第69話 だらだら過ごす二人の土曜日
朝起きるとすでに五十嵐は起きていた。ベットに寝転びながら五十嵐は俺の本棚から取った美術品の写真集を真剣な目で読んでいた。その横顔はなぜか儚げで、だけど美しく見えた。俺はそっと近づいて後ろから本を覗き込み、声をかける。
「なんか気になる作品あった?」
「ひゃ?!常盤くん!?…びっくりしたぁ…!」
俺に声をかけられて驚き焦った五十嵐は、慌てて本を閉じた。まるで俺から本を隠すように。五十嵐はどこか気まずそうに眼を伏せている。
「別に勝手に読んでても怒んないから、好きに読みなよ」
「え?…あー。うん。ありがとう。でももういいよ」
五十嵐はベットから起き上がって、本棚に美術書を戻した。だけどどことなくチラチラと本の事を気にしているように見えた。
「別に貸してあげてもいいよ」
「…う、ううん。そこまでじゃないから。あはは。それよりさ」
俺の提案を五十嵐はやんわりと断った。そして突然その場で一回転して、俺に問いかけてきた。
「どう?ジャージ?似合う?」
「わるくないよ。うん。なんかかわいい。アリだね」
「綾城さんより?」
うわーメッチャきつい質問してくるねぇ。
「朝ご飯は塩ラーメンカルボナーラでいいよね?」
「あ!誤魔化してるね!ねぇねぇ!どっちがかわいいの?ねぇってばぁ」
俺はほっぺたをつついてじゃれてくる五十嵐を半ば無視しながら、朝ご飯を三人分作った。
「ともえーごはんだよーおきてー」
五十嵐は真柴を起してきた。そして俺たちはちゃぶ台で塩ラーメンカルボナーラを啜る。
「なんか普通に美味しいんだけど…あんたって料理上手なの?」
真柴が俺の料理を褒めてくれた。だけどこの料理…塩ラーメンを牛乳でゆでただけのもんだから、料理とはちょっと違う気がする。
「レシピ通りに作るのは得意だけど、アレンジとかアドリブとか間に合わせとかは出来ないね」
「常盤くんって将来奥さんに料理とか家事とか全部押し付けそうだよね」
五十嵐はニコニコと酷い評価を下してくる。
「失敬な。ゴミ出しとお風呂掃除くらいはちゃんとやるぞ」
前の世界、大変申し訳ない話だが、家事負担は五十嵐の方が圧倒的に多かった。俺は彼女の世話に甘えていたと思う。だけど今振り返るとそれがどうしても幸せで仕方なかったと思う。
「楽な家事しかしてない!りりぃ!こいつ絶対ダメ男だよ!結婚する女の人可哀そう」
まあ、そう言われるとそうかも知れない。結局前の世界で俺は五十嵐を幸せには出来ていなかったのだから。結婚生活にはいろいろと反省点がある。そこらへんはおいおい治していかないといけないな。そして朝ご飯を食べ終わって、俺たちは自然とだらだらと過ごすことになったのだが、真柴は二日酔いで眠ってしまった。だけど昨日のようにいちゃついて過ごすなんて空気には残念ながらならなかったので、最近買ったテレビゲームをプレイすることにした。色々ソフトは買っておいたのだが、五十嵐が選んだのはなんとRPGだった。
「プレイを頑張って!大丈夫!横でちゃんと応援してあげるから!」
「これ1人用なんだけど…?」
「私、対戦ゲーム弱いから嫌いなの。でも横で見るのは好きだよ」
「まあいいけど」
前の世界で、五十嵐と一緒にテレビゲームをしたことはなかった。そんな時間があれば、エッチしてた。もしくは絵とか建築デザインとかやる。五十嵐はそれを傍でニコニコと眺めるだけだった。趣味らしい趣味を五十嵐は持っていない。俺の横でニコニコと過ごしていたけど、それで楽しかったのだろうか?
