3 すがすがしいほど無慈悲②
清水の落下を受けた竹筒が石を打つ、冴えた音がコーンと響く。
美しい日本庭園は、すみずみまで手入れが行き届いていた。藤色に暮れなずむ夕映えのもと、石灯籠の灯りを浴びて満開のツツジがみっしりと、木立をいろどっている。
風流な看板から察するに、高級な料亭らしかった。幹線道路に面しているのに、植えこみのおかげで山中のような静けさに包まれている。
板張りの床は黒々と、顔が映りそうなほど磨きこまれていた。白壁をところどころ丸く切り抜いた明かり取りの窓には、鳳凰や天女の透かし彫りが舞い遊んでいる。
(じ……時代劇のセットみたい……)
なのに破壊神は、磨かれた玄関にあがる時にも、足のほこりをはらったりしなかった。
忠告を無視され、ふてくされた顔でついてきたミコも、厚底ブーツをはいたままだ。
こっそりふり返って確かめると、少なくとも猫娘は、廊下に点々と足跡を残している。
全員を黒塗りの高級車に乗せて連れてきた和装の男は、とがめもしなかったが、
(ごめんなさい、ごめんなさい……あとのお掃除がたいへんですよね……)
メイは気がとがめてならず、どこに自分の身体があるかきくどころではない。
「どうぞ、こちらでございます」
真っ白な玉砂利を敷き詰めた中庭を抜け、案内されたのは、茅ぶきの離れだった。
簡素な平屋で、座敷は二間。
仕切りのふすまは取り払われ、奥の間全体が神棚に見立てられたかのように、大きな花束や御幣、菓子や供物を盛った三方、白木の酒桶などで飾られている。
電灯の代わりに無数の灯明が揺らめき、なにかかぐわしい、お香のような香りもした。
縁側の手前に、台のように置かれた踏み石の前で、破壊神の足が止まる。
(あ、さすがにここでは足をぬぐうのね)
メイが少しホッとした──瞬間。
破壊神は身軽くひと跳び、縁側を飛びこえた。
座敷の入り口に着地すると同時に、軽く片手をふる。
「!?」
めぎっ、ばぎん! という強烈な破壊音にびくっと身を縮めたメイは、破壊神の手にいつの間にか、折れた柱がぶらさがっているのを見てあっけに取られた。
斬ったのではない。
一辺が二十センチ近い堂々たる角材を、道ばたの枯れ枝でも折るように簡単に、手首のひねりだけでへし折り、むしり取ったのである。
もちろん、小柄な破壊神の手では一辺二十センチの角材を普通に「握る」ことはできない。
破壊神は代わりにその信じがたい握力で、黒光りする見るからに硬そうな角材に、深々と指先をめりこませていた。
なにをするつもりなのか見当もつかず、あぜんと見守るメイを肩に乗せたまま、破壊神は大股に奥の間へ進んだ。自分の身長の倍以上ある角材を、片手で軽々とふりかぶる。
(あっ……!)
