17 心配事は尽きません
ある日、書状を確認していたソフィアが封書を開けて深いため息をついていた。
「おばあ様? どうかなさいまして?」
「王から直々に送られてきた招待状だわ……」
「!?」
エリサ・クロイドは五年以上も前に行方不明になりその死亡が確認されている。
エリサリールとして暮らしているエリサが王都に連れ戻されることはもう無い。大丈夫だと分かっているのに未だ王都からの連絡には身が竦む。
それほどあそこがエリサにとって忌まわしい場所だったという事だ。
「何でございましょう?」
恐る恐るソフィアへ問いかけると珍しく少し困った顔で内容を教えてくれた。
「式典への招待状よ」
こういった式典への参加は領主の采配に任されていて、領地の状況によっては不参加となっても特に咎められることはない。
だが今回は王から直々に送られてきた招待状で、普通の貴族なら参加する以外の選択肢はない。
だが、ここはルーディアだ。
過去にこうして王家から直々に招待状を送られても、面倒くさい、研究が大事、興味がないと散々蹴り倒した数々の経歴がある。
そんな奔放さが許されているのは辞退する非礼よりも多くの成果を上げているからだ。
「行かれるのですか?」
「招待されたのはエリサリール・シア・ルーディア。貴女よ」
「わたくし? 領主であるおばあ様ではなく?」
てっきり領主であるソフィアが招待されたのだと思い込んでいた。
「君に褒章を与えたいみたいだね」
隣から書状を覗き込んでいたカーランが内容を伝えてくれる。
「褒章を頂く理由がありませんわ?」
得に褒美を貰えるような功績が思いつかず首を傾げる。
「ええ、エリサはそう言うと思ったわ」
ソフィアとカーランは何を言っているんだという顔でエリサを見る。
「??」
「浄化ハーブの栽培方法とそれに付随した薬のレシピを無償開示しただろう?」
「魔力の籠った水の作り方や神像の事もね。あれがあちこちに広まって国内の医療事情が格段に向上したんですって」
「まぁ、よろしいこと。レシピや栽培方法を開示した意味がありましたわね」
皆が安心して暮らせる世界になればいいと思ってやった事なので、特別褒めて貰う事ではない。
どうせならやって欲しいとお願いしたことへ、素直に応じ実行してくれたルーディア領の民を称えて欲しいわ。
「王都ではこれだけの技術を無償で開示した無欲の賢者についての話で大盛り上がりらしいのよ」
「無欲の賢者……、随分立派な呼び名ですわね」
「何を他人事のように言っているんだい。エリサ、君の事だよ」
「別にわたくし、無欲ではございませんわ? 領民の皆様には健康に過ごして頂きたいですし、その為に潤沢な物資が欲しいですから他領にも栄えていて欲しいですし、国には平和でいて頂かなくてはなりません。全て満たされていなくては気が済みませんの。欲望の塊でしてよ?」
「人々の目にはそうは映らないってことよ」
「まぁ……」
困ったなぁ。本当にそんなつもりじゃなかったんだけど。
神への祈りは心が籠っていなければ意味はない。
同じように神像を建て浄化ハーブを育てられた領地があるのなら、そこに住む民がきちんと神への感謝の祈りを捧げられているというだけの事だ。
それが世界に広がって行ったら、やがて神が力を取り戻す手助けとなる。
神の存在を身近に感じ、与えられる愛に感謝を捧げることを思い出して欲しい。
そんな気持ちで浄化ハーブの育て方を公開した。
だって世界を愛する神が、身を削り与えるだけなんて悲しい。
