最終章「重ね合わさる強さと弱さ」
日本は何故戦争に勝つことができたのか? その答えとして、零竜の圧倒的性能をあげるものは少なくない。開発は三菱魔工業で、ライセンス生産を受け持ったのは中島魔道具。試作時の名称は十二式人竜一体折張金強化魔導装甲。後の採用時の正式名称は零式神竜武甲、略して「零竜」である。それは19世紀、建寧1857年の今なおまだ超えることができていないまさに科学と魔術の到達点である。
科学と魔術は本来なら相反するものだ。科学を学んだ結果魔力を失った魔法使いも、魔法に傾倒した結果オカルティストと呼ばれ消えていった科学者も吐いて捨てるほど存在していた。歴史上、科学と魔術を両立させた人物は3人しかいない。ヘルメス・トリスメギストス、サンジェルマン伯爵、そして零竜の開発者。堀越二郎である。
この三人だけがたどり着いた究極。それは、液体であり金属でもあるという相反する性質を内包する物質、水銀を用いてある物質を錬成したことだ。かつて賢者の石と呼ばれたそれは、薄く引き伸ばした水銀合金を折って張ってを繰り返し、最後に魔力を注ぎ込むことで生まれる幻の金。堀越はそれをこう名付けた。折張金。そのオリハルコンをあますことなく利用したのが零竜だ。
折張金強化魔導装甲。試作名称にてそんな仰々しい名前がつけられてこそいるが、実のところその効果は拍子抜けするほど小さなものだ。流体金属としてドラゴンの表面をコーティングする。それは物理的、及び魔法的な攻撃に対する防御性能のどちらも全く向上させない。ただ単純に、そのケイ素の表皮を蝕む水蒸気を弾く。それだけである。もしも今のご時世で同様の効果を求めるのなら、わざわざ数百億円の予算を投じてオリハルコンを作るのではなく、地元の自動車用品店で撥水スプレーを買ってくればいい。その程度のものでしかなかった。
だが、それだけ。それだけでよかった。何故ならこれだけ科学が進んでもなお、ドラゴンに対する有効攻撃手段は水蒸気以外になかったからだ。
彼らが戦争の表舞台から姿を消したのは、イギリスの産業革命を発端に大型蒸気機関による水蒸気の生成が簡単になったから。それだけである。だから、それさえ対策できれば。ドラゴンは今なお、無敵だ。
ミッドウェーとレイテ。2つの大戦果の中核を成した零竜騎兵隊の活躍をさして、後の歴史家達は「日本の勝利は零竜の勝利で技術の勝利。オリハルコンこそが歴史を変えた」と主張することもある。だが、おそらくそれは誤りだ。これは「ルーズベルトの呪殺を成功させた日本の呪術師達こそが戦争勝利の立役者だ」とする主張と同様の誤りである。
そもそもルーズベルト呪殺の儀式に意味などなかったことは明らかだ。呪いの効果を生み出すのはかけられた側でかける側ではない。科学によって否定されたばかばかしい迷信。弱さを堂々と宣言するような低俗な文化。だがその愚かさが別の人々によって生み出される叡智を重なった時、それは究極へと至る。
かつて賢者の石と呼ばれたもの、オリハルコン。それはただの耐水腐食コーティング材でしかない。ヘルメス・トリスメギストスも、サンジェルマン伯爵も、この賢者の石でなにか物凄い成果を成し遂げたわけではなかった。
よく言われるように、ヘルメス・トリスメギストスが賢者の石を使って神の如き叡智にたどり着いたわけでもなければ、サンジェルマン伯爵が賢者の石を使って不老不死とタイムトラベルの技を会得したわけでもない。
すなわち、賢者の石を作れてしまうほどの叡智があったからこそのヘルメス・トリスメギストス、その叡智により健康長寿の秘訣と当時は知る者の少なかった歴史の知識を得ていたのがサンジェルマン伯爵である。賢者の石は前提ではなく、結果なのだ。
もしもタイムマシンを用いて歴史上から偉人たちを大集合させ、大天才だけの国家を作ったとしたら、それは人類最強の国家となるのだろうか。大統領アウグストゥス、陸軍元帥アレクサンドロス三世、海軍元帥源義経、空軍元帥ハンス・ウルリッヒ・ルーデル、参謀部長官ハンニバル・バルカと副官諸葛亮孔明、諜報部チェーザレ・ボルジアと顧問ニッコロ・マキャヴェッリ、総務大臣始皇帝、法務大臣ハンムラビ、外務大臣クレオパトラ、財務大臣織田信長、文部科学大臣カール・フリードリヒ・ガウス、厚生労働大臣クフ、農林水産大臣グレゴール・ヨハン・メンデル。諸説あるとは思うので好きに入れ替えてもらっても構わないのだが、果たしてこの国は魔皇リーエマ率いる1774年の日本に勝てただろうか。断言しよう、勝てない。それは彼らが最強だからに他ならない。
強さと弱さは常に表裏一体。弱さを排除した国に未来はなく、むしろ弱さによって崩壊する。共産主義の失敗が良い例だ。
天才カール・マルクスは共産主義こそ理想の社会制度だと説いた。それはマルクスほどの天才だけの国で動かすなら事実そうだったのだろう。
しかし人間個人は愚かで利己的な存在であり、全体はおろか自身の少し先の未来すらも予見せずに間違った判断を下してしまう。その連鎖で崩壊するのが共産主義である。
共産主義はみんなで貧しくなるだけの政策であり、当初の夢を実現するには共産主義体制を維持するだけの莫大な資本力が不足していたというが、違う。足りなかったのは、国民全員の教育水準と高いモラルである。そんな弱さを知らないまま国は滅びる。賢者はみな、弱者の底なしの愚かさが生む力を知らないのだ。
ヘルメス・トリスメギストス、サンジェルマン伯爵、堀越二郎。学び始めた当初、この3名は断じて賢者たりえる存在ではなかった。優れた科学力があるならそれに特化すべきで、魔力もまたそうだ。科学側から見て魔法は愚かであり、魔法側から見て科学とは愚かなのだ。それが普通の賢者を作る常識だった。
しかし彼らは二兎を追い、二兎を得た。その本来両立させることが不可能なものを両立させてしまったが故の、賢者の石だった。
竜、それは強さの象徴である。呪い、それは弱さの象徴である。オリハルコン、それは強さと弱さを同時に極めたトロフィーである。それが魔皇リーエマ率いる日本で開発されたことは、まさにそのトロフィーがあるべき場としてふさわしい。日本にはその土台があった。底なしの愚かさをたった1人で担う魔皇リーエマ。彼女の愚かさと、それでもなお彼女が国民から神聖さをもって愛されてしまうというチートが、奇跡を作り上げたのだ。