眉ひとつ動かさず、室内に並べられている花束も供物も、灯明も酒桶の山ももろともに、ホウキではくように左になぎはらい、右になぎはらった。
けたたましい音を立てて陶器が割れ花がちぎれ飛び、吹っ飛んだ御幣やつぶれた酒桶に倒れた灯明の火が移って、あちこちでぼっと炎があがる。
あまりの暴挙に息をのむ一同をよそに、破壊神は燃える室内をじろりと見渡した。
ああ、これを忘れていた、と言わんばかりに、足もとにひっくり返っている香炉を、裸足で無造作に踏み砕き、火種ごと踏みにじる。
仕上げに手にした角材を、突きあたりの壁に向かって投げつけた。
「!」
ダンプカーでも突っこんだかのようだった。角材は、床柱を巻きこみ壁を紙のようにひき破り、裏の植えこみを根こそぎえぐって轟然と転がっていく。
黄昏の空に火の粉とほこりがもうもうと舞い上がった。柱を何本も失った平屋の屋根が、ぎいいっと今にも落ちそうに傾く。巻き添えを食った庭木が数本、梢を鳴らして地に伏した。
「よし」
破壊神はようやく満足そうに頬をゆるめ、入り口で凍りついたままの案内者へ向き直った。
畳を焼いた炎が柱をはいのぼり、めらめらと梁をなめ始めているのにも構わず、散乱する供物の残骸を乱暴に足で蹴りよけ場所を作り、どっかりと腰をおろす。
「さあ、なにか言いたいことがあれば言え」
尊大にうながす破壊神を見あげて、メイはどうしてこんな……と言いかける。と、
「これは不調法をいたしました。お迎えの作法にいたらぬ点がございましたようで……」
和装の男がすばやく縁側にあがってきて、時代劇さながらのしぐさで平伏した。
しかし破壊神は場違いなほど機嫌よく、あぐらを組んで笑い飛ばす。
「なにをぬかす、いたらないことなんざあるもんか! 俺は祭壇は好かんが罠は大好きだ。祭りあげると見せて、封じこめの呪物をあちこちに隠しとくあたり、実に行き届いてたぞ。誇っていい出来だ、胸を張れ!」
皮肉で言っているのではなかった。本気なだけに始末が悪いが、男は破壊神の反応にも、自分の背後で「やっぱり!」と殺気立つミコにも動じず顔をあげる。
「ではお言葉に甘えまして……」
男は燃え広がる炎には目もくれず、破壊神の前まで進み出るとふたたび正座した。恐れげもなく、破壊神を真正面から見て口火を切る。
「実は、素戔嗚尊にお願い申しあげたいことがございまして、お招きいたしました」
「言ってみろ」
「わたくしは矢萩早雲と申します。ごらんのとおりただの人、手相見を生業とするしがない易者でございますが……ひそかに、警察庁零課転覆のくわだてに加わっております」
ミコが、ひゅっと音を立てて息をのんだ。
動転して、四つ足でばたばたと燃える座敷にあがりこんで来るなり、声を殺して叫ぶ。
「ぜっ、零課転覆っ!? ちょいとあんた、気は確かっ!? そっ……そんなヤバイこと……」
「ミコさん、あの……零課って……?」
おずおずとたずねるメイの横で、破壊神もけげんそうに眉をひそめた。
「なんだその……けいさつちょーぜろか、ってのは」
「スっ、スサノオ様……まさか零課をご存じないんですかっ!?」
ミコがすっとんきょうな声をはりあげる横で、早雲が重々しくうなずく。
「尊ほどの大神ともなれば、かえってお耳に届いておらずとも不思議はございません。妖怪と人間との間に起きた事件を裁くためと称し、陰陽師たちの手で出雲法という法律が作られたのは、遠く平安の昔のこと。陰陽寮がすたれるにつれ、忘れられるはずでしたが……」
むきだしの嫌悪に口もとを曲げ、いまいましげに続けた。
「江戸幕府による〈万妖異改方〉創設により息を吹き返し、戦後も警察庁霊能局零課と名を変えて……非公式ながら今も、大きすぎる権限を与えられております。しかも、仮にも警察を称するのであれば公平かと思えばさにあらず。平安の昔から変わらず人の利ばかり優先し、人ならぬものを抑圧してはばからぬ……まことに憎むべき組織でございます」
早雲の立て板に水の弁舌に、ミコが、四つんばいのまま抜き足差し足、炎をよけてまわりこんだ。横合いから早雲の顔を、疑心暗鬼でのぞきこむ。
「あんた、人間のくせにどーしてそんな……妖怪の肩持つようなこと……?」
「公平でない法はあらためられるべきです」
早雲は躍る炎を映した瞳に、革命家の熱狂を宿して言った。
生き霊のメイでさえ、時おり煙にむせてせきこむというのに、よどみなく語を継ぐ。
