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5 愛すればこそ①

 かたたん、こととん、と線路がのどかなリズムを刻んでいる。

『ご乗車ありがとうございました。間もなく御山湖(みやまこ)、御山湖に到着です。お降りのお客様はお忘れ物のないよう……』

 エア・ブレーキが太いため息をつき、列車はゆっくり減速し始めた。


「なんで、あんたまでついてくんのさ?」

 ミコが、ドアのそばに立つのっぽの楓を憎々しげににらむ。午後の授業をさぼり、セーラー服のままついてきた楓はミコには目を向けず、手にしたスマホに答えた。

「だって心配だよ。本人連れて帰るとこまで見届けないと安心できない」


 この場にはミコも破壊神も、小さなメイもいるが、普通の人には楓しか見えない。

 ひとりごとを言っている変な女子高生、と見られないためのスマホであった。

 そうでなくても後ろに並ぶ乗客たちは、さっきからちらちら楓をながめている。なぜ平日の昼間に女子高生が、手ぶらでうろうろしているんだろう、という顔つきだ。


「ねえあなた……」

 おせっかいな女性が声をかけようとするのを制して、楓はスマホに集中、

「うん、うん、おじいちゃん、どーしても実家がなつかしいんだよね……もう取り壊しちゃったのに……警察には問い合わせた? うん……そっか。あ、大丈夫、もう着くみたい」

 即興で、徘徊(はいかい)癖のある祖父を捜しに来た、家族思いの女子高生を演じてのける。


 感心しきりのメイをよそに、ミコはいまいましそうにうなった。

「なにさ。あんたなんか、来たってなんの役にも立ちゃしないのに!」

「人に聞きこみするにはそっちだけじゃ困るでしょ? 第一……ミコさん、見えないし」

 楓はスマホへ向かって、深刻そうに声を落とした。もちろん、化け猫のミコは普通の人には「見えない」から、人間相手の聞きこみはできない、という意味だ。


 しかし他の乗客は楓の口調のせいで、「ミコ」は目が不自由なのだと勘違いさせられ、そろって「気の毒に」という顔になる。

 妙な誤解をふりまかれ、ますます不機嫌になるミコを気にしつつも、

(野々宮さんって……頭いい!)

 メイは今までにない心強さを感じていた。破壊神は人間を殺さないと約束してくれたし、そうなれば生身の人が一緒にいてくれるのは、やはりうれしい。


「で……でもあの、もしあぶなくなったら絶対! 逃げてくださいね?」

 破壊神の肩からおずおずと声をかけると、楓は、他の乗客に見られないよう身体の角度を変え、いたずらっぽくウィンクを返した。

「大丈夫。絶対、いっしょに帰るから心配しないで! じゃ、またあとで」

 もうその話はおしまい、と言わんばかりにスマホを切る。


 ほどなく列車はさらに減速、ホームに入った。

 なめらかに停止し、ドアが開く。

「それで、ここからどう行くんだ」

 温泉や旅館の看板が並ぶひなびた駅に降り立って、破壊神がめんどうくさそうにきいた。

 ミコはあわてて先に立つ。


「こっちです! こっちの南口ってとこから出て、ちょこっと角曲がって坂をひとつ降りたらすぐです! すいません、あたい、このへん土地勘ないもんですから……駅で見かけた虫の身体を一度()けて来ただけじゃ、飛んで戻れる自信はちょっとなくて……」