どうせなら相思相愛の方がいいじゃないという安易な気持ちも含まれていて、とてもじゃないがそんな聖人君子の扱いを受けるものではない。
「お断りできませんの? 褒章なんてわたくし望んでおりませんわ」
「少し骨が折れるかもしれないわ」
ソフィアが頭を抑えながら招待状を見せてくれた。
「まぁ、本当に陛下直々の招待なのですね」
直筆で褒章を与える式典を催したいから是非王都へ来て欲しいと書かれている。
普段王が直筆で文字を添えることはない。それだけ本気だと言う事だ。
「力の入れ具合が違うでしょう? でも、行きたくないものは仕方ないわ」
「向こうが勝手にくれると言っているだけだし、欲しくないなら貰わなくてもいいよ」
そう言ってくれた祖父母に甘え、褒章を辞退する旨を書いて返信した。
これでもうこの案件は終わりだって思ってたのに。
「また届いてますわね」
「しつこいこと」
「余程褒章を押し付けたいらしいね」
何度辞退すると書いて送っても、内容を変え、褒章の項目を増やし懲りずに書状は届く。
「ルーディアが褒章を辞退する事なんて珍しくないでしょうに」
「王家には今回ルーディア領に引け目があるからね。どうしても詫びがしたいんだろう」
「……詫び?」
「エリサの事だよ」
「ああ……」
婚約破棄の一件か。
エリサ・クロイドの死という結末を持ってあの件は終わりを告げた。
王家の者がしでかした不始末にしては大きすぎる損失。
あの一件以来ルーディアは王家と今まで以上に距離を置いている。
王家としてもエリサの事については申し訳ないと思っていたのだろう。
そしてルーディアへ何とか詫びを入れたいと思っているようだ。
けれど表立って詫びの機会を設けてしまったら、王家の非を正面から肯定し失態を大体的に晒すことになる。
だから成果を上げたルーディア家に対し、これ幸いにと褒章へかこつけ詫びに代えたいということなのだろう。
「わたくしはここに来てからずっと幸せです。それ(婚約破棄)についてはお礼を言いたいくらいですわ」
「私たちもエリサが来てからずっと幸せよ」
「僕もだよ。お陰で寿命が延びてしまった。出来れば君が愛する人と結ばれ結婚するのを見届けたいねぇ」
「あら、おじい様。そうしたらずっとお元気でいてくださることになりますわ」
一生結婚しないかもしれないことを仄めかすと、おじい様はそれを聞いて表情を緩めた。
「それはそれでいいねぇ」
「エリサが幸せならそれがいいわ」
ルーディア家の令嬢として見合いや結婚の打診が来ているのは知っていた。
けれど祖父母はエリサが自分で選んだ人と結ばれることを望んでくれている。
一生独身でいるとエリサが覚悟を決めたら、それも応援してくれるつもりでいることも知っていた。
結婚は家同士の繋がりで契約だと考えられているこの世界の貴族としては破格の対応と愛だと思う。
「君が嫌なら行かなくていい」
「これは王家が我が家にしている借りの事ですから私たちで上手く処理するわ」
どこまでも甘やかし、愛してくれるおじい様とおばあ様。
このしつこさ、アレンの父親といったところか。
あまり似てないと思っていたけれど、今更似ている所を知ってしまった。
流石に武力行使はしないだろうが、参加すると言わない限り何度でも送り付けて来るのは間違いない。
この褒章という名の慰謝料を受け取れば、王家の名目も立ちあちらの気も済むだろう。
このまま拒否し続けていたら実力行使、とまではいかないだろうがもっと面倒くさい事にもなりかねない。
だったら逃げ回るのはもう限界かもしれない。
エリサ、どうかな? 王都行ける?