「尊はご存じありますまいが、出雲法のおかげで巷の妖怪の自由はいちじるしく制限されているのです。なにをするにも出雲法に触れはせぬかとお上の顔色をうかがわねばならず、ことに、先祖代々人を捕食し腹を満たしてきた妖怪たちは、存在そのものを悪と恥じさせられ、山深くに隠れ住み、木の根をかじる生活を余儀なくされております。しかも、際限なく広がる人間の生活圏を避け続けるのは事実上不可能。やむなく里に下りれば追い祓われ、都市に逃げても、そこにいるのは神も妖怪も信じず、お姿を見ることも忘れたやからばかり。出雲法にのっとり取り引きすることすらかないません。かくて古きものたちが続々と餓死している現状を、不肖わたくし、天より霊異を見る目を授かりながらどうして見て見ぬふりなどできましょう!」
早雲は憤りもあらわに膝を打ち、目をうるませて宙をにらんだ。
「…………」
メイはふと、初めて会った時の破壊神が、まさに人知れず、墓場の片隅で飢え死にしかけていたのを思い出してどきっとする。
人を食べられては困るが、知らないところでそんなにたくさん妖怪が死んでいると聞かされ、胸が痛んだ。ミコも早雲の言葉に心を動かされたらしく、真剣な面もちで聞き入っている。
早雲は、高ぶりを抑えようとするかのように息をつき、メイに目を向けた。
「ところでお嬢さん、ご存じありますまいが……あなたは近く、潜在的な霊力を買われ、零課にスカウトされる予定だったのです」
「えっ!?」
メイといっしょにミコも驚愕に目をみはり、そんなバカなと言いたげにメイを盗み見る。
「零課にスカウトされればまず断ることはできません。むろん、それはあなたの罪ではない。無関係な少女を巻きこむのはわたくしどもとしても苦渋の選択でしたが……権力に立ち向かうには時に、思い切った手段も必要なのです」
早雲は理解を求めるかのように言葉を切り、メイを見つめた。打ち明ける。
「誇れる話ではありませんが……ひそかにあなたの魂に術をかけ、あなた自身にも知られることなく、零課内部の情報を流してもらうはずでした。無害な術です。まさか、施術の途中で予期せぬ事故が起き、魂を見失ってしまうとは……いや! ご無事で良かった」
炎はいよいよ梁から天井に燃え広がり、火の粉が全員の頭上に降りかかり始めていた。
しかし早雲はかまわず、ずいと膝を進めてメイに語りかける。
「この際、あなたにもお願いしたい。どうか、我々にご協力いただけまいか? そもそも自然霊たる妖怪に、人の法を押しつけるなど傲慢以外のなにものでもない! そのせいで本来敬われるべき存在が生きる権利を奪われ、なすすべもなく滅んでしまうなど言語道断であります。古き良き楽園の自由を取り戻すには、零課のようないまわしくもぶざまな組織は一度、解体されねばならないのです! とりわけ、現職の課長は歴代〈万妖異改方〉長官の中でも並はずれた霊力をかさに着、職権を濫用する鼻持ちならない若者で……」
早雲は一瞬、個人的怨恨めいたものに顔をゆがめ、言葉を切った。だがすぐ気を取り直し、破壊神とメイに熱烈な懇願のまなざしを向け、畳に額をすりつける。
「なにとぞ我らに御助勢をたまわりたく……伏してお願い奉ります」
「あっ、で、でもあの……」
メイは、まわりで勢いを増していく炎をちらっと見た。そろそろ外に出なければ、破壊神以外全員焼け死んでしまうのでは、と気が気ではない。
しかし早雲は、良い返事を聞くまでは……という気迫で、頑固に頭を下げ続けている。
破壊神も黙って頬杖をついたまま動かない。なにか考えているのか、悪だくみしているだけなのか、表情からはよくわからないが──。
その時ミコが、思い詰めた表情で口を開いた。
「スサノオ様! あっ……あたいからもお願いしますっ! この人間のことは全然気に入らないけど、でもっ、て、手伝ってあげてくださいませんか。あたい……あたいのおっかあだって、昔みたいにばんばん人間食ってて体力あったら、空襲ぐらいで死ぬわけなかったんだ! 出雲法と零課がこの世から消えてなくなるんなら……ねえ、お願いですう!」
ミコは火が苦手らしく、ごうごうと燃える炎をおびえた目で見た。必死に恐怖をねじ伏せ、炎に近づくリスクを冒して破壊神ににじり寄る。と、
(えっ)
破壊神はミコのすがろうとする手をかわし、逆にミコの首根っこをつかんだ。
そのまま、雑草をちぎって投げるようなぞんざいな動きで、ミコを背後に放り捨てる。
