蛇足 伯爵令息、改過自新
エクレールの後継者となっていたシャンティの弟は、冬に流行りの咳病をこじらせて、侯爵と夫人の必死の看病の甲斐もなく2歳であっさりと亡くなってしまう。
カスターは葬儀で棺の中を覗くまで、彼と一度も会ったことがないままだった。シャンティの実弟でも従弟でもあるのに。
そして、カスターの母は実兄である侯爵との仲がとてつもなく悪いのだが、その母は甥が亡くなったことを異常なくらい喜んでいた。
あまりにもその様子が常軌を逸しているので、葬儀には行かせなかった。
いくら兄妹仲が悪くても、何がそこまでさせるのかカスターには分からない。
自分たちの婚約には大賛成だったらしく、彼女が後継者から外れた時には激情のままに侯爵に詰め寄ったこともあるという。
おそらくきっかけは侯爵家の後継者争いに関することではないかと何となく思うものの、常なら余計なことを耳に入れる親戚たちも黙していることもあって、特に知りたいと思えなかった。
そしてあの様子から、もしかすると母が何かしらやらかした可能性があるのではないかと囁かれもした。
母は一族内外で知らないものがいないほどに侯爵とその息子を嫌っていたから。
――でなければ、シャンティが。
シャンティはエクレールの後継者として再度立つことが決まった。
皇太子妃候補からは外れ、カスターとまた婚約したのは当然の流れなのだが。
彼女が侯爵の座欲しさに弟を――。
「みんなバカよ。何かしら盛るなり実行するとして、あの人の目を掻い潜れると思ってるのかな? ずいぶん当主として舐められてるわよね」
「まあ言うだけタダだし。伯父さんが調べないはずがないんだけどね」
どちらかと言えば母が何かしたんじゃないかとカスターすらも疑っていたのだが、実際何もしていなかったのだろう。
まあこんなことがなくても母が生かされている理由が謎だが。
当主に従順でいることと、不満を持つことは相反しない。
血で縛られているだけで、その心は一枚岩というわけではない。
カスターが良い例だ。その忠誠は侯爵ではなく、シャンティに捧げられている。
「かわいそうにね、もうすぐ3歳だったのに」
「うん」
こうは言っていても胸が痛むことはない。
あの子に対して身内という感覚はない。仮にそうであってもカスターがシャンティ以外で悲しむことはないから。
侯爵家の総力を挙げた一族内の盛大な葬儀も終わり、脱け殻のようになった侯爵夫人は数ヶ月経っても自室から出て来られないようだった。
侯爵には再婚約の話をするのに呼び出され、久々に姿を見ればげっそりと窶れ疲れきっていて、人相がずいぶん様変わりしていた。
彼の姿を見たカスターの脳裏に、生き生きと高笑いしている現在の母の姿が合わせ鏡のように映し出されて、内心で溜め息を吐いた。
本当に何もしてないのだろうか、と実の母ながら疑う気持ちは晴れない。
「それにしても困ったわね。あの子がいなくなったから、計画の練り直し」
「じゃあ、大人しく継ぐんだ?」
「まあね……それよりこの前も煽ってみたけど、何か動きあった?」
「なーんにも」
「でしょうね。とりあえず種は蒔いておいたから、芽が出るのを待つだけ」
シャンティはヴァニラの逆鱗に(あえて)触れて縁を切られた。
この1年でヴァニラの周囲は波が引いたように一気に静かになった。
シフォンの遊学により、婚約者候補の選定が白紙になったせいもある。
彼女を持ち上げる一団は利害だの何だので複雑に絡み合っていたのだが、マカロナージュ家が絡むことで分かりやすく浮き上がらせることに成功した。
大きく分けて皇太子妃候補が決まらないことを不安視していた穏健派、近頃の国情を憂う保守派、そこから昔のような権力をと望む復権派、更に他国の関与の手が見えた敵対派。
特に復権派は敵対派に上手く乗せられていたために、幾つかの家は――乗っ取られるとは露ほど思わず――婚約を結ぶ家もあった。
マカロナージュに権力がないことを嘆き、持ち上げる家。無能っぷりに憤っていたり、過去の因縁から恨み潰そうとする家もあった。
その中の幾つか目立つものを潰すと、マカロナージュを取り巻いたり焚き付けたり擦り付けたりする不穏分子が消えて、明らか学舎内が平和になった。
自分たちは子供といえど、それぞれが思惑を持った親を介して行動する。
