに灰夏を殺し、土夏が当主になるか。
もしかすると、灰夏が銀華を思うあまり、当主を殺そうとしたのだろうか?
「そんなはずない。灰夏さまはお優しい方よ」
それは、銀華が一番よく知っている。
だからこそ、めげそうになる。
今回の土神の件、そして銀華の父の件。
この二つで得をする人間に、心当たりが多すぎる。
翌朝、午前四時。
灰夏の屋敷に現れた土子は、無遠慮に銀華を叩き起こした。
「アンタ、土神の当主さまを害するつもり!?」
「土子さま……私は過剰免疫反応のことは知っていましたが。私は害してなど」
「そもそも、アンタ、水神なの!?」
謀反者、というよりは、高貴な人、という意味だった。
加護は神の証だが、稀に平民にも現れる。土子がそうだ。
しかし、土神の屋敷で、銀華の加護をひとに知らしめるのは、あまり得策ではない。
昨日は緊急だったのだ。
とはいえ、水の加護があるとなれば、遅かれ早かれ土子も気づいただろう。
「ああ、ああ。本当にやになる。助けたからって、いい気にならないでよ!」
「そのようなことは……私、時期が来たら土神の屋敷を去るつもりです」
嘘じゃない。
銀華を好いてくれる灰夏には悪いが、銀華は、父である壬の当主の死因は、少なくともあの陶器を作る土神の一族が関わっていると踏んでいる。
だったら、そんな神嫁になどなれるはずがない。
銀華が疑っているのは、土神の当主か、あるいは――灰夏。
だから今まで神嫁のふりを続けた。
すべては、灰夏を傍で見、真実を見つけるためだ。
「いい気にならないで! 次期当主は土夏なんだから!」
金切り声を上げて、土子は屋敷を出ていった。
銀華は思いがけず、昔を思い出す。
土子とは、最初から仲が悪かったわけではないように思う。最初はそう、義母が銀華に冷たく接するから、土子も戸惑っていたくらいだった。
銀華と土子は、年齢が二つ離れている。
七歳の時から、銀華は家の雑用をやらされて、十二の時には、土子も銀華を馬鹿にするようになった。
しかし、その前までは、なんら変わりなく、家族であり姉妹だった。
幼いころから土子は美しく、婚姻の申し出があとを絶たないくらいだった。
そんな中で、土子に加護が現れたのが、土子が五つの時だ。
当時銀華は七歳で、このころから、ふたりの関係がねじれ始めた。
あれは銀華が十一の頃だ。
「姉さま、この簪、あげます」
「だめです、土子さま。私にかまっては」
「なんで。なんで土子のお姉ちゃんは、ほかのお姉ちゃんみたいに一緒に遊んで下さらないの?」
じゃっかん九歳の土子には、義母や義父の態度の意味が分からなかったに違いない。
いつも銀華について回って、そうだ、決定的なひずみは、あの日に起こったのだ。
「土子、土子!」
甘栗の実を、土子にこっそりとわけてやったことがある。
母に内緒だよ、という言葉の通り、土子はそれを陰で隠れて姉とふたりで食べたのだ。
しかし、それがよくなかった。土子は栗の過剰免疫反応があったのだ。
その場に倒れた土子を見て、義母が銀華の頬を叩いた。
「憎いからって、うちの娘を殺すのか!」
「お、奥さま、知らなかったのです、わ、私」
そのころの銀華は、まだ加護の力を扱いきれず、解毒の水を作り出すことができなかった。
幸いにして、手当てが早く、医者も有能だったため、解毒が間に合い一命は取り留めた。
しかし、その件以来、土子までもが、銀華をさげすむようになった。
「お姉ちゃんは、私が嫌いだから、殺そうとしたんでしょ」
そう、あのひずみは、すべて自分のせいだった。
なぜ都合よく忘れていたのだろう。銀華は、あの家でさげすまれる自分こそが不幸だと思っていたが、妹の土子は、重い過剰免疫反応を持って、いつも食べ物に怯えていたというのに。
それすら気づかなかった。
自分だけが不幸だと思っていた。
実の両親を亡くした銀華こそが、世界で唯一不幸なのだと、信じて疑わなかった。
銀華は、過剰免疫反応に倒れた妹への贖罪も兼ねて、毒の勉強に励んだ。もし銀華があの時、解毒の水を作れていたら。
毒の種類が分かりさえすれば、銀華には解毒の水が使える。だったら、もっともっと知識を得なければ。
「今更、よね」
いまさら謝ったところでなんにもならない。
銀華はふて寝するように、寝台に今一度横になる。
天井の梁を見ると、どうしても灰夏の母のことを思い出す。
灰夏の母は、絞殺されてあの梁からつるされた。
