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3-2、茶

 月の間に戻って、銀華は菊花茶を飲んでいる。

 今日は灰夏が淹れると聞かなくて、仕方なくそれを譲った。

 冷え切った体が菊花茶で温まっていく。淡く色付いた金色の茶は、ほのかな酸味の中にある甘みが感じられた。菊花が茶碗に開くにつれて、酸味から甘み、最後にほのかな苦味が出る。

 銀華がほっと息を吐き出すと、灰夏も菊花茶に口をつけた。

「うん? いつもと味が違うな」

「あ、はい。いつもは私がお水を用意していますので」

「だが、この屋敷の井戸の水に変わりはないだろう?」

 一瞬、言うべきか迷った。言ってしまえば、きっとこの灰夏もまた、銀華から離れていくのだろうか。

 だとしても、それでもいいと思ってしまう。

 そもそも、当主に茶を出すために侍女として潜伏していたあの件で、なんとなくは察しがついているだろう。

 銀華には、硬さの違う水を作り出す力とともに、解毒の作用のある水を生み出すことができる。

 水の加護のことは、灰夏も知っている。

 銀華の加護が暴発した、あの事件で。

 そもそも、干合の剣が顕現された時点で、勘のいい灰夏には気づかれていただろうが。

「灰夏さま。折り入って話があります」

「なんだ?」

「私に、水の加護があることはご存じですね?」

「ああ、なるほど。その水で茶を淹れたと前にも言っていたな」

 こんなに変わるのか、と灰夏は自分の淹れた菊花茶をもう一口口の中で転がした。

 いつも銀華が淹れてくれるものは、もっと香りもよくふくよかで甘い。

 銀華が、灰夏の手をそっと握った。

「私の本当の姿――髪を見ていただきたいのです」

「……そうか、心を決めてくれたのか」

 ふ、と灰夏がはかなげに笑った。

 その顔に、じゃっかんの罪悪感が垣間見えるのは、なぜだろうか。この偽りの関係に、多少なりとも思うところがあるのだろうか。

 銀華が一度席を立つ。

 真美子が後に続こうとしたが、灰夏が制止した。

「湯あみに行ってまいります」

「ああ、ゆっくりするといい」

 菊花茶をもう一口飲んで、灰夏は銀華の背中を見送った。

 緊張がこちらにまで伝わってきて、灰夏の体まで震えてしまう。

 大事な大事な加護の片割れ。干合のひめ。自分だけの、大事な偽りの神嫁。

 それを失う覚悟なんて、灰夏にはなかった。

 

 屋敷の隣にある風呂に歩き、銀華は髪の毛を念入りに洗っている。

 もうほとんどの歳月を、黒の髪で過ごしてきた銀華にとって、この髪の毛をさらすのは勇気がいる。

 ざばん、と髪を湯で流すと、白銀の長い髪が揺らめいた。

 湯船に張ったお湯に、自分の姿を映してみる。

 きれいな白銀は、この国の人間のものではない。神の色だ。

 嫌でも昔を思い出す。

 銀華は、水の国のひめぎみだった。

 それが、ある日を境に人間として生きてきた。

 それでも、拾ってくれた義母には感謝している。

 毎日、義母は銀華の髪の毛を念入りに見定めた。ちゃんと薬剤で黒に染まっているか、確認するのだ。

 そうまでして、あの家に置いてくれたのは、やはり愛情あってのものだろう。

 この髪を灰夏に見せたら、久しぶりに実家に行こうと思った。

 

 湯あみを終わらせ、濡れた髪を手巾で拭う。ある程度渇いたところで屋敷に戻り、銀華はその姿を灰夏の前にとうとう現した。

「銀華、か」

「まあ、銀華さま?」

 灰夏が驚き、真美子までもが声を上げた。

 しかし、どちらにも嫌悪の色はない。

 銀華は、震える足で、灰夏の真ん前まで歩く。

「これが、私の本当の姿で――」

 灰夏が椅子を立ち上がって、銀華を抱きしめた。

 まだ湿っている銀華の体温を分かち合うように、一寸の距離も鬱陶しいと言いたげに、力を込めて、銀華を抱きしめる。

「ようやく、ソナタに出会えた気がする」

「灰夏、さま。私」

 銀華の頭は、思いのほか冷静だった。

 湯あみで温まっているはずなのに、額はすぅと冷感が走り抜ける。

「私、実家の母に、お礼を言いたいのです」

「銀華?」

 しかし、案の定灰夏はいい顔をしない。

 銀華を見下ろすと、ふるふると首を横に振った。

 みすみす、あの家に戻すつもりはない。あんな親になど、会わせたくない。

 しかし、銀華は灰夏の頬に手を添えて、首を横に傾けた。

「お願いします」

「なぜ、俺がソナタに弱いことを知っていて困らせる」

「母は、私の髪の毛を、毎日毎日、染めてくれたのです。折檻するようになってからも、髪を染める薬剤だけは、与えてくれたのです」

 きっと、あの義母も、本来は銀華を思ってくれている。心底悪い人間などいない。そう、思いたい。今はわかり合えなくとも、いつかわかり合える日が来る。

 それが今日なのだと、銀華は思う。

「ソナタ……わかった。明日、人力車を手配する」

「ありがとう存じます」

 銀華に甘い灰夏につけこむようで良心が咎めるが、この問題は今後一生ついて回るだろう。

 ならば、今、ここで決着をつけようと、銀華はそう、固く決意するのだった。

 

