1 千年にひとりのごちそう②
扉の中は薄暗く、小さな受付ホールになっていた。
きちんと正装したこわもての大男が立っていたが、入り口の扉が開いてまた閉まったことにも、白髪の少年とセーラー服の少女が入ってきたことにも気づいた様子はない。
少女はおっかなびっくり大男のわきをすり抜けながら、声を殺して少年にたずねた。
「ど……どうして? このひと、わ、わたしたちが見えないんでしょうか」
「そのとおり、見えねえんだ。信じられんことにな!」
少年は声をひそめようともせずに答える。
「気配さえしぼっておけば鼻先を通ったって人間どもは気づかねえ。どいつもこいつもおまえ同様、頭が固いからだ!」
突きあたりの、重厚な布張りの防音ドアに歩み寄るなり、少年は乱暴にも足で蹴り開けた。
少女はぎょっとして大男の反応をうかがったがやはり気づいた様子はなく、
「……!」
反動ではねかえる防音ドアをくぐってすべりこむと、琥珀色のやわらかい照明が全身に降りそそいだ。靴が沈みこむほど毛足の長い敷物に遠慮しながら、少女は少年を追う。
思いがけないほど高い天井では骨董もののシャンデリアがきらめき、フロアには純白のテーブルクロスをかけた丸テーブルが十個あまり配置されていた。中央奥には小さなステージがしつらえられ、数人編成の楽団がおとなっぽいジャズを演奏している。
テーブルの半分が客で埋まっていたが、少年のあとについてステージ方向へ進むにつれ、少女は客のおよそ半分が人間ではないことに気づいた。
人間は彼らがそばを通っても気づかないが、人でないものはこちらを見るからだ。
しかもそれぞれ目を薄闇に青白く、あるいは赤く光らせる客たちは、タキシードをりゅうと着こなした紳士も着飾った淑女もみな、人の顔をしていなかった。あごのだぶついた爬虫類や毛むくじゃらの獣、溶けた肉面そっくりののっぺらぼうまでいる。
「おい見ろよ、マハーカーラだ」と相席の異形の仲間をひじでつついて耳打ちする者。
「ごきげんよう、ハディード様」とわざわざ立ちあがって古風に一礼する者。
「たいそう味の良さそうな生き霊を連れておいでだが……」
でっぷり太ったガマカエルがイボだらけのあごをなでるとなりで、
「しいっ、手なんか出したらこっちが食われる」
一見普通の人間だがやけに耳のとがった若者がひひひ、と首をすくめて忍び笑う。
そしてみな一様に、むきだしの食欲にぎらつく目でじいっと少女を見送るのである。
猛獣の群れに囲まれている心地で、少女は悪寒に身を震わせながら、必死に足を速める。
そのままステージわきのドアを入り、地下へとのびるらせん階段をたっぷり三階分は降りただろうか。どん詰まりの闇に楽屋らしき半開きのドアがあり、灯の光がもれていた。
「アイシャ! 相も変わらず、しちめんどくせえとこに住みやがって!」
少年は、不作法な怒声とともにドアをたたきつけんばかりの勢いで開いて中へ入る。と、
「深いところが好きなのですわ」
ぞくりとするほど官能的な、琥珀のようになめらかな女性の声が響いた。
「ようこそおいでくださいました、素戔嗚尊。五十年……いえ七十年ぶりになりますかしら」
「覚えてない。アイシャ・カンディーシャ、今日はな……」
と性急に言いかけるのをさえぎって、女性の低めの美声がものやわらかになじる。
「貴方も相変わらずですこと。アイシャと呼ばないでと前にも申しあげましたのに」
「じゃあなんと呼んで欲しい? レディ・アイシャなら満足か。それともウェヌスか、メリジェーヌか、ナーギニーか……だいたいおまえは名前が多すぎる!」
「まあ、鉄に戦、暗黒神……なんと呼ばれても気にもなさらない貴方に、ひとのことが言えまして? わたくし、この百年は珠貴と名乗っておりますの。そろそろ覚えてくださいな」
少女はすっかり気おくれしてしまい、戸口手前の暗がりに立ちすくむ。
乱れ飛ぶ呼称の意味はほとんどわからなかったが、スサノオの名だけは耳になじみがあった。確か日本神話一の暴れ者で、ヤマタノオロチを退治したのではなかったか。
墓場で目にした殺戮の光景が、脳裏に生々しくよみがえる。
あの時少年は、戦と殺しを心から愉しんでいた。
そしてあの、天地を押しひしぐような気を放つ、恐ろしい第三眼──。
神話伝説の語る破壊神の姿、そのものではないか。
(も……もしかしてわたし、とんでもない神さまについて……来ちゃった?)