胸に手を置いて問いかけてみると、悪い反応は示さなかった。
「おじい様、おばあ様。わたくし、やはり王都へ行こうと思います」
「気が進まないのなら行かなくていいのよ?」
「そうだよ、このくらいどうとでもなる。無理はしなくてもいいんだ」
どこまでも甘やかしてくれる二人に胸が温かくなる。
けれど、その優しさに甘えてばかりではいけない。
そう思ったら覚悟が決まった。
「いいえ。おじい様、おばあ様。わたくし、王都へ行こうと思います」
嫌な思い出しかない王都。二度と会いたくない人も大勢いる。
けれど、この国に住んでいるのならこの先も避け続けることは出来ない。
いつか向き合わなくてはならないのなら、今がいい。
「わたくしには、おじい様やおばあ様、カリス、ナインもいます。領民の皆様も……。わたくしは、もう一人ではございません。だからこの招待を受けようと思います」
心強い味方が大勢いるのだから、怯える必要などない。
「折角ご褒美を頂けるのですし、この領地に役立ちそうなものをたくさん頂いてまりますわ」
背筋を伸ばし真っ直ぐ立ってソフィアとカーランを見つめると、二人ともなぜかそんなエリサを涙ぐんで見つめた。
「まぁ、エリサ。素晴らしい淑女になったのねぇ」
「僕らのエリサは本当に素敵な子だ」
おじい様とおばあ様が両側からエリサを抱きしめてくれる。
「カリス、ナイン。付き合ってくださるかしら?」
「俺はお嬢様の従者なのでどこまでも」
「貴女の騎士ですから当たり前です」
同時に返事を被らせ顔を見合わせ笑い合う。
「ふふふ、ありがとうございます」
「そうと決まれば返事を書こう」
「褒章の項目をこちらで追加してもいいのだそうですから、選ばなくてはなりませんね」
「お嬢様、こちらに一覧がございます」
カリスが紙の束を差し出してくれる。
そこには領地で入用だが、高価で手が出ない物や長期保存して置ける役立つ品が記されていた。
「まぁ、ありがとう。カリス」
「半分引き受けるよ」
「ありがとうございます。おじい様」
半分をカーランに渡し、二人で紙に書き記していく。
「パーティも催されるようですからエリサを最高に輝かせるドレスを仕立てなきゃね」
「はっ、それは最優先で最重要だ。すぐに仕立屋を呼ばなくては……!」
式典の予定表を見ていたソフィアが慌てて動き出す。
それを見たカーランもペンを置いて使用人を呼び、仕立屋に連絡を取ろうと使用人を呼ぼうとしたその時。
「あの……! カーラン様!」
「……? なんだい、ナイン」
「……」
だが勢いよく声をかけたのに中々次の言葉を言い出さない。
何事も明朗なナインには珍しい行動で、全員がどうしたのだろうかと注視する。
屋敷中どころかルーディア領民なら、ナインがエリサに惚れていることを知っている。
何らかの事情でエリサがそれを中々受け入れることが出来ないでいるのを、遠目からハラハラと見守っている状況だ。
言葉が紡げないナインへ、開いたドアの隙間から部屋の外に立っていた護衛の騎士やメイドが口々に行け、頑張れと口パクでその背中を押す。
かくいう私(美奈)も心の中で手作りのうちわを持ってナインを応援しているところだ。
真っ赤になっている所を見るとエリサ絡みの発言をしようとしているので間違いない。
行け! ナイン! がんばってエリサにアピールするんだ!