 翌朝、銀華は灰夏とともに人力車にのり、銀華の実家へと向かっていた。

 人力車に隣り合わせで座ると、灰夏の体温を感じられて、多少は緊張も和らいだ。とはいえ、先ほどから心臓がうるさいほどにわなないている。

 また心ない言葉を向けられるだろうか。銀華のこの期待が、打ち崩されるだろうか。

「つきましたね」

「ああ。銀華、もう一度聞く。本当に行くのか?」

「はい、灰夏さま」

 銀華は、義父母の住む家の門扉を潜り抜けた。

 その先には、台所で料理をする義母の姿があった。銀華を見つけるなり、義母は銀華に走り寄った。

 今日の銀華の髪の毛は、白銀である。

「銀華!? その髪はどうしたの!? なぜ、ああ、ああ。次期当主候補さまもしょせんは人の子。水神のオマエを、返しに来たのね?」

 銀華の手を握って、義母はこの三か月でだいぶやせ細ったように見えた。

 その、あかぎれの出来た手を銀華が握り返す。

 温かく、昔となにも変わらなかった。

 金を与えられ、贅沢をしているはずなのに、暮らしは細い。

 周りはみな、金があれば媚び売るし、金がなくなれば離れていく。金を狙った野党に家を荒らされ、灰夏からもらった金のみならず、義父母の貯めた銭までもを盗まれた。

 金があればみな、義父母に優しくしたが、金がなくなったと知るや誰も義父母をたずねてこなくなった。

 そのあましさは義父母が銀華にしてきたそのものだが、義父母はそれに、気づく様子はなかった。

 人間とは、かくも汚くなれる。

「奥さま――いえ、お母さん。私は、今まで私を育ててくれたお母さんを、捨てることができません」

「なに、そんなことを言いに来たの? それより、金を寄越しなさい。アンタを神嫁にしたのだから、アンタの旦那に」

 銀華は困ったように灰夏を見た。灰夏もまた、言葉を失っているようだった。

 人間はそう簡単には変われない。

 灰夏は懐から財布を取り出し、有り金全てを義父母に渡した。

「これっぽっち?」

 義父母、ふたりが暮らすには十分な額だった。

 銀華は義母に抱きついた。

「お母さんは、私が水の人間だとばれないように、いつも私の髪を気にしてくれていましたね」

「離しなさい、汚らわしいっ……! アンタ、その簪……売ったら高くつくわね、渡しなさい!?」

 しかし、銀華は次の瞬間、義母から離れ、その手をのけた。

 義母が欲した簪は、なにを隠そう灰夏からの贈り物だ。これだけは、渡す訳にはいかない。

「お母さん、これは駄目」

「はっ、なにアンタ。母親に逆らうのっ!?」

 振りかぶられた義母の手を、灰夏が静止した。この義母は、救いようがない。

 銀華が人知れず涙を流す。

 もしかして、義母とやり直せるのでは。そう思った銀華の優しさは、義父母には届かなかった。

「銀華、帰ろう」

 もしも義父母が、心を入れ替えていたら、銀華は満たされたのだろうか。

「ソナタは、甘いのだ」

「そうかもしれません」

 灰夏だって、大概だと思う。

 銀華は来た道をゆっくりと引き返す。もう、義父母への気持ちは、ない。

 それは、銀華の隣にいとしい人――灰夏が居てくれるからかもしれない。


 屋敷に戻り、月の間で真美子に茶を淹れてもらう。その間、灰夏は無言だった。

「灰夏さま。私、この髪の毛のままに、会合に参加しようと思います」

「いいのか? 少なくとも、歓迎はされないぞ?」

 水神の一族は、今はもう、この世界には存在しないとされている。

 実際は生き延びた者たちが諸外国に存在していることは、誰もが知っている。

 水神の当主が世界に害を及ぼそうとしたなんて、信じない人間も少なくはない。これは誰かの陰謀だ。

 灰夏は銀華を見やる。

 白銀の髪の毛は、銀華らしくてとても美しい。

 黒髪も好きだったが、こちらのほうが似合っていると灰夏は思った。

「私、次期当主候補の神嫁として、頑張りますね」

 しかし、いつまでもここにいられるわけがないと、銀華も灰夏も、気づいていたに違いない。

 笑む銀華を、おもむろに灰夏が抱きしめた。

「すまない、すまない」

 なにに対して謝ったのか、銀華にはわからなかった。わからなかったが、腹が立ったので灰夏の胸を強くたたいた。

 たくましい胸だ。びくともしない。

 筋肉が多いのか、体温は高い。