少女は思わず逃げ道を求め、らせん階段をふり返る。そこへ、
「そちらの貴女、尊のお連れにしては内気な娘さんだことね。遠慮せずにお入りなさいな」
見透かしたような美声が響いた。
退路を断たれ、少女は震えながらぎくしゃくと戸口へ進む。
「……!!」
息をのんだ。
大きな鏡台の前でくつろぐ楽屋のあるじは、太陽も色を失う豪奢な美女であった。
褐色の美貌はあくまで気高く、神々しく、豊かに波打つ髪は漆黒の滝さながら。熟れた果実を思わせる、豊満な胸の谷間には幾重にも、真珠のネックレスがなだれ落ちている。
妖艶な腰のラインを誇示するごとく、美女は透かし彫りのついた寝椅子によりかかり、優雅に水タバコを吸っていた。その黒いドレスのすそからは黄金の蛇体がきらめき伸び、寝椅子の周囲を二重に巻いてもまだ足りず、重々しく床をうねっている。
恐ろしいほど美しい蛇女神は、ブラックオパールをはめこんだような、神秘的な七色にきらめく瞳で少女を見つめ、とろける蜜のように優しげにほほ笑んだ。
「まあ、愛らしい娘さんだこと。食べてしまいたいぐらい」
「やらんぞ」
破壊神はすかさず真顔で釘を刺す。だが蛇女神は、
「でも尊、ごらんになって、この娘さん、かわいそうにこんなに透けて……もう夜明けを待たずに消えてしまいますわ。はやく食べてしまわないともったいなくはありません?」
果物の話をするような、なにげない口調で言った。肉感的なくちびるで水タバコの黄金の吸い口をくわえ、深々と吸いこんだ煙を少女に向かって吹きかける。
煙は妖しい紫色で、なにか麻薬めいて甘い香りがした。
生きた心地もせず後じさる少女をよそに、破壊神は当然のような顔をして続ける。
「だからおまえのところに来たんだろうが! なんとかこいつをもたせられねえか」
「もたせてどうなさいますの。まさか身体を探すおつもりとか」
「生き霊なんだ。身体に戻しゃ、元気になるだろ」
「あまり良いお考えとは思えませんけれど……」
「俺の勝手だ」
「ええ、そう。貴方はいつも勝手な方」
蛇女神は物憂げに嘆息すると、水タバコの吸い口をひざに置き、骨などないかのようなやわらかい動きで、両手のひじまでをおおっていたシルクの手袋をはずした。
なよやかな、光り輝く蛇のように美しい左手が宙を泳ぐ。
ちん、とその、完璧に磨かれた長い爪がガラスをはじいたような、上品な音がした。
かと思うとすでに、その手の中にクリスタルのグラスが出現している。
グラスの中ではサファイアを溶かしたような透きとおったブルーの液体が、たった今つがれたばかりといった様子で、ゆらゆらと揺れていた。
「こちらへ、娘さん」
蛇女神はまたたきもせずほのかにほほ笑み、琥珀色の美声で招く。
少女は魅入られたようにふらふらと、考える間もなく前へ出ようとする。その腕を、破壊神がつかんでひきとめた。注意する。
「いいか、絶対にやつの手には触れるな」
「?」
「あいつは手で生き物の気を吸う。触れたらおまえなんざ一瞬で吸い尽くされちまうぞ」
少女は真っ青になり全身をこわばらせたが、かろうじて小さくうなずいた。回れ右して逃げ出したいのを必死でこらえ、膝を震わせながらもなんとか蛇女神の前へ進み出る。
破壊神の忠告は聞こえたはずだが、蛇女神は怒りもいらだちも見せなかった。
かえって興味をそそられた様子で目もとをゆるめ、少女にグラスを差し出す。形のいい指は受け手に触れないよう礼儀正しく、グラスの長い脚の先の方をつまんでいた。
「どうぞ、お飲みなさいな、意外と勇敢な娘さん。できればだけれど」
「は……はい」
少女は蛇女神の言葉の意味を考えるひまもなく、震える両手でグラスを受け取ろうとする。
だが半透明の手はなんの抵抗もなくグラスを突き抜け、空をつかんでしまった。
「!?」
あせって二度、三度と試すが指にはガラスの感触も、液体の感じすら伝わってこない。
「手おくれですわ」
蛇女神が優しく告げる声が、どこか遠くで聞こえた。
「もうグラスもつかめないんですもの、ねえ尊、この子わたくしにくださいません?」
(は、早く……なんとかこれを飲まないと食べられちゃう!)
