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最終話「風と共に去りぬ」

 西側のヒューリン同盟はABD結界をもって魔皇領アジアへの封じ込めを開始。世界を支配せんとする悪の魔王リーエマの討伐をすべての人類の命題として叫んだ。

 傲慢にも皇帝を名乗る彼女の地位を貶める魔王の呼び名はすっかり定着し、正義に燃えた民衆は魔王と竜を討つ物語作品を描き始めた。結局このムーブメントだけは100年先まで続き、勇者が魔王を討つ作品は皮肉にも日本の国民的ゲーム作品の題材にもなってしまう。

 だが事態はゲームのように楽しめたものではない。ABD結界はアジアへの石油の流れを止めると同時に、魔王領南米マヤアステカを孤立させるに至っていた。


「もはや開戦以外ありえませんぞ! 陛下!」


 魔皇海軍総帥、海軍大臣、亜細亜連合艦隊司令官の3つのポストを掛け持つ永野修身は海軍のみならず国民の総意として魔皇リーエマに開戦の決断を求めた。天才を自称する彼は平時こそ根拠なく自信満々のリーエマと意気投合する間柄でこそあったが、今この状況においてリーエマは彼がとてつもなく恐ろしい存在に見えていた。


「……とーちゃん、私の言葉、アメリカに届けてくれたのよね?」

「もちろんです。しかし……」


 リーエマから直接に時の内閣総理大臣を任命された秀才、東條英機。陸軍をまとめ上げていた当時は永野と同じ開戦派だった男だが、戦争はしたくないというリーエマの相談を受けた内大臣の木戸幸一は、東條ならこの流れを止めてくれると語り、この土壇場で本来政治に口を出すことがなかったリーエマが強権を振るったのだった。

 木戸の言葉通り、リーエマの意向を知った東條はまわりの反対を押し切って日米交渉を進めたがこれも良い方向には進まなかった。


「南米マヤアステカからの撤退、亜細亜連合の否認、日清同盟の廃棄、その他すべての海外統治領の放棄と、国民洗脳ライブコンサートの禁止、おやつと夜食の供給停止……飲めるものが1つしかない」

「おそらくその1つこそ魔皇様が絶対に飲めない要求なのでしょうが。ハルという人間、魔皇様の性格をよくわかっている。これを知れば魔皇様も開戦を決断せざるをえなくなりますな」

「最後の1つ……いや、後ろ2つを削除しておけ」

「東條さん、毎日ヲタ芸の練習に余念がありませんからね。わかりました」

「また武道館にてあの美声を聞くまで、死ねるものかよ」


 なおリーエマは超のつくオンチである。この男、完全に洗脳されている。

 ともあれ東條によって改ざんされたハルノートを受け取ったリーエマは顔をしかめつつため息をついた。こちらを強く睨みつける永野の視線から逃げるように東條に顔を向けた時。東條は震えながら首を振り、涙を流し始めた。


「とーちゃん……」

「申し訳ありません……! 私の、私めの力が至らぬばかりに……! 陛下……大変誠に如何ながら……もはや……もはや開戦以外に道はありません……! どうか、御聖断を……!」


 軽く開いては閉じるを繰り返すリーエマの口。言えない。言えるわけがない。先の日英、日仏、日露の戦争ですら大勢が死んだ。今度の戦争はそれらをまとめてもなお大きな物となる。

 そもそもその3度の戦争にしても決断したのはあのデカパイであって自分ではない。この決断は、愛する国民に死ねと命令することに等しいのだ。リーエマの記憶に、1700年以上前の言葉が蘇る。


『この国の民はその血の一滴に至るまですべてこの私魔皇リーエマの物よ! 民の笑顔も! 悲しみも! すべて私の物! 生け贄に差し出される子の悲しみ涙を含めて、クソデカ蛇風情にくれてやるものはなにもない!』


 この1700年。リーエマはまったく成長していない。良くも悪くも。


「リーエ……」


 玲司が一歩前に出ようとして永野らに睨みつけられる。卑しい奴隷は黙っていろ、その言葉が声に出されることもなく目から聞こえてきた。リーエマはあの時からまったく成長していない。しかし、この国は成長しすぎてしまった。もはやあの時のように、自分達二人だけで討伐に向かうなどということはできないのだ。

