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1 千年にひとりのごちそう①


 これは、


 神に恋した少女と、


 ひとを愛した神の物語。




 ただし出会いは最悪だった。





 月が、燃えている。

 真夜中の街は明るすぎる月光に闇を()かれ、白く、昏々(こんこん)と寝入っていた。

 息も絶え絶えにあえぎ、よろめきながら走る小柄(こがら)な少女に、目をとめる人影とてない。


 大きな(ひとみ)に幼さの残る、可憐(かれん)な少女であった。

 しかし左右に分けて丁寧に編み、輪にまとめた巻き毛はほつれて乱れ、大ぶりな眼鏡(めがね)は今にもずり落ちてしまいそうだ。


 もう、走れない。

 少女は必死で(かく)れる場所を探し、とっさに目についた木戸に手をかける。


「!!」


 開いた。


 夢中で飛びこんで戸を閉め、掛け金にぶらさがっていた南京錠(なんきんじよう)をしっかりはめこむ。やっと少し安心して戸に背をあずけたとたん、後悔(こうかい)のあまりへたりこみそうになる。


 そこは、墓地だった。


 放置されて久しいらしく、信じられないほど荒れはてていた。草ぼうぼうの敷地にこけむした墓石が黒々とひしめき、今にもなにか出そう。反射的に引き返そうと背後の戸を手探りしたが、たった今自分で鍵をかけたばかりだ。開くわけがない。


 涙ぐみながらもかろうじて覚悟(かくご)を決め、少女は夜露(よつゆ)()れた雑草をかきわけ、おっかなびっくり歩き出した。だが十メートルと進まないうちに、

「!」

 なにか(かた)いものにけつまずき、思いきり草むらの中につっぷしてしまった。


 童顔を泣きべそにゆがめて身を起こし、セーラー服についた(どろ)をはらおうとしたが落ちない。

 あきらめて眼鏡をひろってかけ直し、なににつまずいたのか確かめようとふりかえって──少女はぎょっと息をのんだ。


 草むらの向こう、墓石の陰から、人の足が突き出ている。

 骨と皮ばかりにやせこけた足であった。ぼろ布がからみついているが裸足(はだし)。ひからびたミイラにしか見えず、少女はぞっと(ふる)えあがる。そこへ、


「……あ!」


 墓石の陰からひょっこり、薄汚(うすよご)れた老犬が顔をのぞかせた。

 これもひどくやせ、皮膚(ひふ)病にやられてハゲだらけだが首輪はしている。


 少女を見るとちぎれんばかりにしっぽをふり、いそいそと近づいてきた。

 熱い舌でぺろりと手をなめ、次いでセーラー服のすそをくわえると、キュンキュンと(うつた)えるように鼻を鳴らしてひっぱる。ミイラのような足のぬしのところへ連れて行きたいようだ。


「そんな……あの……わ、わたし、い、い、急いでるんですけれど……」


 相手は犬だ。言い訳などしている間に立ち去ってしまえばいいのだが、よほど気が弱いのかお人好(ひとよ)しなのか、少女は結局犬の求めに従い、(おそ)る恐る墓石の陰をのぞきこんだ。


「…………」


 ぼろ布にくるまって地べたに横たわる人影をみとめて、少女はしかし、いよいよ青ざめる。

 あれほど勢いよくつまずいたのだ。熟睡(じゆくすい)していても目を覚ますのが普通だろう。なのに飼い犬らしい老犬がクンクン鼻を鳴らしてつついても、なんの反応もない。


 行き(だお)れか、それとも殺されて捨てられたのか。わからないがやはりこれは死んでしまっている……と思いつつも、少女は老犬のすがるような視線に負け、横たわる人影にそろそろとにじり寄った。ぼろ布の間からこぼれる、夜目にも白い長い(かみ)に目をとめて、


「あの、お……おばあさん? こ、こ、こんなところで()てらっしゃるとカゼひきますよ」

 場違(ばちが)いなことを口走ってしまいながら、震える指先で相手の(かた)()れようとする。瞬間(しゆんかん)