「ふーん、そーかー、あんたたち空まで飛べちゃうのかー」

 楓は、見透かすような目つきでミコの表情をうかがった。

 他の乗客は先に行ってしまったので、スマホをかけるふりはせず、もてあそんでいる。


「飛べばあたしなんか置いてこられたのに、乗り物使ってくれるなんて親切なんだなー」

()()()()()()()()()()()! だっ……だから土地勘ないんだって言ってるじゃん!」

 むきになって言い張るミコを、なんか怪しいぞ、と言いたげに見る楓をよそに、


「なんのためでも着きゃあいいんだ」

 破壊神はさっさと、ミコが示した出口へ向かって歩きだす。

 楓はあわてて走りだした。さっきも乗り換える時、もう少しで駅に取り残されるところだったのだ。歩く破壊神を追い越し、階段を駆けおりる。


 その横を、破壊神は重力の法則を無視した動きで、ななめにすべるように飛び降りた。

 ミコも、必死で走る楓にわざわざ舌を出して見せながらそのあとに続く。

 楓が改札口にたどりついたころには、ふたりともとっくに駅の外に出てしまっていた。


「スサノオ様っ、あたい、ここからなら飛んでも迷子にならない自信ありますっ!」

 ミコは意気ごんで、晴れた空に半分浮きあがりながら叫ぶ。

 破壊神の肩の上に立つメイは、楓が置いてけぼりになるのではと気が気ではない。

 その時、破壊神がふと足を止めた。


「おい、猫」

「はい?」

 ミコは、なぜか動揺して青ざめたようだ。

 しかし破壊神はミコの顔など見もせず、唐突にきく。

「おまえ、人間に取り憑いたことはあるか」

「えっ? い、いいえ、まだ一度も……零課に()げられんの、怖いし……」

「ならいい」


 ミコの案内を待たず勝手に歩きだす破壊神に、やっと改札を出た楓が追いすがった。

「あ、ちょっと、ちょっと待った! なんでそんなこときくの? もしかして……メイの身体乗っ取ってるやつ追い出すのって、むずかしかったりするわけ!?」

 楓の問いに破壊神は眉ひとつ動かさなかったが、メイの方がどきっとする。


(あっ……ありうるかも!? わたしのそっくりさんが双子の姉妹かもって言ってた時は、魂たたき出して入れ替えちゃえ、みたいにすっごく気楽そうに言ってたのに……妖怪がわたしの身体に入ってるらしいってわかった今は、なんだか……)

 思わず、破壊神の横顔を見あげたところへ、


「ちょっと君、返事は!?」

 あきれるほど強気な詰問とともに楓が追いつき、なんと、破壊神の肩に手をかけた。

(あ、ダメ……!)

 瞬間、メイは破壊神の筋肉が野獣さながら、反射的に殺気をはらむのを感じた。


 破壊神にとって、楓の行為はじゅうぶん、狩るに値するものだったようだ。だが──

 神は約束を違えず、一拍置いて、ただ、魂も凍るほどつめたい銀の瞳で楓を見た。

「問題ない」

 楓が斬り殺されずにすんだことにメイはホッと胸をなでおろし、一方、肝の太い楓も初めて、この小柄な同行者がどれほど危険な存在か実感したらしい。さすがに少し青ざめる。


 ミコは、破壊神がついてきてくれないので、あきらめて地面に降りた。

「あっ、スサノオ様、そっちの道……違いますけど……?」

 狭い裏通りへまっすぐそれていく破壊神に、おずおずと声をかける。

「おまえはどのていどわかってる?」

 ふたたび唐突な質問を浴び動揺するミコに、破壊神はにやっと皮肉に片頬をゆがめた。


「わかってねえのか。若いだけあってのんきな猫だな! おまえが飛ばなかった理由は、おおかた生き霊虫の残り時間をムダ使いしたかっただけなんだろうが、その間に()()()()()()()()()。くっくっ、久しぶりの戦場(いくさば)の気配だ、楽しませてもらうぜ」

