第37話 シーズン・フィナーレ 『ファーストバイト』
大学生の醍醐味って二限からの授業だと思う。この適度に余裕のある朝ってホント最高。まあ遅刻は嫌だし、大学の授業って基本的には面白いので、俺は早めに行くけど。
「あー飲み過ぎてかったるいわー!マジ上げ過ぎたわー!」
大学生っぽいのかラノベ主人公っぽいのかよくわからん声を上げながら駅を出た。そしてキャンパスに向かって歩こうとした時だ。ふっと視界に宝くじ屋が見えた。そしてその横に何故か嫁の姿が見えた。
「ふぁ?!え?え?なに?ええ?」
人間驚き過ぎると声がバグる。だって意味がわかんない。何と嫁宝くじ屋のカウンターのすぐそばで、スポーツバックの上に座り込んで本を読んでいた。前の世界でポンコツ化した嫁の奇行は何度か目にしたけど、今日のこれはなかなかにシュールだ。これスルーしたらいけない気がする。実際道行く他の学生たちは怪訝な目を向けているし、宝くじ売り場のおばちゃんも迷惑そうにしてるもの。俺は意を決して宝くじ売り場に近づき。
「何やってんの…?」
「あっ…おはよう…常盤くん」
顔を上げた嫁は読んでいた建築デザインの本を閉じて膝の上に置いた。
「常盤くんこの間の演技、すごく大根だったね」
いきなり失礼なことを、優し気な微笑を浮かべながら宣ってきた。
「はぁ?いきなりなに?ていうかなんでこんなとこいんの?」
「だってくじ引きたかったから」
さっぱりわかんない。この女が言っていることがよくわからない。嫁は立ち上がった。
「そう言えばさ。私まだあの高い学食行けてないんだよね。ほら常盤くんがこの間、断っちゃったからいけなくなったわけでしょ?私すごく行きたかったのに」
「ナチュラルに俺のせいにすんなよ。別にあんなところいつでも行けるだろ」
「そうかな?いつでも行けるのかな?私はそんな気がしないよ。あそこのメニューはお高いからさ…ハードルがとても高いんだ…私にはね…」
嫁はどことなくソワソワしてる。何かを言い出そうとして言い出せないような感じ。こういうところは昔と変わらない。俺の知っている昔の嫁だ。
「そうか。ふーん。うん。そう。…まあ少しお高いもんな。抵抗はあるよな」
俺は話を続けることにした。嫁は普段はぺちゃくちゃしゃべるけど、時たまこうやって何かを言い出しづらそうにしている時があった。それは大事な事だったり、あるいはどうでもいいけど恥ずかしいことだったりした。聞き逃してはいけない。だから彼女が言い出せるように、促してあげて、ちゃんと待ってやらないといけない。
「そう!そうだよ!なんか抵抗感あってね!だからね!いいこと思いついたの!二人でくじを引こうよ!!それで当たった方がそのお金で奢るの!どう?…いいと思わない…?」
どことなく縋るような。寂し気な笑みを浮かべて彼女はそう言った。これは俺の知らない顔だった。ああ、俺の知らない顔をしているんだ。それを今初めて知ったんだ…。俺は目を瞑る。昔の、俺が共に過ごした嫁の姿を思いうかべる。同じところはいっぱいある。そして違うところもあったんだ。今日それをはっきりと自覚した。
今目の前にいるのは同じなのに、新しく出会った女の子なんだ。
そうだ。そうだったんだ。この世界は巻き戻ってしまった。
彼女の罪を赦せなくて、
だから行き過ぎた罰を与えて、
新しく俺が罪を背負って、
そして彼女と共に過ごした愛しい思い出はこの世界からすべて消え去った。
この世界に俺が理織世と共に過ごした思い出はもうどこにも残ってないんだ。
愛された記憶とその証明は、もうどこにもないんだ。
そうか。
時を巻き戻してやり直すことが、
すべての思い出が俺の心の中にしかないことが、
俺への罰だったんだ。
「どうかしたの?気分悪いの?大丈夫?」
五十嵐理織世が俺の顔を覗き込み、頬を撫でる。柔らかい。よく知っているのに、何処か知らない彼女の手の感触。
「私、変なこと言っちゃったね。ごめんね。今言ったことは忘れ…」
「いや。忘れない。忘れるなんでできない。いいよ。やろうよ」
俺はカウンターのおばちゃんからスクラッチを2枚買う。そしてそれを五十嵐の前に差し出す。
「好きな方を引きな」
「え…そこからひいてもいいの?そのくじは常盤君のだよ」
「いいよ。かまわない」
このやり直しの世界で初めての共同作業。何かをするなら一緒にやってみたかった。前の世界の過ちの日から何も一緒には出来なかった。だから一緒に。一緒に何かをしたかった。
