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2-6、あの日

 あの日、父当主を殺した少年は、まだ幼さを残す男の子だった。

 きれいな瞳が暗闇に光っている。髪の毛も。

 月明かりで夜でも輝いていて、神秘的で美しかった。月と同じ淡い色の髪だ。

 だから、か。

 銀華はその子のことを、助けに来た水神の禁軍だと思ったのだ。

 怖かったよ、と走り寄るよろうとした時だった。

 その男の子は、父当主に刀を突きだした。

 ギラリと光った切っ先が、父当主を脅かす。

 金屏風の裏で、銀華と母が息を飲む。

「アナタを殺さねば、俺の家族が、一族が亡ぶのです」

 しかし、なにかおかしい。

 そう、あの少年は、父当主を殺したあと、金屏風の裏にいる、銀華と母を見つけ出した。

 母が懇願する。

「娘だけは、お助けください」

 少年は、母も銀華も、殺さなかった。

 ふたりで屋敷を抜け出す際、すれ違いざまに見た血の色が、恐ろしかった。

「これで、わたしの目的に一歩近づいた。この世界を! 我が手にすべてを!」

 屋敷の外で誰かが笑った。

 恐怖で震える身体をなんとか支える。

 本当は、今すぐ気絶してしまいたかった。

 しかし、自分は逃げねばならない。逃げて、逃げ延びて、いつの日か――水神を立て直さねば。

 この時の銀華は知らなかった。

 水神が嵌められた事に。ゆえに、水神の一族が滅びる運命にあることに。

 母はそれを知っていたからか、銀華を水神の屋敷の外まで連れ出すと、自分は屋敷に戻っていった。

「母上! 一緒に!」

「銀華、アナタは生き延びなさい。母は誇りを守らねばならぬのです」

 荷車に隠れて、銀華は母に送り出された。

 それからしばらくして、水神の当主が謀反を企てたとして、一族全員が処刑された。

 最後の水神である銀華の存在など、誰も知らない。

 だから、水神の水の加護がなくなった。

 水が枯れて、いつしか人々は水神を恨んだ。

 水神の当主が五行の国を脅かす計画を立てていたと誰ともなく噂が広がる。

 それは冤罪というものだった。

 幼いながら、銀華は考えた。父当主の死因は、明らかに過剰免疫反応(アレルギー)だ。

 しかし、料理の中にそれらはなかった。毒を盛られた様子もなかった。

 ならば、あの器。特別に献上された器だと父当主が自慢していたあの鮮やかな青色の食器たちが、毒になったのではないだろうか。

 銀華は、素性を隠して平民として、国に残った。

 まだ五歳だったから、荷車の中に隠れることも容易だったのが幸いした。

 銀華は、じゃっかん五歳ながら当主の跡目としての教育を施されてきた。

 銀華はまず、髪の色がわからぬように、泥を頭からかぶった。

 なにより、生まれ持った運の強さで、義父母に拾われたことは幸いだった。


「銀華?」

 呼ばれて、銀華はぱちりと目を開けた。

 着物の帯が緩められて、頬に冷たい手巾が触れた。

 灰夏が看病してくれていたらしく、銀華は一気に意識を覚醒させて、寝台の上に起き上がった。

 前にもこうやって迷惑をかけたことがあった。自分はなんて無力なのだろうか。

「も、申し訳ありません」

「ソナタ、なぜいつも謝ってばかりなんだ」

「しかし、灰夏さまに看病など」

 もう大丈夫です、と灰夏をよけるように寝台から立ち上がる。

 それと入れ替えに、外が騒がしくなる。真美子と下男たちが、誰かを必死に止めている。

 誰か、ではない。その声に、銀華は聞き覚えがあった。

『おやめください、銀華さまはお倒れになっています』

『次期当主候補である俺が来たのに、寝ていると?』

 どうやら、招かれざる客人が来たようだった。

 銀華は帯締めを固く結びなおして、

「入ってください」

 外の真美子に声をかける。

 下男が扉を開けて、入ってきたのは土夏だけではなく、土子も一緒だった。

 ひゅっと銀華の息が止まる。どう着飾ったって、銀華はあの家にとらわれたままだ。

 銀華は土子の目を見ずに、恭しく礼をした。

「銀華! ソナタも神嫁なのだから、礼など」

「も、申し訳ありません」

