蛇足 私は愛する人に愛されない
※人を選ぶ内容です。
近親相姦表現あり〼。
苦手な方はそっ閉じ推奨。
自分の部屋の出窓に腰掛け、ぼんやり階下の庭を眺める。
天気が良いだけで特段面白いものはない。
ないけれど、ついつい探して見てしまう。
庭に花壇のように人を楽しませる気の利いたものなんてない。
代わりに人目を阻むための高い生垣がぐるりと囲んで、細い蔓薔薇細工のアイアンを白く塗ったアーチとアンティークベンチが演劇舞台のようにそこにある。
白いベンチには夫が座っていて、その隣には白いレース製の日傘を持つ人がいた。
着ているものも白のレースで出来たデイドレス。
少女めいた趣味だが、それもそう。
あの日傘の持ち主は夫の父であるエクレール伯爵の落し胤、要は庶子であり夫の異母妹であり――まだ15歳の小娘だ。
私たちの長男と年齢が同じ。
彼女は夫の誘いを受けて、その膝の上に日傘を持ったまま乗る。
そんなに日に焼けたくないなら、あんな場所でいちゃついたりしなければいい。
べったりくっついて――ああ、あれは口付けを交わしているわね。
あらやだ、夫の手が不埒な動きをし始めてる。
何だかやるせない溜め息を吐いてカーテンを閉めると、腰掛けたまま壁にもたれる。
このカーテンも白いレース。
義妹の趣味全開で気持ち悪い。
私の部屋なのに私の趣味ではない。
ここに私の居場所はない。
ざらり、と砂を噛んだような気持ちになる。
夫とその異母妹の関係性はどうでもいい――そう、どうでもいい。
私たちの間にはもう5人も子供がいるし、そのうち私との子供はこの伯爵家の後継者となる長女と、主家である侯爵家に婿に行く長男の2人だけれど、これもエクレールの宿命というか家柄なので何も不満はない……。
娘は皇宮で皇后室付の仕事をしていて、息子は学舎の高等部で皇太子の側近候補だから、家には仕事絡みでないと戻ってこない。
寂しく感じる時もあるけれど、私たちの子供が優秀であるという証しでもあるし。
それに、私にだって愛する人はいるもの。
それこそ子供たちより会える頻度は少ないけれど。
頭を過るのは、いつだってあの切れて冷えた眼差しの、私たちの長男によく似た面差しの――。
溜め息をまた吐き出せば、それは思いの外熱かった。
ラム・エクレールとして生まれた私。
エクレール侯爵家の長女。
そして年の離れた私の実の兄、クレイム侯爵。私の愛する唯一のひと。
だいすきな、いっとうだいじなお兄さま。
お兄さまのお顔を、お声を、お姿を思い出すと私の全身が熱く悦びに震えてしまう。
でも私はお兄さまのお傍でずっと過ごすことを良しとされなかった。
父である前エクレール侯爵が私をこんな最低最悪な家に嫁がせたからよ!
エクレール侯爵家という響きだけは良いものの、内実は皇帝陛下直属の裏仕事をするために一族総出で時代錯誤の教育がなされている家。
皇帝の小間使い、便利屋、 掃除係。
エクレールの一部には自分たちを卑下してこう呼ぶことがある。
だけど私は父から『奇嬌な娘』という烙印を押されていて、そちらの仕事をすることはできない。
ただ血を繋ぐための私は、学舎などに行くこともなかった。
エクレールではない外の世界の常識と伯爵夫人としての知識と教養は受けさせてもらったけれど、身内で愛し合うこと、妻以外の女に子供を産ませることが当たり前で正しいなんてことはどこにもなくて驚いたのよね。
だって、エクレールでは幼い頃から身体で籠絡する術を学ばせられる。
しかも相手はまず身内だもの。
私のはじめても何もかも、捧げたのはお兄さまだった。
だから、ああして夫たちのように実のきょうだいで睦み合うことはエクレールでは当たり前。
ただ、大昔ならともかく今や法律上身内での結婚が出来ないから、でき得る限り血の離れた一族内から相手を探す。
血の近い結婚は忌避すべきとされているのに、エクレールが近親婚を重視しているのは裏向きの秘密を守るため。
それでも周囲からおかしく思われないよう、外の家から血を取り入れる場合は、犯罪者に使う制約の魔導具を使ってその秘密を守らせている。
