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前編 お嬢様、寝耳に水



 ――ここ1ヶ月ほど気分を鬱々とさせる雨が続き、久々に雲ひとつなく空が晴れたこの日、大国であるスイツの高貴なる血族のひとつであるマカロナージュ公爵家では見えない嵐が吹き荒れていた。


「嘘よ……嘘、うそうそうそうそッ……」

 新聞を持つ細く白い手がふるふると小さく震え、握られた紙がくしゃりと歪む。


 そこにはスイツ国皇太子であるシフォンの婚約者の決定を伝える記事が、大きな見出しと共に淡々と書かれてあった。


 わなわなと震える彼女――美しい紫がかった金髪は高貴な血の結晶、白く滑らかでシミひとつない肌は外国陶器の(つくられた)よう、均整の取れたプロポーションと美しい容貌はドールの(つくられた)ように完璧、高貴な女性の見本であり手本、この国で一等皇太子妃に相応しい娘――。


 彼女が生まれてから20年。

 これまでヴァニラ・マカロナージュへと贈られてきた数々の賛辞は、今この時をもって彼女にとって何の価値もないゴミクズと化した。


 ヴァニラの胸は刃物で滅多刺しにされたのではないかと思えるほどに痛み、顔から血の気も引いて足まで震えて寒い。今にも倒れそうになる。

 そんなヴァニラの隣で同じく新聞記事を見ていた母親が抱き止め、口の端をひきつらせながら叱咤した。


「ヴァニラ、しっかりなさい! 華族の女に負けてどうするのですか!」

「……お、おかあ、さま、これは、本当なの……? し、シフォン、様が」

 母に抱かれて安心し、ヴァニラの瞳のふちぎりぎりで溜められていた涙が決壊して溢れ出す。泣きじゃっくりで息も上手く出来ず、言葉が出てこない。


 彼女がこの状態になった原因の新聞を見せたのはこの母だ。


 ヴァニラの父である公爵が家令と妻を呼び、娘にこの記事を知らせるように伝えた。

 家族には兄もいるが、兄は妻を娶り子を持ち、違う家で暮らしているため、現在帝都にはいない。


「――何て事なの! のらりくらりとマカロナージュ家(うち)からの申し出を(かわ)し続けて逃げるように遊学したと思えば、ヴァニラ以外の女と婚約だなんてッ……」

 ぎりり、と母から怨嗟とともに歯軋りの音がして、ヴァニラは顔を上げた。

大衆紙(タブロイド)では相手の写真も載せていたそうよ! アフォガート家の一人娘、地方の女学院に通っているとか……どこに接点があったのよッ!!」


 アフォガート。

 国内外に名を轟かせている有名な家のひとつ。

 マカロナージュ公爵家と同じく公爵の爵位を賜っているが、あちらは華族、こちらは貴族で成り立ちに大きな差がある。


 このスイツ国の国民は貴・華・士の三族、商・農・平の三民に階級が別れている。

 貴族と華族にそれぞれ爵位があり――同じ呼び方をするためよそから見れば非常にややこしいのだが――貴族から言わせれば、こちら(貴族)の公爵と華族の公爵には高い壁がある。


 華族とは商民から成り上がった者や士族の出が多い成金(まがいもの)だというのが貴族たちの本音だ。

 華族が爵位を賜ったのは過去に戦果を上げていたり国庫を潤していたりするからで、ひいてはその恩恵を貴族たちも当然受けているのだが、そこは見て見ぬふりをしている。


 話題のアフォガート家は元々騎士の出で、(ふる)い時代には前線で活躍し――将軍だったか軍師だったかヴァニラの記憶は定かではないが――大きな手柄を立て、獅子の称号を賜ったという軍部由来の歴史がある。

 さらに現在では、この国だけでなく大陸全土に渡りすべての人の生活根幹を支える必需品、魔導具の開発製造と独自の大きな販路ルートを持っていることで蔑ろには出来ないほどの財と人脈を国内外に持っていた。

 そのため、アフォガート家は他国からもスイツ国の獅子と呼ばれ、後継者でもあるひとり娘のアイシアは『獅子の宝珠』などと呼ばれていることをヴァニラも知識として持ってだけはいる。