「!?」


 やせさらばえた手が獲物(えもの)に食らいつく毒蛇(どくじや)(きば)のようにひらめき、少女の手首をつかんだ。

 少女は仰天(ぎようてん)して手をひっこめようとしたが、万力にはさまれたようにびくともしない。


 悲鳴もあげられずに立ちすくむ目の前で、白髪(はくはつ)(かげ)(しず)む、相手の骸骨(がいこつ)めいて暗くしなびた顔に、(やいば)で切り()いたような(するど)い光の亀裂(きれつ)が生まれた。

 亀裂はゆっくりと広がり、煌々(こうこう)と銀に(かがや)く、真冬の月さながらにひややかな双眸(そうぼう)と化して地べたから少女をにらむ。


「……誰が、ババアだと?」


 思いがけず若々しい少年の声を耳にし、少女は自分の勘違(かんちが)いに気づいてうろたえた。


「あっ、す、すみません! ごめんなさい、暗くてよくわからなくて、わたし、あの……」

「ふん」

 少女を見つめる白銀の瞳が急に、興味を失った様子で半ば閉じる。白髪の少年はあっさり少女の手を放すと、はしゃぐ老犬をじゃけんに追い(はら)い、大儀(たいぎ)そうに寝返りを打った。


「クソ……()(りよう)かよ。しけてやがる」

「えっ、い、生き霊!? どっ、どこにですか?」

 青くなってまわりを見まわす少女に、少年は背を向けたまま辛辣(しんらつ)に舌打ちする。


「アホウ。おまえ以外の誰がいる」

「……え? わ……わたし?」

 その時、少年に甘えていた老犬が不意にがばっと向き直り、ぐるるると牙をむきだした。


 同時に少女も、自分の背後に集まりつつある異様な気配に気づいてすくみあがる。

()()()()()()!)

 だが、そう直感する一方で、少女の心の中に初めて、素朴(そぼく)な疑問が生じていた。

(追いつかれた? って……でも……()()()?)


 考えてみればそもそもいつ、どこで追われ始めたのかすらはっきりしなかった。

 ずいぶんと長い間、死に物(ぐる)いで()げてきたような気がするが──と、そこまで考えてようやく、少女はもっとずっと根本的な問題に気づいて愕然(がくぜん)とする。


()()()()……()?)


 背後で、ぎぎぎがぐう、となにかがふくみ笑った。

 ぴちゃくちゃちい、となにかが甲高(かんだか)くおしゃべりする。

 老犬が負けじと薄汚れた毛を逆立て、ワンワンワン! と勇ましく()えたてた。

 少女はゆっくりと、背後に目を向ける。


 燃えるような月のもと、鼻が曲がりそうな悪臭(あくしゆう)と悪夢の極彩色(ごくさいしき)が墓地を蹂躙(じゅうりん)していた。

 虫の(あし)を生やした異形の胎児(たいじ)たちが水ぶくれした(ほお)を寄せあってキイキイ笑い、(おおかみ)の口を持つ時計は血走ったひとつ目をぎょろつかせて泣いている。ふためと見られぬ()(くず)れた顔が青白い(くき)の上に続々と花咲く足もとでは、月光にぬらぬら光る(くさ)った内臓のようなものが、おぞましい(かげ)の口から緑のよだれをたらし、じゅうじゅうと草むらを焦がしていた。


(……わたし、きっと夢を見てるんだわ)


 少女は思った。


(ほら、ぎゅっと目をつむって、ひとつ数えて、ゆっくり開いたら……覚める)


「…………」

 目を開いても化け物で()まった墓地は相変わらずそこにあったが、その時、少年の犬が吠えるのをやめた。

 放たれた矢のように猛然(もうぜん)突進(とつしん)、手近な化け物の脚に噛みつくと、勇猛(ゆうもう)猟犬(りようけん)のうなりをあげて首をふりたて、食いちぎろうとする。


 しかし化け物は表情も変えず、おもむろに細長い手をのばして老犬の頭を()()()()

 他の連中もわらわらと寄り集まり、老犬の四肢(しし)()をつかむ。次の瞬間、


「!!」


 ギャッ、という総毛立つような絶叫(ぜつきよう)を残し、老犬の身体(からだ)はばらばらにひきちぎられた。

 月光に黒々と飛び散った鮮血(せんけつ)が数(てき)、少女の頬にも熱いしずくとなって当たる。

「き……」


 極限の恐怖(きようふ)に凍りついた少女の(ひとみ)はまたたきを忘れた。見たくないのに、ばりばりくちゃくちゃと、スナックのようにたあいなく食われていく老犬の末路から目が(はな)せない。

