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呪剣のパラドクス  作者: 赤月
第4話 灰色の姉妹
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1、記憶喪失

今日から新しい話です!!

 少女は薄暗い森の中を必死に走っていた。道は片方が崖っぷちであり、常に転落しないようにと注意しながらなので、その足取りはやや遅い。

 少女の年齢は中学生くらいだが、見た目が普通ではない。緑色の長い髪を、蔦のような紐で束ねている。衣装も、葉や蔦を模した装飾で彩られた緑色のローブを纏っている。

 しかし何よりも彼女の特徴的なところは、頭にかぶっている翡翠の冠だった。翡翠色の石をいばらのように加工し、いくつもの緑の宝石がちりばめられている。


「壁となりて我が身を守れ、愛しき我が眷属よ――」


 少女が叫ぶ。

 冠に散りばめられた宝石がきらりと輝き、周囲を翡翠色の光で明るくした。

 次の瞬間、周囲に生えていた木の根が、意志を持った動物のようにぐねぐねと伸びてきて、先ほどまで少女がいた場所に、木の根で編まれた壁を作り出す。

 植物を操ること。

 それが少女の、いや、この茨の冠の能力の一つであった。

 しかしそれは、少女に迫る追跡者の持つ武器の能力とは相性が悪すぎた。


「融解せよ。万物悉く灰へと還れ――」


 先ほどまで少女を守っていた木の壁が一瞬で灰と化した。

 さらにその灰は意志を持っているかのように幾つもの塊となって少女へと飛んでくる。

 それはどれも致命傷となるものではないが、腕や足に的確にダメージを与え、立つことすらままならなくさせた。


「う、ダメだ。早く、逃げないと……」


 少女は戦おうとはせず、あくまで逃げに徹していた。

 しかしその足取りは危うく、ほとんど体が動かないでいる。


「逃っがさないよ~、東沙(あずさ)


 陽気な声が聞こえた。こちらも少女のものである。

 灰が舞っている奥からである。東沙と呼ばれた少女は、その声をよく知っていた。知っているから逃げているのである。


「お願い、もうやめて……。こんなこと、やめようよ。私は、私はただ――」


 東沙はすがりつくような、今にも泣きだしそうな声をあげて叫ぶ。

 対して追跡者はどこまでも楽しそうに笑っていた。


「えぇ、こんなことだなんて酷いなぁ。私はただ、力を有効活用しようって言ってるだけじゃない。私も本当はね、東沙にこんなことしたくはないんだよ」


 つい先ほど、自分の能力で散々に痛めつけておきながら、しかし追跡者の少女は楽しそうに笑っていた。


「でもさ、東沙が私の考えに賛成してくれないんだからしょうがないよね。だから――バイバイ、東沙」


 そう言って追跡者の少女は近くにあった木に手を触れた。その木は真っ赤に染まり、次の瞬間には葉の一枚も残さずに灰と化した。その灰が集まって、巨大な剣のような形となって追跡者の少女の頭上に現れる。


「アッシュ・ブレイド」


 言葉とともに灰の剣が振り下ろされる。

 東沙はそれに抵抗もできず、ただ斬られるだけだった。

 灰の剣の一撃は東沙の体を切り裂くと同時、地面の一部をも切り裂く。ぐらり、と東沙が立っていた場所が揺れた。先ほどまで道だった場所はなくなり、東沙の体は崖を転がって川底へと落ちていく。


「これで終わりかな? まあ、そうじゃなかったらまたその時は――もう一度殺せばいいだけだもんね」


 追跡者の少女は谷底を見下ろしてやはり、ただただ愉快そうに笑っていた。


 ■■


 俺はまた、夢を見ていた。

 夢だと分かったのは、その場所があまりにも異質で、とても現代日本の光景だと思えなかったからだ。

 薄暗くてじめじめとして、朝も夜も変わらないような陰気な部屋の中だった。周囲を見れば巻物とか筆とかがあって、ぼんやりと、木造の蔵か何かの中だということだけはわかる。

 その中の、申し訳程度にむしろがひかれた場所の上に一人の少年がいた。齢はたぶん、六、七くらいだと思う。

 髪の毛は伸び放題で、着ているのはほとんど布みたいなぼろきれ一枚。体中ほこりと土汚れまみれで、それだけでまともな生活をしていないのがわかる。

 ぎらり、と不意にその目が光った。

 いや、もちろんそれは比喩で、本当はただ扉のほうを見つめただけなのだが、それでも俺は刺すような鋭い眼光を恐ろしい、と感じてしまった。これは俺の夢で、しかも俺は傍観者の立場のはずなのに。

 それにしても、なぜ急にその子は扉のほうを睨んだのだろう?