一族とは他国に渡った家を含めても、他家に比べて著しく人数は少なくて。
近親婚が良くないのはそのせいもあるのよね。
あまりに血が濃く近いと、子供が上手く育たないから。
だから長男があんなに立派に元気に育ったのは奇跡。
だってあの子――カスターは私とお兄さまの愛の結晶だもの。
お兄さまが娶った妻は、一族内でも末端に位置する家の出だった。
けれど、それでも子供が生まれにくかったの。
お兄さまは長女のシャンティが授かるまであちこちに種をばら蒔いていたが実ることはなかった。
カスター以外は。
――私にだけくれたら良かったのに。
お兄さまは私のことなどすっかり忘れたように振る舞うのですもの。
頭に来て一服盛って、酩酊させてカスターを仕込んでもらったのよね。
ああ、あの日のお兄さまを想うと本当にお可愛らしくて。
でも、私に内緒であちこちこっそり仕込むものだから、相手を探すのは同じ一族内でも苦労したのよね。
堕胎薬を飲ませるのが。
もしかしたら実らないかもしれないけど、念のため。
だってカスター以外いらないもの。他の女の子供なんてもっての他。
大体、シャンティは許してあげたんだから感謝してほしいところね。
あの侯爵家を私とお兄さまの子供たちで貰い受けることになるのが嬉しくて、あんなに楽しみだったことはなかったのに……。
――だから、あの子はいらない。
フレシア・エクレール。
お兄さまとあの女の忌々しい子供。
女の子ならまだ良かったのに。
男の子はいらないの、カスターだけでいいの。
いらない子なのに、なかなか隙がないのよね。
流石に実家に潜り込むのは難しい。どうしてくれようか。
そもそも、お兄さまが私を愛してくれないのが悪いの。
それでも、そういう冷たいところも愛しているのだから、恋に付ける薬はないって本当よねえ。
物思いに沈んでいると窓の向こうから矯声が耳を掠めた。
「ああもう、耳が穢れる……」
レースのカーテンは、覗かれるためにあるのだとばかりに繊細な模様の隙間から漏れ見える景色はハッキリしている。
もう日傘はさしていない。
2人の足元、土の上に放り出されていた。
女の顔がこちらを見上げていて、目があった。
まだ年端も行かない娘の顔は情欲にまみれ、それでも勝ち誇ったように微笑んでいる。
あの女は私に見せつけているのだ。
そして、ほらあの口の動き。声に出さず私に語りかけている。
――あなたは、夫から愛されていない。
知っている。分かっている。
だから?
どうでもいいの、あなたたちのことなんて。
だから放っておいてあげてるのよ?
なんなら、土の下で2人誰にも邪魔されず、永遠に睦まじく過ごせるようにしてあげたっていいのよ?
そうしないのは、愛するお兄さまからキツく言われているから。
感謝しなさい。
――いつもわたしたちを未練がましく見ている癖に。
違うわ。
未練? 夫にそんなものを感じるくらい愛したことなんてないのよ、お生憎さま。
お前は他の男にも抱かれる仕事をしているのだから、夫の子供を産むことなんて一生ないのでしょうね。
残念よね、立場が揺らがない私のことが羨ましいのね。
いつも通り艶やかに微笑ってあげるわ。
私の習慣になってしまった、庭を見る行為の最後は必ず私の微笑みで終わる。
ほら、あの悔しい表情。
だから、あんな女になんて負けていない。
私の中で、あんな女とはこの娘か、お兄さまの妻か――重なってぼやけていった。
* * * * *
ラムを伯爵家の別邸に幽閉することが決まったのは、一族の後継者となるはずのフレシアの葬儀後のこと。
カスターは、姉のパティと共に父の執務室に呼ばれ、それを聞いた。
特段何の感想も思い浮かばないカスターに比べ、パティはふうーっと長い息を吐くと「やっとですか」と感慨深く呟いて、言葉を続ける。
「それでも世間的な死で済ますところに、心残りが見えますけど……私が当主の暁には、私の采配で片付けて構わないのでしょう?」
「――私が死んでからならな」
2人の父、ブレストル・エクレール伯爵はやや間を置いてそう答え、カスターはそれに驚いた。
それではまるで、父は母のことを――。
