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史上最高の角煮×家庭の女神

牧場からの帰り道、くるみを自宅に送り届けてから、すみちゃんの部屋に急いだ。

すみちゃんが食事を作って待ってくれているのに、約束の時間に半日も遅れてしまった。


アパートのチャイムを押すと、すぐにエプロン姿のすみちゃんが出て来た。

まるで、ドアの前で待っていたかのような速さだった。


「わ、怖い」


その手にはお玉が握られている。

包丁でなくて良かった。


「どーして、連絡しないの。電話しても出ない。どこで、何してたのよ!」


当然だけど、ものすごい剣幕だ。

すみちゃんは、怒ると怖い。

そして俺は、すみちゃんにしょっちゅう怒られている。

その度に俺は心から謝罪をして、すみちゃんの許しを請う。


一連のやり取りの中で、歩みは亀のごとくであるが、俺は成長している。

去年の俺より、今年の俺の方がバージョンアップしている、はずだ。

その成長を頼りに、すみちゃんは今日まで俺と一緒に居てくれている。


そしてこれからも、俺はすみちゃんには一緒に居てもらいたい。

だから、必死に頭を働かせる。


「高原の牧場でくるみと乳牛を眺めながらソフトクリームを食べていた。

すると、溶けたソフトクリームがくるみの白い指をとろりと伝うから、思わず俺がその指を舐めたら、次第に二人ともどうにも収まりがつかなくなっちゃって、そのままホテルに籠ってしまった」


なんてことは口が裂けても言えない。

だから俺は、ここに向かう途中で考えていた言い訳をする。


「車で走っていたら、突然、エンジンルームから白煙が噴き出してきたんで、修理工場で見てもらっていたんだ」


いったん言葉を切り、すみちゃんの表情を観察する。

よし、俺の話を聞いてくれている。

そのまま説明を続けた。


「しかも困ったことに、スマホは家に置き忘れたままで、連絡も取れなかった。

それで、こんな時間になってしまった。

ごめんね、こんなに待たせてしまって」


もちろん、俺は自分のスマホを車の中に隠してきた。

偽装を補完するための工作は、いつも抜かりはない。

すみちゃんの前でバンザイして見せて、スマホを持っていないことをアピールする。


「わかったわ。もう、行きなさい。あなた、仕事の時間でしょ」


「あ、バイトかぁ。いや、今日はやめておく。せっかくの二人の記念日だもん」


今日はすみちゃんと俺が付き合い始めた、3年目の記念日だったのだ。

俺はそのことを帰路にふと思い出し、大いに慌てた。

すみちゃんはアルバイトを休んでくれていたのに、店長に言われるがままにシフトを入れていた自分自身のうかつさに失望していた。


「今日は、すみちゃんと一緒に居たい。角煮も食べたい」


キッチンから、甘く香ばしい香りが漂っていた。

俺の大好物の角煮の匂いだ。

すみちゃんの作るものは何でも美味しいが、その中でも角煮は店が開けると思う。


「ダメよ。まだ、味が染みてない。帰ってから食べましょ。それまでお預け」


「えー、マジで」


「そう、マジで。だって、あなたが遅れたのがいけないんでしょ。

自分の罪は、償いなさい。

車が壊れたのだって、そもそも日頃の運転が荒っぽいからでしょ。自業自得よ」


すみちゃんは、ため息交じりに、日頃の俺の粗暴な運転を非難する。

怒りの矛先が逸れて、説得は成功した。

すみちゃんと俺の間に、いつもの居心地良さが戻って来た。

甘えるように俺は言う。


「俺も今日のバイトは休むよ。店長に電話するから、スマホ貸して」


俺とすみちゃんは、同じファミレスで働いていた。

大学に入学してすぐに、すみちゃんは一人暮らしを始めたのだ。

学費以外はアルバイトで稼ぐという勤労学生を始めたすみちゃんは、多忙を極めた。


アルバイトが忙しくてデートする時間が限られるから、俺も同じファミレスで働くことにした。

すみちゃんと少しでも一緒に居たいから。

それから、すみちゃんに浮気されたら困るから。


俺みたいな浮気性の男が、そんなことを言える立場じゃないことはわかっている。

でも怖いのだ。

心を通わせたすみちゃんが、俺を裏切って他の男と浮気する。

そんなことを思うと、居ても立っても居られない。


俺がどうにか存在していられるのは、すみちゃんが温もりを与えてくれるからだ。

すみちゃんが温かく照らしてくれなければ、俺は一日たりとも生きていかれないひ弱な存在だ。


それで慣れないアルバイトに応募してみた。

幸いにも、人手が足りていなかったことで、即採用となった。

調理経験のない俺が、労働力としてキッチンに立つことになったのである。


結果から言うと、すみちゃんの浮気は全くの杞憂だった。

アルバイト先には、俺という彼氏がいることを既に公表してくれていた。

俺はすみちゃんと同じ職場で働ける幸せを満喫していた。

しかし、一つだけ難点があるとすれば、アルバイト先の先輩であるすみちゃんは、とても仕事に厳しかった。


「シフトが入っているのに、ドタキャンはダメ。

仕事なんだから、きちんと責任を果たさなきゃいけないわ」


「給料が減っても問題ないよ。これがあるし」


俺は、父親から渡されているクレジットカードを財布から取り出す。

限度額までは自由に使って良い、という約束で渡されていた。

父親が経営する建築設計事務所の経費として落とせるらしい。


もっとも、くるみと遊び歩くようになって、数ヵ月で枠の大半を浪費したことは、すみちゃんにも父親にも言えない。

いずれにしても、今のところ、お金には困っていない。

困ったら、その時に考えれば良いと思っていた。


「違うのよ。給料の問題じゃない。責任の問題よ。だから、仕事にはきちんと行きなさい。

帰ってきたら、美味しい角煮丼が出来ているから」


すみちゃんは慰撫するように、俺の顔を両手で包み込んでくれた。

その仕草はくるみのそれと全く違う。

くるみは火傷するみたいに激しく熱いが、すみちゃんは陽だまりのような温もりを、心に灯してくれる。


二人で積み上げて来た、3年間の生活。

これが幸せというものだろう。

この幸せを永遠に失いたくない。

俺にとって、かけがえのない生活だ。


「それじゃ、帰りにカクテルを買ってくる。

大切な記念日を二人で乾杯しよう」


俺はすみちゃんを抱きしめると、高く持ち上げた。

細身のすみちゃんは軽々と持ち上がる。

肉感的なくるみなら、こうはいかない。


すみちゃんは驚いて、きゃぁと悲鳴を上げる。

天井のダウンライトがすみちゃんの背後から光を落とし、まるで後光のように輝いた。

すみちゃんが女神みたいに見えた。


「すみちゃんは俺に家庭の温もりを与えてくれた。

俺はこんなにも安らいだ生活があることを知らなかったよ。

すみちゃん、俺と一緒に居てくれて、ありがとう。心から感謝しているよ、ぐぅ……」


記念日だから、頑張ってキザな科白を口にしてみた。

それなのに、空腹でお腹が鳴ってしまった。

どうにも俺は二枚目が似合わない。

とんだオチだった。

すみちゃんと二人で大笑いした。


同じことで笑い合える。

心を通わせ合い、より一層楽しくなる。

この生活を失いたくない。

すみちゃんとずっと一緒に居たい。

俺は強く思う。

後光の中で俺の女神は優しく言う。


「仕事に行く前に、何か軽く食べていきなさい。すぐ作るわね」


この幸せが、いつまでも続くことを願わずにはいられない。

幼少の頃に母親を失ったような心の痛みは、もう懲り懲りだ。


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