第5話「お願いだ、言い訳に時間を」
箱根湯元で温泉まんじゅうを頬張っている最中に対馬から命からがら逃げ延びてきた武士(故人・霊体)の報告を受けた魔皇リーエマとその奴隷は全速力で一路阿蘇の大カルデラへと向かった。日本滅亡の危機を前に、契約している竜、オロチの助力を仰ぐためである。
「念の為……そう、これは念の為なんだからね。だってあなたの知る歴史では、神風が吹いて元の船団はワニといっしょに竜巻に飲み込まれて吹き飛ぶんでしょ?」
「なんだよそのB級映画のラストシーン。ていうかそれ、船団が消えてもワニトルネードでやばいやつだろ」
「しかも頭が3つある。3倍やばい」
「明らかに今の方がやばいんだよなぁ。話によると、船団の中に1つ巨大な船があるらしい」
「前に話してくれた大艦巨砲主義とかいうやつ? 時代遅れの」
「もしもそうなら先取りしすぎの最先端なんだよなぁ。ちげぇよ。おそらく、向こうの竜が乗ってる」
「なら余計にこちらもクソデカ蛇に頼まないとダメね。やべぇやつにはやべぇやつをぶつけんのよ。さぁ! オロチ! 私よ、私! 私が来たわよ!」
しかし、マグマの煮え立つカルデラに生命の気配はない。あの肌を引き締めるようなプレッシャーがまったく感じられないのだ。きょとんと首を傾けるリーエマ。一方の玲司は大きな岩に貼られていた紙を指さした。
――台風が来なくなる11月までお休みします。オロチ。6月9日(土)←大安吉日
「せめてスープが切れるまでは店あけとかんかぁ!」
理不尽に叫ぶ魔皇の声が虚しくこだました。
そして舞台は長崎。こちらの兵力は魔皇リーエマ手勢499余騎。肥前御家人白石通泰手勢100余騎。肥後御家人菊池武房手勢100余騎。リーエマに軍を乗っ取られた総大将少弐景資単騎。そこにさらに浅間山守護竜木花咲耶を筆頭に、桜島守護竜難陀、雲仙岳守護竜跋難陀、霧島守護竜和修吉、三瓶山守護竜徳叉迦と八大龍王の半分が集結。さらにその後ろには13体の若竜達が集合していた。
「リーエマ様! 守護竜騎兵隊、整列しております!」
木花咲耶、まるで桜のような桃色をした美しきドラゴンである。
「あー、はいはい。硬くならないでね咲耶。こんなに早く集まってくれてありがと。定時でちゃんと山には帰すからそれまでよろしく。それに引き換えオロチのやつぅ……!」
「まぁ、あのお方らしいと言いますか……私も低気圧でヒゲがぴりぴりしてますし……」
天候は曇り。玲司は空を見上げつつ咲耶に問いかける。
「神風、間に合いますかね?」
「わかりませんね。少なくとも敵船団を壊滅させる規模となると……むしろ半端な雨で私達が戦えなくなる可能性の方が不安というのが正直なところです」
玲司の表情が歪む。そんな自身の奴隷の弱々しい姿にリーエマは口元とかたかたを震わせつつ檄を飛ばす。
「だ、だだ、大丈夫よ! 大丈夫に決まってるでしょ! だ、だだ、だって! だって大丈夫なのよ!?」
そこに魔皇リーエマ「らしい」やさしさを感じた玲司はこの絶望的な状況で笑顔になる。
「そうだな。そう言ってもらえると助かる。なにより、自分よりビビってるやつが隣に居るってのは恐怖心を和らげてくれるよ」
「びびびびってないしぃぃいい!?」
集まった鎌倉武士たちも彼女の声を聞いて楽しそうに笑い始めた。
「勇猛果敢な魔皇様のお言葉を拝聴し、改めて身が引き締まりました。拙者の命が流れた際にはどうか英霊としてお祀りください」