 言うなり、道ばたへ向かって軽く、あおぐように手をふる。

「!?」


 どっと、そんな簡単な動作からは起こりえない、凄まじい突風が巻き起こった。

 古い雨戸がはがれ飛び、自転車や植木鉢がなぎ倒されて、あちこちで物の壊れる音が響く。

 運の悪い通行人が足をすくわれて転んだ。悲鳴や驚愕の声があがる。

 ミコと楓、メイも飛ばされないよう必死で身をかがめ、手近なものにしがみつく。


 その時。

 道ばたに、異様なものが姿をあらわした。

 洗濯物のひるがえる民家の軒下に──

 鎌倉武士さながら色鮮やかな(よろい)を着こんだ魚やカニの妖怪が、塹壕(ざんごう)にもぐる体勢でなかば地中に身を沈め、緊張した顔を並べている。

 真ん中には黒光りする大砲。

 その筒口がまっすぐ駅の改札へ向けられているのを見て、ミコは青くなった。しかし、


「どうした。撃てよ」

 破壊神は上機嫌で大砲の中をのぞきこみ、妖怪たちをそそのかす。

「そら、せっかくここまで近づいてやったんだ、今なら当たるかもしれねえぞ。それともなにか? 磨きたてたこいつはただのお飾りか? ん?」

 古めかしい大砲をぴたぴたたたいてからかうが、水怪たちは答えない。


 そのぬらぬらした肌や甲羅を濡らしているのは、冷や汗らしかった。とはいえ、破壊神を前にぎょろ目をむいたまま微動だにしないのは、なかなかの気合いだ。

「ふん……命令があるまで動かねえか。つまらん連中だ」

 破壊神は銀の目を細めて冷笑する。

「!!」


 これっぽっちも力をこめたようには見えなかった。なのにその手の下で大砲が紙細工みたいにぐしゃっとつぶれ、そのままアスファルトを突き破って、土中に深々とめりこむ。

 地下配線がちぎれたらしく、ばちばちと火花が散った。破壊神はしかし火花など気にもせず、へしゃげた砲身に刻まれた家紋をねらい、わざと、念入りに踏みにじる。

 この侮辱に、カニの妖怪が憤怒で真っ黒になった。魚の妖怪もトゲのあるヒレを逆立てふくれあがり、彼らの殺気を浴びた破壊神は、食欲にとろけそうな笑みを浮かべる。


「ば……爆発だーっ、警察……早く消防に電話っ……!」

「そこのあなたっ、ケガはない!?」

 民家から飛びだして来たおばさんに声をかけられ、楓はあわてて、

「大丈夫、大丈夫です!」

 と、相手を家の中へ押し戻しに行く。今にも妖怪同士の殺し合いが始まろうとしているのに、近くに来られては困る。しかし、


「……ちっ」

 水怪たちがなおも動こうとしないのを見て、破壊神は笑みをひっこめた。

「やる気がねえんならまぎらわしい格好で出てくるんじゃねえ、腰抜けめっ」

 悪罵とともに乱暴に足もとを蹴り、水怪たちの顔に砂利をしたたか浴びせておいて、あとも見ずにきびすを返す。メイはなんだかいたたまれず、


「あの……あの……な、なにもあそこまでしなくても……」

 いさめようと目をあげたとたん、破壊神がまだ浮かれているのに気づいた。

「なにがいかん?」

 破壊神は踊り出しそうに楽しげな足取りで狭い坂をくだりながら、通りすがりのゴミバケツを、目も向けずに蹴り飛ばす。

「!」


 ゴミバケツは道ばたの見えないなにかに当たり、跳ね返って中味をまき散らした。

 そこにも姿を隠した妖怪たちがいたらしい。

 こぼれた生ゴミは変な具合に宙に張りつき、小さい悲鳴と悪態がもれた。それでも攻撃してこないが、メイの目にも空気が陽炎のように揺らめいて見えるほど、殺気が高まり始める。


「よしよし、もっと怒れ」

 破壊神の(えつ)に入ったつぶやきに、メイは青ざめた。

「お、怒らせちゃってどうするんですか!? こ、このひとたちたぶん、わたしの身体に入ってる妖怪さんの仲間なんでしょう? 変に怒らせちゃったら……」


「現場がおっ始めちまえば、手下に(いくさ)支度(じたく)させときながらちっとも仕掛けてこようとしねえ、陰険な大将も腰をあげざるをえなくなる。くくくっ……一匹残らず食ってやる」

 ほとんど常軌を逸した歓喜に、破壊神の銀の瞳が抜き身の刃のようにぎらつく。

 その凄まじさにひるみながら、メイはふと心配になった。もしかして破壊神は、メイの身体を取り返すという目的を忘れかけているのでは?