 そう思って俺も扉のほうを見る。すると、やがて扉がぎいいと鈍い音を立ててゆっくりと開いた。

 なんとなく察しがついた。きっとこの子はこの蔵の中に幽閉されているのだろう。だから、扉の外からくる相手が憎くて仕方ないのだろう。扉が開いた瞬間、入ってくる相手を殺しかねない剣幕だ。


「やあ、君が僕の■かい?」


 しかし扉が開いて、そこから聞こえた声はなんとものんびりとしたものだった。

 その少年は思わず調子が狂ってしまったらしく、さっきまでの恐ろしい雰囲気が消えた。

 入ってきたのは、それも少年だった。ただしこちらの身形はこぎれいで、狩衣っていうんだろうか? なんかよくわからないけれど、平安時代あたりの貴族の衣装らしい、整った綺麗な服を着ていた。


「私は、えっと、おそらく君の■にあたる者なんだけれど――。いきなりこんなことを話されても、君は困ってしまうかな?」


 なんて言ったのか、たぶん一番重要なところだけが、意図的に隠されているみたいに聞き取れなかった。

 その、入ってきたほうの少年は困惑しているもう一人のほうにゆっくりと近づいていき、そしてその前で膝をついた。土間のほこりで服が汚れるが、そういうことは特に気にしないようだ。


「とりあえず、外へ行こうか。この蔵の外へ――」


 そう言って、その少年は蔵に閉じ込められていた少年の手を取った。

 手を差し出されて困惑しながらも、恐る恐る少年はその手を取って――。


 ■■


 これから先、どうなるんだろうかというところで俺は目を覚ました。

 俺は病院の待合室で眠ってしまっていたらしい。


「なあ翼。女の子拾ったんだって?」

「母さん、そういう言い方やめてくれない? 間違ってはないけど、色々と大変だったんだからな」


 そう、俺はハデスと戦って負けて川に落ちて、流された先で一人の女の子を助けたのだ。

 その子は川沿いの岩場でうつ伏せになって倒れていた。それだけならまだしも、胸にざっくりと深い切り傷を負っていたのだ。救急車を呼ぼうにも、俺の携帯は川にずっと浸かっていた影響で水没してしまっていたから、俺は仕方なくその子をおぶって近くの民家に電話を借りにいったのだ。

 救急車が来たら来たで、事情を訊きたいからと言われて俺も救急車に乗ることになり、俺は俺で、一人じゃどうしようもないからとりあえず母さんに連絡してもらって今にいたる。

 もう夜の一時だというのに起きてたということは、たぶん酒でも飲んでたんだろう。母さんは酔いが表に出にくいし、がばがば飲むような人でもないからわからないだけだと思う。


「ま、警察とかが来たら話くらいは訊かれるかもしれないわね」

「まあ……怪しさ満載だもんな」

「ま、別にやましいことはないんだろうから、そのまま正直に答えりゃいいさ。変におどおどしてるとかえって怪しまれるよ」


 母さんは大したこともなさそうにさらっとそう言った。

 俺がなんで夜に山奥にいたのかとか、そういうことは母さんは一切訊かなかった。それはあまり言及されたくないことではあるけど、ここまでノータッチだと、それはそれでなんか心配になってくる。