 なにも考えられなかった。わかっているのはただ、次は自分だということだけ──。


「うるさい、(だま)れ」


 足もとからぴしりと言われて初めて、少女は自分がのども裂けんばかりに悲鳴をあげていることに気づいた。(さけ)ぶのをやめると酸欠で頭がふらつき、急にあたりが静かになる。


「そうだ、黙ってろ。せっかくの空気が苦くなる」


 少女には、少年がなにを言っているのかよくわからなかった。

 それよりも、目の前で自分の犬が殺されたというのに、少年の声がどこか()かれているように聞こえるのが気になって、ぎくしゃくと首をめぐらし、少年の方を見る。


「…………」

 少女はぼんやりとまばたきした。

 ついさっき、あんなにやせ(おとろ)えて見えたのは、夜闇(よやみ)ゆえの目の迷いだったのだろうか。


 悠々(ゆうゆう)頬杖(ほおづえ)をついて横たわる白髪の少年は、さっきとはうって変わって生気にみなぎっていた。見るだけで(たましい)まで(こご)えさせる、恐ろしく無慈悲(むじひ)な微笑を浮かべた頬も(みが)きあげた鉄のような暗色につやつやと輝き、いかにも健康そうだ。


「やせ犬一(ぴき)を分け合うとは仲のいいことだ」

 白髪の少年はおののく少女には目もくれず、化け物たちにからかうような声をかけた。

「だがそんなことで腹がいっぱいになるかよ、ええ? 考えてもみろ、どうせなら仲間を出し()いてひとりじめにしちまえば、ずうっとたらふく食えるってもんだろうが」


 無言で顔を見合わせる化け物たちを、少年は寝転(ねころ)がったままけらけらとあざ笑う。

「グズどもめ! 一匹じゃいつメシを食うかも判断できんのか。クソ虫以下だなあ!」

 悪臭ふんぷんたる化け物たちにとっても、この言葉は侮辱(ぶじよく)であったらしい。ぎちぎちと(いか)りにきしむ彼らの輪郭(シルエット)が、見る間にひとまわりふくれあがった。


 一匹が侮辱の返礼か、下水の逆流するような(いや)な音とともに、未消化の汚物(おぶつ)にまみれたなにかを()いてよこす。

「……!」


 (にぶ)い音をたてて墓石にはね返り、少年の目の前まで草むらの中を力なく転がってきたものは、殺された老犬の首輪であった。少女は全身の血の気がひくような衝撃(しようげき)をおぼえたが、ふと目に入った少年がうっとりと、愉悦(ゆえつ)に近い表情を浮かべているのを見て目を疑う。

「!」


 瞬間(しゆんかん)、ドッジボールの球を受けそこなったような衝撃に額をたたかれ、少女はあっ、とのけぞった。間一髪(かんいつぱつ)、牙をむいた化け物の影が鼻先を黒い風のようにかすめ過ぎる。

 少女は(おどろ)いてバランスを崩した。が、彼女の(こし)が草むらに落ちるより速く、

「!!」


 まばゆく(かがや)く流星が突如(とつじよ)、視野一面に音もなく降りそそぎ、美しい白銀の軌跡(きせき)で夜空を縦横に分割したように見え──そのとたん、先を争って(おそ)いかかろうとしていた化け物たちもまた数センチ四方に分割され、ばらばらの肉塊(にくかい)と化して()っ飛んだ。


 生臭(なまぐさ)突風(とつぷう)がどっと真夜中の墓地をなで、草むらをなぎ(たお)す。

 血まみれの肉片があたり一面に飛び散り、墓石にべちゃぐちゃとはりついて(きたな)らしくその表面を伝った。と思う内にどの肉片も黒っぽい(ちり)となり、カビの胞子(ほうし)めいて崩れていく。


 すとん、と少女はしりもちをついた。

 月光が()()えと明るさを増す中、死んだ化け物たちの塵が(うず)を巻いて集まってくる。

 少年が、悠然(ゆうぜん)と立ちあがった。

(あっ……!?)


