小説を書き始めるうえで守っておきたい10のこと
どうも、22世紀の精神異常者です。
今回は、私がこれまで小説を書いたり読んだりしてきて思うことを、率直にまとめてみようかと思い至り、このようなエッセイを書かせていただきます。
タイトルが『守っておきたい』と少し高慢ではありますが、決してこれを強要するつもりはありませんし、強要するだけの力もありません。あくまで一つの意見として読んでいただければ幸いです。
さて、前置きはこの辺りにして、本題に入っていきましょうか。
まずは一度、私の思う十箇条をまとめて挙げてみます。
01.作品に一つ明確なテーマを持たせる。
02.序盤で説明もなしに造語を乱用しない。
03.味方は己が好印象を抱く人物を参考に。
04.描写は丁寧に。
05.登場人物の心情を()を用いて描写しない。
06.登場人物の行動理念を明確に。
07.主人公を凡人にしない。
08.オノマトペを乱用しない。
09.作中に出てくるものに関して徹底的に調べる。
10.己の趣味・趣向・性癖に正直に。
ざっとこんなところでしょうか。細かいものをあげればもう少しありますが、主に私が重要だと感じている物はこれら十つです。
では、一つ目から解説していきたいと思います。
一つ目は、『作品に一つテーマを持たせる』です。
これは、自分が好きであるからとか人気があるからといった理由で、安易にいろいろな要素を詰め込んではいけないということです。
恋愛ありロボットありミステリあり魔法ありグルメありと、要素盛り沢山具沢山な小説は、うまく書けばどのジャンルを好む人にも刺さる人気作になり得ます。しかし、理想像がそうであるからといって安易に要素を盛り込みすぎれば、作品の方向性が失われてどれも中途半端、掴み所のないつまらない小説になるリスクを多分に含むこととなります。
余程構成力があり、かつ文章力もある人であれば挑戦してみるのも良いでしょうが、そんなことができる人間など一握りしかいないでしょう。いや、一握りもいないかもしれません。
自作を迷走させたくなければ、複数のテーマを一つの作品に詰め込むのは避けたほうが良いでしょう。
二つ目は、『序盤で説明もなしに造語を乱用しない』です。
世界観を読者に伝えるのはもちろん大事ですから、その描写の上である程度造語が出てくるのは仕方のないことです。むしろ必要なことでしょう。
ですが、立て続けに造語を並べ立ててその説明もなく進んでしまうと、世界観を伝えるどころか、読者の気を引き込むことすらできません。
字面である程度予測できるものであればまだ問題はありませんが、まったく予測できないもの——例を上げると、地球を一発で跡形もなく消し去れる威力のレーザー砲を『神の咆哮』と書く——は、必ずその説明をある程度でいいので入れた方が良いです。
三つ目は、『味方は己が好印象を抱く人物を参考に』です。
登場人物というのは物語を引っ張っていく重要な存在です。もしもそんな彼らがつまらない性格をしていれば、物語もどこかつまらなくなってきてしまいます。
そこで、主人公側の登場人物は自分が『面白い』『格好いい』『かわいい』と思うような人を参考に書くのです。
家族や友人、仕事で付き合いのある人、あるいはSNSで意気投合した人や有名人。自分が好印象を抱いている人を参考にすることで、自然とその登場人物に魅力が生まれてきます。
ただこれに関しては例外が多いです。例えば『連ちゃんパパ』などは登場人物が漏れなく全員クズ野郎で胸糞悪い話ですが、つまらないということはありません。やりようによっては、ほとんどの人が共感できないような人物ばかりでも面白い作品は作れるわけです。それが後味の良いものか悪いものかはさておいて。
とはいえ、そんなクズばかりの作品を書こうとして、ただただ胸糞悪いだけのつまらない小説にしないだけの技量を持つ人はそういないでしょう。ですから、できれば主人公とその周囲の人物は自分が一緒にいて心地よいと思う人物を参考にする方が圧倒的に書きやすいです。
四つ目は、『描写は丁寧に』です。
特定の作品を貶めようとか、そう言った意図は一切ありませんが、時折描写が皆無に等しいものがあるのです。
描写がないということは、登場人物がどんな容姿でどんなところにいるのか、その空気感が曖昧になってしまうということになります。そうなってしまえば、とても物語に入り込めません。
それを避けるためにも、描写はとにかくしっかりと、丁寧にした方が良いのです。