破れた壁を抜け、裏庭へ飛ばされていくミコの顔に子猫のように純粋な驚きが──続いて、好意を寄せている相手にじゃけんに扱われた少女の、深く傷ついた表情が浮かんだ。
メイは思わず破壊神に非難の視線を向けたが、破壊神が、炎より獰猛な笑みを浮かべているのを目にして、声が出なくなる。
「くっくっくっ……あーあ、バカバカしくってあくびが出ちまうぜ」
破壊神は、これ以上ないほどバカにしきった顔つきで言った。
「あんまり長々しゃべりやがるから飽きて聞き漏らしたかもしれねえが、要するにこういうことだろ? おまえが、妖怪の『古き良き楽園の自由』とやらを取り戻してやろうってわけだ! ちゃんちゃらおかしいな! 出雲法だか八雲法だか知らねえが、そんなもんあろうがなかろうが俺たちゃみんな自由だし、だいたい『古き良き』楽園ってなァ、なんの冗談だ? 楽園ってのはいつだって今、ここにある。取り戻す必要も探す必要もありゃしねえ。まして吹けば飛ぶような人間ふぜいに、いったいなにをしてもらうってんだ?」
じろじろとなめまわすように早雲を見て、浅黒い頬に刃のように辛辣な笑みを刻む。
「なあおい、おまえはずうっと怒ってる。なかなか見所がある辛さだ。けどな、おまえの怒りは世直し野郎にしちゃあ、ひねてる。こいつァ怨みの味……妬みの味だ。念のために言っとくが、けなしてんじゃねえぞ? コクがあっていいって言ってんだ! おまえはそのなんとかいう組織の親玉が殺してえほど憎いらしい……けど、かなわねえんだろ」
けっけっけ、とバカにして笑う、そのつめたい銀の目にふと、純粋な悪意がきらめいた。
「そりゃそうと、うっかりきくのを忘れてたが……」
と身を乗り出し、悪魔のように親しげに、声を落としてささやく。
「おまえ、けっこう霊力あんのによ、どうしてそのぜろかとやらの一員じゃねえんだ」
「…………」
早雲の膝の上で拳に力がこもるのを見てとって、笑み崩れる。
「ああ、こいつは悪いこときいちまったな! そうかそうか、おまえは招かれなかったってわけか。おっ、もしかしててめえで売りこみに行ったのに、断られたのか? ハハッ、そうなんだな!? ぎゃははは、そいつァいい恥さらしだったなあ!」
ひとしきり、聞いているだけで寿命が縮みそうな凄まじく乾いた声音でげらげら笑い、不意に笑いやんだ。嵐のような侮辱にこわばった相手の顔を、冷然と見つめる。
「で、こいつの身体はどこだ?」
めりめりっと音を立てて、燃えさかる梁が一本、頭上に落ちかかって来た。
破壊神は無造作に片手で打ち払い、降りそそぐ火の粉の雨に、親指姫サイズのメイは思わず悲鳴をもらす。すると、めんどうくさそうにだが、頭上を手でおおってくれた。
「そら、早くこいつの身体を返しな。そもそもそういう話だったはずだろ」
「ど……どうしてもとおっしゃるなら!」
早雲はしかし、果敢に交渉の継続をこころみ、決死の表情で身を乗り出す。
「その娘の生き霊はさしあげてもよろしいのです。尊の御助勢さえあれば零課など……」
「くどい」
瞬間、メイは銀の光が稲妻のように、視界を一閃するのを見た。
早雲の背後で炎が横一文字に割れ、柱も壁もふすまも同じ高さで水平に分割されて、悪夢を見るようにゆっくりと、スローモーションで吹っ飛んでいく。
一瞬遅れて、
「!!」
早雲の首が胴を離れた。決死の表情で、最後の説得をこころみようと開いた口もそのままに、首は、燃える天井めざしてななめに放物線を描き──
どんっ、と生首が畳に落ちる音が、異様に重く、メイの耳に響いた。
髪を乱した首が、ごろり、ごろりと散乱する陶器の破片にまみれて転がっていく……そのかたわらで突如、すわったままの身体が黒い噴水のようにどっと血を噴きあげる。
(きっ……)
メイは破壊神の肩の上で、ショックのあまり悲鳴もあげられずに立ちすくんだ。
まさか、いくら破壊神でも人の首をはねるとは、どこかで思っていなかったのだ。だが……考えてみれば、こうなることは予測できたはずだった。
自分になついていた年取った野良犬が、目の前で死んでも心を動かさない。
いかなる妖怪をも平然と殺し、斬り刻んで食らう。
それどころか血を分けたきょうだいですら、食べられなかったと本気で悔しがってしまう──悪鬼羅刹とか冷酷無情とかいう言葉の化身のような存在が、人の命を惜しむ……
わけがない!