 いつも横抱きにされるときは気を失っているからわからなかったけれど、灰夏の体温は、落ち着く。

「灰夏さま、は。なにをご存じなのですか」

「これに巻き込んだのは、俺の責任だ。ソナタはなにも悪くない」

「巻き込んだ?」

 しかし、その先は教えてくれなかった。

 秘密主義な人間は好きじゃない。

 だが、この次期当主候補がどんな扱いを受けてきたか知っているがゆえに、邪険にも扱えない。

 自分はずるい。灰夏の好意に甘えて、偽りの神嫁の座を受け入れて、父の無念を晴らそうなどと。

 

 灰夏の母が死した件で、一度は無罪になった宰相・佐賀が再び容疑者として浮上している。

 あの件は、夏場に起きた絞殺事件であり、遺体が発見されたときには死後三日と診断された。

 しかし、銀華によれば、氷室という地下に保存すれば、冬と同程度は死体の保存がきく。

 母が殺されたとされる三日前の佐賀は、同僚たちと飲み明かしていたと証言されているが、七日前のその日は、政務を一日休んだ日があった。

「灰夏さまも、その、佐賀さまが怪しいと踏んでいらっしゃるのですね」

「ああ、だが、もう十年前のことゆえに、検証ができない」

 佐賀は確か、宰相の中でも陶器を管轄する人間だった。

 最終的には、銀華の父当主の事件となにか関連がある気がする。

 銀華が黙って考え込む。この神嫁は、一つのことに集中すると周りが見えなくなる。

 灰夏は横目で銀華を見て、ため息をついた。

 また銀華は、事件に足を突っ込もうとしている。

 土神の当主の珈琲の件だってそうだ。

 医者に伝えればいいものを、自分で見たもの調べたものしか信じない。

 そのうえ、土神の当主の件は侍女に扮してまで謎を解き明かした。

 あの件で銀華が灰夏の神嫁として口を挟んでいたら、政治的な軋轢が生まれただろう。

「佐賀さまは、なにか不審な点はないのですか?」

「ああ、佐賀どのは、自ら陶器をおつくりになるほど、陶器に詳しい」

「なるほど」

 灰夏が、銀華をそろりと見やる。その真剣な顔に、口を開きかけて、やめた。

 今、この場でなにを言っても、なんの解決にもならない。

「では、私は本日は、土神の当主さまに呼ばれておりますので」

「ああ。最近また、体調がお悪いようだ」

 先の件――珈琲の覚醒作用の成分が体に合わないのではと進言したことで、銀華は当主に気に入られたようだった。

 

「銀華、まいりました」

「入れ」

 苦しそうな声に、側近が扉を開いた。

 寝台に横になる当主は、顔色が悪く汗がひどい。吐き気もあるのだと聞く。

 またなにかの中毒だろうと当たりはつけているのだが、それがなんなのかは実際に会わないとわからない。

 銀華がこうべを垂れたまま、屋敷に入っていく。

 当主は、側近を残して、人払いをして銀華と二人きりになった。

 寝台に寝る当主の脈を、銀華が見る。

 心拍が速いのは、なにか毒が体を巡っているからだろうか。

「当主さま。最近の食事内容をお伺いしてもよろしいでしょうか」

「ああ。これへ」

 膳を持って、側近が机の上に乗せた。

 なんのことはない食事だった。

 白米に鶏肉、魚の揚げ物に、あんかけ、汁物にはもやし、それから野菜はからし和えにしてある。

 灰夏の作る料理に比べると、彩りはよくないが、どれも一級品の食材を使用している。

「これは……毒見はしたのですよね」

「ああ。これらに毒はない」

 だとしたら、やはり嗜好品が怪しい。

 銀華はためらうことなく、

「お茶は、最近はなにを?」

「ああ、これだ。珍しいものをもらったのだ」

 側近にまた指示して、出されたのは黒い粉末だった。赤茶の粉も混じっている。

 香りもよくあるお茶のものだった。

 この茶に、なにか毒があるのだろうか。

 銀華は、お茶を懐紙に包みなおして、当主の方に目を向けた。

「これは?」

「ビワの葉の茶だ」

 ビワの茶は有名だが、それは葉を煎じて飲む場合に限る。

 この茶には、もしかしたら種――毒が含まれているのだろうか。

 ビワの茶に種が使われることは少ない。

 ビワの種には梅と同じ毒――青酸が含まれるのだと聞いたことがある。

 銀華は、そのビワの粉末を今一度懐紙に包んで、いったん当主の屋敷から出ていった。

 


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