 なぜなら社交界で一度も会ったことがない。

 いや、会ったことはあるかもしれないが、これまで皇太子妃候補として名前も上がったことがないので気にすることもなかった。

 しかも彼女は総領娘(あととり)で、同じくひとりっ子である皇太子(シフォン)の候補となることはそもそもない、そのはずだった。


「写真も見たけれど、ヴァニラの方が何万倍も美しいのよ! いくらスイツの獅子と呼ばれるアフォガート家だからって……! 今、お父様がお知り合いの方に連絡を取っています。だからお母様と待ちましょう? ――殿下が選んだ婚約者ではないという話ですからね、ひっくり返ることだってあり得るのよ、ね、可愛いヴァニラ」


 ヴァニラの母はギリギリと歯を食い縛っていたのをやめて、優しく彼女の頬を撫でる。

 喋っていると怒りが収まってきたようだった。

 ヴァニラに、というよりは自分に言い聞かせているような節がある。

 朱を注いだような顔色に憎々しいと言わんばかりの表情が、もう普段のいつも通りの優しい母の顔に戻っていた。

 ひとしきりヴァニラを――母自身を慰める言葉を吐いて、彼女をぎゅうっと強く抱き締めた後、こうしてはいられないと自身の伝手(つて)に連絡をとるためにリビングから出ていった。


「なぜ……なぜなの、シフォン様……」


 母はああ言ったが、ヴァニラはこのお堅い新聞社が間違った記事を乗せることなんてないと知っていたし、世間にこうして広く知らしめられたということは、この婚約が覆ることなどないと分かりたくないが分かってしまっていた。


 一人その場に残されたヴァニラはほろほろと涙を流し、悲劇の主人公(ヒロイン)よろしくチェアに縋るように(くずお)れる。



       * * * * *



 ――新聞記事を読んでショックを受けてから2日。

 ヴァニラの両親はまだ怒り狂っているが、当のヴァニラといえば、ぼんやりと窓の外を眺めていた。


 寝込んだりなどしないが、食事もあまり取れず何も手につかない。


 一昨日の内に、シフォンの遊学中、お互いの友人を介し知り合ったアイシアと婚約することになったという経緯(なれそめ)の報告が父にあったらしい。


 らしい、というのは結局父の知人を介した伝聞で、直接皇家から説明や謝意の連絡があったわけではないことを語っていた。


 マカロナージュ家は(れっき)とした貴族公爵だが、現在は政治や軍部の中枢に所属し辣腕を振るうといったことはなく、ここ何代かはいわゆる名誉職――優秀な部下に囲まれ、決定事項(・・・・)にただ認め印を押す程度の簡単なお仕事――に就いているため、秘匿されるような事案の多い中枢とはやや距離がある。

それは公爵本人らは全く気にしたことはないし、そもそも気付いてもいない。


 とにかく、両親は聞かされたのが直接ではないことで、皇家から蔑ろにされているのだと非常に腹を立てている。

 ヴァニラはそれを聞いてももう頭や胸の奥が痺れて、まるで水中に沈んだ時のように音も見ているものも何もかもを遠くに感じていた。

 彼らのように怒るエネルギーが湧いてこない。


 蔑ろにされた、という気持ちはないわけではない。

 ただ、ひたすら哀しみしか出てこないのだ。


 ――どうして、何で。

 わたくしの何が悪かったというの。わたくしに何が足りなかったというの。わたくしはずっと。あなたを初めて知ってからの16年、ずっと想い続けていたのに。あなたはわたくしの気持ちを知っていらしたのに。


 ――わたくしはわたくしはわたくしは――。


 ヴァニラは想いの渦に呑まれていく。

 それには彼女の兄から昨夜通話機(でんわ)連絡があったことも関係していた。


『――新聞を見たよ、父さんも母さんも怒り狂っているが、おまえは大丈夫か?』


 最初こそ兄は失意の妹を心配して、だったはずだ。


『……殿下(シフォン)から直接決定的(・・・)なことを言われたり、約束をしたわけではないだろう? ヴァニラ、おまえはもっと冷静に周りを見ないければ。……いや、おまえの友人や取り巻きばかりの話じゃあなくて――いや? そうではなく、ああ……うん……なあいいか、ヴァニラ。おまえは俺の一人きりの可愛い妹だからこそ……おい、聞いているのか?』