思えば、早雲について来たのだって、早雲がおいしそうだったからに違いなかった。
破壊神を罠にハメようとするようなしたたか者だったから、だからわざと怒らせたのだ。そうして攻撃に出ようとしたところを殺し……魂だか霊力だかを食べたのだろう。
「…………」
メイはぼんやりと、破壊神の顔を見あげた。
はたして、暴虐の神の名を持つ少年の顔には、無邪気なほど満足そうな笑みが浮いていたが……ふと、それがかき消える。
「?」
破壊神の不機嫌な視線を追って死体に目を戻したメイは、血まみれの死体が忽然と消え、代わりにはらりと、白い紙切れが舞い落ちるのを見てぽかんとした。
あわてて生首のあった場所を見直すが、そこにも小さな紙くずがあるだけではないか。
「ちっ、食えんヤツめ……どうりで度胸がいいわけだ。本体じゃなかったとはな!」
破壊神は腹立たしげに「無駄足だったか」とつぶやいて立ちあがり、背後の壁の穴に向かってきびすを返した。一方メイは、死ぬほどホッとして腰が抜けそうになる。
(良かった……! ああ良かった、こ、殺してなかった……!)
だがその時、燃える座敷から足音も荒く出ようとしていた破壊神が、止まった。
「あ……!」
青々と暮れなずむ空のもと、庭の植えこみの間に多数の人影があった。
料亭の人だろう。そろいの着物にたすきをかけた女性たち、板前さんらしい姿も見える。
(そ、そうだわ! こんな火事なんだから、お店の人たちが消火に駆けつけてきて当たり前……消防車だってすぐくるはずで……)
と思いながら、メイは、燃える離れをぐるりと取り囲んだまま声もあげず、動きもしない人々に、ようやく違和感を覚えた。
(なんか……変?)
火は今や茅ぶきの屋根まであふれ出て、ごうごうと炎の荒れる音ばかりが大きく聞こえる。
なのに火災の赤い照り返しを受けた人々の顔は、どれも気味悪いほど無表情だった。
と──
全員がいきなり、ぴったりシンクロした動きで白い紙の束を取り出した。それぞれ人や動物の形に切り抜いてあるように見えたが、それがいっせいにまき捨てられたとたん、
「!」
まいた当人そっくりの姿形の人間や、大きな犬、家の壁のようにのっぺりと黒い巨人の影などになってむくむくと立ちあがる。
「よしよし。せっかく罠にはめた相手をそう簡単には帰さねえ……いい心がけだ」
破壊神はすっかり機嫌を直し、ぽんと庭先に飛び降りる。メイは顔色を変えて叫んだ。
「ま……待って! 待ってください! まさかこの人たちと戦って殺しちゃうつもりなんですか!? この人たち、早雲とかいう人と全然関係なさそうじゃないですか!」
「そうだな。術で操られてるように見えるな」
こともなげに相づちを打たれてくらくらしながら、メイは必死で言いつのる。
「だ、だったらなにも殺すことないでしょう!? それより、なんとかして目を覚まさせてあげて、誰かに、ここのどこかにわたしの身体がないですかって、たずねた方が……」
「アホウ! おまえまだ、ここにおまえの身体があるなんて思ってやがんのか? あるわけねえじゃねえか! 早雲ってやつァなかなか可愛いウソつきだからな、大事なもんから俺を遠ざけようとしただけに違いねえ。つまり最初に見たおまえそっくりのやつが、正解ってことだ」
「えっ? で、でも……」
「おまえ自身の身体はとっくに死んでるのかもしれん。だがあの娘の身体は、少なくとも使えるってことだ。だからこうして俺をひきとめ、おまえを取り返そうとしてる。さて……」
どいつから殺そうかと言わんばかりの無慈悲な目つきで人々を見まわす破壊神の髪を、メイは死に物狂いでぐいぐいひっぱった。声をからして叫ぶ。
「ダメっ、ダメですってば!! この人たち殺しちゃ……そっ、そう! だいたい本人の意志で戦ってるわけじゃないんだから、き、きっと食べたっておいしくないですよっ!!」