恐怖に肌がそそけ立つ。
絶望に追いつめられ頭が真っ白になった瞬間、少女の中でなにかがはじけた。
考えるより先に手が動き、グラスを両手で包むようにつかまえていた。
手のひらにひやりと、つめたいクリスタルの感触が伝わると同時に、少女は無我夢中で飲み物の、怖いほど見慣れない深いブルーをあおった。
「……!!」
強いお酒でも入っていたのか、火のような熱さがのどを灼いて駆けくだった。少女は涙をにじませて激しくむせ、しびれた手からすべり落ちたグラスが床に当たって砕ける。
(あっ……)
ごめんなさい、と言おうとした時、不意に視界が、陽炎のようにゆらめきたった。見る間に部屋の中のあるゆるものが細く長く、天井めざして悪夢のように伸びあがっていく。
平衡感覚を失ってふらつき、少女は思わずぺたんとその場にすわりこんだ。
だが、酔っぱらっちゃったのかしら? と思う間もなく、床についた手の下でざわざわと、じゅうたんが生き物のようにうねる感触にぞっとして手をひっこめる。
「!?」
見ると、深い濃紺に輝くブルーを基調に、美しい花と唐草の柄を織りこんだじゅうたんの、一本一本の糸が育ちゆく草のように丈を伸ばし、あまつさえ太っていきつつあった。
ついさっきまでその中に沈みこんでいた少女の身体も、糸が育つにつれ持ち上げられ、ついにはみっしりと立ち並ぶ強い糸の上に軽々と支えられてしまう。
なにがなんだかわからず、息をのむしかない。
その時、
「……あっ」
少女は、自分の手がもはや透きとおってはいないことに気づいて、ぱっと童顔を輝かせた。
「あの! あ、あ、ありがとうございま……」
感謝しようとあわてて立ちあがって蛇女神の方を見たとたん、言葉が宙に消える。
楽屋が、消えていた。
いや、違う。あるにはあった。しかし床がとほうもなく広くなっている。十メートルほど先に、氷のモニュメントのようにそびえているのは……巨大なグラスのかけら?
「驚きましたわ」
頭上はるか、およそ二十階建てのビルのてっぺんあたりから蛇女神の全身に響くような美声がつぶやくのを聞いて、少女はゆっくりと目をあげる。
声も出なかった。
黄金の砂丘のようにうねる巨大な蛇体の向こう、大いなる黒檀の玉座に腰を下ろし、蛇女神は今や、古代神話から抜け出した偉大な地母神さながら、岩山の質量でそびえていた。
その蛇女神がゆらりと、巨木のしなうように片手をふる。
するとちりちりと涼しい音をたてながら、巨大なグラスのかけらが宙に浮きあがり、見る間に元通り組みあがって消えた。
「す……すみません」
他に言葉が見あたらず、少女はぼうぜんとつぶやく。
「いいのよ」
山のような蛇女神は海に広がるさざ波のようにやわらかくほほ笑み、ふたたび手をふった。
また、ちりちりと響き始めた音に驚いてふり向くと、いつ割れたのだろう、巨大な蛇女神のかたわらの巨大な鏡台の鏡が、落ちた破片を吸い寄せている。
あっという間に傷ひとつなく復元した。
天にも届きそうな鏡を見つめ、少女は、あれを壊したのもわたし? と、ぼんやり思う。
そうかもしれない。
さっき墓地で墓石を倒したような力がまた出たのかもしれなかった。
そして、グラスも蛇女神も、いや部屋自体が巨大化したこの状態というのはすなわち、まわりが大きくなったのではなくて、自分が小さくなったのだ、と少しずつのみこめてくる。
「見かけによらず、辛みのある娘さんですのね」
「だろう」
自慢げに答える破壊神にため息をつき、蛇女神は小さくなった少女を見下ろした。
「でも娘さん、覚えておおきなさいな」
山の高みからふり向けられたブラックオパールの視線の重みを受け止めきれず、少女のひざはがくがくと震えだす。蛇女神は淡々と続けた。