 途中からそれは心配ではなく、ヴァニラを(たしな)めるような内容に変わっていって、最終的に彼女には珍しく声を荒げて、会話を一方的に切った。

「……お兄様のわからずや! 私が最初から相手にされてないなんて! どうして……そんな酷いことを……! そんなはずない!」

 通話機を乱暴に叩きつけるように切れば、それは床に落ち、ヴァニラは幼子のようにわあわあ泣いた。


 両親を父上母上と呼んでいた兄は、帝都を離れた田舎屋敷暮らしをするうちにあちらに染まっていってか言葉遣いも粗くなっていったが、それでもヴァニラには変わらず優しい兄だった。


 ――なのに。

 ヴァニラを慰める言葉は何一つなく。

 大丈夫か、という言葉には『目が覚めたか』という意味も含まれていたのだと


 傷を負った心をより抉ったのは、兄の言葉が正しい気がしたからだ。

『これまでもお前との婚約については是非を問われることすらなかった』

『アイシア嬢との婚約も我が家には秘されていたのだろう?』

『そもそも、お前と殿下の間には何もない(・・・・)、単なる同窓生の『ご学友』という立場だけだ』


 ――違う! ちがう! ちがう!


 否定する度にこれまでの思い出が脳裏を駆け抜ける。


 物心つく前から、皇太子の隣に立つのは自分なのだと両親や親類からヴァニラは言われ続けてきた。


 かなり昔までは、スイツ国の公爵家を中心として皇族に嫁いだり逆に降婿降嫁していた。そのため皇族に並ぶ公爵家には絶大な権力があり、人が(たか)り金も力も持ち、他家と圧倒的な差があった。

 しかし現在では貴族の高い爵位の家では血の近さが問題となり、皇族との婚姻は長く結ばれていない。

 皇族の血はやや薄くなり、元皇族であった者たちも先祖と呼べるほどには遠くなった。


 そして今代の皇后は他国出身。とはいえ、何代か前にこの国から他国の王家に嫁いだ貴族の縁者であり、この学舎に留学してきたのを皇帝が見初めた……という形を取っている政略結婚だ。


 そろそろ自国の貴族から皇太子妃、ゆくゆくの皇后を出したいというのが貴族(かれら)の考えであり、ヴァニラはその考えを素直に受け継いでいた。


 彼らの野心や望みのために希望した学舎幼年部は、ヴァニラの言葉の遅れが同年代よりもややあったために入学は見送られたものの、初等部へは問題なく進めた。

 むしろ皇太子妃に一番近い少女として話題の中心になっての入学を果たしている。

 その地位の高さから教師からの忖度がなかったとはいえないクラス分けにより、シフォンと同じ教室で日々を過ごしていた。


 学生時代のヴァニラは、写真ではない生きて動くシフォンを見つめることのできる幸せな毎日を過ごしていたし、学舎の行事(イベント)にだって参加して彼と共に行動できる喜びに満足していた。


 そのひとつ、演奏会のラストにおいては弦楽器の花形である独奏(ソロ)を毎年担当していた。

 シフォンからは、舞台上で優しい色合いの良い香りのする可憐な花束をねぎらいの言葉と共に贈ってもらうことも毎年恒例だった。


 貰える花が嬉しくて、乾かしてポプリにしたり、押し花にして残しておく。


 それに授業の席や他のことでも男女ペアになる場合、必ずシフォンはヴァニラと組むし、それをシフォンが拒むことなど一度もなかった。


 ――ただの一度も、だ。




 

 

【通話機】

便利な魔導具。※今回出てくるのはこれのみ。

音波で同調する蝙蝠系の魔物から取れる魔導石と鉱脈の流れにある一定の距離行き来している魔導石などが使われている。

離れた相手と会話が出来るが、誰とでも出来るわけではない。

距離もある程度の制限があり、隣の国を隔ててまだ向こうなど遠いところは無理。



       * * * * *




内容は駆け足気味な上ゆるゆるな内容ですが

よろしくお願いします。


©️2024-桜江

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