2-1、調査
神々の屋敷に新しい侍女が入ってくることはさほど珍しいことではなく、その日も新人の侍女が炊事や洗濯にいそしんでいた。
見慣れない黒の髪は簡単にまとめられて、それなのに瞳の色は白銀だ。
稀にこういう人間が生まれる。この土神の次期当主候補のように、両親ともに土の神なのに、その髪が赤茶ではない、特異な存在。
「灰夏さま。婚姻の儀まで時間がありますし、私、調べたいことがあるのです」
銀華は、手放しにこの状況を喜んでいたわけではなかった。銀華は、なにを隠そう水神の最後のひめぎみだ。
先の加護の暴走で、少なくとも灰夏は銀華の素性を察しただろう。
そしてあの場にいたものたちもまた、銀華が水の加護を持つことを知ってしまった。
銀華は自分が水神だということを隠して生きてきたが、次期当主候補の神嫁となれば、この先銀華に危険が及ぶのは明らかだった。
加護持ちの神嫁となれば、宰相たちから疎まれるのは必然だ。
双子の次期当主候補の両方に神嫁ができたとなれば、それを廃する動きも出てくる。
灰夏はいまだ、土の加護を持たぬ出来損ないの次期当主候補とあざ笑われている。
土夏も、灰夏に神嫁ができたことで、なんらかの妨害を企てるかもしれない。
ならば、先にその芽を摘んでおこうと思ったのだ。
銀華は土神の当主の屋敷から空を見上げた。父が死んだ日もまた、よく晴れていた。
あの日、銀華の父である壬の当主は、過剰免疫反応が原因で弱り、死んだ。
ふうとひとつ息を吐き出して、銀華は洗濯場の水を水路に捨てた。ここは土神の屋敷、洗濯場。井戸の周りに侍女が集まり、ああ私はいつか侍女頭になるだの、当主のめかけのなるだのと話に花を咲かせている。
そのどれもが、美しい赤土色の瞳と髪を有している。土神に相応しい力――加護が少なからず、彼女らにはあるのだ。
だから黒髪の新人のこの侍女は、ほかからさげすまれ話に入っていけなかった。
しかし、そのくらいでちょうどいい。
新しい侍女が入ってきてひと月が過ぎようとしている。
最近、次期当主候補の兄のほうの神嫁は、めっきり会合に顔を出さなくなったと噂されている。
なんでも、妹の土子に気後れして、引きこもりになってしまたのだとか。
太陽が南中するころには、洗濯物はみな洗い終えて、木と木の間にぶら下げた紐に着物を広げて太陽にさらす。
「ああ、でも。水神の当主さまは、残念だったわよね」
侍女の一人が口にして、ハッとしたように口を結んだ。
この世界は五つの神で成り立っていた。いた、というのは、現在は四つの神に減ってしまったからである。
それぞれの神には、五行からとった名前が冠される。木神、火神、土神、金神、水神。
それが、十三年前に、不慮の事故で水神の当主が亡くなったから、いまは実質四つの神が手を取り合って暮らしている。
五行には、相生の関係と相剋の関係とがある。
つまり、木は火を生み、火は土を生み、土は金を生み、金は水を生み、水は木を生む。
そして、木は土を剋し、火は木を剋し、土は水を剋し、金は木を剋し、水は火を剋す。
この力の均衡が保たれていたことで、世界は安寧、平和だった。
「聞いた? 当主さまがお倒れになったそうよ」
「聞いたわ。なんでも、心の臓に不調がおありらしいわ」
侍女たちの噂話を右から左に流し、新人の侍女――銀華はふと空を見上げた。
水神がなくなったから、水不足が危ぶまれたが、今は水を金神が生み出している。
金属には水滴がたまる。金神は、金属を生み出す。なにより、ここにいる侍女たちは知らないのだ。
「当主さまって、いつもお茶をお飲みでしたよね」
先ほどまで黙りこくっていた銀華が、珍しく当主に言及したため、侍女たちは彼女を鼻で笑った。
滅びた水神の不吉な瞳を持つ新人侍女の正体を、誰もが知らない。
銀華の顔を知るのは、あの会合で顔を合わせた神々くらいであるが、そもそも侍女たちは銀華の顔を知るすべもなく、銀華は侍女の仕事の方が性に合ってると嘆息する。