「そっちの話は済んだか? 聞いたか? オマエの加護の剣と俺の加護の剣。格上なのはオマエの火の剣だなんて」

 おそらく、火神の当主が吹聴したのだろう。

 どこまでも人いじりな当主だ。

 銀華と灰夏の加護の剣は、確かに火だ。火は五行の中では特別中の特別だった。

 加護持ちの中でも、火を持つものは特に貴重で、だからこそ、あの火神の当主はその話を土夏たちにしたのだろう。

 火神の当主の真意がわからない。

 銀華が恐縮する中、灰夏は堂々と答えた。

「どちらが上、下などない。俺とオマエは兄弟だ。唯一無二の」

「だから! それが甘いんだよ! 強くなければ殺される。母上がそうだったように!」

 核心は、そこなのだ。

 この土夏という次期当主候補は、母の死によってその人生がねじ切れた。

 母が死したその日から、復讐に燃え、誰も信じず、そして、誰よりも死ぬことを恐れていた。

 殺されるくらいなら殺せばいい。そう考えるようになるまで、そう時間はかからなかった。

 土子が土夏のとなりで銀華をにらみ見ている。

 自分こそが次期当主の神嫁になるのだと、信じて疑わない、そんな自信にあふれていた。

「土子!」

「はい、土夏」

 土夏が土子の唇に触れると、その胸から火花が散って、土の加護の剣が顕現した。

 銀華はうろたえ、しかし、灰夏はすぐさま銀華を連れて月の間の外に出た。

 そとは真夏、夜とはいえ汗がにじむ。暑さからではない冷ややかな汗も相まって、体が冷えて気持ちが悪い。

 生ぬるい風が四人の肌を撫ぜた。

「はは、外に出たのは正解だったな!」

 剣を振るうと、土、岩、砂が混ざり合って人の形を成し、そうして銀華と灰夏に襲い掛かる。

 土の加護の剣では、土を自在に操ることができるらしい。

 しかし、本来の使い方は、こうではないはずだ。この剣は、人々を守るために使われてきた剣だ。

 その力は、普通の加護なんか足元にも及ばないほどに強力で、危うい。

 土夏は加護の剣の扱い方を、一朝一夕で覚えたわけではないだろう。

 こんな使い方ができるなどと、吹き込んだのは誰だろうか。

 火神の当主は、書物で加護の剣のことを知っていたと聞く。その存在を探して、なにがしたかったのだろうか。

 銀華を後ろにかばいながら、灰夏は思案する。

 ここで銀華の加護の剣を抜いてしまえば、兄弟喧嘩どころではなくなる。

 加護の剣を、私利私欲のために使う気にはなれなかった。

「ほらほらほら、逃げるだけじゃ、死ぬぞ!?」

「ああ、銀華さま! 灰夏さま!」

 真美子が叫んでいる。

 このままでは犠牲者が出る。そうなれば、屋敷のの侍女・下男の命だけでなく、土神の屋敷に滞在している五行の神たちにも危害が及ぶだろう。

「銀華!」

 苦し紛れに、灰夏が銀華の胸に手をかざした。その手を、銀華が握る。

 火花は、起こらない。

 ふたりの心が、ひとつになっていないからだった。

 銀華が、灰夏の手を握って、笑った。

「ダメです。この剣は、民を守るためにあるのです。それに、使ったら土夏さまも、ただではすみません」

 土夏の加護の剣は土だ。

 対して、灰夏の加護の剣は火。

 土は火を弱めるが、多すぎる火は土を乾かし、やがて力を奪う。

 逡巡する灰夏と銀華の間に、ぼぼ、と炎が巻き起こった。

 それは、ふたりが繋いだ手のひらから放たれる、ふたりの五行が合わさった、火の加護の力だった。

 赤色の炎が、ふたりに語り掛ける。これは、加護のみを宿した力。

「銀華、この炎は」

「はい。おそらく、加護の剣のみ、消し去るかと」

 感覚でわかる、この炎は、人間には害を及ぼさない。

 加護の剣は、本来祝福の剣であるが、使い手が悪しき心をもてば、それは祝福から悪縁に変わる。

 二人が、土夏の加護の剣めがけて炎を放った。

 ぼぼぼ、と炎が爆ぜる。美しい赤。その炎に、土子すらも見惚れていた。

「なん、この、押し返してやる」

「っ土夏、頑張って!」

「この、この、この!」

 やがて、じじじ、と土くれの人形が燃え尽きて、土夏の加護の剣は力を失い、火花となって土子の中へと戻っていく。

 土子が膝をつく。

 加護の剣を顕現させると、加護を使うときよりも何十倍も体力が持っていかれるのだ。

