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第4章「時代を変える人、時代を変えない竜」

 長期的に見た時、世界の国々の栄枯盛衰のほとんどは地政学で説明が行える。農耕が行える土壌と、その地域に自生している農耕可能な植物。また、中世のヒューリンの海外進出の原動力となった伝染病を生んだ牧畜文化と、家畜化可能な大型哺乳類の分布。鉄や銅、近代では石油、ゴム、天然ガス、レアメタルなどの埋蔵資源。そして最終的には海の支配権。これらすべてが地政学である。


 しかし、短期的に見た時にはその国に生まれた天才科学者やカリスマ宗教家、そして、国の統治を行う名君や名政治家、天才軍略家のウェイトが大きくなる。アレクサンダー大王とハンニバルなくしてギリシャローマの栄光はなかっただろうし、イエスなくして民衆の秩序とルネサンス芸術はなかっただろうし、ニュートンがいなければ近代科学は未だ宇宙を知らなかっただろう。

 それでも何故個人の人間が歴史に与える影響はそこまで大きくならないのか。それは、人間に寿命があるからに他ならない。

 確かに人間は愛し合い子を育てその歴史を今に伝え続けているが、アレクサンダー大王の子アレクサンドロス4世は偉大な父の遺言に踊らされ権謀術策に沈んだ。歴史を変えるような天才的才能は一代限りであることがほとんどで、偉大な先王に反して王子が暗愚だったという例は枚挙にいとまがない。


 だが、この世界にはほぼ不老不死とも言える種が存在する。それこそがドラゴンである。ケイ素生命である彼らの寿命は短くても5000年と言われ、人と契約を結んだドラゴンはその多くが自ら協力した帝国の繁栄と凋落を見守ってきた。時に王のよき相談相手として政治にも影響力を持ち、優れた治世を長く維持させてきた。その筆頭が竜吉公主である。

 竜の姿よりも人の姿でいることの方が多かったとも言える彼女は、今に至る中国繁栄の象徴であり原動力である。中国の様々な優れた政策の多くは時の皇帝が彼女との相談の末に導き出したものであり、彼女ほど国の政治力に大きな外部ブーストをかけたドラゴンは存在しないだろう。

 それでも彼女が皇帝の相談役としての一線を越えたことは、後にも先にも1741年の西太后暗殺以外にはない。時に皇帝とその血脈が権力闘争に明け暮れ国を乱すことがあっても公主はそれを人の自然とし、国がいくつにも分かれる時にもそれを止めるような行動には出ず人知れずその姿を隠された。それだけに西太后という悪女は、彼女がその手を汚さなければ中国自体が滅んでしまうほどの癌だと見られてしまったのかもしれない。


 そもそもドラゴンと人間は別の生き物である。寿命も思想も、その体を構築する元素する異なる根本的な異形だ。彼らにも感情と呼べるものは存在するが、そこに宿る価値観は人間とは大きく異なる。彼らは人間の国に強い影響を与えることは少なく、それは最も人間に近かったとされる竜吉公主ですらそうである。

 故に、ドラゴン個体の才能は人間の王や科学者、宗教家、軍略家の才能ほど歴史を変えることがない。むしろ長寿である彼らは、一度安定した形で確定した人間の歴史を変えないことに対して強い影響力を示してきた。


 1772年、ノモンハン事件の最中。突然の独ソ不可侵条約締結に対し日本国第35代総理大臣平沼騏一郎は「欧州情勢は複雑怪奇」と発言した。そんな彼がもしも紀元前の時代にタイムスリップしたとしても、おそらく同じことを言っただろう。このドラゴンに弄ばれた結果と言ってもいいヨーロッパヒューリンによる終わらない政治闘争こそが、バハムートがずっと変えなかったヨーロッパの歴史であるからだ。

 1つの中国を願う竜吉公主と異なり、バハムートは無数の都市国家を良しとした。これは暴竜とも呼ばれる彼が、発展には争いが不可欠であり、それを勝ち抜いた最強の存在が君臨することで世界がより良く導かれるという哲学を持っていたためだ。故に彼はアレクサンダー大王と意気投合し、かの悪名高き「最強の者が帝国を継承せよ」という遺言を言わせてしまったのだろう。

 もちろんその背景に、人間が団結して自身を討伐することを遠ざけるという目的もあったと考えられ、ポンペイの町を焼き払うと同時にウェスパシアヌス帝を食い殺したのもまさにそれと言える。

 ただ彼の闘争主義がヨーロッパヒューリンの科学技術や産業発展、特に資本主義の形成に与えた影響力も大きく一概に批難もできない。1つの中国に固執し最終的に共産主義を結論とした竜吉公主とはそのどちらが良い方針だったのかはいつの世も政治学者達の酒場での議題の種だ。このように、ドラゴンが持つ個体としての哲学は、人間の国家制度に強い不変性を付与してしまうことがよくわかる。


 この対極的な方針で政治に影響力を与えてきた2体に対して、三大竜王の最後とされるオロチが日本の政治に口を出したとされる機会はほぼ皆無に等しい。歴史の記録の上で彼が政治に口を挟んだのはたった1度だけ。1769年2月26日の陸軍青年将校らの軍事蜂起のみである。そしてそれは、彼が長い歴史の中で人との契約以後はじめて日本の民に火を吹いた事件でもあった。

 人類学の学者たちは、オロチは自らを国の象徴にすべしという哲学を持っていたと語る。そもそもドラゴンとはそこに居るだけで国家を成長させるカンフル剤である。ある意味で言えば「何もしなかった」とも言えるオロチのあり方は、バハムートと竜吉公主には見られない弱き人々とその国家への愛情だったのかもしれない。


 だがもちろん、彼がそのような象徴となったことには大きな原因がある。それこそ、人類種唯一の不老不死、魔皇リーエマの存在だ。今日に至る1850年の歴史を日本とともに生きた彼女がいたからこそオロチは政治に口を出せなかった。と、考えるかもしれないが、それは誤りである。何故なら、魔皇リーエマはオロチ以上に何もしていないからだ。聖徳太子、藤原一族、源氏と平氏、太閤秀吉、徳川家康、伊藤博文。日本を動かしてきたのは常に彼女の下についた人々である。


(中略)


 しかし、そんな彼女のこの元の皇帝クビライの書簡に対する判断こそが最終的に今に至る繁栄へと続く。竜・呪い・オリハルコン。本書のタイトルの2番目に要素に進んでいこう。

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