「着きました! スサノオ様ここです! ここに入るとこ、見たんです!」

 ミコの声とともに坂の下にたどりつき、視界が開けたとたん、メイはどきんとした。

 二車線の道路をはさんだ向こうは、広い駐車場を備えたドライブインだった。

 その向こうは、駅名にあった御山湖だろう。穏やかな湖面がよく晴れた空を映して、はるかな対岸までくまなく、青々とないでいる。


 ドライブインの敷地にはレストランと売店の他、産地直売ののぼりを立てた八百屋や焼きトウモロコシ屋、鯛焼き屋などがずらりとテントを並べ、大勢の客でにぎわっていた。


 ()()()()()()


 こんなところで妖怪たちと破壊神が戦い始めてしまったら……と考えただけでぞっとした。

〈爆発事故〉現場を抜けだし、やっと追いついてきた楓も半信半疑の顔をする。

「ここなの? でも猫さん、入るの見たからって、まだいるとはかぎらないと思うなー」

 まさにその時。


 メイは破壊神の肩の上で息をのんだ。見つけてしまったのだ。

「い……います。あそこ……駐車場の奥……湖に向かって並んでる、ベンチのとこに……」

 昨日、校門前でバスに乗るのを見かけたメイの身体が、平然とこちらに制服の背を向けてすわっている。いや──


 メイがその姿を指さすと同時にすうっと立ち上がり、向き直って、笑った。


        ◆


 敵意のない笑顔だった。

 しかし破壊神には挑戦、もしくは不敵な挑発にでも見えたらしい。

 にやっと猛々しい笑みを浮かべ、二車線の車の流れをひょいとひと跳びに跳びこえた。

 駐車場の端に着地、そのままわき目もふらず向かって行こうとする。

「あっ、ま、待って待って、待ってくださいっ!」


 メイは夢中で破壊神の髪をひっぱって止めた。うるさそうに足を止める破壊神に、

「すっ、すいません! でもあのっ、わ、わたしも今まで忘れてたんですけど、わたしの身体横取りするのに、あの早雲って人も確か、手を貸してたんですよね!? だ、だとしたらこんなにたくさん人がいるところで、もしまた変な術で人を操られたりとかしたら……」


 息継ぎも忘れてひと息に訴え、メイは不安に大きく目を見開いたまま、あえぐ。

 ついでに「人、殺さないでくださいね」と念を押したいところだったが、口に出す前に破壊神も、そのめんどうな条件を思い出したらしい。いらだたしげに黙りこんだ。

「なに? なに? 術で人操るってなに?」

 信号のない道路を、要領よく渡って来た楓がきく。


「だからあ! 虫の身体を乗っ取ったやつの仲間に、早雲って名の人間の術使いがいてさあ、式神とか、関係ない人間とかを使って襲って来たことがあったからあ……」

 ミコの投げやりな説明が終わるのを待たず、頭の回転の速い楓はふんふんとうなずいた。

「なーるほど、そりゃ大変だ。でもあたしの見たところ……」

「なんだってのさ!?」

 たちまち牙をむくミコを手をふってなだめ、楓はすたすたと駐車場に入って行く。


 並べて置かれた、カラフルな寄せ植えのひとつにかがみこみ、プランターに手をかけた。

「ど、どうするの?」

 思わずたずねるメイに、楓は深呼吸をひとつして答える。

「やー、十中八九、大丈夫だと思うから今、試してみるわ。でも失敗したら器物損壊、同情してもらえる言い訳としては……うーん、社会への怒りとかがやっぱり妥当な線?」

「……えっ?」


 メイがよくわからないうちに、楓はよいしょ、と気合いを入れてひと抱えほどあるプランターを持ち上げた。危なっかしくよたつきながら数歩、横へ運ぶ。

 そこでさらにもうひとつ気合いを入れると、重たいプランターを勢いをつけてふりまわし、なんとそのまま、手近な乗用車の窓へたたきつけた。

(野々宮さんっ!?)


