第6章「共産化の破滅を予期した名もなき傑物」
もしもこの世界が異世界であり、現実にあたる別世界の歴史の焼き直しを行っているだけだと言われたら。あなたはそれを信じられるだろうか。
インカ帝国を滅ぼしたのは日本でなくスペインで、清は阿片戦争でイギリスに蹂躙され、世界を二分する大戦争で日本はアジアとではなくドイツイタリアと同盟し、最終的には2発の原子爆弾によってその国土を荒廃させることが正しい歴史であるとしたら。あなたはそれを信じられるだろうか。
ここまでで読者はこの世界の歴史を作ったのは種族民族の優位性ではなく、先見の明に溢れた偉大な指導者や発明家の力でもなく、単に気候や生態系などを根底とした偶然によって導かれただけであることを理解しているだろう。
バタフライエフェクト。蝶の羽ばたきが海の向こうのハリケーンを成すように、偶然の連鎖によって歴史は形作られる。私のような者が後になってそのピタゴラスイッチのような流れを表現したとしても、それは後だから言えることであって、これからさらなる未来に繋げていける叡智には転じない。すべてはその時では予想しようがない偶然なのだから。故に、今語ったような異世界が存在していても、なんら不思議はないのだ。
源頼朝が義経を殺したのは彼のカリスマを恐れたから。織田信長が天下に名を轟かせた理由は彼が合理的思考で行動できたから。幕末の動乱で薩長が同盟を結べたのは坂本龍馬が間を取り持ったから。これらは一般論としてよく聞く話だが、厳密な歴史考察に基づいて考えればすべて誤りである。どの理由も複雑な要因が絡み合った結果であり、もしもそれを一言で言い表したいなら偶然以外にありえない。
歴史を学問で語る時、教える側も教わる側もどうしてもキッパリと言い切りで表現できる理由を求めてしまう。だがそれは幻想だ。ロシア内戦などその最たるだろう。
ロマノフ朝の崩壊と共産化へのはじまりだったこの内戦はとても一言で説明できない複雑な勢力状況に始まり、現在の高等教育ではあまりの複雑さ故に説明を放棄し軽く流すという扱いを受けている始末だ。それが通るなら、もはや歴史教育などしない方が潔い。
そもそも、歴史などわからないことだらけだ。邪魔台国の位置が謎なのは大方魔皇リーエマがその場その場で適当を言うからだろうが、日清同盟の中で中国が突然共産化の方針を取りやめたことは近代史の謎として多くの歴史学者を悩ませている。
これは竜吉公主の思想を紐解けば絶対にありえない話であり、彼女に怯むことなく共産主義の危険性を説明できる知識人は当時の清と日本には存在しなかったはずなのだ。
当時はアメリカに始まった大恐慌の煽りを受け、ほぼすべての国が絶望的な不況に包まれていた時代だ。その中で唯一影響を受けなかったのがいち早く共産化を進めていたロシアオーク達、嘲りを込めて言われるところの共産主義の豚だった。
彼らの成功を見ていた多くの国は、共産主義が企業間競争力を失わせ国家の成長力を抑制するものだと理解しつつも、その反面常に安定した計画的成長を実現させるもので国家にとってリスクがないシステムであることに魅力を感じていた。これは人間が10を得た時に感じる喜びよりも10を失った時に感じる悲しみが遥かに大きいことからも必然の考え方なのだ。
まして竜吉公主は皇帝の隣に控えつつも贅沢や権力に興味を持たず、中国国民すべての幸福を求めた平等志向のドラゴンである。ライバルと言われることも多い西のバハムートが競争を是とした根回しを行っていたことも知っていたはずだ。まして彼女が資源配分を担うなら後の思想家が可能性として指摘したような共産党独裁に伴う不平等化など生じなかったはず。
にもかかわらず何故彼女は突然共産化政策を取りやめたのだろうか。彼女亡き今、我々にそれを知る術はない。ただわかることは、共産化に進んだロシアオーク達が最終的に自滅したという事実だけである。
もし本書を読んで人類学と歴史学のおもしろさを感じる読者がいたのなら、是非この謎を追い求める研究を行ってもらいたい。私も今この謎を求めて当時の資料を漁っている最中である。もしも本当に竜吉公主を相手に真正面から未来を予測し共産化の危険性を解き納得させられた傑物が存在していたのなら、その人物の栄光が歴史の闇に埋もれてしまっている今は、あまりに惜しいことだと私は思う。
さて。1850年の人類史も終わりへと近づいてきた。共産化による衰退を回避したアジアに、最後の試練が迫る。
日英戦争、日仏戦争に敗北したヨーロッパヒューリンの雄イギリスとフランスが共通の敵を前に歴史を水に流しての和解。一方、呪われたヴァイマール共和政が生み出した世界最強の悪霊アドルフ・ヒトラーの凶行はモンロー主義を貫こうとしていた新大陸アメリカを覚醒させ、CIAとMI6によるヒトラー暗殺を成功させた。
この一件で共闘路線を約束した欧米ヒューリン同盟はABD結界でアジアの孤立を狙う。「勇者」を名乗った彼らの真の目的はアジアの人類を暴をもって支配し世界征服に王手をかけた悪の魔皇討伐だ。
ここから始まる最終戦争の勝敗を決めたのが、本書のタイトルに記した3つ目のキーワードだ。竜・呪い・オリハルコン。その魔法合金の秘密に迫っていこう。




