1-10、優しい
食事を終えると、銀華の月の間に灰夏が訪れた。
出てくるときと違って、そこには実家からのなじみのある家具や、新しくあつらえた調度品などが豪奢に並んでいた。
「必要な荷物は運んでおいた」
「……家に、行ったのですか?」
「ああ。心配することはない」
本当は、裏で手を回した。
なにしろ、実家に荷物を取りに行くと、銀華の義母が物凄い剣幕で灰夏を責めた。まるで財産を奪われたかのように、義母の怒りは頂点に達していた。
「銀華は私の本当の娘じゃないけど、いないと困るのよ」
「母親の情が残っているのか?」
「家の雑用を、だれがやるのよ」
面倒だわ、と義母が嘆いた。
こんな家で、よくもあんなに優しい銀華が育ったものだ。
銀華はすでに十八歳、幼さを残すとはいえ成人を迎えている。
それなのに、どこか自信がなく背中を丸めているのは、この母親あってのものだった。
灰夏は大きく息を吐いた。
「銀華は、帰りたくないと言っています」
「帰る帰らないじゃないでしょ。親子なんだから、助け合って当たり前よ」
その割、妹の土子の嫁入りは豪華に祝ったようで、主室には食べ終えた皿が散乱していた。
土子は、銀華と同じく、先日土神に嫁入りしたばかりだ。
出ていく前に、この家で盛大に送り出したのは明らかだった。
銀華が帰らなかったことにはなんとも思わなかったくせに、いなければ困るなどとどの口が言うのだろうか。灰夏はぎろりと義母を睨む。義母は一切引かなかった。
「銀華は俺の伴侶となる」
「ああ、そう。そうね、じゃあ」
義母の目の色が変わった。
黒色の瞳は、人間とは思えないほどの、醜悪さを含んでいる。
次期当主候補という立場上、こういった目は何度も見てきた。救いようがない人間というのは、どこにもいる。
「今まで育ててきた私に、謝礼金を払ったら考えるわ」
「どこまでも下衆な」
しかし、灰夏は予見していたのか、下男に合図をすると、下男から金を持ってこさせる。
男ひとりがやっと持てるほどの重さだった。下男が木箱をガチャ、と開けた。
紙の束の群れに、義母の目がいやらしくゆがんだ。
「足りなければ、後日人を寄越す」
「……! こんなに」
五十万はあるだろうか。がし、と札束をわしづかみして、義母は数を数え始める。しかし義母は咳払いをし、
「この倍は必要よ」
「わかった。それで銀華から手を引くんだな?」
「手を引く引かないじゃないわ。私たちは親子なんだもの」
最後まで母親面する義母に、灰夏は侮蔑の目を向けていた。
そうやって、灰夏は実家から銀華のものを全て運び出した。
しかし、銀華の持ち物は本来少なく、灰夏は必要になりそうなものを買い足していた。
西洋の寝台や、姿見鏡、着物は新しいものをあつらえた。
銀華の好みがわからなかったから、とりあえず真美子に見繕わせて、着物は五枚ほど。
あとで銀華の好みのものを、別にあつらえなければと思った。
変わり果てた月の間に、銀華は笑いを漏らした。
「なにがおかしい?」
「いえ。揃えるの、大変だったでしょう?」
ふかふかの寝台に腰掛けてみる。きしみすらしない、上等なのはそれだけでわかった。
昨日のままでも十分上等なものだったのに、灰夏はどこまでも銀華を甘やかしたいらしい。
家具はふたつあって、ひとつは着物用、もうひとつは簪用だった。
銀華は寝台に座ったまま簪の家具を開ける。しょうのうの匂いがした。
「綺麗……」
「ああ。着物は特に、会合に通う際に必要になる」
「会合?」
銀華は簪をひとなでしてから、灰夏を振り返る。
案外近くに顔があって、銀華は立ち上がって灰夏から距離をとった。