 長い長い沈黙が続く中、慌ただしい足音の後で部屋のドアが開かれる。


「緊急にて失礼致します! 魔皇領インカが、アメリカの奇襲攻撃を受けております!」


 1774年、12月8日未明。しびれをきらせたアメリカ大統領ルーズベルトは、合衆国太平洋艦隊による先制攻撃を敢行した。あまりの衝撃に手にしていたノートを落とすリーエマ。怒りに震えるその手が、彼女の口から聖断を引き出す。


「……やられたら、やり返す……しかないでしょぉぉぉおおお! はー、頭来た! はいおしまい! もう、おし! まい! です! 武器は集めて楽しいコレクションじゃないってことを教えてやりなさい! 野蛮な人間共をこの地球上から消し去るの! 倍返しだぁぁぁあああ!!」


 どよめく室内。ひとり早く走り出し横須賀へ向かった永野の背中にリーエマが勅命を投げかける。


「永野君! これだけは言っておくわよ! 絶対に死なないこと! 私も頑張るからあなたも天才らしく頑張りなさいよね!」

「はっ!」


 振り返らずに返事を戻した無礼を咎めることもせず、続いてリーエマは東條に指を突きつける。


「とーちゃん! この私の命令よ! 国中すべての陰陽師と呪術師を招集! ミッチー、スーさん、マーくん、加藤のお兄ちゃん先生まで全員に声かけて回って! 怨霊帝都事故物件呪術大戦物語の開幕よ! ルーズベルトを、呪殺しなさい!」


 こうして世界は最終戦争へと進む。それはもう、誰にも止めることのできない大いなる歴史の流れだった。

 開戦当初、流れはヒューリン同盟側にあった。インカ基地は壊滅し、アメリカは戦車機動部隊を用いた電撃戦の末にマヤアステカからチリにかけてその足元に突き刺さっていた小骨を取り除くことに成功した。合衆国太平洋艦隊は魔皇領オセアニアの珊瑚湾を目指しミッドウェー諸島へと進む。

 しかしこの時、合衆国はマヤアステカ先制攻撃の真の目的を達成できていなかった。マスク装備で上陸した兵達は水蒸気に毒ガスを混ぜたタンクを背中に背負ったままその場に立ち尽くす。


「何故だ……何故、ドラゴンが一体もいない!?」


 マヤアステカからチリに渡る南米一帯を支配していた日本。この地域には無数の火山が存在し、開戦前に日本が支配していた火山の数は全世界の8割に届いていた。

 科学技術の発展と飛行機の開発により時代遅れとして扱われていたドラゴンを主力とした竜騎兵団。それでも今なお、人間たちはドラゴンを恐れていた。それ故の先制攻撃だったはず、なのに。


「ふんぐるいむぐるうなふくとぅるうるるいえうがふなぐるふたぐん!」

「いあ! いあ! くとぅるふふたぐん!」


 巨大な氷山に偽装した空母にてマヤアステカの地から脱出していた風の竜カンヘル達は、船上にて奇妙な土着の踊りで盛り上がるオセアニアマーマン達に震えていた。彼らがハワイやトンガのドラゴンを殺したことは当然知っていた。


「ほ、本当に信じて良いのだな……? まさかやつら、逃がすふりをして我等を……」

「ご安心ください、大丈夫ですよ」


 いつの間にか背後を取っていたスーツに身を包んだダークエルフが声を届ける。日本国外務省所属マヤアステカ駐在大使杉原ちぅを名乗った彼女だがどこからどう見てもその見た目は魔族ではなくダークエルフだ。

 いや、そもそもダークエルフかも怪しい。びくりと背筋を凍らせたカンヘル達の背後から淫靡な妖艶さと混沌を隠すこともせずに這い寄り、そして。


「笑顔ですよ。私、魔皇リーエマ様の笑顔が好きなんです。いつもにこにこ、世界中の子どもたちに愛と勇気を与えてあげる前提で行動すること。それが私のモットーですから。さ、笑って?」

「あ……あぁ……?」

「笑えよ、ケイ素生命」


 びくりと全身の鱗の隙間に蟲が這い回るような感覚が悪寒となって走る。マーマン達を統率する謎のダークエルフ。その目の深淵は、宇宙の暗黒よりも黒かった。

 後に魔皇領ジャワに逃げ延びていたところが見つかったカンヘル竜達は、自分達がどうやってマヤアステカから逃げ延びたかの記憶を持っていなかった。彼らが手にしていた渡航ビザも偽造品である。