「はぁ? 嫌よ! 大都会鎌倉の私ん家の近くにそんな神社建てたら辛気臭くてなんないわよ! 作ってやるにしてもあんたなんか辺鄙な片田舎で十分! せいぜい武蔵国湯島郷の丘とかで放置プレイね!」
なおその土地の今の名前は東京都千代田区の九段北あたりである。
「ははは。そんな辺鄙な場所で風葬されたくなければ生きよの勅命。確かに」
「定時退社絶対!」
びしっと指を突き出した彼女にあわせて再び笑い声が響いたその時。敵襲を告げる法螺が吹く。
「来ましたか……数は?」
「船の数が多すぎて、海が青く見えません! 敵が7分に青が3分! 敵が7分に青が3分です!」
「そりゃぁ的を外す心配がねぇな! お先に行くぜ! 咲耶さんよ!」
「お待ちなさい! リーエマ様の指示を待って……」
「はっ! 娑迦羅吠舎だって戦場で手柄をたてて出家したんだ! 手柄ぁたてちまえばこっちのもんよ!」
控えていた若竜達が隊列を無視して強襲をかける様に、リーエマは頭を抱える。
「咲耶に新兵が抑えられないなんてね」
「も、申し訳ありません……」
こうして飛び立った竜騎兵達が曇天の中を飛び海上の大船団の上を取る。船の上ではまさかのドラゴンの襲撃に弓を構えようとするも手の震えで矢を番えられない元兵の姿が見えた。
「へ、へへっ……怯えてやがるぜ……こいつらよぉ! やっちまえ!」
一斉に放たれる大火球。元の木造船は一瞬で炎に包まれた。
「やっふぅぅぅぅうううう! ほら見なさいやれば出来るじゃない! 大正義先制攻撃大勝利! だから大艦巨砲主義とかオワコンだってのバァァァァカ! トラ・トラ・トラでVやねん! そのままやっておしまいなさい! あはははは! もう勝ったわ別府行ってくる!」
大はしゃぎで奇抜な舞を踊る魔皇リーエマ。隣の奴隷もほっと胸をなでおろす中、木花咲耶だけがそのまま真剣な表情で煙に包まれる船団を見ていた。
「艦尾損傷!」
「二番補機大破!」
「弓兵隊四割二分壊滅、火砲損傷率八割五分」
「第三艦橋大破!」
「重巡玻色子入電、我操舵不能、我操舵不能」
まさかのドラゴンによる先制攻撃に歪む東征元帥ヒンドゥの顔が歪む。その時だった。
「元帥!」
「如何!?」
「第七出撃孔解放済也!」
「何!?」
出撃を告げる銅鑼の音が響く中、人間体のままの竜吉公主が腕を組んでの仁王立ちの姿勢で迫り上がってくる。
「暴風、光炎!」
曇天の空を切り裂くピンクの光線。その一撃で強襲をかけた竜騎兵の半数が蒸発した。
「……は?」
大はしゃぎで騒いでいた魔皇リーエマの腕が、止まる。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! 武器が! 武器が違うわよ! あんなの見てないわ! なんなの咲耶! 咲耶ぁ! 元の竜は化け物なの!?」
「竜が来ていると聞いてまさかとは思いましたが……パターン白。間違いありません。竜吉公主です」
曇天の空の彼方には稲妻が轟いていた。炎で燃え盛る木造甲板を跳躍と同時に破壊。
「と、飛んだぁ!?」
「超級稲妻……」
高度500mの高さでキリモミ反転を決めてから、その右足を陸地に布陣する魔皇軍に向ける。
「蹴ぃぃぃぃぃぃぃぃっ駆!」
その飛び蹴りの一撃で肥前御家人白石通泰手勢100余騎が蒸発。中心部にはクレーターが形成され、さらには戦場を駆け抜けた衝撃波で背後にあった山王神社の鳥居も右半分が吹き飛んでいく。
「地図の書き換えが必要だなとか言ってる場合じゃねぇぞ!」