 そのとたん、少女は息ができなくなった。まわりの空気がいきなり深海の水圧を獲得したかのようで、今にも押しつぶされてしまいそうだ。

 石になったように動けない少女の前で、塵の渦へ向かって手を差し出す少年の(かた)から、ぼろ布がすべり落ちた。長い白髪がむき出しの背に、魔獣(まじゆう)のたてがみのようにひるがえる。


「…………」

 見れば、小柄な少年であった。ぼろ布の下の上半身は(はだか)で、密林の狩人(かりゆうど)か古代の戦士のように月光に隆々(りゆうりゆう)たる陰影(いんえい)を刻んでいるが、平均的な中学生より小柄だ。しかし、その小さい立ち姿が今や、太陽か月でも体内に宿しているかのように、一種異様な重量感──いや、物理的引力にもひとしい超常(ちようじよう)圧迫感(あつぱくかん)を放ち、まわりの空気をゆがめていた。


 しかもその(うで)からは、(やいば)だろうか、月の(ふち)をそぎ取ったように(するど)い、つめたい銀にたわむ光が生えており、あっという間に化け物たちの塵をのみほすと、カタツムリの触角(しよつかく)のようにやわらかそうに縮んで体内に消える。暗い(はだ)には痕跡(こんせき)すら残らなかった。


「なんだ、まだいたのか」

 ふり向く少年の額に第三の、満月の輝きをたたえた瞳が鋭く縦に開いているのを()の当たりにして、少女はやっと、理解した。

 あの化け物たちだけでなく、この少年もまた、人間ではなかったのだ。


 そしてそう納得(なつとく)したとたん、少女は、全身が砂になって(くず)れていくような無力感に打ちのめされた。ここは本当に日本なのか。自分は(だれ)なのだろう。これが現実ならもうなにもできる気がしなかった。()げるどころか息をすることも、存在し続けることさえ……。


「クソ、苦いっ」

 白髪の少年が不意に強烈(きようれつ)嫌悪(けんお)に顔をゆがめ、ほんとうに苦いものが口に入ってしまったかのようにぺっぺっとわきにつばを吐き捨てた。


 その額で第三の(ひとみ)跡形(あとかた)もなく閉じ、すると、夜空をゆがめていた異様な圧迫感も消え()せた。少女は思わずホッと息をつく。

「このクソアホウ! 根性(こんじよう)なし! とっとと失せろ、せっかくの後味が悪くなるっ!」


 ぽんぽんののしる少年も、今は普通の……とは言えないかもしれないが、いちおう人間に見えた。少女はしかし、気持ちが楽になったとたん、あることに気づいてハッとする。

 あわててまだ力の入らないひざをはげまし、墓石にしがみついて立ちあがった。


「あっ、あ、あの、た、助けていただいて……その、ありがとう……ございました」

 恐怖と緊張にどもりながらも、なんとか感謝の言葉をしぼりだす。


 あの一瞬(いつしゆん)、化け物に食いつかれずにすんだのは見えない衝撃に()き飛ばされたおかげだ。

 なにをどうしたかはわからないが、少年がやったとしか考えられない。しかも、彼のおかげで(おそ)ろしい追っ手はすっかりいなくなったのである。相手が人間だろうとなかろうと、ここはちゃんとお礼を言わなくては、と考えたのだが、


「助けただあ? ケッ、()ぼけてろ! きさまのようなクソ苦いヘタレの命が混じっちまったらせっかくのメシがだいなしになるだろうが!」

 少年はふり向きもせず、しっしっと追い(はら)うように手をふった。

「行っちまえ。二度とこのあたりには近づくなよ!」

「……す……すみません」


 少女は消え入りそうになってうつむき、素直(すなお)に立ち去ろうとしたが、考えてみればどこへ行く当てもない。思わず少年を見たが、あの一方的殺戮(さつりく)を〈メシ〉と称するような恐ろしい存在にあえて道をたずねる勇気もなく、とほうに暮れて立ちつくす。


