第五話 水の巻 吉岡憲法との戦い
俺の上洛で京の都は騒然となった。それも、そうだろう。名門・吉岡流の道場に、因縁のある新免無二斎の息子が、書状(挑戦状)を携えて姿を現したのだから。
数日間の紆余曲折があったのだが、この噂は京都所司代・坂倉勝重の耳にも入り、俺と吉岡憲法は、坂倉の屋敷で試合をすることになった。
俺は試合を前に、平常心保つため、
「上善は水の如し」
と、いう言葉を思い出す。
これは中国の思想家・老子の教えであるが、兵法家の心構えにも通じるものがあった。俺は心のなかで自分自身に、こう言い聞かせる。
「水は、どんな器に入れても、あるいは水滴や海の状態でも、水は水であり変わることがない。また、心を広く真っ直ぐにして、緊張しすぎず、緩みすぎず、ゆらゆらとした流水のように心を保つ」
一定の考え方にとらわれず、驕らす、焦らず、それが理想の心の状態なのだろう。
そして試合当日、坂倉の屋敷の庭には、坂倉の他にも数人の家臣が集まり、この試合を検分している。皆、それぞれに武芸の玄人であるらしい。
「ほう、あの者が新免無二斎の息子か」
「何でも、先の合戦で、活躍したとか」
家臣たちは口々に噂していたが俺は無視した。ただ対峙する吉岡憲法を、ジッ、と見る。
憲法は、やや小柄だが目付きは鋭く、その顔立ちは、なかなかの美男子であった。
「では両者、良いかな」
と、試合の審判である初老の家臣、太田忠兵衛が俺と憲法に声をかける。この太田は、その昔、禁裏の騒ぎで吉岡清次郎を斬った男であるらしい。
吉岡憲法は、スッ、と一歩、無言のまま前へ出て木刀を構えた。静かだが、達人らしい身のこなしだ。
対する俺は右手に大刀、左手に小刀を握り、二本の木刀を構える。それを見た憲法は、
「二刀流か。行儀が悪い」
侮蔑の言葉を漏らし、俺を見下したような視線で見るが、その時、
「始め!」
審判の坂倉が声を発した、直後、俺は、
「いやあーっ」
気合を発し、右手一本で大刀の一閃を打ち込む。
カツン。
その攻撃を軽く受け流す憲法。だが俺は間髪入れず、左の小刀を打った。
カツッ。
これも簡単に止めた憲法だったが、俺は止まらず、右剣、左剣、右剣、左剣、右剣、左剣と連続で攻撃を加える。
カッ、カッ、カッ、カッ、カッ、カツン。
憲法は見事な業で受けた。しかし、俺は勢いに乗り、左右の木刀で乱打する。
カッ、カッ、カッ、カッ、カッ、カツン。
防戦一方でジリジリと後退する憲法。追い詰めるように俺は、右剣左剣右剣左剣右剣左剣右剣左剣と、一方的に打ち続けた。
カッカッカッカッカッカッカッ、カアァーン!
だが、その時。
「止めい、そこまで!」
審判の太田が、試合を止める。
「この試合、引き分けとする」
吉岡憲法に忖度しての判定であろうが、これは仕方がない。太田忠兵衛は遺恨を残さないように配慮したのだ。
「見事な試合で有った」
京都所司代の坂倉重勝も一言、そう言って、他の家臣たちを納得させた。こうなってしまえば俺も異論は言えず、剣を下げて、吉岡憲法に一礼する。
しかし、この日、俺は事実上、吉岡流当主・吉岡憲法に勝利したのだ。