 記録上、彼らをマヤアステカから救出した勢力は確認されておらず、唯一可能だっただろうオセアニアのエルフとマーマン達はドラゴン達を乗せて太平洋を渡れる船など持っていなかった。

 ともあれ、この時にマヤアステカのカンヘル竜達が逃げ延びていたことが、魔皇軍の逆転を可能にした。この奇跡とも言える出来事がなければ、戦争の勝敗は入れ替わっていたことだろう。ただ、戦争を終えた今なお、カンヘル竜達の生き残りは何故か、窓の外を見ることをひどく恐れる。


「急げ! 人間共がミッドウェー島に集まっている今がチャンスだ!」


 中島魔道具より出向していた天才技術者にして天才魔道士でもある堀越二郎は、自ら最前線であるオセアニアの島に渡り、自身の開発した新兵器を集められたドラゴンに装備する陣頭指揮を取っていた。


「主任! 木花咲耶様の輸送艦が!」

「くっ……やはり敵艦の追尾を振り切れませんでしたか……」

「いや、それが……」

「何故か目の前で反転しミッドウェーに戻りましたわ」

「……は?」


 目の前に居たのは、腹部に痛ましい傷跡を残しながらも未だその美しさは褪せることない桃色のドラゴン。浅間山守護竜、木花咲耶であった。


「反転したって……何故?」

「わかりません。しかし、私は確信しました。やはり、魔皇リーエマ様はこの私に天壌無窮の幸運を授けてくださっていたのだと」


 この日の天気は予報では小雨。雨の振る海上で襲われれば、ドラゴンに勝ち目などなかった。しかし、何故か合衆国艦隊はあと一歩のところで木花咲耶の乗る輸送艦を見逃した。

 偶然。もはやそうとしか言えない。思えばここに集まったカンヘル竜達も本来なら生きているはずがないドラゴン達だ。公的には「たまたま南米中のドラゴン全体がバカンスに来ていた」ということになっているが、そんな偶然ありえるのだろうか? そして、こうも無数の偶然が重なるのなら、それはもはや偶然ではない。


「奇跡だ」

「はい。そう思います」


 1775年、6月5日。天気予報は、外れた。ミッドウェー島からは時代遅れの蒸気機関がもくもくと黒い煙をあげている。島上空に水蒸気を張り、ドラゴンによる攻撃を防ぐのが目的だ。しかし、魔皇軍太宰府守護竜隊隊長木花咲耶は、カンヘル竜達を先導し突撃の指示を出す。


「魔皇リーエマ様の名の元に! 我等に天壌無窮の幸運と、勝利を! 零竜、特攻!」


 充満する水蒸気の中に突撃していくドラゴン達。本来なら、それは文字通りの自殺行為であり二度と帰れない特攻に他ならない。しかし、その無茶を科学と魔法の融合が現実にする。


「な、ど、どうしてトカゲ共がこの水蒸気の中……うわぁぁぁあああ!」


 6月7日。ミッドウェーでの決戦は魔皇軍の大勝利に終わる。アメリカ、イギリス、フランスを中核としたヒューリン同盟の太平洋艦隊は全滅。この広い海の覇権を、完全に消失させたのだった。


「ぜ、全滅……12隻の空母が全滅だと!? 3日持たずにか!?」


 ホワイトハウスの椅子から崩れ落ちる大統領ルーズベルト。彼は突然胸を抑えて苦しみ始めた。彼は元々不摂生故か高血圧症に悩まされていた。そしてこの時、異常な高血圧が彼を襲い、脳出血により還らぬ人となってしまった。検死にあたった医者はそれまでの病状と照らし合わせ、この死がただの持病によるものだったと主張する。

 だが、当然ながら国民はその主張を信じない。彼らは見ていた。国中の空からドラゴンによってばらまかれていた新聞に掲載された口に出すのも恐ろしい呪殺儀式の写真を。魔皇軍連戦連勝、合衆国太平洋艦隊壊滅、ルーズベルトへの呪殺の儀は今日も続く、と。そして本当に大統領が死んでしまった時、口々に恐怖を叫んだ。