 土夏が土子を案ずる様子はなく、

「土子、もう一度」

「はい、土夏!」

 土子が立ち上がる。

 しかし、土子の唇に触れても、胸に加護の剣は顕現しない。

 何度も何度も重ねるのに、加護は一切起きなかった。

 土子の顔に焦りがにじんだ。

 これでは、なんの役にも立てない。銀華にすら及ばない、出来損ないだ。

 土子は何度も何度も加護を念じる。

 だが、土のひとつも顕現しなかった。

「この、役立たずめ!」

 とうとう、怒った土夏が、土子の頬を叩いた。

 土子の体が投げ出され、その場に尻もちをついて土夏を見上げる。

 恐怖に染まった土子の瞳を見るのは初めてだった。

 銀華は土子を見て、心を痛めた。

「土夏?」

「もういい、オマエなんて、俺の神嫁じゃ――」

 ばしん、と聞こえた音は、灰夏が土夏を叩いた音だった。

 すべて諦めていて、何事にも興味がなさそうにふるまう灰夏が、弟の前で、とうとうその感情をあらわにした。

 強い瞳、赤茶の瞳には慈愛しか見えない。

 この瞳に見据えられると、どんな悪事も暴かれてしまう。

 銀華はこの灰夏の瞳が、好きでもあり、嫌いでもあった。

 強く決意に満ちた瞳を見て、銀華は父当主の死に際を強く、強く、想起していた。

「いつまで母上の死にかこつけて、ふてくされている!」

「誰がふてくされてなんか」

「オマエは怖いだけだ。また、誰かが死ぬのが。近しい人間が死ぬのが」

「だまれ、オマエになにが」

「俺は、進む。母の死の真相を突き止めて、そうして、この国を――銀華を幸せにするために。だから、土夏。土子どのを叩いたこと、今この場で謝れ」

 それは、銀華が言うべき言葉だったに違いない。

 銀華は土子に駆け寄って、しゃがんでその肩を抱き背中をさすっている。

 しかし土子は、銀華を突き飛ばし立ち上がった。

「……! ……、すまない、土子。オマエのことは、嫌いじゃない」

 す、と差し出した土夏の手は、土子によって跳ねのけられた。

 銀華は土子の強さに驚く。

 もしも銀華が灰夏に拒絶されたら、銀華は人知れず屋敷を去るだろう。

 こうやって謝られても、二度と心を開かないだろう。

「私、土夏がいなくても生きていけるわ」

「土子、強情を張るのはやめなさい」

 銀華の声だった。

 土子は、銀華の方に顔を傾けた。

 そこにいたのは、あの、虐げられていた姉の姿ではない。

 威風堂々、土の国の次期当主候補の神嫁が、存在するだけだった。

 幼き頃は、土子の名前を呼ぶのに、こんなに緊張もしなかった。さまを付けないで呼んだのは、いつぶりだろうか。

 土子は一歩前に出て、

「いい気味だって思っているんでしょう!?」

「そんなことない」

「じゃあなに? 優越感?」

 銀華は立ち上がり、土子の目をまっすぐに見据える。

 二つ年下のかわいい妹。今はこんな風にこじれてしまったけれど、昔は仲よく遊んでいたっけ。いつも銀華のあとをついて回って、不安だとおくれ毛を耳にかける癖は治っていない。

 銀華が土子の頬に手を添えた。

「大事な妹だもの、誰かにないがしろにされるところを見て、平気でいられるわけないじゃない」

 本心を言えたことに安堵して、思わず銀華が涙を流した。

 それを、土子は冷めた目で見ていた。

 そう簡単に人間は変われないし、変わろうとも思わない。

 土子は土夏の手をぎゅと握った。

「行こう、土夏」

「土子、俺は」

「大丈夫。わかってる。私も同じ気持ちだもん」

 母が死して、すれ違って掛け違って、いつの間にかこんなにも遠くに来ていた。

 けれどこれからは、ちゃんと家族をしようと灰夏は思う。どんなに時間がかかっても、たった一人の弟に、間違った道を歩ませるわけにはいかないのだ。

「行ってしまいましたね」

「ああ。ソナタ、よかったのか?」

「なにがです?」

「いや、なんでも」

 お互いに、厄介な家族を持ったものだ。しかし、血のつながりがあろうとなかろうと、家族というものは近くて遠い、そんな存在なのだろうと銀華は思う。




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