 ガシャーン!! と少なくとも五百メートル四方に響くようなけたたましい音を立てて、車の窓が砕け散った。

 駐車場に散らばっていた百人近い人々──湖畔で写真を撮っていた観光客の集団から、目の前の焼きトウモロコシ屋の店員とその客、今まさにバイクのエンジンをかけようとしていた若者にいたるまで全員が、驚いた顔でふり返る──。

「……!?」


 と、見えた次の瞬間、すべてがあとかたもなく消え去った。

 見れば、アスファルトの上に砕けて転がっているのは寄せ植えのプランターだけで、窓を割られた乗用車などどこにもない。


 人混みも店舗用のテントもなく、車一台停まっていない駐車場はがらんとしていた。

 ドライブインの建物も、つぶれたのか休業中なのか、灯りもなく静まりかえっている。

 残ったのは……

 駐車場の端、ないだ湖を背に立つメイの身体だけであった。


「ビンゴー」

 楓がちょっとホッとしたようにつぶやき、額の汗をぬぐう。

「ふん」

 破壊神は、やや見直した様子で楓に目をやった。それに気づいたミコが、新たな嫉妬をかき立てられるより早く、破壊神は駐車場を横切って歩きだす。


 飛びもせず急ぎもしないのは、妖怪たちの見えない布陣でも確認しているのか。

 しかし相手もさるもの、メイの顔に笑みを浮かべたまま、悠然と待っている。

「…………」

 二メートルほどまで近づいてようやく、破壊神は足を止めた。

 相手が破壊神の刃の間合いに平然と立っているのを見て、メイはどうにも落ちつかない。

 と、メイの身体が笑顔のまま、

「なぜ、おわかりに?」

 可憐(かれん)なくちびるから、重々しくしわがれた老人の声を発した。


 違和感に身を縮めるメイをよそに、楓が平然と胸を張る。

「焼きもろこしの出店があるのに、においがしなかったから!」

「おお、これはこれは! ひとけのない場所よりはご安心なさるかと思い、場を飾ってみたのでございますが……慣れぬことをいたしてかえって恥をかきましたわい」


 メイの身体は老人そのもののゆったりした笑い声を立てた。すると、暖かい日だまりの中になぜか、ひんやりとつめたい水の気配があふれる。

 昔の中国ふうに両手を目の前で重ね合わせ、破壊神にうやうやしく一礼した。


建速(たけはや)素戔嗚尊(すさのおのみこと)、よくこそご来臨(らいりん)くだされました。おそれおおくもご尊顔を拝し(たてまつ)り、光栄の(きわ)みにござります。私めは御縁あって長年、この湖の(ぬし)の家老を勤めおります、雨膳(うぜん)と申す(いや)しい水の者、名にしおう大神(おおかみ)に敵対いたす心算(つもり)などいっさいございませぬ」