 少年は、少女の存在などすでに忘れた様子で、ぼろ布をひろいあげた。

 それなりに大事にしているのかどうか、黒っぽい大きな布を片手で器用にひるがえし、マントのように肩に巻きつける。最初に寝ていたのと同じ場所にまた腰をおろそうとして、足もとにゴミでも見つけたらしい。無精(ぶしよう)にも、無造作に足で()りよけた。

「……!」


 ゆがみのきた自転車の車輪のようにふらふらと少女の前に転がってきたのは、化け物が()きだした老犬の首輪だった。ぱさりと草むらに倒れて止まる。

 血と汚物(おぶつ)にまみれた首輪をぼうぜんと見つめるうちに、少女は唐突(とうとつ)に、自分でも思いがけないほど熱い怒りが、ふつふつとこみあげてくるのをおぼえた。


 そう、この少年は人間ではない。しかもあんなにも圧倒(あつとう)的に強かったのだ。

 なのになぜ彼は、主人を守ろうと命がけで奮戦した老犬を見殺しにしたのだろう?

 いや、それどころか……。

「ど……どうして……」


 少女は(こぶし)(かた)(にぎ)りしめたまま、(いきどお)りに(ふる)える声が自分の口からこぼれるのを聞いた。

 ふり向いた少年のうるさそうな表情にひるんだものの、あふれだした言葉は止まらない。


「なんであんないいコの首輪を蹴ったりするんですか! あ、あなたの犬なんでしょう!?」

「バカ言え。俺が犬なんか飼うか。あいつは勝手にそばにいただけだ」

「そっ、そうだとしてもあのコ、あ、あなたのことを守ろうとして死、死んだのに……!」

「それがどうした。俺がたのんだわけじゃねえ」


 そのとおりだ。確かにそのとおりだったが、少女はますますかっと頭が熱くなる。

 しかし少年は、怒りに震える少女を見て、かえっておもしろがるような()みを()かべた。


「ふうん、うす(ぎたな)野良(のら)(こう)最期(さいご)にひと花咲かせたのがそんなに気に入らんか? カイセン()みの老いぼれにしちゃ、なかなかの気合いだったじゃねえか! くく、まあ、かなわねえ相手に真っ正面からかかっていくようじゃ、若くても役には立たなかったろうがなあ」

「……こ、この……」


 のどもとに熱いかたまりがつかえ、憤りの(なみだ)に目がかすむ。

「ひとでなしっ!!」

 叫んでしまった瞬間、少女の視野をまぶしい光が、真っ白に塗りつぶした。


        ◆


「!?」

 空は確かに夜なのに墓地の中だけが真昼の明るさに包まれ、その奇妙(きみよう)な光の中でなにか見えない力がでたらめに()(くる)っているようだった。風もないのにあちこちで草むらが()みつけられたようにつぶれ、墓石までごとごとと()らぎ出し、次々に倒れていく。

「あ……!」


 気がつくと、すぐそこにいたはずの少年が数メートルも遠ざかっており、なおも自分を押しやろうとする見えない力に逆らって身をかがめていた。空気は動いていないのに、少年の白髪(はくはつ)も衣服も()きちぎられんばかりになびき、踏みとどまろうとする足は土に深々とめりこんでいる。その、目をかばうようにかざされた両腕(りよううで)が、この光に()えられないのか、ちりちりと(あわ)()ちながら焼けただれていくのに気づいて少女は真っ青になった。


 いったいなにが起きているのか。あわてて敵の姿を探しかけた時、

「くっくっくっ、こいつぁ(おどろ)いた」

 少年が心底愉快(ゆかい)そうにのどを鳴らして笑い、(けむり)をあげる腕の(かげ)からこちらを見た。その(ひとみ)に、()きのいい獲物(えもの)を前にした猛獣(もうじゆう)()みをみとめて少女は息をのむ。


(まさか、これ……わ……わたしが!?)