寝台の布団がはらりと床に落ちて、真美子がそっとそれを元の位置に戻した。絹の布団は、お日様の匂いがした。
「五行の神々は、持ち回りで一つの屋敷で会合が開かれる。今は土の時代。土神の屋敷に、すべての五行がの神が集まる――いや、水神は滅びたか」
「灰夏さまは――水神さまが滅びた理由をご存じですか?」
有名な話である。水国の壬の当主は、食中毒で弱って死んだ。
神とて人間と同じ。毒に犯されれば死ぬし、血を失っても死ぬ。寿命だって人間と同じであるし、ただ一つ違うのは、神々には加護が使えることくらいだった。
銀華の問いかけに、灰夏は眉根を寄せた。
銀華は、あの日誰かが水神の当主を殺したことを、知っているのだろうか。
それを確かめるために、この神嫁という役割に流されたのだのだろうか。
「有名な話だ。梅の毒で死した」
瞬間、銀華の目の前が明滅した。
『逃げなさい、銀華』
母は銀華をあの場所から逃がした。父は、『梅の毒』で何者かに殺された。
毒に倒れた父を、金髪と赤茶の瞳の男が見下ろしている。
まるでそう、目の前にいる――
「銀華? どうかしたか?」
銀華はせわしなく手を動かした。殺気を放っていたかもしれない。
なぜ今なのだろうか。
銀華の脳裏に蘇ったのは、実の父母の最期である。銀華の父母こそが、水神。
銀華の心拍が、あがった。
水神を殺したのは、灰夏だろうか。面影が重なる、しかし、記憶は朧気で確証は、ない。
それに、あの青年の髪は、淡い金色だった。
何事も、決めつけはよくない。赤茶の瞳なんて、土神にはごまんといる。よりにもよってって、この灰夏のはずがない。銀華は必死に否定した。
「いえ……私なんかが会合など……!」
「いや。神嫁なのだから、十分に資格はある」
灰夏が着物の袖に手を入れる。
そこから、キラリとした宝石を取り出した。赤茶色の宝石だ。赤茶の宝石が銀の簪に嵌められている。灰夏の瞳と同じ色の宝石だ。きらびやかで、品のある簪。
「これ……簪?」
「そうだ。神嫁には、簪を送るのがならわしだ。そして神嫁は、贈られた簪を肌身離さず身につける」
「そんな……だけど私は」
まるで自慢してるみたいで気が引けて、銀華がおろおろしり込みしている。
灰夏は簪を銀華に握らせる。
本当は、手ずから髪に挿してやりたかったが、こと、銀華は髪に触れられることを嫌うため、仕方なしに手に握らせた形だ。
「これは、ひと除けも兼ねているから」
「ひと除け」
「そうだ。簪をしていれば、誰が次期当主候補の神嫁であるかひとめでわかる。会合にきた五行の当主たちも、オマエを侮らないだろう」
偽りとはいえ、俺の神嫁は不満かもしれんが。
灰夏が自嘲的に笑った。
銀華はそれが気に入らない。無能の兄の次期当主候補は、加護を持たない。
そう、誰もが言っていた。
けれど、違う。加護があろうとなかろうと、灰夏には人間性がある。あたたかな、人柄だ。
証拠に、ここの下男や侍女たちは、灰夏を尊敬し、いつも笑顔だ。
銀華はふっと灰夏の頬に手を当てて、にこりと笑む。
「灰夏さまは、優しいかたですね」
「そう言ってくれるのは、銀華だけだ」
「この屋敷にいるかたたちは、みんな灰夏さまが好きですよ」
銀華の言葉には嘘偽りがない。だから灰夏は、心からその言葉を信じられる。
本当に、あの家で育ってこんなにもまっすぐな銀華がいとおしくてたまらなかった。
抱きしめたい衝動をこらえて、灰夏は月の間をあとにする。
今から会合があるから、灰夏の衣を着替えるのだそうだ。そして、銀華もまた、会合にふさわしい振袖に着替えさせられるのだった。