「貴女は今、身体という器に守られていない、むきだしの霊なのです。ですから今しがたのような力も出やすいですけれど、むやみに使ってはなりませんよ。そうでなくても身体を離れた霊は、長くとも三日ほどしか存在をたもつことができないのです。今、わたくしは貴女に縮身の術をかけました。貴女はもう消滅寸前でしたけれど、ずっと小さくなったから……そうね、今ふうの言い方をするなら省エネ効果であと二、三日はもつでしょう。その間に身体を見つけて戻ることができれば助かります。でも、よろしくて? 身体に戻る前にまた、今のような力を出したら、そのたびに寿命が一日縮むとお思いなさい。あと二度も力を使えば、貴女はすぐにも消えてしまいますよ」
「は、はい……気をつけます」
と少女が言うのを見届けて、蛇女神は破壊神の方へ、優雅に手を差し出した。
「では、お代をいただきますわ」
「いくらだ」
「十六年」
なんのことだろう、と思う間もなく、破壊神の足が黒い竜巻のように勢いよく少女の横を通り過ぎた。今や一寸法師サイズの少女は、一瞬遅れて吹きつけた強烈なあおりをくらって、羽虫のようにくるくるとじゅうたんの上を吹き飛ばされる。
やっとの思いでじゅうたんの糸にしがみつき、顔をあげると、
「取れ」
破壊神が蛇女神の手に、無造作に自分の手を重ねるのが目に入った。
手にはなにも持っていなかった。
いやそれより、さっき蛇女神はその手から気を吸うと言っていたのに、さわったりしてだいじょうぶなのか──と心配する間もなく、
「!!」
蛇女神の手の、なめらかな褐色の肌が落日の黄金に輝き、同時に破壊神の、磨いた鉄のような暗色の手が不意にくしゃりと、ミイラのようにしなびてしまった。
ぞっとするような間があった。
蛇女神と破壊神の間に、互いを獲物と見なす恐竜同士のような極限の殺気が張りつめ、見あげるしかない少女は殺戮の予感に凍りつく。が、
「!」
今にも破壊神の額に第三の瞳が開くかと思われた瞬間、蛇女神がさっと手をひいた。
「まあ、このわたくしが、貴方からよぶんな報酬をかすめるような愚か者に見えまして?」
やんわりとなじるが、本音かどうかはわからない。一方、
「その気になりゃあ勝ち目は五分五分のくせに、いつもいいところでひいちまいやがって」
残念がる破壊神は本気だった。
そのしなびて見えた手はすでにもとに戻っていたが、蛇女神をにらむ銀の瞳にはご馳走をひっこめられたような恨みがこもっている。
「この出し惜しみ女め! たまにゃあ本気で勝負してみようとは思わねえのかよ!」
「それは……わたくしにとって貴方の気は極上の美酒、いつかは貴方を殺してそこにお持ちの命の核、霊玉も味わってみたいとは思いますよ。貴方の霊玉は食べたものを不死にすると言われておりますし……でも、そのために……」
蛇女神はしゅるしゅるとのどの奥を鳴らし、恐ろしくもあでやかに笑った。
「ひとつしかない大事な命を危険にさらすのは嫌ですの。まだ貴方に食べられてしまいたくはありませんもの。わたくしはこの星がなくなるまで長生きしたいのです。貴方にも長生きしていただいて、たまに取引で気を味見させていただければ満足ですわ」
ほとんど友情と見まごう、不思議な暖かさのこもった微笑とともに首をかしげる。
「尊、ですからもしお入り用でしたら、貴方の分の縮身術は無料でご用立ていたしますよ」
「よけいな世話だ。またな、アイシャ」
無愛想にきびすを返す破壊神の言葉を、蛇女神は穏やかに訂正した。
「珠貴です。ところで尊」
「なんだ?」
「その娘さんにはもう、身体に戻ったあとのことについてきちんと説明なさいました?」
言われて、一寸法師サイズの少女をつまみあげようと身をかがめかけていた破壊神は動きを止めた。ちらっとめんどうくさそうな顔をする。
「そんなのいつだっていいじゃねえか。こいつだってもうわかってるだろ」
「わかっていないと思いますわ」
「…………」
山のような二者にそろって視線をそそがれて、少女は腰が抜けそうになった。
ややあって破壊神が決心したらしくひざをつき、つめたい銀の瞳で少女をのぞきこむ。
「おいおまえ、ここでひとつだけ約束しろ」
「ど、ど……どんな約束でしょう?」
「無事、身体に戻ったら俺と戦え」
言われて少女はぼうぜんとなった。
神話の神と自分が戦う? できるわけがない!
