3、Paint It, Black
黒い剣士の初撃をどうにか躱した翼は胸に手をやり、かけていたペンダントを握りしめる。
ペンダントからは光が現れ、翼を戦うための姿へと変身させた。
「いきなりなんだってんだよ!!」
再び殴りかかってくる黒い剣士を相手に翼が蹴りを放つ。
しかしそれは軽い動きで避けられてしまった。勢いあまって翼の体は思い切り地面に転がる。
「俺の名は――ハデス。お前を殺す者だ」
「そんな簡単に殺されてたまるかよッ!!」
せっかく楽しい気分でいたのに台無しにされた、という怒りを込めて翼が剣を抜く。
しかし。
「…………あれ?」
「――どうやらお前、死にたいらしいな」
翼が間抜けな声を出す。
ハデスは、心底呆れたようで、先ほどまでのおどろおどろしい雰囲気が一瞬だけなくなっていた。
「お、俺の剣……折れたまんまじゃねぇかッ!!」
そう、翼の剣は刀身が半分のところで折れていた。
慌てた翼は剣の先を眺めたり体のあちこちをまさぐったりしながら、折れた先端のほうを探してみると、どうやら鞘の中にあるということがわかった。わかった瞬間、翼はどこか安心したように息を吐くが、その態度はハデスの怒りを買うこととなった。
「お前、ふざけてるのか?」
「こんな状況でふざけられる……っ!!」
ハデスは特にこれといった行動に出たわけではない。
ただ、殺意を込めて翼を一瞥しただけだった。
たったそれだけのことで、翼の全身を重圧が襲う。それは直接的、物理的なものではない。例えるなら、人間が地面に立つために必要な重力を何十倍にも濃縮したものを受けているようなものだった。
「ぐ、がは……っ!!」
翼は立っていることすらままならず、地面に倒れ伏す。
体が重い。それ以外のことは考えられなかった。
「お前、弱いな。たったこれだけで立てなくなるとは、拍子抜けもいいところだ」
ハデスは背負った大剣を右手で取ると、剣先を地面に引き摺りながら悠然と翼に近づいてくる。
ガリガリと火花を立てながら地面に溝を作り、ゆっくりと近づいてくるその様は魔王といって差し支えないだろう。少しずつ大きくなる音は比喩でもなんでもなく、翼にとっては死へのカウントダウンだった。
「つまらないって……なんだよ? お前あれか? 強い相手と戦いたいとかそういうクチか? ならここで見逃してくれよ。そのうちお前を越えるくらい強くなってやるからさ」
必死に作り笑いを浮かべているが、翼のそれはただの虚勢だ。
冷や汗をかき、体は震えている。どうにかこの場を切り抜けようと浅知恵を働かせてみた結果がこれであった。
しかしハデスは淡々と、翼の無駄な努力を切って捨てた。
「俺はそんなものに興味はない。言っただろ、俺はお前を殺す者だって。その結果さえ得られるなら、歯ごたえがあろうがなかろうがどっちでもいい」
ハデスは無慈悲に大剣を振りかざし、そして翼の頭めがけて振り下ろそうとする。
翼は必死になってもがきながら、どうにかそれが自分を両断する前に体を捻った。
(痛ってぇ!! ほんのちょっと体を動かすだけで、鉄板にタックルしてるみてぇな痛みがする!! それでも……)
激痛に耐えながら翼は右手を伸ばす。その手が掴んだのは「鋼」の宝玉だった。
ぎこちない動作で、掴んだ宝玉を剣の柄にはめ込んだ。
「鋼を鎧いて盾と為す!!」
その姿が、前の戦いでムルキベルを倒した赤と黒の姿へと変わった。
防御重視の姿になったことで、少しは身を襲う重力も軽減された。動きが鈍いことには変わりないが、どうにか立ち上がり、動くことはできるようになったのである。
「さあ、行くぜ!!」
翼は折れた剣を持ってハデスを見る。
そして、柄にはまった「鋼」の宝玉を回転させながら剣を振り上げてハデスのほうへと走り出した。
対してハデスは特に動じることもなく、それをただ見つめていた。
「なるほど。少しは動けるようになり、攻撃手段も確保したか」
冷静な声だった。
この時、翼の中にあったのは根拠のない自信だ。少し状況がよくなっただけで、つい先ほどまでの死の恐怖も忘れて、勝てるような気になっていた。