 その時、少年の額に、あの恐ろしい第三の瞳が開こうとする気配がした。

 間違(まちが)いない。純粋(じゆんすい)()りの喜びに燃える少年は、()()()()()()()()()()()

 あの銀色の(やいば)乱舞(らんぶ)(ほか)ならぬ彼女を、細切れの肉片に変えて食う気なのだ──と、そう(さと)ったとたん、少女は恐怖(きようふ)の悲鳴とともに目をつぶり、頭を(かか)えて縮こまった。


「ごめんなさい! す、すみません、許して……あなたになにかするつもりなんかぜんぜんなかったんです、ほんとです! ほ、ほんとに……」

「…………()()

 予想した刃の代わりに、頭の上から降りかかってきたのは少年の、不満げな声だった。

「おいこら。返事ぐらいしねえか!」


「は……はいっ」

「どうしてせっかくのやる気をひっこめちまうんだ?」

「…………はい?」

 なにを言われているのかよくわからず、少女は(おそ)る恐る薄目(うすめ)を開いて様子をうかがう。


 さっきまでの明るさがウソのように、当たり前の夜の暗さがあたりをおおっていた。

 墓石はもう動いておらず、少年の白髪ももう、なびいてはいない。その腕の火傷(やけど)が、早くも治りかけているのを月光をたよりに見てとって、少女は安堵(あんど)のあまり涙ぐんだ。


「ご、ご、ごめんなさい、ほんとにわた……わたしがそれ……や、やったんですか」

「アホウ! どうせ謝るんなら途中(とちゆう)()()づいたことの方を謝りやがれ、腰抜(こしぬ)け!」

「すっ……すみません」

()()()()()()()()()()()()()!」


 ではどうすればいいというのだろう。なすすべもなく、涙目でがたがた震えるばかりの少女を見下ろし、少年はあからさまに(いや)そうに顔をしかめた。

「なんだぁ、そのざまは! てめぇあんだけの力持ってておびえるしか能がねえのかよ!」

「ち、ち、力なんて……知りません」


 少年は皮肉な冷笑に口を曲げただけであいづちも打たない。少女は気圧(けお)されながらも必死に、

「ほんとです! あれはなんか勝手に……だってわたし、な、名前も思い出せないのに」

 言ってしまったとたん一気に気持ちがくじけ、こらえていた涙がどっとあふれてきた。


「も、もうやだ、わ、わたし、どうすれば……な、な、なんでこんなことに……」

 あとはもう言葉にもならず、しゃがみこんだまま止めようもなくぼろぼろ泣き出してしまう。

 そのとたん、少年がいかにも動転した様子で数歩後じさる足音がした。


「なっ、なんてことしやがんだこのクソ女っ! 空気が苦くなるって何度言ったら……」

「?」

 目をあげると、少年は、まるで泣く少女から激烈(げきれつ)悪臭(あくしゆう)でもするかのように顔をかばい、半ば()(ごし)距離(きより)を置いている。少女はなにか、とほうもなく()ずかしいことをしでかしてしまったような気がして頬を赤らめ、あわててポケットからハンカチを出し涙をふいた。


「ご……ごめんなさい」

「だからいちいち謝るなってんだ! おまえ、そこまでめめしくて恥ずかしくねえのか!?」

「は、恥ずかしいです。ごめんなさ……」

 失敗に気づいて口を押さえようとして、少女はきょとんと自分の手を見た。


 一瞬(いつしゆん)だけだが、てのひらの向こうが()けて見えたような気がしたのである。

 半信半疑で手を左右に動かしてみたとたん、見間違(みまちが)いでないことがはっきりした。手を()かして草むらが見える。墓石も見える。月も、少年まで……。


(おこ)れ」


 不意に、少年が険しい表情で言った。

「怒れ! 早く! 理由なんかなんでもいいから……」

 言いも終わらず、悪夢めいた速さで瞬時に少女のかたわらに立つ。

 いきなり、まだそこに転がっていた老犬の首輪をめちゃくちゃに()みつけ、踏みにじった。


「そら、怒れ」

 どこか底抜(そこぬ)けに子どもっぽい、自分勝手な期待に(かがや)く顔で言われて、少女は困惑した。

 自分の透けた手は気になるし、少年の足の下でつぶれた首輪を見ても悲しいだけだ。


「なにグズグズしてんだ? さっきはこうしたらすっぱり気持ちよく怒ったじゃねえか」

 いらいらとせかす少年に、

「ご、ごめんなさい、でもわたし、今はとてもそんな怒ったりなんかできな……あ!」

 また謝ってしまったと気づいて少女はあわて、反射的に出かけた謝罪の言葉をなんとか寸前でのみこんだ。さしもの少年もあきれたのか、むっつり(だま)りこむ。と見えたが、次の瞬間、