「いや、うまいぞ」
破壊神はぐるるるる、と牙をむきだして迫ってくる犬たちに、食欲にとろけそうなまなざしを向けながら、楽しそうに笑う。
「式神も操られてる人間も、術をかけたやつの闘志にしんまで染まってるからこそ動くんだ。問題ない。ちゃんと食えるさ。それに、おまえまでそんなに怒るとは一石二鳥だ」
「え?」
「もっと怒れ! こいつらを皆殺しにしたあと、例の娘を捜し出して中味をおまえの魂と入れ替えてやるから、それまでせいぜい気張って怒りをためとけよ」
「……!!」
メイは、絶望した。
衝撃に頭がしびれ、時間が無限に引き延ばされていくような異様な感覚に襲われる。
喜々として動き出そうとする破壊神の、真冬の月さながら無情に凍てついた瞳、魔獣のたてがみのようにゆっくりとなびく白銀の髪を、永遠に動かないもののように鮮明に見あげて……
ダメだ、と思った。
なんと言っても破壊神は止まらない。必ず、自分で言ったとおりのことをするだろう。
操られているだけの店の人たちを殺し、メイの双子の姉妹かもしれないあの少女を殺し、そして、メイをも殺す──。
無力感のあまり、思考が途絶えた。なにも考えられず、今にも意識を失いそうになる。
と、その時。
かぎりなく空白に近くなった心の底に、不意にとほうもなく熱くまぶしい、太陽のような光がぽつんと出現した。みるみるうちに宇宙の始まりの光のように、メイ自身の驚きも恐怖も押しのけ、恐ろしい勢いでふくれあがって──
破壊神がハッと険しいまなざしでふり向くのを見たのを最後に、メイの意識は、破裂した。
◆
「!!」
室内に真っ白な光が爆発し、早雲はあっ、と顔をかばった。
光は一秒と続かずしぼんで消え、古めかしい行燈の中の灯も、一度はあおられ消えかけたものの、ふたたび静かに、ひかえめな明かりを投げかけ始める。
「…………」
どことも知れない、板敷きの和室の中であった。
黄昏の青に染まった障子の外からは川の流れる音が聞こえ、破壊神たちが案内された料亭からは、かなり離れた場所のようだ。
「さすがは……零課が目をつけるだけはある、か」
早雲は、座った膝の前にしつらえた大きな箱庭を、苦々しげに見おろした。
敷き詰めた白砂に道の線を引き、小さな家の模型や車の模型をちりばめた奇妙な箱庭である。
その中で、紙の人型が何十枚も、焼け焦げくすぶっていた。
料亭の敷地を、四方から囲むように立てられた白い大きな鳥居の模型も、四つとも倒れている。まわりに散らばる無傷の紙人形も、もう、つついても動かなかった。
なんの修行もしたことのないまったくの初心者。それも生き霊状態の娘の、念の暴発ひとつで、しかけておいた術すべてが吹き飛ばされてしまったのだった。
「…………」
早雲は悔しそうに奥歯を噛み鳴らしたが、ふと、かたわらに置いたひとまわり小さな箱庭の中で、なにかが動いているのに気づき、視線を移す。
別の町の地図を模した箱庭の中で、紙人形が一体、かさかさと一心に走る動作をしていた。
地図の縮尺のせいで距離がはかどらず、その場駆け足をしているように見える。
「……ふん、猫娘か。使えるかもしれんな」
つぶやいた早雲は、ふところからハサミと新しい紙を取り出し、器用に切り抜き始めた。
◆
ミコは、走り疲れて立ち止まり、あえぎながらビルの壁に背をあずけた。
恐怖のまなざしで来た道をふりかえる。
顔はまだらに日焼けしたようなり、短い髪もところどころ焦げていた。
離れの火事のせいではない。メイの霊力に焼かれたのである。
あの一瞬──
破壊神の肩の上の小さなメイが真っ白に輝いたかと思うと、核爆弾のような閃光が炸裂した。
なにもかもが目がつぶれそうな明るさにのみこまれたとたん、式神は燃え尽きて灰になり、術に操られていた人間は、ばたばた倒れていった。