「それはそうと、アンタびっしょびしょじゃない。今日は一回帰ったら? 何か事情訊かれたら、代わりに私が答えておくしさ」

「あー、頼んでいい?」

「いいよいいよ。私は適当に時間潰しておくからさ」

「……館内じゃ酒も煙草もダメだけど大丈夫?」

「アンタ、私をなんだと思ってるわけさ?」

「酒豪で愛煙家」


 真面目な話、母さんはたぶんこの二つだけあれば生きていけると思う。


「間違ってないけど、ちゃんと場所はわきまえるからな。ほら、いいから風邪ひく前にさっさと帰りな。明日は私も休みだし、起きたら適当な時間にまた来てくれりゃいいよ」


 俺はその言葉に甘えて、大人しく帰ることにした。


 ■■


「……記憶、喪失?」


 それが、翼が病院の人から聞かされた少女の状況であった。

 彼女は自分がどういう経緯であそこにいたのか、何故あんな傷を負っていたのか、そもそも自分がいったいどこの誰なのかということまで全く覚えていないというのである。

 警察に確認しても捜索届も出ておらず、まったくわからないというのである。

 携帯電話なども持っておらず、持っていたものは、裏に「東沙」という文字が刺繍されたお守りだけだった。

 そのため翼は、警察からかなり根掘り葉掘り聞かれたが、翼としても知らないものは知らないとしか言えないでいた。

 警察からの事情聴取が終わったあと、翼は病院から帰ろうとしたが、そこで看護師に呼び止められた。少女が、翼にお礼を言いたいから会ってあげてくれというのだ。

 断る理由も特になかったので、翼は看護師について少女の病室へ行った。


「えっと、その……光城さん、でいいんですよね?」

「あー、うん。君のことはとりあえず、あずさちゃん、って呼べばいいのかな?」

「そうみたい、ですね」


 東沙は不安そうな声で言った。

 伏し目がちで、体の小さな女の子というのが翼の印象だった。儚げで、少し触れれば壊れてしまいそうな、ガラスでできた花のように映ったのである。


「助けてくださってありがとうございます」

「別に、俺はただ救急車を呼んだだけだよ」

「それでも……あなたがそれをしてくれていなければ、私は死んでいたでしょうから」


 実際、東沙は運ばれてきた段階でかなり危ない状態だったらしい。いや、救急車が来た時点でも失血多量で死んでいてもおかしくなかったという。それが一日で話せるところまで回復したことには医者も驚いていた。


「それでその、お願いがあるのですが。また、会いに来てくれませんか。迷惑だとはわかっているんですが……」

「いや、いいよ。折角だから俺のお姉さんみたいな人も連れて来るよ」


 その言葉に、少しだけ東沙の顔色が明るくなった。その反応を見て、翼は少しほっとした。

 東沙は翼の言った相手、奏のことを訊いてきた。語り出して長くなった結果、翼は面会時間ぎりぎりまで奏水のことをあれこれと話していた。


 ■■


 病院からの帰り道を俺はなんとなく一人で歩いていた。

 夕暮れの街がオレンジ色に照らされて綺麗に輝いている。子供のころから何度も見た景色だ。

 俺はこの光景を、綺麗だと思うと同時に懐かしいと思えるけれど、あの子はそれすらもわからないんだろう。懐かしいのか、懐かしくないのか、わからないんだろう。


「どんな気分なんだろうな?」


 きっととても怖いんだろう。そんなことぐらいしかわからない。

 記憶がなくなるってのは、自分が自分じゃなくなるってことなんだと思う。たぶん、はっきりとこれが「自分」だって思って生きてる人間なんてほとんどいないと思うけど、みんな見慣れた景色とか他人とのつながりとか、そういう漠然としたものを頼りになんとなくで「自分」ってものは持っている気がする。

 彼女にはそれがないのだ。何か理由があって奪われてしまったんだろう。


「奪われたか……あるいは、自分で閉じ込めたのか」


 医者曰く、記憶喪失というのは時に人間が辛い経験を前に心を守るための防衛機能になっている場合もあるとのことらしい。もしそうだとしたら、「自分」を封じ込めなければ心が壊れてしまうような経験とはなんなんだろうか?


 ■■


 その時、ハデスは薄暗い路地にいた。

 今は変身しておらず、普通に黒っぽい服を着たどこにでもいる少年といういで立ちだ。

 その影が不意に伸びて巨大なピエロのような形へと歪む。


「何の用だ、メーリィ?」

「一つ、良いことを教えてあげようと思いましてね」

「いらん。お前の言ういいことなんて、どうせロクなもんじゃないだろ」

「光の剣士はまだ生きていますよ」


 その言葉にハデスの顔色が変わった。

 歪んだ自分の影を睨みつける。


「あいつは確かに、俺が殺した」

「ええ、確かに殺しました。そして死にました。そこに間違いはありません。しかし、生きているのですよ。彼は『そういうモノ』なのですよ」


 ハデスは思い切り近くの壁を殴りつけた。


「信じられぬというのであればご自分で確かめてみればいいでしょう。私の百万の言葉よりも、貴方の目に映る現実一つのほうがよほど貴方には信頼できるでしょうからね」


 そう言って声は消え、影はただの少年の影に戻った。

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