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父みたいに

作者: 碓氷ミチル

今日は今年最後の出社日で、ただ残った事務作業の整理を行うだけの日だった。先月で44歳を迎えた坂井正俊(さかいまさとし)にとって、約20年勤めている不動産での仕事は本当につまらなくなってしまっていた。今日のような年末の事務作業も今回で22回目で、仕事というよりも「作業」に近かった。そんな「作業」を終えた帰り道、最寄りの渋谷駅までにある高層ビルを見て思った。「本当は不動産じゃなくて建築士になりたかったんだ。」そのビルはただでさえ明るい渋谷の街に、さらに光を灯しているように見えた。建築士の道を諦めたのは24歳の時で、結婚してすぐの妻に逃げられた時だった。当時1歳だった一真かずまは自分が引き取り、自分が子育ても仕事も全てをしなければいけなくなった。そのために社会人2年目から通っていた建築専門学校を中退し、不動産の仕事で稼ぐことだけを考えたのだった。一真が中学生になり、ある程度のことを自分でできるようになった時にはもう一度、本気で建築士を目指そうか考えた。けれど、周りの自分よりももっと若い建築士が活躍し始めているのを見てやめてしまった。何十年、自分の本当の気持ちに嘘をついてしまっていたのだろう。小学生の頃一真に、「お父さんは何のために仕事してるの」と聞かれて上手く答えることができなかった。仮に約20年勤めた今聞かれたとしても、上手く答えることはできないだろう。自分でも情けない、と思った。同時にもっと一真にかっこいい姿を見せてやりたかった、とも思った。一真とは今でも一緒に住んでいる。あんなに小さかった一真が今はもう大学3年生で、ちょうど就活を頑張っている。自分の複雑な気持ちのせいで、就活の話を自分から持ちかけることはほとんどない。人生の先輩として、父として、何か言ってあげるべきなんだろう、と感じてはいるものの結局、見守ることしかできていない。やっぱり情けない、と思った。渋谷駅に着いて改札を抜けて山手線のホームに出た。今日は冷たい風のせいでいつもより一段と寒く感じた。数分後に到着した電車に乗ろうとした時、電車から降りてきた自分よりもずっと若い、大学生らしい女性に突然話しかけられた。「一真くんのお父さんですよね?」どこかで会ったことがあるだろうか、と頭を回転させたもののやっぱり誰だかわからなかった。それもそのはずで、彼女は一真の恋人だった。息子の恋人に会うのは彼女が初めてで、自分が緊張してしまった。次の電車が到着するアナウンスがホームに鳴り響く。去り際に彼女は言った。「一真くん、就活頑張ってます。お父さんみたいになりたいって、今日も不動産の会社に面接、行ってましたよ。」「そうだったのか、教えてくれてありがとう。」電車のドアが閉まり動き出した。手を振り、彼女が見えなくなった時には、無理矢理止めていた涙を止めることはできなくなっていた。小刻みに震える手で一真にメールを送る。「就活、頑張れよ。」

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