エロ漫画を規制すべきという幻想
「エロ漫画を規制すべきという幻想」こう言い切ったものの「エロ漫画を規制すべきでない」というのは悪魔の証明なので、「エロ漫画を規制すべき」これが偽であることの話になる。背理法だね。
「エロ漫画を規制すべき」試しにこれが正しいという仮定をしよう。
この場合、どう議論すべきなのだろうか。
規制すべきというからには実害がなければならない。
例えば「見ると不快になる」というだけでは実害にはならない。
なぜなら、漫画という媒体に対して目を伏せることは可能だからだ。電車の中で「我が闘争」を読んでいるだけの人間には何ら実害がないのと同じだ。。
では、何を実害とするのだろうか。それは、「エロ漫画が性犯罪を生む」という理屈である。
これは、一見理にかなっているように思う人もいるだろう。
「野球漫画を見て野球選手になった」という理屈は通っている。
「エロ漫画が性犯罪を生む」「野球漫画を見て野球選手になる」これらの間には実現可能かどうかという大きな違いがある。
「性犯罪は実現可能だろう」これは大きな間違いだ。
法的に禁止されている行為は、日本のような法治国家において不可能であるというべきだ。
「お腹空いたならそこらのコンビニで万引きしてきなよ」と言われれば、みんな「それは出来ない」と答えるはずだよな?
不可能とまで言い切るのは言い過ぎにしても、犯罪行為は明らかに一線を画している。
だいたい「漫画に描いてあったから犯罪をしました」ってのは犯罪者の責任転嫁の理屈だからな。
「エロ漫画が性犯罪を生む」というのは、犯罪行為をなんとも思わない倫理観の壊れた人間を擁護しているのと同じだ。
じゃあみんな倫理観がなかったらエロ漫画を規制していいのか?
みんな倫理観がなかったらエロ漫画を規制したところでなんの意味もない。それを取り締まる労力は性犯罪者を捕まえるのに使うべきだ。
規制すべきというのは感情論以上の何者でもない。法律や条約に感情を持ち込むな。俺達の安い感情をそういうところに持ちこむのは尊属殺人と同じだぞ。