遺体をおもちゃのように扱って、佐賀がなにを企んでいたのか、今はもう、聞きだせない。
「銀華さま、お食事は?」
「あとでいただきます」
真美子の優しい声音。
食べないという選択肢はない。屋敷にいる以上、銀華になにかあれば責任を取らされるのは侍女や下男たちだ。
それだけは避けねば。
銀華は結局、昼前に起きて、冷めきった粥を口に含んだ。温かい味は、土神の土で作る陶器のなせる業なのだろうと思った。
土神の屋敷には、現在多くの神々が訪れている。
今季――今後五年の会合は五行の神のうち土神の屋敷で行われる順番だからだ。
銀華は、重い足取りで会合に顔を出す。今日も、向こう側では当主が政務に、そのほかの神々も、様々な料理を囲んで、五行の特産品である陶器について話していた。
「最近、陶器の出来が悪いと言われていたが。そうか水のひめぎみが残っていたのなら、土練りに使えば」
「ああ、そうだな。あの灰夏さまの神嫁が、まさか水神の生き残りとは」
先日の土子の件で、屋敷内には、銀華が水神の生き残りだとばれてしまった。
そもそも、水の加護を暴走させた件でも、銀華が周りから水神の一族ではと怪しまれていたのを、確信を持たせてしまったのだ。
だからこそ、銀華はこの場に赴きたくなかった。特に、貴美子や菊子にだけはばれたくなかった。せっかくできた友人を、失いたくない。
「銀華さま。その、水の加護が相当お強いとか。そう、まるで神並みに」
「あ、いえ……私のは、後天的なもので。元は平民です」
嘘をつくことに慣れそうにない。
しかし、どうせ父の件が解決したら、ここを去ろうと思っているから、このくらいでちょうどいい。
この嘘だって、信じる者は少ないだろう。
解毒の水を作れるとなれば、銀華の素性は神と語っているようなものだった。
銀華は人知れずにため息をついた。木神の当主が銀華に話しかける。
「今から、陶器を作る現場に行きませんか?」
唐突な誘いたが、都合がいい。
一度は、陶器を作る現場を見てみたかった。
それはひとえに、壬の父当主の死因を確かめるためである。
「あ、はい。わたくしでよければ」
その時、どん、と会合の部屋の扉が開け放たれる。
そこにいたのは、土子である。隣には、土夏もいる。ふたりは仲睦まじく会合のある藍の間に足を踏み入れる。
今日も土子は華やかないでたちで、また比べられるのかと思うと憂鬱だった。
「ああ、今日もお美しい。体調はいかがかな?」
土子は、しかし会場の誰もを見ていない。ただ一点に、銀華をにらみ見ていた。
逃げるように銀華は藍の間を出ていく。
緑詩とともに、陶器作りを見に行くのだ。
陶器の工房では、職人たちが真剣にろくろを回していた。
その技に、銀華は釘付けだった。
緑詩は銀華と離れて、焼きあがった陶器ばかり見ていた。
「あ、木神の当主さまに神嫁さま。視察でしょうか」
「あ、はい」
懐っこく話しかけたのは、釉薬担当の職人だった。
工房を一通り案内されて、特に釉薬の知識は流石のものだった。
「あの」
そんな中、明らかに窯に使うものとは別の場所に、あんずや桃の木が見えた。
「あの木は?」
「ああ、あれは灰を釉薬にするんです」
「へえ、灰を」
「はい。綺麗な濃い青になるんです」
青。青?
ハッとして、銀華は気づく。
父が死んだ陶器は、綺麗な青だった。
土に毒がないとしたら、釉薬? 梅の灰の、釉薬?
「まさか、陶器の釉薬に、過剰免疫反応物質が?」
銀華は、緑詩に断り先に帰る。
その足で、急いで陶器の倉庫に向かった。昨日、土神に出された器なら、今ならまだ、見つかるはずだ。
倉庫について、昨日の器をまじまじと見る。それは、きれいな青色をしていた。灰の釉薬は綺麗な青色を作り出す。
父の時とは少しだけ色が違うが、どちらも灰を使った釉薬だと、陶器部の人間からの証言も得た。
今まで、土にばかり目が行っていたが、なるほど、陶器作りには釉薬も使われるのだった。
釉薬が唇に触れれば、過剰免疫反応も起こるだろう。
今回の件は、土神の過剰免疫反応を知る第三者も関わっていそうだ。
「なんだ、そう、なんだ」
そして、昨日土神の当主に出された器は、火神の当主からの贈り物だと聞く。
だとして、意図的に当主にそれを贈ったのか、知らずに送ったのかはわからない。
わからないが、灰夏の父を蔑ろにされて、怒らないわけがない。
「絶対に、暴いて見せる」
銀華は、強く強く誓うのだった。




