第51話 魔女の甘い囁き
もうGWは目の前だった。キャンパスはどこか浮ついたような雰囲気に包まれている。大抵の学生はサークルや部活の新歓合宿に参加することを楽しみにしている。あるいは実家に帰省したり、恋人と旅行に行ったり…。だからだろうか?五十嵐は学校に来ていない。葉桐との旅行の準備が忙しいのか。それとも…。
「俺の所為なのかね…?」
あの瞬間は仄暗い欲望が満たされて気持ちよかった。それは嘘じゃない。だって前の世界じゃ結局のところ惨めさを晴らせなかったのだ。
「小学生かよ。はぁ…大人になりたい…」
俺が大人だったらタイムリープしてないんだ。大人なら何もかもうまく行った。結局のところ俺があの瞬間五十嵐相手に憂さ晴らしが出来たとしても、旅行に行ってカップルになることを妨げることはできない。
「未来は変わらないのか…証明してみよう」
今の俺ははっきり言ってかなりやけになってる。キリンさんとの触れ合いで癒されて冷静さは取り戻せたけど、過去の傷はじくじくしてる。俺は一つ仮説を持っている。じつはこの世界は過去に極めてよく似た並行世界だったんだよ!っていうオチ。いっそそうであればいい。そうすればあの五十嵐はよく似た違う女の子ではなく、俺にとっては全くの他人ってことになるのだ。そうであればいい。そうならこの先は新しく知り合った人たちと面白可笑しく過ごせばいい。葉桐の事はのらりくらりと躱して、一線超えてきたら処理すればいい。なにも問題はない。
「全財産を担保にいっぱいお金を借り、あの素敵な大企業の大手の下請け会社の株にぃちょっと小細工をセットしてぇ…からのぉ…!」
俺が掛けたとある会社は世界的な自動車メーカーに部品を卸している大手の下請けメーカー。ぶっちゃけこの会社の株式は安牌な株って言われてる。日々の株式価格の変動幅は低いし伸びも堅調。デイトレよりも長期的な資産として持つような株式。そこがねらい目。俺はテレビをつける。これからとある騒動が起きる…はずである。この世界が過去の世界ならきっとその事件は今日起きるのだ。よく覚えている。世の中には信頼なんてないんだということが一学生の俺には衝撃だった。
『速報です!先ほど世界的自動車メーカーの…』
アナウンサーが新しく入ってきた原稿を驚き顔で読み上げていく。
『つい昨年発売されたばかりの新車のハンドルの部品にデータの偽造が発覚したそうです!性能に影響を及ぼしうるものではなく、安全性に問題はないとメーカーは説明しておりますが、全車のリコールを行うことを決定したそうです!』
「リコールからの空売り!!」
下請け会社が納品した部品の一部にデータの偽造があったことによるリコールが前の世界でも起きた。そのニュースはよく覚えている。アナウンサーの顔も喋っている原稿も全て記憶の通りだ。俺はパソコンに表示した株式のチャート図を見た。まるで滝のように株価が暴落していく。そして俺は画面を操作する。基本的に株式っていうのは上がったら売ることでその差分を儲けとする。だが逆に値下がりすることで利益を手にする方法がある。それを人々は空売りという。俺は未来知識で稼いだ全財産とそれを担保にして借りてきた金でもって今回の空売りを実行した。ぶっちゃけヤケになってた。だから破滅してもいい。そんな思いでこれを実行した。もし空売りに失敗すればこの世界は俺の知る過去ではなく、並行世界だ。つまりあの五十嵐は他人。逆にうまく行くならば、この世界は俺の知る、俺自身の過去の世界なのだ。つまりあの五十嵐は…。
「あの五十嵐は俺の過去そのものなんだな…」
悲しいんだか嬉しいんだかわからない。画面には利確した金額が表示されている。その額なんと20億と数千万ちょっと。半分税金に持っていかれても多分10億は残るのだろう。普通の人間ならばこれで最高の人生が買えるだろう。だけど。俺の心は晴れてくれない。あの五十嵐は…。俺の嫁になるはずの女なのに。
