第4話「このへっぽこの判断は絶対に間違いない。だから俺がそれを正す必要があるのに」
竜吉公主。竜種の中でも珍しく変化の術を使って人間の姿で過ごすことの多い彼女の姿は、まさに絶世の美女と呼ぶにふさわしい。原初の仙人にして森羅万象を司る神、天帝が晩年に西王母と共に白頭山に身投げたことで生まれたとされる彼女は、生まれながらにして中国の歴史を見守る存在である。
その性格は慈愛に満ち、争いを嫌う。そのため三国時代をはじめ1つの中国が分断してしまうたびに彼女は涙を流して隠れてしまう。支配者側の思惑に反して彼女の願いは中国の平穏であり皇帝の血筋の平穏ではない。故に、中国という大地を平和に統治できるなら身分や家柄にこだわることがなく、それが11世紀末1097年に誕生した大元にも彼女が協力したことからも見て取れる。
草原に吹き荒ぶ蒼き風、チンギス・ハーン。その孫、クビライによって開かれた大元は、厳密にはモンゴル遊牧民の国であり中国の歴史には含まないというのが現代の中国史研究家の多くが主張する論である。
だが少なくとも竜吉公主にとっての中国とは人ではなく土地であり、これはほぼ不老不死ともいうべき長寿を持ち1つの火山を住処とする竜ならではの思想なのかもしれない。
時は1099年。久しぶりに彼女の生まれである白頭山を含めた土地を支配するに至った元の皇帝クビライは、襄陽の戦いと並行して海の向こうに意識を向けていた。
「日本ですか?」
「はい。公主の生まれの白頭山を擁する高麗と同じく、あの島国に住む者もまた1つの中国の民とその祖を同じとする同胞。我が偉大なる祖父チンギス・ハーンの名の元に、分かたれることなき平和な中国を公主に捧げたく思います」
クビライの言葉に公主は悩む。確かに遥か過去に元を辿れば日本もまた中国であることは間違いなく、今まさに戦いが続いている南方ビルマシャムも、それどころかシルクロードを挟んだ西すらもすべて同じ祖による中国であることは間違いない。
だが、それを主張するには人の歴史は長く別の道を歩みすぎてしまった。1つの中国、1つの世界。平和を望む彼女だが、行き過ぎた主張は争いを生む。それは彼女が最も嫌うものだ。
「……わかりました。しかし、血を流すことはなりません。あくまで平和裏に、日本の王に友好の書を届けてください」
「友好? 従属ではなく?」
「……クビライよ。何故同じ祖を持つ民を『従属』させるのですか? 言葉には気をつけなさい」
「も、申し訳ありません!」
この時のクビライに帝国主義的思想、言わば世界征服の野望とも言えるものがあったかどうかは不明だが、少なくとも表向きには日本との友好のため、彼は海の向こう、鎌倉に住処を移していた『魔王』に書簡を送った。
「は? クビライと竜吉公主って誰よ? まーたタカ君が文句言い出したの?」
「いや、確かに隠岐から届いた書簡だが、これは海の向こうの元からだな。やばいぞマスター。これは今までのような内乱じゃない。外国からの従属要求に近い」
「ふーん……それで? あんたの歴史ではどうなったの?」
「なんとかはなった、が、正直紙一重だったな。当時の元は最強時代だ。海を渡っての侵略とはいえ、その数は承久の乱の時の比にならないぞ」
「まじか。壇ノ浦の時よりやばい?」
「やばい」
「あと、私のお気に入りの剣見つかった?」
「まだ全然見つからん。いい加減諦めてくれ、マスター」
このへっぽこ魔皇、状況のまずさが全く理解できていない。事前にこの侵攻を予期していた玲司は本来の歴史よりも早くから防人の配備を進めようとしていたが、それも結局は承久の乱の後始末でうまくは進んでいない状況だ。