例えば、候補になりそうな少女たちを叩きのめしたり、貶めたりするような。
酷いものだと拐われたり襲われてしまう場合まで。
そういう場合、いかにもありそうに噂されたのはヴァニラの背後関与である。
当人に自分の取り巻きを統率する意志が全くないので、どんな噂をされているかなど知らないだろう。
むしろなぜのほほんとしていられるのか不思議なくらい、彼女は無頓着だった。
濡れ衣を着せられたヴァニラに悪意のある視線を送るだけでなく、実際報復行動する者までいたのに。
それを『高貴な家の娘がシフォンの婚約者に確定している』ことへの嫉妬だと思い込んでいるフシがある。
ヴァニラがシフォン以外を視界に入った風景と同化させているように、カスターもまた同じように見ていなかった。
それはそう。
単なる学びやを同じくするだけのクラスの違う同級生。しかも自称皇太子妃候補でその皇太子からはかなり避けられていたことも大きい。
シャンティが皇太子妃候補であったカスターにとっては、ヴァニラの家が持つ権力は見せかけしかなく実際何も出来やしないのに、それらしく矜持の高い面倒な女、という気持ちだった。
そんなことはおくびにも出さないが。
あと、彼女は気付かず割と言葉の端々にソレを上らせて周囲を牽制することがあった。
その牽制と威嚇が、これまでは眉根を寄せるほど厭うものだったが、彼女を『いずれ自身の妻となるべき女性』という色眼鏡で見てみると、何だか澄ました顔つきの鼻も足も毛も――やたらあちこち長い高貴な犬がツンとしているようで愛嬌がある。
「お兄様には将来的に結婚離婚再婚と言いなりになってもらって悪いけど、今は手を出さないでよね? 婚約者の浮気からの略奪なんて、あの人たちに認めてもらえないんだから」
「それはもちろん。それに僕が姫を見誤ってたしね」
ちょっとの隙もないほど、彼女はシフォンだけだった。正確に言えば本人よりも彼女の作り上げた理想のシフォンと付随する立場に固執していた。
あれだけ相手にされていないなら落ち込みそうなものだが、彼女の頭の中は自身の理想のカップル誕生からのご成婚その後までみっちり埋めつくされたお花畑が広がっている。
それもシフォンがこの国を離れる間に現実を知って枯れていくのか、はたまた更に広がっていくのか。
カスターはそう思うと何だか可笑しくてこみ上がる笑いが堪えられなかった。
「私の方は準備が整ってきてる。魔導具研究の偉い人との繋がりも持てたしね。あの腹黒に付いていく形になるのはムカつくけど――」
世間的に皇太子の遊学ということになっているが、シフォンは海を渡り人質としていつ帰ってこられるか分からない旅路に出る。
家として後継者を失くすことは避けたいので、付いていく者を厳選していたが、既にこちらから付いていく者はシフォンが選別していた。
エクレール家として情報収集と護衛及び無事帰還のためにはシャンティが共に行く。
シャンティの『不用品、引き取りますけど?』という提案にシフォンが乗ったのだ。
後は皇族の侍従を代々輩出するキャメル家の三男坊であり、やはりカスターたちと同級生のミロワールと、他国にある魔導研究所に籍を置いている、一見強面のガナシュという男だった。
他にも護衛や侍女など一団にはなったが、途中で帰される(身体だけの帰還になるかもしれない)のを見越して、少数精鋭で乗り込むことにしたという。
シャンティは表向き侍女としてシフォンに付き従う予定だが、途中で別れて情報伝達の任務になる。
ちなみにミロワールは武術なんてからっきしだが、ガナシュは研究者というにはゴツい体格や肉の付きかたから相当な手練れ、でなくとも経験者ではあるぞとエクレールで話題になった男だ。
シャンティが縁が出来たと喜んでいたのは彼のことで、血の呪いを外すために協力してもらうのだという。
見返りは彼女自身が研究対象になることだが。
カスターはそのどれにも不安はない。
シャンティは必ず成し遂げるという予感めいたものがある。
一度後継から外れたあの日――親からの呪縛が解かれて愕然とし、家の呪縛から逃れられないと知って絶望した彼女はエクレールという家を見限ったのだ。
自身と、傍系のカスターを新しい侯爵としてあの家の本来の呪縛から解き放つために努力し続けていた。
そして、その伴侶予定確実なヴァニラ。