「ああ……そうかよ」

 破壊神が不機嫌にうなって手を出そうともしないところを見ると、少なくとも今のところは本当に、相手に戦う意志はないらしい。


 メイはかえって希望を持ち、

「あ、あのう、じゃあ……わ、わたしの身体、返していただけるんでしょうか?」

 びくつきながらも必死でたずねる。すると、自分の顔が、使い慣れた眼鏡をかけた大きな瞳に、見慣れない老獪(ろうかい)な笑みをたたえて目をあげた。


「むろんお返しいたしますとも! ですがその前に、おふたかたにはひとつ、昔話を聞いていただけぬものかと……」

「聞かねえって言ってもどうせ話すんだろう、とっとと話しやがれ」

 いらだちを隠そうともせず、そっぽを向いて腕組みする破壊神に、老妖の()いたメイの身体は、慇懃(いんぎん)に頭をさげて口を開く。

「二十年と三年(みとせ)ばかり前、我があるじは恋をなさいました」


 と切り出した言葉に、破壊神はだからどうしたと言わんばかりに顔をしかめた。

 ミコは、なんでここでそんな話が出るのかと、嫌そうに破壊神とメイを見くらべる。

 老妖は続けた。


「南蛮渡りの吸血鬼(ヴァンパイア)と申す、陽の光をいたく嫌う妖異をご存知でありましょうか。その娘御(むすめご)吸血鬼(ヴァンパイア)と人との間に生を受けし、それはお美しい半吸血鬼(ダンピール)でございました。日中出歩くこともおできになりますし、ご自分では人間であると思っておいでだったようでございますが……あいにくどうしても、定期的に血が欲しくなられる。半妖ゆえに人の食物だけでは決して、満ち足りぬのでございます。因果なものでございまして、純血の吸血鬼は我慢しようと思えばそれなりに、生き血を得ずとも生きてゆけるそうにございます。しかし半吸血鬼(ダンピール)はその自制をしきれません。狂乱して人間を殺してしまい、零課に追われる身となって生きる望みを失い、この湖に身を投げてしまわれました。それを我があるじが救われたのです」


 メイの身体に取り憑いた老妖は、うるんだ目をしばたたかせる。


「お姿ばかりか、お心ばえもまことにお美しい方にございました! 水底に滞在されるうちに、我ら水の者どももみな、心を奪われてしまったほどにございます。しかしそのお美しい方が、生き血を得られぬばかりに獣のように狂乱なさいます。見かねたあるじはなんとか娘御を救おうと手だてを探されるうち、半吸血鬼(ダンピール)を、完全な吸血鬼になさしめる方法があると聞き、さっそく試すことになさいました。完全な吸血鬼となれば、もはや狂乱からも、娘御の意に染まぬ殺人からも解放されるはず。しかしその方法と申しますのは……人の生き血から精製した命のしずく、千人分を、半吸血鬼(ダンピール)に飲ませるというものだったのでございます」

「……!」


「あるじはさっそく狩りに出ました。むろん娘御に悟られぬよう、万策を尽くしましたとも! しかしほどなく娘御は、気を静める薬湯に、死にゆく人間からしぼりとられた命が混じっていることを察してしまわれ……守り刀でのどを突いて、今度こそ命を落としてしまわれた……。あとにはあるじをはじめ、我らすべての行く末を(うれ)う遺書がしたためられておりました。お優しい娘御は我らが罪に定められはせぬかと、そればかりを深く深くご心配くだされて……」


 老妖の目から大粒の涙があふれた。その放つ気もいよいよ暗く、濃くなり、ミコも楓も、足もとが冷水につかっているような錯覚を覚えて、不安げに地面を確かめる。

 老妖は凄まじい憤りに、取り憑いているメイの顔を限界までゆがめて叫んだ。


「なにが『罪』でございましょうや!? 食わねば生きていけぬものを食らうのはただの食事じゃ! 人間だとてやっていることではありませぬか! それをとがめられ、無用の罪悪感を背負わされては死ねと言われたも同然! くだらぬ法や零課さえなければ、娘御があそこまで追いつめられることもなかったはずなのでございます」

 確かにそのとおりに感じられ、メイはもらい泣きの涙をぬぐう。しかし、


「つまり……」

 破壊神は共感のかけらも感じられない乾いた声音で、心底めんどうくさそうに言った。

「あれだろ、おまえもあのおしゃべりな式神使いと同じで、俺に零課とやらをぶっ倒す手伝いをして欲しいってんだろ?」

さようでございます(さんそうろう)!」

 メイの身体に憑いたまま、老妖は額の上で両手を重ね、深々と腰を折って最敬礼する。


「世に並びなき御身(おんみ)の御力添えがございますれば、零課ごとき、なにほどのものでございましょう! そのうえもし、早雲めの術をたやすく破られた神納五月殿のご協力までいただけますれば、もはや我らに恐れるものはございませぬ」

