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潜入

夜の街は、昼間の喧騒が嘘みたいに静かだ。

 ネオン色の看板も、ビルの窓から漏れる明かりも、全てが眠りに落ちる直前の息遣いをしている。


 花田清は、ハンドルを握りながら視線を前方に固定した。

 速度制限ギリギリを保ち、信号が赤になりかけるタイミングを正確に読み取りブレーキを踏む。そんな運転は、普通の高校生にはできない。


 もっとも――普通の高校生じゃないことは、清自身が一番わかっている。

 日本政府の裏側に存在する特殊作戦機関。その中で、清は史上最年少の「コードネーム持ち」として登録されている。

 任務の遂行に必要だと認められれば、年齢に関係なく運転免許すら発行される。それが、今こうして港湾地区へ向かうためにハンドルを握れる理由だった。


 耳につけているイヤホンから聞き慣れた声が微かに届く。


「清、そっちは順調? ルート監視カメラのログ、全部消去しておいたわ」


「助かる。お前がいなきゃ、もう三回は職質受けてるな」


「ふふっ、現場は任せるから、ちゃんと無事に戻ってきなさいよ」


 玲華の声は、夜の静寂の中でもはっきりと耳に届く。

 表情には出さないが、その声色にほんの少しだけ安心する自分がいた。


 清はアクセルを踏み込み、街を抜けていく。

 繁華街の光が遠ざかるほど、空気はひんやりと冷たくなっていく。窓の外を流れる景色は、いつの間にか巨大な倉庫とクレーンのシルエットへと変わっていた。



 湾岸地区は、昼も夜も休むことを知らない場所だ。

 積み下ろし用のクレーンが高くそびえ、無数のコンテナが積み重なっている。

 だが、今夜は普段よりも警備が厳重だ。巡回するセキュリティ車両の数も、外周フェンスに張り巡らされた赤外線センサーの密度も、いつも以上に高い。


「外周カメラ、赤外線センサー、あと港湾管理局の巡回パターンを送ったわ。

 北東側のフェンス、三分後に監視ドローンがエリアを離れるからそのタイミングで行って」


「了解。で、そっから中までは?」


「……まあ、がんばって」

 からかうような声に、清は小さく息を吐き、車を港から二百メートルほど離れた廃工場跡に停める。

 ここからは徒歩だ。背中には小型のバックパック、腰にはサプレッサー付きの拳銃。

 ポケットの中には、多目的に使えるワイヤーツールとEMP妨害機器。

 表向きはただの高校生でも、今夜は工作員の面持ちだ。



 舗装の剥がれたアスファルトを踏みしめながら進むと、海の匂いが強くなる。

 フェンスの向こうには巨大なコンテナ船が停泊しているのが見えた。積み荷の半分は既に降ろされているが、その中の一つ――情報ではEMP爆弾が隠されているコンテナがあるはずだ。