例えば、ただ『目が覚めると俺は森の中にいた。』と書いてあるだけよりも、『目が覚めると、俺は少し湿っぽい土の上に横たわっていた。周りを見渡せば、そこには深く茂って陽光を遮る大木が所狭しと生えていた。穏やかな風が木々の葉をなぜる音が、微かに耳に届いた。』と書いた方が断然良いでしょう。
これは、作者と読者の想定の乖離を避けることにもつながります。
これは以前私が体験したことです。ヒロインの容姿を『とんでもない美人』とだけ書いてある小説があり、そこで私は自分の脳内でそのヒロイン像を組み立てたのですが、後々の描写でそれがかなりずれていて困惑した、ということがありました。
こういった『作者の想定からの乖離』というのは、読み進めていく上でかなりの欠点となってしまいます。そう言った点でも丁寧な描写は大切になってきます。
五つ目は、『登場人物の心情を()を用いて描写しない』です。
これは、なにも心情を描写するなというわけではありません。むしろ心情描写は物語を進める上で必須の要素です。
ですが、これをことあるごとに括弧を用いて丁寧に描写すると、下手をすれば物語の展開の障害になり得ます。
これが一人称視点であれば、主人公のものである限り問題はありません。しかし、三人称視点であったり一人称でも主人公以外の心情描写が括弧書きで入っていると、強烈な違和感を醸し出すわけです。
本来、人間は相手が心の内で何を考えているのかなど正確に知ることはできません。相手の言動である程度察することはできますが、それもかなり不確定なものです。
それを、まるで心の内を覗き見ているかのように書かれてしまうと、もはやそれは物語の解説になってしまいます。本来心情描写は直接書かずに言動や情景で表現しなければならない、とまでは言いませんが、括弧書きで心情を書くのはできるだけ避けた方が賢明でしょう。
六つ目は、『登場人物の行動理念を明確に』です。
これは一つ目の『作品に一つテーマを持たせる』と似ています。主体性のない登場人物、あるいは行動理念がいとも簡単に移り変わってしまう人物は、読んでいく上で違和感を与える原因となってしまいます。
異世界転生してチート能力でハーレム を築く、という展開で考えてみましょう。
こういった展開はWeb小説ではありふれたものですが、ここで主人公が明確な意思を持っているかいないかで、与えられる印象が変わってきます。
まずは『死んだらなぜか神にチート能力をもらって異世界に転生させられ、適当に生きていたらなぜか周囲にかわいい女の子が集まってとんでもない地位と権力を持っていた』というもの。これは主体性がない主人公、周りに流されている主人公の例です。
次に『どう頑張っても女子にモテないことを悔やむ自分が死んだら神がもう一度チャンスをやろうといってチート能力つきで異世界に送ってくれて、そこで我武者羅に頑張って女の子にも積極的にアタックしていった結果、努力を認められてかわいい女子たちと仲良くなり、とんでもない地位と権力も手に入れられた』というもの。これは一つの目的——ここでは女子にモテる、あるいはハーレム を築くというもの——がある主人公の例です。
これら二つを見て、おそらく大体の人は前者があまりにご都合主義的だと感じるのではないでしょうか。そうなのです、主体性がないと『ご都合主義だ』という印象を与えてしまうのです。
しっかりと一つの世界線があると思わせるためには、一本筋の通った登場人物が必要である、ということになります。
七つ目は、『主人公を凡人にしない』です。
基本的に主人公というのは物語の展開の中心に存在します。何かおかしなことが起きて、それに主人公が関わって、物語が進んでいく。
そんな主人公が何も秀でたところがない凡人だと、物語を膨らませづらいということがあります。
日常系であればその限りではありませんが、それ以外のジャンルであれば基本的に主人公を凡人にするのは愚策です。
主人公には何かしら突出した部分を持たせるか、主人公にしかない特権を持たせる。あるいは、全てを持たない底辺にする。
こうすることで、物語がグッと動かしやすくなります。
仮に凡人を主人公にしてしまうと、主人公ができることはたいてい他の人もできてしまうということになるので、主人公が主人公である意味が限りなく薄くなってしまうのです。
凡人を主人公にして成功した作品といえば、涼宮ハルヒシリーズぐらいではないでしょう。あの作品は本当にすごいなと思います。
あのレベルの作品を書けるのであれば凡人を主人公にしてもうまくいくと思いますが、かなりチャレンジングです。できるだけ避けた方がいいでしょうね。
八つ目は、『オノマトペを乱用しない』です。