そしてミコは、突風を食らった紙くずのように、夕空高く吹き飛ばされたのである。
髪が焦げ、肌がちりちりと焼けた。驚愕と痛み、圧倒的恐怖に自尊心を粉々にされ、気がつくと、知らない繁華街を無我夢中で走っていた。
どこまで逃げても、あの恐ろしい熱から逃れられないような気がした。
今も、怖かった。立ち止まっただけで全身がかくかく震えだすほど、どこへ向かってでもいい、走り続けていないと安心できないほど、怖くて怖くてたまらない。
「ふっ……うっ、ふええ……ちくしょうっ、いっ、意気地なしの虫のくせにィ……!」
ミコは、可愛い顔をくしゃくしゃにゆがめて、ぼろぼろと泣きだした。
泣きながら、スサノオはどうなっただろう、と考える。
心配だった。
いくら伝説の天魔王でも、あの力の爆心にいて、ただですむとは思えない。
しかし……心配だ、と考えると同時にミコは、スサノオが夜叉神らしくもなく、小さいメイを火の粉からかばった光景を思い出した。
火傷ではなく、胸の奥深くがズキンと痛み、ミコはいよいよ泣きじゃくる。
「ひっ、ひどいよスサノオ様、あっ……あたいがこんなに思ってるのに……あ、あいつのことばっかり……ひいっく、あんなに大事にして……生き霊は火傷なんかしないのに!」
なんとかしてメイを始末してしまいたかったが、メイがあんな恐ろしい力を持っているとわかった今ではとても、手を出せそうにない。
「…………」
いや、もしかすると、とミコは思い直す。
生き霊のくせにあんなけた外れの力を出したのだから、メイはとっくに霊体を消耗しつくし、消滅してしまったのではないだろうか。
だとすれば今、あの場所に残っているのはあの爆発を一番近くで食らったスサノオだけ、ということになる。きっとひどい目にあったに違いない。今こそ、誰かの助けを必要としているのでは……?
「……ううん、そんなことない」
ミコは自分で自分の考えを打ち消して首をふり、ビルの壁に背をつけたまま、ずるずると道ばたにすわりこんだ。とめどなく流れる涙をふきもせず、膝を抱えてうなだれる。
「あの方は……だ、誰の助けも必要じゃないんだ……ひっく……死ぬんなら死んじゃえばいい……くそったれっ、いっそ死んじまえっ……!」
自分の言葉に傷つけられ、膝に顔をうずめてわっと泣き伏した。その時、
「……!?」
化け猫の本能が、ミコにハッと顔をあげさせた。
日没を迎えた街はすっかり夜の装いで、まばゆいほど明るいショーウィンドウの前を、大勢の人がにぎやかに行き来している。だが、
「!」
なにを見たわけでもなかったが、ミコはがばと立ちあがるなり、走りだした。
冷や汗が噴き出す。
なにかとても嫌な、気色の悪いものが追ってくる気配があった。
「うわあっ!!」
後ろを気にしながら狭い路地に駆けこんだとたん、目の前にのっぺりと黒く大きい、料亭の庭で見たのと同じ巨体の式神が、ぬうっと立ちふさがる。
あわてて戻ろうとすると後ろにも、飛ぼうとして上を見るより早く、ビルの屋上にも巨人の影が立ちあがった。
鈍い動きながら確実に、ミコを取り押さえようと近づいてくる。
「くっ……くそォっ!」
追いつめられたミコの短髪が逆立ち、目じりがつりあがって瞳が金に変わる。
耳がとがり、ビロウドのようにきれいな毛が、顔一面に若草のように萌え出た。猫の本性をあらわしかけながら、ミコは逃げ道を求めて目を配る。
屋上の式神が、飛んだ。
同時に前後をふさいだ黒い巨人も、壁の倒れるようにミコに向かってのしかかってくる。
「!!」
ずしん、と地響きをさせて、三体の式神はミコの上に折り重なった、
が。
式神たちは自分たちの下を手探りして、真っ黒な身体に困惑の色をにじませ起きあがる。
路上に残っていたのはミコのビスチェと短パン、それに厚底ブーツだけだった。
その時には──
