2-3、水の加護
最近、銀華は悪夢を見る。
義父母に虐げられていたことなんてどうということはないくらいの、悪夢だ。
その悪夢から逃げるすべはなく、ただ銀華は、その悪夢が終わるのを、ひたすらに待つことしかできない。
「オマエはこの国から逃げなさい」
「しかし、お母さま」
十三年前、銀華はまだ五歳だった。まだまだ独りでは生きられぬ年齢、まだまだ親に甘えたい年齢にもかかわらず、銀華は一人ぼっちになった。
銀華は水神のひめである。その日父である壬の当主は、食事中に過剰免疫反応で倒れ、帰らぬ人となった。
母である神嫁も、その後すぐに五行の神々への謀反の罪で打首にされた。
銀華は後悔している。あの時自分は、共に死ぬべきだったのだ。
銀華は滅びた水神の一族を思っては、涙を流す。
あの日出された料理には、過剰免疫反応を起こす料理はなかった。
父である壬の当主の過剰免疫反応は、過剰免疫反応としては珍しい、梅によるものだからだ。
あの日の料理に梅なんてなかったし、誰かが梅の毒を盛ったとしても、毒見役はなんともなかったのだから、きっとあの日使った器が原因なのだと銀華は踏んでいる。
五行の神々は、協力して多くの陶芸品を作り、交易してきた。
土の神の土を、水の神の水で練り、金の神製の器具で彫りを施し、木の神の薪に火の神の火を燃やして焼き上げる。
それらは、各々の神の当主自らが加護で生み出した産物で、どこにもない美しさが特徴だった。
壬の当主が倒れた際に使われていたのは、きれいな青い陶器だった。なんの変哲もない、美しい青。
「しかし、次期当主候補の神嫁が、侍女のふりなど。最初は気づかなかった」
「申し訳ありません。秘密裏に伺いたく……」
月の間にて、当主と灰夏と銀華が、三人で茶を飲んでいる。
茶と言っても、当主のことを考えて、覚醒作用のない隣国の棗茶が出された。
棗は薬にも使われる果実で、甘みが強く、爽やかな酸味もある。ヨウロプでも人気があり、生の棗はヨウロプの苹果に似た味だ。
銀華の棗茶は、ひと手間かける。
本来ならば、干し棗を洗ったらそのまま水とともに鍋に入れて火にかけて、一時間ほど煮出すのだが、銀華は棗茶を作る時は、前日から水につけて棗を戻してから煮出している。
棗の成分がよく出るし、香りと味もより強くなる。
棗自体は、そのまま食べるとねっとりと甘く干し柿を彷彿とさせる甘みがある。
うってかわって、茶に煎じると酸味のあとに程よい甘さが追いかける。
その他にも、棗を煮出す際に枸杞を最後に散らしたり、棗を細かく刻んで生姜と共に砂糖とはちみつで煮詰めて、甘い棗茶も作る。
砂糖は貴重品のためなかなか作れないが、砂糖で作る棗茶は、匙に一杯を茶碗に入れてお湯を注ぐだけで飲めるため、時間がない時に重宝する。
当主は今はもう、すっかり元気になられ、医者も舌を巻くほどだった。
珈琲の離脱作用は相当な苦痛だった。
頭痛が襲い、眠気も尋常ではない。それが五日。
その時期を過ぎると、今度は精神的に珈琲が欲しくなる。
飲みたくて喉が渇いて、だけれど、十日が過ぎたころ、頭が妙に晴れやかなことに気が付いた。
覚醒作用のある成分は、脳に作用して中毒を起こすとは、銀華の言うことは正しかったと身をもって当主は痛感した。
「それで、この娘によれば、妻の死した日が、あと四日は早かったと」
「はい、父上。氷室と言って、土を掘って地下を作り地上に藁をかぶせることで、夏でも冬のような寒さを維持できる知恵が、この国にはあったのだそうです」
「というと、氷か?」
「さすがは、当主さまです。さようです、氷を保管する地下です」
そうか、と当主が笑っている。
銀華は、この当主が、自分の父を殺したのではないかと踏んでいた。それよりももっと、次期当主候補である灰夏を。
だから、素直に灰夏からの好意を受け取ることが困難になってきた。
あの日、あの場所にいた、壬の当主が死する際、銀華は見た。赤茶色の瞳と金色の髪を。
暗い部屋で見た、血と、当主の最期をみとった人間。
灰夏の年齢は銀華よりも十上だと聞いている。
ならば、銀華の父が死んだ際は灰夏ももう十五だ。
あのとき銀華は、当主に言われるままに、母と金屏風の後ろに隠れていた。
隠れていたから、はっきりとは見えていない。だが、あそこにいた人物の目と髪は、暗闇でもよく光った。満月が禍々しく光を放っていた。
「銀華? 俺になにかついているか?」
「や、いえ。灰夏さま……灰夏さまは、水神の当主をご存じですか?」
土神の当主が顔をしかめる。そのまま、茶碗を机に置いて立ち上がると、先に月の間を出て行ってしまう。
この話題は、当主には禁句だったらしい。
そういうところが、ますますあやしい。
対極に、灰夏は銀華の問いに、できる限りの誠意を見せた。
「水神の当主とは、親交があった。優しい方だった。それが、あのようなことに」
あの過剰免疫反応の仕組みさえ分かれば、銀華だって無条件に灰夏に身をゆだねられるのに。
現状、あそこに有った料理に毒はないのだから、だったら、器を疑うのは当然だった。
あの器は、土神の土――もっと言えば、土神の加護の力で作られている。あの青い食器は、土神の作り出した土で作られたものだった。
焼いた火や薪が毒になることはまずありえない。
加護で作り出せるのは祝福だけだからだ。
だが、その祝福が毒に転じることもある。
ならば、土が毒に転じた可能性は否定できない。
「銀華? 考え事か?」
「はい……灰夏さま。神の加護で作った土に、毒を混ぜることは可能ですか?」
「それはできん。加護はあくまで加護だ。他者を害する加護は存在しない」
そうなのだ。銀華だって、自分が水の加護持ちだからわかる。
銀華の作り出す水に、毒の類は一切混ぜることができない。
だからこそ、不可解なのだ。
土の加護で、梅と同じ成分の入った土を作り出すことが可能なのだろうか。
銀華が難しい顔をしているのを横目に、灰夏は茶を喉に流し込む。
「銀華。今日の茶は、甘いな」
「はい。今日は硬めの水で淹れたので」
「ソナタ……最初から思っていたが、ソナタの水の加護は、まるで――」
口をつぐむ。
灰夏は、まるで水神のようだと言いかけたのだ。
それは、最初から知っていた。知っていて受け入れたはずだ。
いつか銀華が、その本当の白銀の髪を見せてくれたらと思うのだが、なかなか心を開いてくれない。
きっと最後まで自分たちは、偽りの夫婦を演じるのだろう。
だが、銀華が特別な存在だということは、灰夏が一番よく知っている。
「灰夏さま?」
「いや……ソナタ、今日はもう休め」
銀華は首をかしげながら、灰夏の背中を見送った。弱弱しく歩く灰夏は、どこか物憂げな雰囲気を漂わせている。