「常盤くん!そこはあれでしょ!MP回復だよ!!」「このヒロインの衣装かわいいねぇ」「なんで薄着の女の子の防御力が、鎧のおじさんより高いんだろう?」「常盤くん!攻略サイトによると右に宝箱があるって!」「え?今の何で攻撃外れるの!?常盤くんのへたっぴ!!」「なんかこのイベントクリアするとチートで無敵なんだってサイトに書いてある!」「最強キャラはこの小さい女の子らしいんだって。育てよう!ママになった気になって!」「あ?なんか建物の壁が透けてる?!違法建築?!」「いや、それはカメラワークの問題だからね」
と、このように横から口だけは挟む。ウザったいと言えばウザったいが、賑やかで楽しかった。そしてゲームは佳境を迎え、ヒロインと主人公が幸せなキスをして、エンディングを迎えた。その頃にはすでに太陽は沈んでいた。
「うーん!面白かったねぇ!」
伸びをしながら、五十嵐は満足そうにそう言った。
「たしかにね。映画と違ってなんか物語に没頭できたよ」
「だよねー!ヒロインに感情移入してやばかったよー。泣きそうだった」
そういうわりには、ちっとも悲しそうな顔してない。五十嵐が映画やドラマを見ながら泣いているところを俺は見た事がない。女の子はすぐに泣いちゃうんだよって聞いていたのに、五十嵐はそうじゃなかった。いつもニコニコしている。あるいは昨日のように…艶やかに微笑するか。そんな顔しか俺は知らないのか?
「さすがに長居しすぎちゃったね。友恵、起きてー。お家帰るよー」
五十嵐はジャージを脱いで、元の服に着替えて、真柴を起こした。そして俺は二人を下北の駅まで送った。
「大変お世話になりました。来世までこの御恩は忘れないので、昨日の失態はひろには言わないでください…」
「うむ。よきにはからえ」
真柴的にはあの酒の醜態はアウトらしい。まあサバサバ系はゲロなんてしないもんね。
「じゃあまた来週ね。さようなら」
「おう。またな。さよなら」
そして五十嵐たちは駅に入っていって、すぐに姿が見えなくなった。不思議な気持ちだった。部屋で2人で遊ぶのは楽しかった。なのに、さよならしなきゃいけないことに理不尽さを感じた。前の世界で俺たちは結婚していた。さようならなんて言葉は俺たちの間には本来ないはずなんだ。時間は巻き戻った。だから当然あるべきものが、ここにはない。それがおれへの罰なんだと改めて知った一日だった。
そして日曜日。俺はキリンさんと原宿に来ていた。竹下通りを見下ろせるカフェで、以前やった合コンの結果について話していた。
「えー。この世から童貞が三人消え去りました」
「だねー。処女も三人にいなくなっちゃったねぇ」
「「かんぱい!」」
カフェで昼間っから酒を飲む駄目な男女が俺たちです。でも昼間って酒安いし…飲みたくなるよね!