「……フェンス際に到着」


「センサー停止まで残り四十秒。急いで」


 玲華の指示に従い、清はしゃがみ込みフェンスの支柱を確認する。

 金属製の細い棒状センサーが地面近くに埋め込まれており、触れるだけで警報が鳴る仕組みだ。

 だが、三十秒後には玲華が遠隔から一瞬だけセンサーをオフにしてくれるのでその隙を突いて侵入する。


 時間が来た瞬間、清はフェンスをワイヤーカッターで切り、わずかに開けた隙間から身体を滑り込ませた。

 地面に着地した瞬間、耳元の通信が再び鳴る。


「よし、センサー再起動。バレてない」


「お前、やっぱ頼りになるな」


「当然でしょ? 私は現場に行かない分、頭で稼ぐの」


 暗闇の中、清は身を低くしながら港湾施設の影を縫うように進んでいく。

 照明塔が照らす光の中に入らないよう、巡回員の足音を聞き分けてルートを選ぶ。

 この辺りの感覚は、元・殺し屋としての過去が否応なく役立っているとつくづく実感する。



 やがて、コンテナ船のタラップが見えてきた。

 しかし、その前には二人組の警備員が立っている。腰には警棒、手には懐中電灯。

 玲華の声が耳に響く。


「船に上がるなら、あの二人を無力化する必要があるわね。カメラの死角に入ったタイミングでいける?」


「OK」


 警備員の歩調を見極め、死角に入った瞬間、清は影のように近づいた。

 後ろから首元を押さえ、一人を気絶させる。もう一人が振り返るより早く、清は低い姿勢で踏み込み、肘で鳩尾を突く。短い呻き声とともに崩れ落ちた。


 倒れた二人を物陰に引きずり、再び船を見上げる。

 タラップは意外と急な角度で、甲板の向こうは闇に包まれている。


「清、船内マップを送った。EMPがあるとされてるのは船倉の奥。だけど……なんか嫌な予感がするのよね」


「予感って、お前のカンか?」


「そう。こういうの、外れたことないから」


 清は短く息を吐き、タラップを上り始めた。

 足音を殺し、夜の海風が肌を刺す中、甲板へと静かに身を乗り出す。


 錆びた階段を駆け上がり、甲板に足を踏み入れた瞬間、海風が頬を切り裂くように吹き抜けた。

 船のエンジン音が低く唸り、足元の鉄板がわずかに震えている。


『清、左舷の巡回がそっちに向かってる。あと二十秒で接触』

 耳元の小型通信機から、玲華の落ち着いた声が届く。

「了解。正面突破はなしだな」

 清は声を潜め、視線を巡らせた。甲板上にある複数のコンテナ、その影に滑り込む。


 そうして直に、ブーツの硬い音が近づいてくる。

 船員ではない。歩幅と体の運びでわかる──訓練を受けた警備員だ。

 清は背負っていた短いカーボンロッドを抜き、息を殺した。


 警備員がコンテナの角を曲がった瞬間、清は影から飛び出す。

 ロッドの先端が喉元を正確に突き、声帯を潰さない程度に抑えた力で意識を飛ばす。

 相手の体が崩れるより早く、清はその腕を掴み、静かに地面に横たえた。


『やっぱり現場だと容赦ないのね』

「仕事だからな」

 通信越しの玲華が、小さく息を漏らした。軽口のように聞こえるが、その裏にある緊張は感じ取れた。


 船の中央付近、タラップの脇にある扉を目指して移動する。

 途中、監視カメラが視界の端に見えた。

「玲華、二番カメラの映像切れ」

『はいはい……っと、はい、今切った。あと四十五秒』

「十分だ」


 清は足音を消しながら扉に近づき、ドアロックを簡易ピッキングツールで解除する。

 蝶番が軋む音を最小限に抑えて中へ。そこは狭い通路で、鉄の匂いと油の匂いが入り混じっている。


 階段を降りると、急に空気が湿り気を帯びた。

 貨物室へ近づいている証拠だ。


『清、三層目の通路に二人反応あり。右から来る』

「了解」


 角を曲がる前に、清は壁の影で立ち止まり、通路の先をのぞき込む。

 迷彩柄の防弾ベストを着た二人組。背中には短機関銃。

 清は腰のホルスターからサプレッサー付きハンドガンを抜いた。


 乾いた小さな音が二度響き、二人は糸が切れたように崩れ落ちる。

「クリア」

『射撃、相変わらず速いわね』

「お前が下手なだけだ」

『ふん、助けてあげてるのに』

 通信の向こうで、わざとらしく拗ねた声が聞こえる。


 さらに下層へ進むと、通路の左右に積まれたコンテナが壁のように並び、その間を縫うように移動する形になる。

 不意に、背後から硬い靴音が響いた。

 振り向くと、別方向から回り込んできたらしい敵が三人、素早く間合いを詰めてくる。


 銃を撃つ距離ではない。清はロッドを再び手に取り、前に出る。

 一人目の腕を払って腹に一撃、二人目の顎を突き上げ、三人目の足を払う。

 動作は迷いがなく、短時間で全員を制圧する。

 倒れた敵の武器を確認し、使えそうな予備弾倉だけをポケットに滑り込ませた。