目を丸くしているカスターに、パティはまたも重い溜め息を吐いた。
「……分かりにくいでしょうけど、お父様はあのお母様を心から愛してらっしゃるのよ、こう見えて」
「初めて知った」
「私も最近知ったのよ」
父に視線を向ければ、気まずげに反らす。
ブレストルはエクレールらしい男であり、父親という感覚はカスターにとって薄かった。
共に暮らした時間がシャンティといるより少ないせいもあるし、同母のパティの他に異母姉妹が3人もいる。
更にブレストルはカスターと同い年でもある自身の異母妹を愛人のように囲っていることも説明はなくとも当然分かっていた。
関係の薄い父の代わりに、母がべったりと言って良かったので、侯爵から来るなと言われてもある程度の年齢になるまで付いてくるくらいに過保護だった。
だが、母から出てくる言葉は侯爵への恨み辛みだったり、彼の若い頃からの一般的な言い方をすれば非道な所業なりで、父に関するものはなかったと記憶している。
それだけ夫婦関係が修復不可能なほど破綻しているのだろうとカスターは納得していたのだが。
「今さらどうにもならないわ。お母様もあんなですからね、お父様だって仕方なかったのよ」
フレシアの病と、症状の悪化の報せ、その死を知る度に狂喜乱舞し妄言を吐き散らす姿に、エクレール伯爵であり彼女の夫であるブレストルはとうとう彼女を諦めた。
かつて彼は、一族の姫であったラムを自ら希って妻にした。
一族の中では知らぬ者はいないほどの兄であるクレイムへの異常な執着。
これは幼い頃からのことであり、エクレールの特殊な家庭環境を鑑みても稀なことだった。
確かにエクレールでは幼い頃から、いわゆる性教育――閨事についてや手練手管などを叩き込まれるが、実践については当人たちの器を見てからの素養中心であったので、ラムはかなり素質があって、期待も掛けられていた。
――だが。
病的なまでの執心により、一族だけでない被害が彼女の手によって出た。
年頃になったクレイムの周囲の女性を物理的に排除し始めたのだ。
当時彼女は6歳程度。
この頃覚えた毒と薬の知識を使って、証拠も残さない。
明るみになったのは当時の当主である前侯爵らが調査した結果で、普通に調べただけでは分からない。
このようなことが何年もかけて重なったために、ラムはその頃十代半ばだったが、前侯爵は娘としても当主としても彼女を惜しんだけれど、この先の多大な不安と一族の長としての責任から娘を処分することにした。
彼女はエクレールとして類い稀な天才と言える。
だが、同時に犯罪者としてのレベルも高かった。
血に流れる忠誠と服従の呪いは切れたわけではない。兄のクレイムへの妄執により、侯爵や皇帝に対しては無に近く、負に働いていなかっただけ。
大昔の、魔導具の前身である遺物には、威力はあっても現在ほどの精度はないということ。
カスターがシャンティに誓ったように、制約の呪いといっても結局何らかの抜け穴、逃げ道があるということだ。
そしてブレストルは知人の死によって、噂のクレイムとラムの兄妹を目にしてしまった。
ラムは当然ながらこの国の三族の正式な喪服の、腰当ての入った旧式の紺のドレス姿だった。
同じく紺のレースベールから覗く意思の強そうな瞳と紅の引かれた形のよい唇、少女らしからぬ凄絶な色気を纏う彼女に一目で恋に落ちてしまう。
彼女の瞳にはクレイム以外映らないというのに。
それ以来ブレストルはラムを見守っていた。
調査対象にする以上に注意深く、かつ仔細に。
そして知り得たのは、彼女はクレイムが作り出した怪物であったということ。
前侯爵も誰も気付かず、ブレストルだけが真実を見抜いてしまった。
そして彼女の才能を誰よりも恐れたのが兄であるクレイムだったということを。
けれど彼は一族の長となる男であり、どうにかするにはブレストルには難しい。
だからこそ、彼は前侯爵に監視も怠らず責任も己が取ると誓って、ラムを娶った。
「……なるほど? それだけ聞くとまるで世紀の大恋愛だけどさ」
カスターから見て、母と伯父の関係はギクシャクしていたこと。