「呪いだ! 魔皇の呪いだぁぁぁあああ!!」


 零竜の快進撃は止まることなく、少なくともこの太平洋での戦争は完全な形での決着を迎えた。かに思えた。


「まだこれだけの艦が残っていましたか! 零竜特攻! リーエマ様に勝利を!」


 1778年、8月6日。太平洋マーシャル諸島、ビキニ環礁。


「咲耶様! この艦隊……無人です! すべてハリボテです!」

「なんですって? 何故こんなものがここに……」


 浅間山守護竜木花咲耶。魔皇軍太宰府守護竜隊隊長にして日本を守護する八大竜王の長でもある彼女が再び空を飛ぶことは、なかった。


「え……嘘でしょ? 咲耶が?」

「はい……ビキニ環礁にて艦隊のハリボテの中に隠されていた新型爆弾に巻き込まれ……カンヘル竜達と共に……戦死なされました」


 状況を理解できないリーエマの隣でカレンダーの日付を見た玲司は、すべてを理解した。核の炎。大いなる歴史の波は、決して止めることができないのだと。


「嘘………嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ! 絶対嘘だ! だってあの時、咲耶はあの時、デカパイにお腹をえぐられても死ななかった! 生きてまた姿を見せてくれた! 死んでも絶対生き返る! だって咲耶だもん! 死体は今どこにあるの!? 私の前に持ってきなさい!」

「ご遺体は、爆発に飲み込まれ……海中の捜索も行いましたが、おそらく燃え尽きて……」

「嘘だっ! この国の海中探索能力はずっと信用できない! だってまだ私のお気に入りだった剣見つけてくれてないもん! 探しなさい! 全力で! 太平洋の水全部抜いて!」

「リーエマ、やめろ。デスリーストさんを困らせるな。咲耶さんは……もう……」

「はぁっ!? 奴隷の分際でこの私に文句言うのやめてもらっていいかしら!? そもそも私はこの戦争にはずっと反対だったの! ねぇ、何人!? 今日まで何人死んだの!?」

「記録の上では昨日までで9万9千8百……」

「あ、あんたねぇ!」

「失われた魂に哀悼の意を表してやってくれ。もはやそれしか出来ることは……」

「バカっ! 死ね! あんたも死んじゃえ! バーカバーカ!」


 奴隷を突き飛ばして寝室に駆け込んだリーエマ。ガチャりと中から鍵をかける音に、玲司はため息をつくことしかできなかった。


「リーエマ様……」

「この天の岩戸はちょっとやそっとじゃ開きませんよ。お疲れ様です、デスリーストさん。今日はもう休んでください。最近眠れてないでしょう?」

「……はい。ありがとうございます」


 ここ最近自分の補佐として側近を務めてくれていた彼にそう伝え、改めて玲司はカレンダーを見る。


「あと9日か……」

「それがこの戦争の終わりかね」

「うぉっ!? びっくりした!」


 そこには新品のはずなのに薄汚れた茶色のコートに身を包んだオロチが立っていた。あいも変わらず神出鬼没である。


「……はい。8月15日。あと9日でおそらくこの戦争は終わります。日本の勝利。魔皇リーエマが真の意味でこの星の初代皇帝となる時でしょうね」

「それはめでたいな。お前の願いはその後でゆっくりと果たせばいいだけ。だというのに……何故そうも顔が暗い?」

「……3日後。もう1発、原子爆弾が使用されます」


 オロチの眉間が、歪む。木花咲耶は彼にとって娘のようなドラゴンだったはずだ。


「野蛮なヒューリンの核というやつか。度し難いな。しかし、なるほどな、どおりで嫌な予感が収まらぬ。場所は?」

「わかりません。本来なら長崎でしたが……」


 思い出される元寇襲来の日。竜吉公主の飛び蹴りの余波で吹き飛んだ山王神社の鳥居は今も片足のままだ。そしてその鳥居は本来なら、この日の爆風で破壊されるはずだった。


「それで、どうするのだ?」

「そう言われても、俺には何も……」

「そうだろうか? この私が何かに導かれるように今日ここに来た意味。お前なら理解しているのではないか?」


 しばしの沈黙。玲司は深く頷きを返した。


「少し、待っていてください」


 玲司は筆を取った。それは、主であるリーエマに対する退職届であり絶縁状であり、彼の遺書でもあった。彼はリーエマに思いつく限りの罵倒と、自分の本当の気持ちを書き残そうとした。しかし。