「ほら、尊、少しばかり霊力があるとは言ってもしょせんはかよわい女の子、そんな無慈悲な要求をなさるものではありませんわ」
蛇女神が舌なめずりしそうな顔つきで口をはさんだ。もし少女が破壊神の提示する約束をのめなければ食べてしまうつもりらしい、と悟って少女は蒼白になる。しかし、
「た、た、戦うってでもわたし、そ、そんな、ちゃんと戦ったりなんかできません!」
泣きそうになりながらも正直に言わずにはいられない少女に、破壊神はにやっとした。
「アホウ。技量なんざ求めてねえ。おまえが本気で戦えばそれでいいんだ。できるだろ」
「ほ、本気でまじめに戦えば、そ、それでいいんですか?」
オリンピックのようなものなんだろうか、と思ってしまったのは緊張と恐怖で頭がまともに動いていなかったからにちがいない。しかし破壊神は寛大な面もちでうなずいた。
「おまえが真剣でさえあれば文句は言わん」
「じ……じゃあ、や、約束します」
「よし。言あげしろ」
「はい?」
「口に出して誓え。身体に戻ったら必ず俺と戦うと。さあ言え」
「わ……わ、わたしは身体に戻ったら、必ず、ス……スサノオさんと戦います」
という自分の言葉があたりの空気を震わせた瞬間、なにか、取り返しのつかないことをしでかしてしまったという実感が全身を貫き、少女はぞっと立ちすくんだ。
強い魔法でもかかってしまったような感覚があった。自分はきっとこの誓いを守らなければならなくなるだろう。いや、守る気がなくても、この誓いは必ず実現するにちがいない。
「よし!」
破壊神はほとんど無邪気に見えるほど、心底嬉しそうに顔を輝かせ、
「まあ、残念」
蛇女神はうらやむような、祝うような、ほっとしたような、実に複雑な苦笑を浮かべた。
ゆったりと寝椅子にもたれ直し、水タバコの吸い口を取りあげる。
「心からお祝いを申しあげますわ。その娘さんをお食べになれば、貴方も昔の力を取り戻されることでしょう」
「えっ……た、食べる!?」
本気でまじめに戦う、とは約束したが、食べられる、などと約束した覚えはない。
仰天して固まる少女を見て、蛇女神は家畜を憐れむような、いとも優しい微笑を浮かべた。
「まあかわいそうに、知らなかったの? 尊は闘志をもって向かってくる相手しかお食べになれない、たいへんな偏食家でいらっしゃるの。おかげでもう少しで餓死してしまわれるところだったけれど……貴女のような栄養のある方と契約できて、ほんとうに良かったこと」
「え……えいよう……?」
「霊力のことよ」
紫色の煙をくゆらす蛇女神の、少女を見る瞳に、隠しきれない欲望の炎がちらつく。
「貴女ほど霊力のある方はとても、とてもめずらしいの。それで〈千年にひとりのごちそう〉と呼ばれ、珍重されているのですわ。目にするだけでも運がいいのに、そのまま食べてしまえる生き霊状態で出会うなんて……」
(ごちそう……)
ショックのあまり蛇女神の音楽的な声がふうっと遠ざかり──
少女はその場に倒れて気を失った。
◆
少しして、地下の店から出てきた破壊神は、まだのびたままの一寸法師サイズの少女を、猫の仔か人形のように無頓着につまんでぶらさげていた。
だがさすがにそのままでは落とすかもしれない、と気づいたのだろう、肩布のひだに包んで胸もとに抱きこみ、そのままひょいと空中へ飛び立つ。
その姿が夜空にまぎれて見えなくなって間もなく、ビルの壁じみの中にぱちりと赤い目が開いた。続いて軒下の陰の中でもぱちり、ぱちりと大小さまざまな目が開く。
「なあ、あれは、しんらさまの探しておられた例の……」
「うむ、生き霊娘だったようだが」
「まだ消えてなかったとは……蛇姫の薬をのんだかよ」
「あれは高価いのになあ」
「うむ、高価いのになあ」
「それにしてもなぜあの娘があのような、おそろしい者の手に?」
「お伝えせねば」
「せねば」
つぶやく異形の目たちが、ざわざわと陰の中へ沈んで消えていくのを目撃したのは、燃えるように明るい、月だけであった。
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