だが彼女は――マカロナージュ家はきっと皇族への道を諦めない。
お互いずっと知っていたのに、初めて目がきちんと合ったあの日、あの曇りない真っ直ぐな瞳はシャンティに煽られ不安に揺れていた。
――現実を、周りを見ろ、お前の貰い手などこのままではいないんだぞ。皇太子がお前の手を取ることはない――という言外の脅しを果たしてヴァニラは正しく汲み取れただろうか。
あのツンとしていたのに、突然迷子になったかのような瞳が忘れられない。
シフォンを見つめるように自分を見なくてもいい。
あの揺らめくものを見ていたい。
「……愚かわいいよねえ」
カスターが気だるげに呟いた言葉に色気が見えて、シャンティが目を丸くした。
「――あら。これはお人形姫にとっても道行きが良くなったかもしれないわね。申し訳ないかなーってほんの小指の爪先ほどは思ってたんだけど……何か新たな扉が開かれたのを目にした気分」
「新たな扉か――確かに恋とか愛とかとは違うかなあ」
目を細めて微笑うのを、呆れた顔でシャンティが見ていた。
「……私への変な執着が外れてここは喜ぶべきなんだけど」
彼女の呟きはカスターの耳には入らなかった。
* * * * *
皇太子シフォンの遊学前にシャンティは自主退学し、母の心神耗弱の看病介護を手ずからしたいと言う父から爵位を譲られ侯爵家を継ぐこととなった。
そしてカスターの卒業後すぐ2人は結婚し、カスターは侯爵補佐として日々忙しくしている。
――という建前。
当人はスイツにいない。
現在侯爵代理として仕事をしているのはカスターだった。
とは言え前侯爵のやっていたことをなぞっているだけのこと。優秀な執事も家令も家臣もいる。
その内心がどうあれ、表立って侯爵の夫である彼を軽んじる事はない。
皇帝からは『ちょっとおかしいんだよね、あそこん家のアイツ(※意訳)』というお手紙だったり直接呼ばれたりしてエクレールの仕事を命じられるので、それなりに色仕掛け要員を送り込んでみたり時には自身がやったりと忙しく日々を過ごしていた。
シャンティは無事、自身の言う呪いを外すことが出来た。
旅の途中でガナシュと別れるまでは彼に研究され、その後、更に魔導具狂いの専門家を紹介されたおかげだ。
――その専門家こそが後の皇太子妃となるアイシア・アフォガート嬢だが、それはまた別の話。
カスターも外すかと誘われたが、特段外す意味はない。
現状に不満はないし、制約があるからこそエクレールはエクレールとして皇帝からの信が篤く裏向きを任されている。
これが崩れれば一族の存続自体が危うい。
それを理解しているからこそ、シャンティはカスターにしか聞いてこなかった。
シャンティにとって、これは復讐のようなものだろう。
自身に流れる血にも、両親へも。
前侯爵夫妻から愛が与えられなかったわけじゃない、彼女が怒っているのはそこじゃない。
弟が出来たことで彼女のこれまでの血のにじむような努力と年月が踏みにじられたこと。
従兄妹であっても、カスターしかいなくても、2人の結婚は忌避すべきだったこと。
周囲がそれを知っていたのに隠していたこと。
弟が最初からいなかったとしても、シャンティはカスターと絶対本当の夫婦にはならなかっただろうとカスターは思う。
もちろんカスターだって、シャンティが望むならお飾りの夫で良いとまで思っていたのだ。
シャンティと離れて思うのは、彼女を想っていたこと。
まるでひとつだった身体と魂が無理やり2つに別たれたように酷い痛みが胸の奥にある。
家族愛でも忠誠心でもないと理解させられてしまった。
この感情に名前を付けたりしない。
代わりに、気高い紫がかった長毛種の犬――その性質は優しく物静かだというが彼女はどうだろう――にそれらを全力で注ぐと決めた。
(愛し合える夫婦になりたいしね)
カスターは夕焼けに染まった執務室で、マカロナージュ家に近付き甘言を囁いた一派のリストをぱらりと捲りながら、公爵を黙らせ、ヴァニラを貰い受けるための考えを巡らせる事に集中したのだった――。
読んでくださってありがとうございます┏(ε:)و ̑̑
犬のイメージはボルゾイ
次回、ヴァニラはボルゾイだった……!?(嘘)
次、今回のお話で匂わせたお察し案件蛇足話で完結です
※8/19 弟の年齢を間違えていたので訂正。