オノマトペというのは非常に便利なもので、四文字、あるいは六文字書くだけでその場の描写ができてしまいます。頭がガンガンする、服がビチャビチャだ、風がゴウゴウ唸っている、といったように、手軽に済ませられるわけです。
しかし、これには欠点もあります。オノマトペで表現できるのはある程度までで、細かいところは各自の想像に任されてしまうという点です。
これを例に挙げるのは少し怖いのですが、あえて出させていただきます。戦闘描写における「キンキンキンキンキン!」の乱用です。
これは『お互い剣で戦っている』という状況を表すのには非常にわかりやすい描写です。金属同士がぶつかり合う「キンキン」という音が連続で鳴り響いているので、かなり激しく剣をぶつけ合っていることも想像できます。
しかし、これで描写できるのはそこまで。どのようにぶつかり合っているのか、そこは完全に読者の想像に任されてしまいます。要するに、とても曖昧になってしまうのです。
四つ前にも書きましたが、描写が曖昧だと作者と読者の間で解釈の齟齬が生じることがあり、それが作品を読み進める上で大きな障害となり得ます。この「キンキンキンキン!」という戦闘描写であればそこまで大きな問題にはならないと思いますが、全てがそうとは限りません。
そしてもう一つ、大きな問題点があります。それは、描写が単調になる、という点です。
これは特に音の響きの面で顕著で、オノマトペを乱用しすぎるとずっと同じリズムで進むので、起伏がなくかつ情報量が少ないという状態になってしまうわけです。
そのような理由で、オノマトペは乱用しない方が良いということになります。
九つ目は、『作中に出てくるものに関して徹底的に調べる』です。
何か専門的な部分に注目して書く作品でも、そうでなかったとしても、これは特に注意すべき点です。
例えば中世ヨーロッパの舞台で貴族が庭園で茶を嗜む場面を書くとします。これを全て想像で書くというのは消して不可能ではないでしょうが、しかしそれだけではあまりに主観的で薄いものになりかねません。
しかし、当時の貴族の服装や食器のデザイン、作法などを徹底的に調べることで、奥行きのある綺麗な描写が可能となるのです。
ですから、徹底的に調べるというのは非常に重要なプロセスとなります。
そして最後は、『己の趣味・趣向・性癖に正直に』です。
やはり小説を書く上で最も重要になってくるのは自分自身のモチベーションです。もし自分の嫌いなものばかりの小説を書いていたら、そんなものはあっという間になくなってしまうでしょう。
ですから、自分の好きなもの、自分の得意なものに正直になって、自分の趣味や趣向を押し出していきましょう。そうすることで、己のモチベーションもより長く保てるでしょうし、何より自分の好きなものであるわけだからそれだけで丁寧な描写ができるようになるかと思います。
己の欲に正直に、というのは創作する上で非常に重要です。
これで以上となります。何か参考になったでしょうか? 参考になったなら幸いです。
後語りを長々続けるのも性に合わないので、この辺りで終わらせましょう。
皆様に幸運あれ。
それでは。
感想欄で色々と言われたので、ここに追記しておきます。
私は小説を書くうえで、文法や熟語、定型表現などは大前提として備えておくべきものであると考えています。そして、己の文章の推敲も同じく前提として必ず行うことと認識しております。
私は決して己が綴った文章を全く見直さないということはありませんし、常に己の語彙力をブラッシュアップしてきました。
ですが、私はまだ成人すらしていない若輩の身。ある程度の学はあると自負していますが、完璧からは程遠いということも痛いほど理解しています。
そもそも、人間に完璧はありません。いくら研鑽しようとも間違えるときは間違えます。
ですから、まるで私が間違った言葉を使っていいと開き直っているかのように言われるのは心外です。本当に腹立たしいことです。
今回は確かに私の落ち度でした。「十つ」という言葉が存在しないと知らずに使っていたのは私ですから、その点に関しては文句などありません。むしろ感謝してもしきれないぐらいです。
ですが、その一つの間違いに目くじらを立てて無用な批判をされるのは不愉快です。
間違いを見つけたのであれば感想欄で騒ぎ立てずに誤字報告欄を利用して教えてくださるだけで十分なのです。
そもそも感想欄の「気になった点」に一言「十つ」と書かれても、それが間違った言葉であるということかそれとも私が書いた十箇条全てということか、判断がつくはずもありません。言葉が足りず明確な意図がわからない感想を書かれても、こちらとしては反応に困るだけです。
かなり言い訳がましくなりましたが、これが私の本心です。
以上。