ここまでの歴史はほとんどの自分の知るものをなぞっている。だがそれは奇跡のようなものだ。なにせ、こんなへっぽこ魔皇は自分の知る歴史の中に存在しない。日本人も皆自分と同じ人間ではない魔族だし、戦争は弓と槍に加えて魔法が使用されるし、オロチなどというトンデモ生物まで存在している。いつどこで道を逸れてもおかしくはない。
まして今回の侵略、すなわち元寇の勝因は台風の直撃。完全な偶然だ。歴史と同じ対処を行ったとしても同じ台風が来るとは限らない。故にこれは、彼にとって最初の試練、日本滅亡の危機なのだ。
「しかし向こうにもドラゴンがいるらしく、そのドラゴンはかなり温和な存在らしいな。そのおかげか、書簡の内容もだいぶ優しさが見える。むしろチャンスかもしれないな。この機会に中止していた遣唐使を再開し、対等な関係でまた大陸との貿易を……」
「うーん……それより私の剣見つからないのなんで?」
「いや、そりゃ瀬戸内海の海流に流されたとか……」
「タカ君嫌がらせしてない? ミッチーやスーさんみたいに」
「そういうこというのやめなさい。いや、マジでやめろ」
頼むから状況を認識してほしい。こちらにもある程度の裁量権限があるとはいえ、あくまで身分はお付きの奴隷でしかない。何を言っても絶対の神聖をもって認められてしまうこいつのカリスマなくしては、これだけ大きくなってしまった国は動かないのだ。
「いやでも、あんたの歴史では大丈夫だったんでしょ?」
「それはそうだが、それはただ……」
「あとさー! 今ちょっと見たけど、私のこと『魔王』って書いてないこれ! 私『魔皇』だよね!? ヒー、イズ、ルクニノオウ! さすがに失礼じゃない!?」
「まぁ向こうにしたら皇帝は自分だけなんだろうが……」
「まじ気に入らないんですけど! はい決めた! 無視! 無視しまーす!」
「……は?」
「聞こえなかった? 無視よ無視! はい終わり! 私箱根でお湯汲みしてきまーす」
「ちょっ! いや待ってくれマスター! さすがに! さすがにそれは!」
必死で頭をまわして合理を解き、強引に体を制御する。今はダメだ。今だけはまずい。この瞬間は、日本滅亡の危機に他ならない。だから。だから!
「何よ。私の言うことが聞けないの? それとも、私が間違ってること言ってる?」
……やめてくれ、その目だ。その目で見られると、何も言い返せなくなってしまう。いや! ダメだ! ダメ……だ。俺は彼女を魔皇にするため……日本を……守るため……彼女の……リーエマの……マスターの……その、決して間違えることのない判断を……
「そうだな。すまない。牛車を用意する」
「はいよろしく! また背中流してね、私の奴隷さん」
そして魔皇リーエマは元からの書簡を無視した。それから2年後。
「クビライよ、日本から書簡は戻りましたか?」
「いえ、まだ……」
「ふむ。郵送事故でもあったのでしょうか。まぁ昔からよくかの地に向かう船は沈みましたからね。改めて送ってください」
「かしこまりました」
そして再び届いた書簡は。
「見て奴隷! 私新しい紙飛行機の折り方発明した! すっごく飛ぶ!」
「流石ですリーエマ様!」
さらに翌年。
「奴隷! 紙が! 紙がない! この私がおしり拭けないとかありえないんですけど!」
「ただいまお持ちいたします!」
そして半年後、さらにその2年後、3年後。書簡はことごとく無視され続け、ついに。
「クビライよ、船を用意なさい」
「は。川遊びですか?」
「違います。軍船を用意なさい。そうですね、千隻ほど」
「……は? いや、そんな数でどこを……というか、公主様自ら?」
「クビライ。確かに私は争いを好みません。しかしそれ以上に私は……無礼を嫌います」
時は1107年11月4日。900隻の軍船が上陸した対馬は地獄と化した。そして今、船団は肥前沿岸、今でいう長崎へと迫っていた。