 鉄の扉を前に、清は背中越しに海の低い唸りを聞きながら、静かに戦闘態勢を整えた。

 海風に混じる鉄と油の匂いが、重く額に張り付く。その汗を清は無意識に手の甲で拭った。


耳の奥で、小さく電子ノイズが走った。

「……清、そこがEMPの保管室のはず。セキュリティは三層構造、外部接続はほぼ不可能。とりあえず遠隔で試すけど……期待はしないで」

玲華の声がイヤピース越しに届く。声色は柔らかいが、その下に緊張の糸が張り詰めている。


「お前がそう言うってことは、相当面倒ってことだな」

清は肩をすくめ、片手で銃を下げたまま、扉の制御パネルに目をやった。

パネルは指紋と網膜認証の組み合わせ式。その上、認証失敗三回で警報が作動するタイプだ。


「……さて、と」

玲華が軽く息を吐く音が聞こえた。次の瞬間、パネルの小さな液晶が数度瞬き、見慣れないコードが走る。


『ACCESS DENIED』


「……ダメ。ファイアウォールが物理的に遮断されてる。外からは無理」

「知ってた」

清は腰のポーチから、艶消し黒のスマートフォンを取り出した。普通のモデルより一回り厚く、背面には冷却用の細いスリットが走っている。


「それ……」

「俺が組んだやつだ。OSから作った。暗号解読も物理バイパスもこいつ一台で大体できる」

「……ほんと、あんたって時々怖いよ」

「褒め言葉として受け取っとく」


清はしゃがみ込み、スマホとパネルの裏配線をケーブルで直結する。画面が静かに明滅し、制御基盤のシステム構造が3Dで浮かび上がる。

指が画面を走るたびに、仮想のロックピンが次々と外れていく。


「……あと三つ」

息を整え、視線を一点に集中させる。脳裏にかつての訓練室の冷気がよぎった。殺し屋時代、ロックを解除できなければ死ぬ──それが日常だった。


ピピッ──。

短い音とともに、パネルのロックランプが赤から緑に変わる。

「……開いた」


重い空気が流れ込むような感覚とともに、扉がわずかに軋み、横へスライドしていく。

清は即座に銃を構え、室内をスイープした。


──だが。

室内中央の台座に置かれているはずのEMP装置は、影も形もなかった。

あるのは、空になった収納ケースだけ。


「……嘘だろ」

「清?」

「ない。EMPそのものがない。……お前、位置情報は?」

「間違いない。そこが最終保管場所のはず……」


その瞬間、背後の闇がざわめいた。

わずかな靴底の摩擦音──訓練で叩き込まれた、敵の接近を告げる合図。


清は振り返りざまに引き金を引いた。短いフラッシュと乾いた銃声。

最前列の敵が胸を押さえて崩れ落ち、その背後からさらに四人、黒装束の男たちが雪崩れ込んでくる。


距離は一瞬でゼロ。銃を撃つより速く、清は前進し、最初の男の腕を外に弾き、膝で鳩尾を撃ち抜く。

呻き声とともに敵が後退。その瞬間、二人目が刃物を振り下ろす。

清は左腕で受け流し、右手で相手の顎を打ち上げた。骨の軋む鈍音。


「三人目、右後ろ!」

玲華の声。

清は即座に身体をひねり、逆手に構えた拳銃で足元を撃つ。弾丸が床を削り、敵の足が止まる。その隙に突進し、肩口から壁へ叩きつけた。


息が荒くなる。

だが立ち止まる暇はない。背中越しに、さらに重い足音が迫ってくる。


清はEMPケースに駆け寄り、中を一瞬だけ確認。

内部の緩衝材にはわずかな焦げ跡が残り、微細な金属粉が散らばっていた。

それを小型サンプルケースに掬い取り、ポケットへ押し込む。


「手掛かりは確保した。撤収する」

「了解。外の通路、左が安全ルート。右は封鎖されてる」


清は最後の一人を蹴り飛ばし、即座に左の通路へ飛び込む。

背後で、黒服たちの怒号と足音が響き渡る。

狭い通路を駆け抜けながら、清は自作スマホを操作し、次々と非常扉のロックを解除していく。


逃走ルートの出口まであと二十メートル──

突然背後から放たれた銃弾が、壁を削り、破片が頬をかすめた。


清は振り返らずに、腰のホルスターから予備弾倉を抜き、滑らかな動作でリロードする。

吐き捨てるように息を吹き、最後の角を曲がる。


出口の非常扉が開き、夜の海風が一気に流れ込んだ。

その瞬間、背後から一斉に銃声が轟く。


清は身体をひねって一発だけ後方に撃ち返し、追撃の足を止めると、港の暗闇へと飛び出した。

黒い海面が遠くに光を揺らし、どこかで船の汽笛が鳴った。


耳の奥で、玲華の声が響く。

「……無事?」

「生きてる。EMPはなかった。……罠だった」

「……分かったわ、回収に行く」


清は短く息を吐き、暗闇の中を走り続けた。

ポケットの中の金属粉が、次の事件の始まりを告げていることを、まだ誰も知らなかった──。

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