 ひたと自分の身体を使って見つめられ、メイはたじろいだ。


「わっ、わたしはでも……お、お気持ちはすごくよくわかりますけど、あのう……法律がおかしいんなら、署名集めて改正してもらうとかっていうのは……ダメなんですか?」

 楓が「度胸あるなー、意外だ」と言いたげなまなざしを向けるが、メイは気づかない。

 一方、老妖は、メイの反応に脈ありと思ってか、嬉し涙まで浮かべて笑み崩れた。


「なんとお優しいお言葉……お話し申しあげたかいがありましたわい! なんの、だいそれたお願いはいたしませぬ。公平な決まり事を作るため、ごくごくささやかなご協力を……」

「おいこら、俺は力を貸すなんて言ってねえぞ」

 破壊神が、おもしろくもなさそうに老妖の話の腰を折る。


「このお人好しのチビ虫を丸めこみたいんだろうが、寝言もたいがいにしろ。なぁにが公平な決まり事だ! いいか、この世に公平なことなんざねえ。てめえにとって都合のいいことは、たいてい相手にとっちゃあ都合が悪いんだ! 正直に、小うるさい人間どもを皆殺しにして、残ったやつらにてめえの決まりを押しつけたいと言え! そーすりゃいくらこいつがバカでもおまえがなにをしたいかよくわかる。協力なんかできねえって言うさ」


 メイは、いくらなんでも言い過ぎなのでは、と老妖の顔を見た。

 が、その目に浮かんでいた涙がとうに干上がり、冷静に次の手を考えているのを見て、ちっとも言い過ぎではなかったことを思い知らされる。


「さて、くだらん昔話は聞いてやった。こいつの身体を返しな」

 破壊神は、無情な銀の双眸に、無限の恫喝をこめて言った。

 メイの身体に憑いた老妖はしかし、すっと腰を伸ばすと、腹のすわった目で見返す。


(みこと)、おそれながら……ご拝察申し上げていたよりもなお、この娘御にご執心のご様子」

「なに?」

 破壊神はいぶかしげに眉をひそめただけだったが、後ろのミコは顔色を変えた。

 老妖は余裕たっぷりに微笑みながら語を継ぐ。


「本気で取り返そうとお思いなら、(わし)をこの身からたたき出し、奪い返せばよろしいだけのこと。しかしさよう、(わし)もおとなしゅう追い出されはいたしませぬ。娘の重要な血の管のひとつやふたつ、行きがけの駄賃にちぎって参りましょう。それを見抜かれた上で、手をお出しにならぬものとお見受けいたします」

「アホウ、違うぞ」

 破壊神は言下に、そのくせ、どうでもいいことのように気のない調子で訂正した。


「人間の魂同士なら、他の魂をたたきこんでやりゃあ中の魂がはじき出されるのは知ってるが、妖怪のおまえを追い出すには俺が手を突っこむしかねえ。ところが考えてみると俺は人間にとり憑いたことなんざねえんでな、おまえを追い出すつもりが身体に穴開けてぶっ殺しちまったら、ここまでの苦労がふいになっちまうだろうが」


 にこりともせず、当然の帰結だと言いたげに老妖に詰め寄る。

「だからそら、おとなしくその身体を返しな。そいつは俺の獲物なんだ。横取りは許さん」

「仰せではございますが、この娘に目をつけたのは我々の方が先にございます。どうしてもお取引いただけぬとあれば……」

(あっ……!)

 瞬間、破壊神の放った気配のあまりのつめたさに、その場の全員がぞっと鳥肌立った。




 5 愛すればこそ②へ続く



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