誰しもが絶望を覚え、武器を捨て逃げていく中。浅間山守護竜木花咲耶が強襲をかける。全長99尺の巨竜の爪の一撃。それをほんの5尺6寸の人間が片手で受け止める。
「お初にお目にかかり恐悦至極に存じます、竜吉公主様。日ノ本は浅間山守護竜、木花咲耶と申します」
「そう。あなたはしっかりと挨拶ができる方なのね。白頭山守護竜、竜吉公主です。あなたもかわいそうな方ね」
「かわいそう?」
「そうでしょう? 挨拶もできない主に仕えるなんて」
ぎり、と噛み締めた牙を鳴らした木花咲耶。巨大な翼をはためかせ一度距離を取った。空中で大きく反転し、そのままの勢いに怒りを乗せて全力の突撃をかける。
「主を……絶対神聖なる我が主魔皇リーエマ様を! 無礼るなぁぁぁあああ!」
竜吉公主の飛び蹴りの時と同様、いや、それ以上の衝撃が戦場をかける。再び衝撃波が駆け抜けるが片足鳥居は倒れない。舞い上がった粉塵で視界が塞がれた。
「さ、さすがにあの一撃で生きていられるわけな……なんでぇぇぇえええ!?」
粉塵が晴れた中央に居たのは、全長200尺にも届く巨大な白い竜だった。その爪が、木花咲耶の胴にカウンターを入れた形で突き刺さっている。
「かはっぇ……!」
口からシリコンの血を吐き出した咲耶をもはや興味などないと言わんばかりにその場で投げ捨て、竜吉公主が魔皇リーエマを睨みつける。
「ひっ……!」
「あなたが挨拶という当然の礼儀も知らない日ノ本の皇ですか」
「そ、そうですがなにか!?」
こんな時でも平常運転と言わんばかりに反射的に煽り返すリーエマを汚いものを見る目で見下す。
「日ノ本の民は1つの中国の同胞。おとなしく頭を垂れれば命まではと思いましたが……気が変わりました。死になさい、小娘」
「うわぁぁぁあああ!! おかーーーーさーーーーん!」
「逃げるぞマスター!」
リーエマを米俵かなにかのように抱えて全力で逃走する玲司。まさに暴風のようなピンクの光線をすんでのところで回避しつつ瓦礫は防御魔法で凌ぎ時間を稼ぐ。
「って、時間を稼ぐって言ってもなぁ……!」
「暴風火炎筒!」
竜吉公主の爪から放たれる鱗の連弾。ただ鱗を飛ばしているだけなはずなのに、そのあまりの威力はまるで空間が切り取られていくような錯覚を覚える。
「あ、あああ! 挨拶! 挨拶をすればいいのね! こんにちはハローニーハオチャオチャオ!」
「追尾式金線!」
「おはなしきいてぇぇぇえええ!」
まるで蜘蛛の糸のように展開される金色のレイラインの間を縫って逃げ回る玲司。肩の上でぎゃーぎゃーと喚き立てるリーエマに文句を言う余裕すらない。
「話が全然通じないじゃないの!? やっぱりよその国の人だから!?」
「いやさっき普通に会話できてたろ!」
「あれは幻術よ! 奴隷、通訳しなさい通訳! あんたチートとかなんとかで誰にも言葉が通じるんでしょ!?」
「そうらしいが!」
「ならはい通訳! こんな弱い私をいじめて小さい国を滅ぼすなんて絶対にバチが当たるわよ! こちとらバックにはミッチーとスーさんがいるんだからね!」
「わざわざ海を越えて小国まで公主自らお越しいただき日本の魔皇として光栄に思います! 此度の無礼どうか水に流し、改めましてそちらに朝貢の使者を……」
「真面目に通訳しろぉ!」
「したら死んじゃうだろぉ! あとそのお二人の名前はまじで言いたくない!」
肩に担がれながらベシベシと頭を叩いてくるリーエマを前に、もうどうにでもなれと言葉をそのまま伝えて逃げ回る玲司。当然ながらその無礼に竜吉公主の怒りのボルテージは跳ね上がり攻撃がさらに苛烈を極めていく。その様子を船の上から見守っていた元兵達が大笑いをはじめる。