「ああ、銀華。アナタって、なんで土神の侍女になれた出身なのに、名前に銀なんて付けられたんでしょうね」
「さあ、それは私にも」
銀華は、当主の症状を聞き、一つの仮定を組み立てた。
ひと月前、銀華は灰夏に頼み込んで、土神の現当主の侍女として働きだした。
当主の体の不調について、調べたかったからだった。
銀華は現状、灰夏の神嫁ではあるが、昨日今日で神嫁になった銀華に、当主が信頼を置くとも思えなかった。
契約結婚となれば、なおさら慎重になる必要がある。
それに、当主の一挙手一投足を把握するには、侍女とういう立場が一番手っ取り早かった。
侍女たちの噂話は、一晩でこの広い屋敷を駆け巡るのだ。
「あの、今から当主さまは、お茶のお時間でしたよね」
「え? ええ。まさかアナタ、当主さまに取り入りたい、とか?」
それはない。銀華は次期当主候補の神嫁に決まっているのだから。
しかし、それを言ってしまえばここにいる意味がなくなってしまう。銀華は言葉を選ぶ。
「いいえ。ただ、今日のお茶を淹れて運ぶ役割を、私に譲ってはいただけませんか?」
銀華が、綿の着物の帯から帯飾りを取り出すと、侍女たちがわっと色めくが分かった。
大きな緑色の翡翠の帯飾りは、侍女なんかでは手に入れることはできない上等なものだった。
これは、銀華があらかじめ灰夏にもらっていたものである。
銀華に贈られたものではなく、こういった賄賂のためにわざわざ灰夏に手配してもらったのだ。
そのつやつやした翡翠を見せると、侍女たちは一気に銀華にこびへつらった。
「これ、くれるの?」
「はい。それで、私に変わっていただけますか?」
「ま、まあ。今日だけならいいわ。私が侍女頭さまに言っておくわ」
銀華は黒色の髪の毛を揺らしながら、洗濯場を後にした。
銀華の髪の毛は、光に当たると黒が抜けて、きれいな灰色に光る。
侍女たちは気づかないが、銀華の髪の毛は、やはり人間のそれとは、だいぶ違った。それが、銀華にとっては恨めしい。
「ほんと、よくわからない子よね」
誰とも仲良くしないし、どこか品もある。
銀華はここにきてひと月、目的のために息をひそめて生きてきた。
土神の当主の体調不良を調べるという、大事な大事な目的である。
台所を借りて、今日のお茶を確認する。
西洋から手に入れた珈琲が、最近の当主のお気に入りなのだと料理長が鼻高々に説明した。
これを手に入れられるのは、料理長の人脈あってのものらしい。
黒い珈琲を飲むと、眠気覚ましになる。
緑茶もそうだが、そういった飲み物を、当主はことさら好んで飲むようだった。
緑茶は眠気覚ましには弱いため、当主のお気に召さなかったようだが、ヨウロプの珈琲が、当主の最近のお気に入りだった。
「あの、この珈琲を淹れるときの水は、どこの井戸のお水を?」
「水か? ここから一番近い井戸だよ」
銀華は、屋敷内の井戸の位置をすべて把握している。
銀華がふと目を瞑り、そうしてぱちりと開かれる。
料理人たちは銀華などそっちのけで、忙しそうに調理にいそしんでいる。
あまり人がいるところではこの力は使わないようにしているが、この珈琲ならば、『軟らかい水』が最適なはずだ。
お茶や珈琲は水の硬さで味が変わる。淹れるお湯の温度も大切だ。
銀華がそっと、鉄鍋に手をかざすと、その手から、こんこんと水が湧き出るのだった。
「さて、これでいいわ。あとは、当主の体調不良の原因を、どう探すか」
銀華のこの能力を知るものは、この屋敷にはいない。
そもそも、この異能は、神々か一部の選ばれた人間にしか現れない希有なものである。
木の神なら植物の成長を促進させ、火の神は火を起こせる。土の神ならば上等な土を生み出すし、金神ならば質のいい金属を生み出す。そして、水神は、銀華のように硬さを変えた水を、自在に操れる。