「間男と旅行とかないわー。なんだよそれ。過去なのにもう一回寝取り喰らうの?ありえねぇー。俺、寝取りの素質ありすぎじゃね?はは、ウケるー」
乾いた笑いしか出てこない。馬鹿馬鹿しすぎてやってられない。
「でもあの五十嵐は他人じゃない…俺の知らない過去の嫁なんだなぁ…なら…責任は果たさないと…」
今五十嵐は誰かに狙われている。葉桐は知らない。俺しかその犯人を知らない。犯人が薬を捨てずにまだ持っているってことは、今後もやらかす予定があるってことだ。前の世界では多分葉桐が軽く倒したのだろう。だけどこの世界じゃまだ俺しか知らない。
「守らなきゃいけない。責任は果たさないと。だって結局離婚はできなかったんだ。だからこれが…夫としての最後の責任なんだ…」
あんな結末は繰り返したくない、だから近づくことは怖くて。愛された記憶は俺の中にしかないから、とても寂しくて。だけどせめてできることがあるならば、それを成そう。俺はクローゼットを漁りトランクに犯人制裁に必要なものを詰め込んでいく。明後日から新歓合宿がはじまる。俺は彼女に迫る危険をせめて排除してみせる。そう決めたんだ。
旅行に行く前に、入院しているお友達の顔を見に行った。最近は具合が悪いから手術になるって聞いていたけど、案外元気そうだった。だから別に心配はいらないと思って病室をすぐに後にした。ほんの少しの間しかいられなかったけど、私がチア衣装を着て、応援してあげたからきっと内心じゃ喜んでくれただろう。自慢じゃないけど、私は可愛い。綺麗。みんな美人って言ってくれる。でも私は鏡を見るのが嫌いだ。昔やらかした女の顔が映る。のほほんと笑顔でいるのが見える。憎たらしいのに、へらへら笑ってる。能天気にしかなれない空っぽな自分が嫌いだ。私は豪華で成金趣味全開のシャンデリアが飾られているエントランスにやってきた。宙翔が迎えに来てくれるまで、ソファーに座って待つことにした。ここは東京でも有数のお金持ち病院らしい。病室もまるで豪華な五つ星ホテルみたいだし、ナースはかわいい子ばかり。ずっとここにいるのもそれはそれでありなのかもしれない。至れり尽くせり。流されるまま楽ちんで待つだけの日々。きっと退屈で穏やかだ。私のように泣かされることはないだろう。
「違うって言ったのに…」
常盤くんに何度も違うって言ったのに、彼は聞く耳を持ってくれなかった。何で彼は私の話を聞いてくれないんだろう。
「なんで私は話したかったんだろう…どうせ無駄なのに」
この間のくじ引きは素敵だった。人生で初めてくじに当たった。だからこの人と色んな初めてをやりたかった。私はあの日当たった500円玉が入るお守りをぎゅっと握る。あのほっぺにしたキスはおふざけじゃなかった。本気のキス。周りの男の人たちの目を気にせずに、あの女の人を自分の物だとアピールしてた。それが私の心を何故か揺らした。常盤くんと私はどうせ他人。傍で一緒に歩いたりすることはもうないのに。あれ?なんだ。
「違わないじゃん。私の嘘つき…」
常盤くんは私が欲しいのかな?欲しがっているのかな?彼が私を見る目は他の男の人とは違う。別にエッチな目で男の人から見られるのは慣れてる。自分の体は男受けするんだって子供じゃないからわかってる。女の子は皆そんな視線になれて大人になる。普通の事。だけど常盤くんの目は違う。いつもは飄々とした感じ。周りにいる女の子たちには優し気に見詰めてる。私にもたまに優しい目を向けてくる。たまにとても荒々しい目を私に向けている時がある。私は戸惑う。だけど何かが揺れる。揺れて揺れて仕方がない。欲しいのかな?私は?私が?