「えいクソっ! ()()()()()()!!」


 というわめき声と同時に、少女はぐいと乱暴に腕をひっぱられた。

 あっけなく足が宙に浮き、特急にでも飛び乗ったかのような強烈(きようれつ)な風が、全身をたたく。


「!?」


 墓地と墓地を囲む(へい)は、瞬時に視野から飛び去った。

 見知らぬ夜道が、かすむ速さで流れて行く。

 いや流れるばかりではない。遠ざかっていく。ひっそりと(のき)を寄せあう家々の屋根も、立ち並ぶ街灯の光も、見る間に足もとはるかに小さくなっていくではないか。


 少女はあぜんとして、つかまれている手の先を見る。

 白髪(はくはつ)の少年はべつに(つばさ)を生やすでもなく、絵本から()け出た妖精(ようせい)のように、身ひとつで平然と、夜空を飛んでいた。


「…………」


 耳もとでごうごうとうなる風音を聞きながら、徐々(じよじよ)に、飛行機の飛ぶ高さを生身で飛んでいる、という非常識な事態への実感がわいてきて、少女はようやく激しい恐怖(きようふ)をおぼえる。

 が、それが悲鳴になるのを待たず、少年がふり向きもせずに怒鳴(どな)った。


「わめくなっ! いいか、俺のそばでは恐れるな。不安がるな。絶望するな。めそめそするな! 今度クソ苦いまねしやがったらこのままドブ川にたたきこむぞっ」

「は……はい」


 この高さから捨てられてはかなわない。

 少女は血の気の()せたくちびるを()みしめ、少なくとも悲鳴はあげまい、と決意する。

 だがやはり(こわ)くてたまらないのでせめて気を(まぎ)らわせようとなけなしの勇気を奮い起こし、どこへ行くんですか、ときこうとしたその時、


「たしかこのへんだっけな」

 というつぶやきとともに、少年がいきなり下へと向きを変えた。

「!!」

 頭からまっしぐらに地面へ向かうのである。恐ろしい速さでぐんぐん近づいてくる街並みに少女は真っ青になって目をつぶり、あやうくあふれかけた絶叫(ぜつきよう)を噛み殺した。


(こ、怖くない怖くないっ、まさかこ、このままつっこみはしないはずだもの……!)

 夢中で自分に言い聞かせる間もなく少年が急停止し、当然の結果として少女は慣性の法則に従い、(おそ)ろしい勢いで前へ、いや正確には下へ投げ出される──。身体(からだ)が目をつぶった(やみ)の中でぐるんと一回転し、少年につかまれたままの(うで)がちぎれそうに痛んだ。


「バカか、おまえは」

 少年のため息まじりの悪態を頭上に聞いてやっと、少女は目を開き、足もとを見る。

 ()れるつま先すれすれの近さに、アスファルトの路面があった。

 少年が手を放した。少女はあぶなっかしく着地すると足もとの大地の確かさに死ぬほどホッとしたが、身体の重みを支えられず、くたくたとその場にすわりこんでしまう。


「頭の固いやつだな!」

 ふわりと、体重などないかのように目の前に降り立った少年がうなった。


()(りよう)分際(ぶんざい)()()()ことができるほど重さにこだわりやがって! 今のおまえに重さなんかねえんだよ。ありていに言やぁ身体もなけりゃ足もない。おまえがあると思うからそういう形になってるだけなんだ! だからそのまま消えてなくなりたくなかったら、歩いてでも火の玉になって飛んででもいい、好きな方法でさっさとついてこい!」

「え……あ……」


 待ってとたのむひまもなく、少年は(かた)にまきつけたぼろ布と白髪をひるがえし、すたすたと先へ行ってしまう。少女は、立ちあがろうと地面についた手が半透明なのを見てもまだ、自分が生き霊だとは信じきれずにいた。しかし、ともあれ少年が助けてくれようとしているのは確かに思えたので必死で立ちあがり、転がるようにあとを追う。