「…そっか!うん!じゃあひくね!」
五十嵐は俺の左側に立って俺の手にあるくじをジーっと見て、一枚選んだ。そして俺は財布から10円を取りだして銀紙を削ろうとした時。
「あっ待って!」
その声で俺は手を止める。五十嵐は満面の笑みを浮かべて。
「はい!それとこのくじを交換しようよ!」
彼女が選んだくじが俺の方へ差し出される。
「交換?それ意味あるのか?」
「うん!あるよ!私が選んであげたのを常盤くんが!常盤くんが選んだのを私が引くの!もしかしたらいいことが起きるかも!」
俺はその提案に思わず笑ってしまった。くじはカウンターから買った時点で当たり外れが決まってる。理屈はそうだ。だけど五十嵐が言っていることに俺は不思議と心が温まるような気持ちになったのだ。
「わかった。じゃあ交換だ」
「うん。交換ね」
俺たちは互いのくじを交換した。そしてその銀紙を削る。
「え…?うそ?」
「おっ!まじか!」
2人とも当たっていた。500円の当選。二人合わせてちょうど1000円。
「ほんとなの?これ?夢じゃないよね?!うそ!やった!やったああああああああああああああああああああああああああああああああ!当たったあああああああああああああああああああああ!きゃあああああああああああああああああああああああああああああああ!」
五十嵐は両手を挙げて叫んでいた。
「大げさだなぁ。たかが500円なのに」
「たかがじゃないよ!だって初めてだよ!!はじめてくじが当たったんだもん!やったよ!すごい!すごい!あはは!あはははは!」
五十嵐は当選したくじをパシャパシャと写真で撮っていた。そんなに嬉しいのか。さらには当たりくじと一緒にセルフィ―なんかも撮りだす始末だ。
「常盤くん!常盤くんもいっしょに入って!ほら!」
彼女は俺の左ひじを取って引っ張る。
「あ、おいちょっと!」
「いいからいいから!ハイチーズ!!」
五十嵐は最高の笑みを浮かべ、俺はどことなく硬く戸惑った、だけど笑みを浮かべた写真がとれた。
「いやー!すごいね!!常盤くん!私にくじを当てさせるんなんて強運だね!!」
「うん?うーん?まあそうかも知れないな」
タイムリープ後の俺は運がいい方だったと思う。優しい人たちに出会い。面白い日々を過ごせたのだから。
「うんうん!すごいね!常盤くんはアゲチンなんだね!!」
俺たちはくじをその場で換金した。ピカピカの500円玉を五十嵐はウルウルとした目で見つめて、胸にぎゅっと抱きしめていた。
「…おい。ちょっと待て。いまなんつった?」
「アゲチンだよ!運がいい男の子ことをそう呼ぶんでしょ?友恵が言ってたよ」
あの鯖女め!おかしな単語を五十嵐に吹き込んでやがる!女の子とセルフィ―を撮るたびにひどい渾名が増えていく。セフレ→セカンド→ダーリン→アゲチン。なんだこの変化!酷過ぎる!!
「それは誤用だ。あとでネットで意味を調べろ。お前とんでもないこと言ってるからな」
「え?そうなの?わかった。でもゴロがいいけどなぁアゲチン常盤!かっこいい!」
ないです。それは絶対にないです。
「ところでさぁ。引き分けだった時はどうすんの?」
「あー決めてなかったねー。どうしようかなぁ?うーん」
その時だ。二限の開始を知らせるチャイムが鳴った。
「えー。今から行っても遅刻じゃねえか。あーやっちゃったぁ!」
「…これは…サボりのチャンス?!常盤くん!二限はサボろう!!どうせ教養数学だよ!!一回や二回サボったって大丈夫でしょ!!」
「まあ大学の授業はそんなもんだけど」
「憧れてたんだ!サボりって!高校だとサボりは出来ないし!はじめてだよ!なんか不良になったみたい!」
「あー。そういうお年頃ですか…そうだな。まあたまにはいいか」
一回や二回サボったところで単位を落とすほど大学の授業はきつくはない。それに今の楽しそうな五十嵐を見てると冷めるようなことは言いたくなかった。だから俺は自然とこう言ったのだ。
「ならお高い方の学食行く?500円あれば半分くらいは払えるから、お高くは感じなくなるかもよ」
「あ!それいいね!行こう!行こう!今の時間ならきっと空いてるから二人占めできるよね!わー楽しそう!!ふふ!」
俺たちは連れ立ってお高い方の学食へと向かった。俺の左側を歩く五十嵐は楽しそうに鼻歌を歌っていた。
この先がどうなるのかはもうわからない。いつかは道を違えてしまうのかもしれない。
だけど今だけは2人きりで同じ時を楽しく過ごしたんだ。