「あれ?あなたもしかしてハリウッドくんの子?」
女の人の甘ったるい声が聞こえた。顔を上げると私の傍にナースさんが立っていた。胸には『木田凛吾』と名札が張ってある。ゆるふわで可愛い感じの茶髪の綺麗な大人の女の人だった。というか知ってる。だってこの人は。
「あなたは常盤くんにお持ち帰りされてた人?」
お互いにひどく微妙な顔になってたと思う。昨日この人とは視線が少しだけ交わった。申し訳なさそうな、なのにどこか楽しそうな、そんな顔をしてほっぺたを赤くしてた人。きっとあの後セックスしたんだろう。楽しかったのかな?気持ちよかったのかな?どんな感じなんだろう。男の人ってどんな…、ううん、常盤くんってどんな感じなんだろう…。
「あはは…。えーと…お持ち帰りされかかった人だねぇ…あはは」
「されかかった?あのあとエッチなことしたんじゃないんですか?」
ナースのゆるふわお姉さんは微妙そうな笑みを浮かべている。
「いやぁ。ちょっとそういう雰囲気じゃなくなってね…あはは」
それを聞いた時、不思議と頬が緩むのを感じた。
「やっぱり常盤くんはシャイだったんですか?」
「え?シャイ?ハリウッドくんが?」
「シャイなんですよ。いつもそう。私がかまってあげてるのに、いつもプイってするんですよ」
「そうなんだぁ。へー。あのハリウッドくんがねぇ…」
お姉さんは感心したような顔をしている。
「ねぇ…えーっと」
「五十嵐理織世っていいます」
「理織世さんはあのあと仲直りちゃんとした?」
私はその言葉に俯いてしまった。ゴールデンウィーク前までは仲良く過ごしたかった。なのに私たちの間には亀裂しかない。私は首を振る。
「そっかー。あのね。これは本当は内緒にした方がいいと思うんだけどね。ハリウッドくん、あなたのことすごく気にしてたよ」
「そんなこと…。私の事を気にしてるんだったら、あなたにキスしたりしないと思うんですよ」
「ううん。あなたのことを酷く気にしてるから、彼は私にキスしたんだよ。あなたがそれで傷つくのを知っていているから」
そんなの酷いって思う。私は彼にひどいことなんてしてない。確かに言い訳染みたことは言ったけど。常盤くんにひどいことをできるほど、傍にいられなかったのに。
「それって私の事を嫌いだから…?それなら仲直りなんて無駄じゃないですか…」
「そんなことないよ。あなたが傷ついているってことは、その人の事を深く深く思っているってことだから。彼はさみしがりで捻くれてるくそ野郎だからね。そういうやり方でしかあなたの気を引けないって思いこんでるのよ」
ナースのお姉さんは私の頭を優し気に撫でた。
「あなたも彼もまだ子供。傷つけあうことでしかお互いを知ることができないの。だけどね。傷があるってことは、確かに相手が傍にいたって証拠。まだ傷が疼くなら、それは相手を忘れられないってこと。だからまだ間に合うよ。…ねえ飛びこんじゃいなよ。そんな靴なんて捨てて、走ってみればいいの」
お姉さんは私のヒールを見ている。昨日はヒールのせいで常盤くんに追いつけなかった。なのにまだ私はヒールを履いている。
「ヒールは女の子の足を綺麗に見せてくれるけど、大事な時に大事な人の背中に追いつけなくなっちゃう重り。女の子はいつもそう。自分を着飾って体が重たくなって、そのせいで大事な人に置いていかれて迷子になっちゃう。曝け出してみなよ。気取ってないでさ。彼はナイーブだけど、きっと受け止めてくれるよ、あなたのことを」
硝子の靴を捨てたシンデレラは王子さまから逃げきった。その先で彼女は誰に会ったんだろう?ナースのお姉さんは私の頭から手を離して。
「まだあなたたちは間に合うよ。だからちょっとでいいから頑張ってみなよ。恥ずかしいかもしれなけど、その先にはキラキラしたものがきっとあるよ」
微笑むナースのお姉さんはとても綺麗だった。この人はそのキラキラしたものを知っているんだ。私もそれを見てみたい。
「…ありがとうございます。私ちょっと走ってみますね」
「うん。頑張れ」
私は一礼して、外へ出た。宙翔が迎えに来る前に病院を出て、すぐに電話をかけた。
「友恵?いまちょっといいかな?頼みたいことがあるんだけど…」
王子さまを振り切って、あの人に会いに行こう。
準備を進めていた時に突然キリンさんから電話が来た。
「ハリウッドくん。恥かいてもいいからちゃんとあの子と仲直りするんだよ!!ていうか恥かけ!」
「え…ええ?でも俺は…」
「うるさちゃい!いい!?なんでもいいの!なんでもいいんだって!あなたが傍にいればなんでもいいの!!それだけだよ!わがままでいいの!!ごーいんでいいから!相手の都合じゃなくて相手の気持ちを考えて傍に抱き寄せてあげなさい!じゃないとケーくんの穴兄弟にしてやるからね!!じゃあまたね!今度こそは楽しくエッチしようね!ちゅ!」
キス音を響かせて電話はあっさりと切れた。相手の都合。五十嵐の都合はもう定まってる。なのに相手の気持ちを考える…?
「…でもそう言えば、結局話をしてないんだな俺たち…」
彼女の電話番号は覚えてる。忘れるわけがない。
「わがままってなんだろう。俺は…理織世に…わがままなんて…」
わがままでごーいん。その言葉だけがずっとひっかかる。そして五十嵐の気持ち。それは未来の知識にはないもの。だから俺は知らなければいけない。まだ俺が知らない五十嵐理織世の事を。