「…………」


 路地を出ると、ネオンが明るさを(きそ)い、怪しげな看板が乱立する歓楽街が広がっていた。

 嬌声(きようせい)をふりまきながら行く女性の一団とすれ(ちが)ったとたん、あまりの酒臭(さけくさ)さに息が詰まる。

 蛍光(けいこう)色のはっぴを着た呼びこみの男たちは、やる気のあまりか殺気立ち、今にも道行く客につかみかかりそう。スーツ姿のビジネスマンも、スマホに向かって怒鳴っていた。遠目にちらっとだが、本気で(なぐ)り合う集団まで見かけた。


(よ……夜の街っていつもこんななの? ここ、ほんとに日本?)

 少女は生きた心地もせず、少年の後ろで半透明の身を縮める。

 しかも、こんなに大勢人がいるのに(だれ)ひとり、ふたりの方を見もしない。


 いや、道ばたで、黒布を張った台にアクセサリーを並べていた若者がひとり、少女の視線に気づいたらしくふり向いた。その無表情な目がぼうっと、夜闇(よやみ)に青白く発光する。

「これはなんと、おめずらしい。天魔王(てんまおう)様がおなごの(たましい)を連れてござる」

 老人の声でつぶやいたのは、売り物台に置かれていた木彫(きぼ)りのフクロウの方だった。


「とうに亡くなられた(おかくれになった)とばかり……」

「ではさきほどのただならぬ霊気はやはり、あなた様だったので」

「どうりで今宵(こよい)の街は(つね)より()れ気味。ご健勝のご様子、(つつし)んでおよろこび申し上げます」


 真鍮(しんちゅう)のカニや張り子のライオン、時計のついたピエロ人形が口々にうやうやしく挨拶するのを無視して少年は行きかけたが、当てにしていた目印が見つからなかったらしい。舌打ちしてきびすを返すと、台の上の作り物たちにひややかな銀の視線を当てた。


「アイシャはどこだ」

(ひめ)にご用で」

 木彫りのフクロウがゆるりと首をかしげる。


「用がなきゃ捜すかよ。おまえがここにいるからにはやつも近くにいるはずだ。どこだ?」

 はやくもいらだつ気配を見せる少年を前に、木彫りのフクロウは太った身体をひと揺すりするとたちまち本物のフクロウに変わり──いやきっと木彫りのふりをしていただけなのだろう──綿毛さながら音もなく飛び立った。


「ご案内いたしましょう。ここ五十年ばかり、やれ建築基準がどうの、耐震(たいしん)基準がどうのとこのあたり一帯取り(こわ)したり建て直したり。引っ()しばかりさせられておりましての」

「店は今もやってるんだろうな? 言っとくが歌の方じゃないぞ」

「もちろんですとも。どちらも姫の大切なご道楽にございますれば」


 少年の背後に(かく)れるように従う少女を、値踏(ねぶ)みするような、物欲しそうなまなざしでちらりと盗み見て、物言うフクロウはゆるゆると、ただようように飛んでいく。


 入り組んだ暗い路地を三度ほど曲がり、ビルの裏手にまわって(せま)い階段を下りると、そんな場所には不似合いな、黒々と(みが)きこまれた年代物の木の(とびら)があった。

「どうぞ、こちらでございます」


 アンティックなデザインのライトに羽根を休めて告げるフクロウを、ねぎらうどころか見もせず、少年は扉を押す。少女はあわててあとについて入りながらふり返り、

「あの、あ、案内してくださってありがとうございました」

 代わりにフクロウに礼を言った。


 物言うフクロウはよほど意外だったのかぐうっと百八十度首をめぐらし、頭だけ逆立ち状態で大きな目をぱちくりさせる。重い扉は手を放すとすぐに閉じてしまい、おかげで少女はフクロウのひとりごとを聞かずにすんだ。


「はぁて、天地がひっくり返っても姫へ手土産(てみやげ)をお持ちになるような御仁(ごじん)ではないが、ご自分で()し上がるにしてはなんとも覇気(はき)のない……いやさ、行儀(ぎようぎ)の良すぎる(むすめ)だの?」




1 千年にひとりのごちそう②へ続く



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