「しかしまさかあいつらGW中にゴール決めちまうとは、恐れ入りましたよ」
「むふふふ!ちゃんと私は男の子たちにも女の子たちにもどうやったらうまくロストヴァージン出来るかちゃんと教えてあげたからねぇ。お見合いおばちゃんキリンちゃんさんを舐めたらいかんぜよ!むふふ!」
ボディコンシャス系のエロかわワンピースを着たキリンさんは、得意げに微笑んでいる。そう。参天浪たちはそれぞれ彼女が出来て、みんなGW中にエッチもしたという。合コンでカップル成功率100%ってすごくない?なんか恋愛コンサルとかやったらキリンさんそれだけで食っていけそう。
「まあおかげであいつらも多少は落ち着きが出てきてくれて、こっちとしては助かってます。まあ惚気とエッチした自慢はぶっちゃけウザいですけど…めっちゃくちゃウザいですけど!」
GW中はエッチ三昧でお互い暇ならすぐに部屋でエッチしまくりとかいう、大学生らしいことを参天浪は謳歌している。そのくせ成績がわるくなるどころか、数学力も彼女が出来てさらに冴えを見せているとか、あの楪が認めていた。あいつ等の人生はきっと楽しいんだろうな。
「そう言えばあいつ等から聞きましたよ。女の子たちは看護学校の学生さんらしいですね。キリンさんも看護師さんだと聞きました」
「うん。そうだよー。あの子たちの学校と私の勤め先の病院は同じグループなんだー。それで知り合ったのー」
「白衣の天使さんかぁ。あいつらみたいな世話の焼ける奴らにはちょうどいいのかな?」
「うん。絶対いいと思う。看護師ってさ。世話焼きを異性にもしちゃいがちなんだよね。相手が真面目ならうまく行くんだけど、ダメンズに当たっちゃうとね…なかなかよろしくないんだよね…」
なんか実体験を含んでそうな含蓄を感じる。瞳になにか闇のような色が見える。ふれない方がいいかも知れない。だから俺は話をズラす。
「原宿という町は…」
「あ、難しいインテリ話やめて。私そういうのきらーい。おバカな話してよ」
「えー。じゃあこの間のサークル合宿の事なんですが…」
俺はサークル合宿で五十嵐と再会したことや、楽しかった出来事なんかを話した。さすがに海釣りの話とかサークルクラッシュ(物理)とかの話はやめておいた。
「すご!あの後すぐに再会したんだ!二人は運命って奴なの?でも仲直りできてよかったねー。もちろんその調子ならエッチはしたよね?仲直りエッチは燃えるよー」
「…してないです…」
「…え?まじ?…うわぁ…」
キリンちゃんさんがすごくがっかりな目で俺を見てる。
「別にエッチとか!必要性はないんですよ!俺はまだまだあいつについて考えないといけないことがいっぱいあるんです!」
「草。ハリウッドくん、その戯言には草だよ草!まあ、あの子ヴァージンだろうし、焦らなくてもいいみたいな気持ちはわからないでもないけど、やっぱり草」
「草っていうか…実はその…」
俺はキリンさんに、金曜の夜の事を伝えた。危うく一線を超える瞬間に、邪魔が入ったことを。今振り返ればあれはあれでよかったんだと思う。勢いに乗り過ぎるとよくない。
「草!めっちゃ草!あはは!ちょっと、ごめん!くっぐふふふ。いやぁそういうことあるんだね!ウケる!」
キリンさん的にはツボったらしい。実に楽しそうに笑っている。
「でもまだあの子ヴァージンなんだねぇ。なら逆にチャンスだよ!!ハリウッドくん!」
「なんですか?」
そしてキリンさんはドヤ顔を浮かべて宣った。
「ヴァージンとの恋愛のコツはね!セックスして沼らせることだよ!」
「草。実も蓋もねーわ」
「でもエッチが一番大事だと思うよ。うん。女の子ってやっぱりエッチした男の子にすごく懐くもん」
果たしてそれは事実なのか?前の世界で五十嵐と付き合ってエッチしても、暫くの間はまったく俺に懐いているような感じはなかった。エッチはさせてくれるけど、なんというか距離感をしばらくは感じていた。
「じゃあキリンさんはケーカイ先輩に懐いてるんですか?」
「うーん。べつにぃ?ケーくんとは仲いい方だけど、私は例外系女子だからね。エッチは好きだけど、別に相手には懐かないかなぁ」
「自分は例外って。滅茶苦茶ダブスタじゃないですか」
「まあ私みたいなのは滅多にいないから、大丈夫だよ。あはは」
そうだろうか?前の世界の五十嵐はその滅多にいないタイプだったのではないだろうか?今の五十嵐もそうであるならば、体の関係が出来ても、案外長続きしないかも知れない。そう思うと、俺は少し怖くなるのだった。