ラムは常に憎しみを込めた目でクレイムを睨み、クレイムはその視線を知らん顔して躱す。そういう2人だったし、周囲もいつもの事だと気に留めない。
流石に実の兄妹の痴情の縺れは一族の恥となる。仲が悪いで通したのだろう。
実際は、ラムが嫁に出た時点で自分の場所を脅かされることはないと安心した侯爵が彼女を用無しだと切り捨てたことで、更に執着が深まり『可愛さ余って憎さ百倍』となったことだった。
「いや、それ侯爵様が悪いだけの話なんじゃ」
「お父様も悪いのよ。お母様がああだからって、嫉妬してほしくって異母妹に芝居を頼んだんだから。それに、私たちの異母姉妹たちだってお父様の種じゃなくて、お祖父様の娘たちなの。まあ結局意味なんてなかったですけどね」
パティの言葉にブレストルは項垂れる。
次から次へともたらされる新情報だが、カスターはうーんと唸った。
「……それってシャンティは知って――」
「あの子が知らないことなんてないんじゃないの? お母様とはタイプが違うけど、努力型の天才って言われてるのだから……それに――」
パティは言い淀み、父ブレストルの顔を一瞥すると、軽く首を横に振った。
「……いいえ、何でもないわ。カスター、私とあなたは誰が何と言おうと2人きりの姉弟なのだから、この先何か困難なこと、辛いことがあればまず私に頼りなさい。お父様はお母様の幽閉先に付いていかれる、監視役としてね。私は爵位を継ぐ準備に入ります。呼ばれたのはお母様の幽閉云々よりも、そういうことですわよね? お父様」
パティは男たちが口を挟む隙を与えず言い切ると、革張りの柔いソファに沈むように凭れた。
こうして数ヶ月後の小雨がしとしと降る中を、両親の旅立つ日にカスターとパティが揃って見送った。その頃はもう母であった女は完全に常軌を逸していた。
いや、ずっとまともではなかった。
高笑い、カスターを蕩けそうな目で愛おしそうに見つめて頬を染めつつ、まるで睦事のように愛を込めて罵詈雑言を吐く。
しかしながら、その姿はこれまで見てきた母親の一番生き生きとして輝いている姿でもあり、パティとカスターは何とも言えずに、ただ眉根を寄せ口を引き結んで黙っていた。
両親が檻の付いた特製の魔導車で旅立った後、パティがカスターの肩を軽く叩きながら言う。
「私はお母様に愛されたかったから、子供の頃はあなたのことが本当に羨ましかったけど、あれを見る限りあなたはあなたで誰かさんの代わりって……それも辛かったわね」
「うーん……どうだろう? 特に何とも思わないかな」
パティはそれを聞いて、笑う。
「そうね、あなたはそういう子だったわね。だけど、いずれ侯爵の夫になるのだから、もう少し色んなことに興味を持って調べ考えて動く癖を付けておきなさい」
「かしこまりました、エクレール伯」
「ふふ」
カスターがそう言って畏まったお辞儀をして見せれば、パティはひとしきり笑って目を閉じた。
カスターが久々に見た姉の砕けた笑顔。
次に開けた時にはもう表情は消えていて、普段通りのパティへと戻っていた。
「私は結婚相手に愛なんて求めないわ。それがエクレールとして一番いいのよ」
そう呟いたパティに、カスターは困ったように微笑んだ。
「そういうのが覆っちゃうのがきっと愛とか恋とか、厄介で面倒な感情なんじゃない?」
「――そうなのかしら」
「さあ? 多分ね」
カスターにも何が愛なのかなんて分からない。
両親のすれ違ったままのあれも愛かもしれない。
どんな形であれ、良いも悪いもひっくるめて。
母の本当のところも父の本当のところも、誰の本当のところも自分自身じゃないからわからないけど、とカスターは思う。
「――自分が愛している人ではないけれど、それでも隣にいる人に愛されていることに気付ければ、少しは幸せな気持ちで生きていられるのかもしれないよね」
何となく、そう願って呟いた彼の言葉は雨に溶けて消えていった。
たくさんある中から見つけて読んで頂きありがとうございました。
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©️2024-桜江