「そのドレス、俺に送らせて頂けないでしょうか!」
「!」
「あらまぁ」
「おや、君が用意してくれるのかい?」
「はい、エリサ様さえよろしければ」
おじい様やおばあ様だけでなく部屋の外に居たメイドや騎士たちは、ナインとエリサを交互に見つめる。
「エリサ様、如何でしょうか?」
真剣な顔つきでエリサを見つめるナイン。
とくりと小さくエリサの心臓が高鳴った。
「ナイン、よろしいのですか?」
「はい。是非、エリサ様に受け取っていただきたいです」
エリサの前に跪きそっと手を取る。
婚約者からは一度も送られたことがないドレス。
着飾る機会は減るばかりで、パーティ用のドレスなんて仕立てるのは久しぶりの事だ。
婚約破棄以来、初めて着るドレス。
それをナインが誂えてくれるというのなら……。
「あの、一つだけお願いしてもよろしいでしょうか?」
意識をせずとも口が勝手にエリサの気持ちを乗せた言葉を紡ぐ。
「何なりと」
「色は赤で、お願いします」
「! 賜りました」
貴方の色のドレスを下さい。
その両方のメッセージをナインは受け取って嬉しそうに微笑んだ。
エリサ、ナインを受け入れられる準備が整ったんだね。
胸に灯る温かさを嬉しく思った。
その夜もしかしたらハートの鍵が開くかと思い、ベッドに座りいつものようにエリサに会いたいと祈る。
そうして掌に現れた鍵を使ってエリサに会いに行った。
……けれど。
「ハートの南京錠が薄く光ってる。でも開くほどではないのね」
今日はカリスが来ていない。
ここにはエリサと私だけだ。
「ねぇ、エリサ。何を躊躇っているの?」
エリサがナインに惹かれているのが美奈には手に取るように分かっている。
けれど何かがブレーキとなり踏み止まっていた。
その原因は分からない。
「エリサが思うまま自由に心を開放していいんだよ?」
壁に額を当てて繭に包まれたままのエリサに何度も声をかけるが、ハート型の南京錠は薄く光ったまま開く気配がない。
「話が出来たらいいのになぁ」
エリサとの付き合いはもう五年を超える。
記憶を覗いているせいか他人とは思えない。
エリサの方もきっとそう思ってくれているだろう。
私たちの心は繋がっている。
けれど全てが分かるわけではない。
残る鍵はあと二つ。
そのうち一つはもう少しで開きそうだ。
エリサが目覚めてくれるならこれほど喜ばしい事はない。
「また来るね」
エリサの心配事を取り除いてあげたいけれど、今の私にはそれを知る術はない。
壁に寄りかかっていた体を起こし、部屋を出たいと思うと体が上に引っ張られた。
「お嬢に会ってきたのか?」
「うん」
膝の上には白梟のカリスが居た。
「カリスはずっとここにいたの?」
「俺があの部屋に入れるのはお嬢が望んだ時だけだ」
「そうなの? 知らなかった」
「俺も、追おうとして弾かれて初めて知った」
「どうして嫌だったのかな?」
「さぁな。美奈とだけ話しがしたかったのかもな」
だったらあの鎖の繭の中でエリサも、喋りたくても喋れない状況をもどかしく思ってたのかな。
カリスには悪いけれど私と同じ気持ちでいてくれたのなら何だか嬉しい。
「話かぁ……。本当に出来たらいいねぇ」
エリサが目覚めた時、私はどうなるのだろうか?
消える? 今度はあの部屋で私(美奈)が眠る? それともエリサの体から弾き出されるのかな。
もしも元の世界に戻ったとしても、現実の私(美奈)がどうなっていて、ここで流れている時間がどんな風に作用しているかわからない。
事故にもあってしまったし、元通りの生活が何事もなく再開されるなんて都合のいい事は起きなさそうだ。
どちらにしてもあまりいい状況ではないし、エリサとは二度と会えない予感はしている。
だから、出来れば目覚めたエリサと心行くまで話がしてみたい。
けれどそんな時間は与えて貰えないだろうとも思っている……。
でも、それを踏まえてもエリサが目覚めてくれることの方が嬉しい。
心配そうに見上げて来るカリスの頭を撫でる。
「あ、そうだ。ハートの鍵が光ってた」
「開きそうか?」
「うーん、エリサが何か不安を抱えてて途中で躊躇ってる感じがした」
「そうか。原因は分かりそうか?」
「全然」
首を横に振るとカリスはそれはないだろうと思うけれど、と前置きをしてから質問を投げかける。
「ナインの気持ちを疑ってる? とか」
「それはない。そこははっきり伝わってるよ。エリサもナインを好きな事は自覚してる。だから原因は余計に分からない。今は心の整理がつくまで待つしかないかも」
「そうか」
結論は出ないまま、その日は白梟のカリスを抱きしめ眠りについた。
月、水、金、日の週4回。10時更新に変更となります。
30日から完結まで毎日更新します。
駆け抜けろー!
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