「日本魔皇帝情無雑魚塵虫!」
「弱! 弱! 超愚!」
「彼女間抜逃走泣叫声何?」
「戦争悪行天罰覿面弱者不可虐待也」
「呪? 怨霊? 雷神?」
「絶対不有得!」
「……冷水感知。雨?」
その時、ぽつぽつと雨が振り始めた。炎を吐き続けていた竜吉公主の周りは高熱化しており、落ちた雫は瞬時に蒸発して水蒸気となり、ケイ素である彼女の体を腐食させていく。
「くぅっ……こんな時に……!」
響く雷鳴。その一撃が沖合に停泊していた元の船団に落ち、再び船が燃え始める。雨は間髪容れず豪雨となり、猛烈な嵐が海上の船団を弄びはじめた。
「神風降臨キターーーーーっ!」
「なんという悪運……! その命、今は預けますよ!」
こうして間一髪、玲司の知る歴史通りに神風は吹いた。日本側の被害は甚大なれど木花咲耶は一命を取り留め、今回の襲撃で事前より玲司が進めていた防人の配備が現実的脅威を感じた武士達の協力で進んでいくことになる。
そして7年後。後に弘安の役と呼ばれる二度目の襲撃が行われる。竜吉公主自らの再出陣はなかったとはいえ、前回900隻の軍船からなった数が約5倍の4400隻にまで増大。兵数も前回3万から40万に増えているという絶望からは、まさに元の本気が感じられた。迎え撃つ防人の数は前回の700人から6万人まで増員していたが、それにしても多勢に無勢である。
対馬から伝令が届くや否や自室に鍵をかけて布団にくるまっての引きこもりはじめた魔皇リーエマの醜態も知らず、ならず者で知られた鎌倉武士達は再び神風が吹くことを信じ、海に向かって声を張り上げる。
「やぁやぁ音にこそ聞け近くば寄って目にも見よ! 我こそは従五位上上総介、北条実政! 鎌倉幕府異国征伐大将にして長門探題、鎮西探題なり! その父、北条実時は鎌倉幕府第3代執権を勤め上げ、吾妻鏡にてその武のみならず叡智も知られる猛将なり! 宝治元年宝治合戦には魔皇リーエマ様の御所を守護する務め見事守り抜く! 母は北条政村の娘にして、伊賀氏の陰謀を打ち払いし才女なり! 腕に覚えの元の兵よ前へ出よ!」
鎌倉武士特有の戦名乗りであり、日本の戦場では日常的な行為だったが当然ながら元にそのような文化はなく意味不明な風習である。長々と自身の系譜の功績を語るそれは、まるでなにかの呪文のようだ。そもそも異国の言葉なのだから通じるわけがない。
しかし、こうして次々と名乗りをはじめる武士たちの姿に元の兵は戦慄した。
「呪言……我等浴受呪言葉! 稲妻暴風召喚魔皇雷神怨霊呪術!」
「戦争悪行弱者虐待不道徳天罰覿面!」
「我等皇帝悪逆非道失墜呪!」
そして偶然にもこの時ふたたび神風は吹いてしまう。4400隻の大船団は嵐を前に逃げることもできず、そのほぼすべてが上陸前に沈没。死者14万という大損害を被ったのだった。
その4年後にはベトナムに侵攻した元軍は白藤江の戦いで敗走し、6年後はシャムの制圧にも失敗。この7年後に皇帝クビライが逝去すると、跡を継いだテムルは子どもを残せずに死亡。後継者争いで権力争いが起きる中、タイミング悪くシルクロード貿易を通して西方からペストがもたらされ、国中を病魔のパンデミックが襲う。もはやかつての英雄フビライの栄光も遠く、ひたすらに転がり落ちていく国の姿に、国民は口々にこう呟いた。
「これらはすべて、弱小国を侵略するという悪逆非道をなした我等への呪いに違いない」