「そ……そう簡単に捕まってたまるもんかっ」
お気に入りの革ジャンを口にくわえ、ふたまたの尾を持つ美しい三毛猫の姿に戻ったミコは、必死で路地の側溝の中を走っていた。
ふたの石がはずれている箇所が目に入ったので、とっさに猫の姿に戻って飛びこんだのである。しかし側溝の中には黒いどぶ水がたまり、腐った落ち葉やネズミの死骸も浮いている。
「ちくしょう、ちくしょう、あのビスチェとブーツ、気に入ってたのにっ! 革ジャンだって汚れちまうっ……そ、それもこれもみぃんなあの、憎ったらしい虫のせいだっ」
口の中でののしりながらも気配はきちんと消し、側溝の中を縦横に走りまわり、ついでに鼻が曲がりそうなのを我慢して下水へ侵入。敵の気配からじゅうぶん遠ざかったのを確認してから、こっそり、マンホールのふたをずらして地上をのぞいた。
「…………」
知らない雑貨店の裏手だった。
慎重に気配をかいだが、式神はどこにもいないようだ。
やっと安心してするりとマンホールから抜け出すと、ミコは猫の姿のままひょいと後ろ足で立ちあがり、みるみるうちに背を伸ばして人の姿に変身する。
誰にも見られはしないのはわかっているし、猫の姿の時は構わないのだが、人の姿になるとどうも、裸のままでは落ちつかなかった。
汚れた革ジャンを豊かな胸もとに引きよせ、ミコは、下水の泥にまみれた身体を洗って着替えを調達すべく、音もなく目の前の塀を躍り越える。
鍵のかかっていない窓を見つけて、建物の中へもぐりこんだ。
入ったところは洗面所だったが、その時、
「!!」
目の前に忽然と、黒い巨人があらわれた。ふり返った窓もすでに影にふさがれている。
「うっ……ち、ちくしょうっ……!」
ミコは裸の胸に革ジャンを抱いたままつめたい床にへたりこんでしまったが、その瞬間、いい考えが閃いた。
「ねえっ、あんたっ、そ、早雲って人! スサノオに手を貸して欲しいんだろ!?」
これが式神なら絶対に術者に通じるはず、と信じて無我夢中でわめく。
「だったらいいこと教えてやるよっ!! スサノオはさ、なんかいろいろ言ってるけど、ようするにあの子がとっても……あたいなんかよりずうっと気に入っちゃってるんだ! そっ、それで夜叉神らしくもなくあの子を助けて、身体に戻してやるつもりなのさ……ホントだよ!! だから、あんたがあいつの身体を持ってるなら、それを人質にすればいい! そうすりゃ生き霊を取り戻すぐらい簡単にできるって! それどころか……あっ、あんたがあのスサノオを倒すことだってできちまうかもしれないよっ!!」
ミコに向かって手を伸ばしかけていた式神の動きが、止まった。
ゆっくり、影の薄れるように透きとおり始め……たちまち跡形もなく消え失せる。
「……あっは!」
早雲が自分の提案に乗ったのを察し、ミコは裸でへたりこんだままパッと顔を輝かせた。
ミコは夜叉神のなんたるかを、早雲の千倍もよく承知していた。
太古の昔から存在し、とてつもなく強く、なにがあっても絶対に変わらない。
それが夜叉神だ。
しかもスサノオは破壊神。戦い、殺し、滅ぼす存在である。
人質を取られるなどというめんどうな事態になれば、もう、メイを身体に戻してから食う、などと悠長なことは言うまい。むざむざ横取りを許すぐらいなら、その場であっさりあの小うるさい生き霊娘を食べてしまうに決まっていた。めでたしめでたしだ。
「あはっ、あはははははっ! やったァ!! ざまあみろ虫めっ!」
拳を天に突きあげてガッツポーズまでしてしまう──
ミコの歓喜の叫びに、洗濯物を出しに来た家人がふと、けげんそうに宙を見る。しかし、すぐとなりで笑い続ける化け猫娘にはついに、気づかなかった。
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