「……なんで……なんで書けねぇんだよ……!」


 勝手に動く筆が綴るのは、神聖なる魔皇リーエマ様への賛美の言葉だけだった。何度も、何度も書き直そうとしても、彼は自分の本心を残すことができなかったのだ。


「これが世界にかけられたチートなのかよ……! 不老不死の転生者様だって言っても、女神のチートに抗うことはできないのかよ……!」


 オロチに流れるシリコンの血。それは確かに自分にかけられていたチートを解除してみせた。だが、チートにかかっていたのはリーエマでもなく玲司自身でもない。世界である。

 それを解除するためには、世界全体の思想を変えなければならない。世界の誰もが、実は魔皇リーエマの栄光など嘘っぱちで、あいつは何もできない無力なへっぽこだと認識しなければならない。そのために、合理的に。どこまでも合理的に、あいつが歴史に残したものが何も無いことを証明しなければならない!


「銃・病原菌・鉄……」


 玲司の口から3つの単語がこぼれた。それは遥か昔に読んだ本のタイトル。ジャレド・ダイアモンドという人類学者によって執筆された逆転の人類史。今日に繋がる覇権を勝ち取った西洋文明には何の優位性もなく、ただすべてが偶然の積み重ねでしかなかったという暴露本でありサイエンスポルノ。

 そうだ、あの本を……あの本のようなものを、書けばいい! 今日に至る日本の繁栄が魔皇リーエマの力でないなら、その要因となった3つのキーワードは!


「竜・呪い・オリハルコン」


 玲司は筆をおいた。今は何も書けない。何も伝えられない。しかしいつか、いつの日にか。世界のチートを解除し、必ず思いを伝えてみせよう。そして、その日まで彼女の笑顔に陰りがでないように。二度と彼女が岩戸隠れをしないでいられるように。2発目の核を、止める。

 玲司はナイフを手に取り、隣の休憩室へと向かった。短い間ながら部下としてリーエマの横暴に突き合わせてしまった魔族の男、デスリースト。彼には申し訳ないが、任せられるのはもう彼しかいない。


「すまん」


 玲司は自らの手首を切り裂いた。不老不死のチートですぐに傷は回復してしまう。だがその一瞬で流れた大量の血液が、やすらかに寝ているデスリーストの口元へとぶちまけられた。

 すべての準備を済ませ皇魔城の中庭に出た時。そこにはオロチだけでなく、もう1体のドラゴンがその美しい白い姿の上に金色のオリハルコン装甲をまとって待っていた。


「こんばんは、竜吉公主様。良い夜ですね」

「こんばんは、近藤玲司。ちゃんと挨拶ができる方、好きですよ」


 何故彼女がここにいるのか。もはや問う必要もあるまい。オロチと同じ。ただ、導かれたのだろう。チートとかそういうやつだ。もうそれでいい。それがそうそう簡単に抗えるものでないことは、重々理解しているのだ。


「それで、どこへ向かう?」


 跨った下から問いかけるオロチに、玲司は答えた。


「風の向くままに」


 そして翌朝。


「うー、さむさむ。引きこもるにあたってお菓子持ち込むの忘れてたわ。奴隷を起こさないようにこっそりと……」

「あ、リーエマ様」


 寝起きのデスリーストとリーエマが顔をあわせ、そして。


「ぎゃーーーー!! 吸血鬼――――!!」


 口元を真っ赤に染めたデスリーストに驚いた彼女が全力の魔法を叩きつけ、デスリーストは即死。そして、彼の所持金は半分になった。


 8月9日。世界は、拍子抜けするほどに平和だった。この日、あらゆる場所の戦線に動きはなく、後に記録を漁る研究者達が首をかしげてしまうような休日が、そこにあった。魔王軍側でこの日を最後に帰られなかったのは、1人と2匹だけである。


 そして8月15日。ヒューリン同盟は、魔皇の世界支配を受け入れる決断に至った。


「魔皇様! どうか! どうか御聖断を!」

「嫌!」

「もはやこの世界に我等日本の魔族に逆らう存在はありません! 魔皇様は初代地球皇帝として、あまねく世界にその御威光を……」

「やだ!」

「魔皇様は勝利されたのです! どうか! どうかそれをお認めになり……」

「いーやーなーのー! やだやだやだやだ! あいつがいないのに魔皇続けるなんて、絶対にやだーーーーー!」


 正午。魔皇リーエマによる地球統一国家皇帝就任拒否と同時に行われた人間宣言が全世界に放送された。それは、魔族の歴史で一番長い日の出来事となった。

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