そんな翼の勘違いは、ハデスの一撃によってすぐに冷めることとなる。
「だからどうした――」
ハデスが剣を縦に一閃する。
振り下ろされた一撃は翼の身に纏っていた防具を砕き、その体に袈裟懸けに深い傷を負わせた。
翼の口から赤い液体がごぼりとこぼれる。血だ。体の中をぐちゃぐちゃにされたような感覚をおぼえ、翼は地面に倒れ込んだ。倒れたところには赤い水たまりができている。
斬られたことで翼はわかったが、ハデスの大剣はあちこちに、まるで何かを封じているかのように鎖がぐるぐる巻きつけられており、鋭利な斬撃だけでなくその間に押しつぶされるような鈍い痛みが走るようにされているのである。
二重の激痛が翼を襲う。
しかしまだ翼は生きていた。
それを見たハデスは、虫でも潰すような感覚でもう一度、大剣を振り下ろす。
翼はどうにか体を起こして避けようとする。よろめいた体では完全にその一撃を躱すことはできなかったが、致命傷だけは避けた。しかし肩のところを深く斬られ、右腕の感覚がマヒし、剣を落としてしまった。
「く、くそ……」
翼はそれでも、左手で剣を拾おうとした。
しかしその挙動は遅く、ハデスから見ればかたつむりが歩いているようなものだろう。
「どうやらお前はよほど、無駄なことが好きらしいな。なら俺も習って、無駄なことでもしてみるか」
ハデスはそう言って腰に下げていた四つの宝玉のひとつを手に取った。
それは「射」の文字が刻まれていた。ハデスはそれを大剣のほうへと持っていく。
翼がよく見るとハデスの大剣にも、翼の剣と同様に宝玉をはめ込めそうな穴が空いていた。ただしハデスの大剣は翼の剣と違い、穴がある場所は刀身であり、その数は縦並びに二つだった。
「『紫電の狙撃手――モード・サジタリウス』」
ハデスの大剣がバチバチと黄金色の電気を纏う。
やがてその電気はハデスをも包み込み、その姿を変えていった。
金色に輝くマントを羽織り、仮面の色も金色へと変わっていた。そして大剣の形状は、剣先に巨大な弓のようなものが付いており、柄は銃のグリップのように変わっていた。剣から巨大なクロスボウのような武器となっていたのである。
「これで、終わりだ――」
無機質な声でハデスは軽く「射」の宝玉を撫で、大剣を水平に構えてその剣先を翼へと向ける。
くるりとそれが一回転するだけで、大剣の先端に超高圧の電流が収束していった。周囲は不自然な闇に覆われていながら、そこだけが昼になったように明るくなった。
「ライトニング・ストライク」
ハデスがトリガーを引く。
稲妻が走り、収束した電流は巨大な矢のようになって撃ちだされた。
それは文字通り光の速さで飛んでいき、そして――。
「…………」
翼の心臓を貫いた。
その体に大きな穴が空いている。からん、と。拾い上げた剣が再び地面に落ちた。
変身は解除され、翼の体はもはや翼の意志では動かず、風に吹かれるようにして倒れ、そしてそのまま土手を転がって川の中へと落ちていった。
この日、光城翼という少年はそこで死んだ。
■■
かくて我らが光の剣士は死んでしまい、この物語もここで幕引き――。
なんてことは、さすがにないから安心したまえ。いかにボクが道化とはいえ、こんな歯切れの悪い物語の語り部なんてさすがにごめんだからね。
しかし誤解しないでもらいたいのは、ボクは決して比喩や誇張で、死という言葉を使ったわけではないということだ。確かに我らが光の剣士、光城翼はこの日に死んだ。それでも彼の物語は続いていくわけだけれど、でもやっぱり彼のこの時の状況を説明するには死、という言葉がもっとも相応しいんだよ。
迂遠でくどいだろうけど、そのあたりのことは続きを聞いてのお楽しみだ。
さあ、ではもう少しだけ続きといこう。
■■
俺は突然襲って来た、ハデスと名乗る奴に……殺された、はずだった。
だんだんと意識が遠のいて、何が起こったか思い出せなくなって。なのに今、俺は妙にはっきりと自我というものがあった。
まるで、見えない力で引き戻されたみたいだった。
『死にたくないか? いや、死にたいか?』
「は?」
不意に、声がした。
声というにはあまりにもぼんやりとしていて、のっぺらぼうに話しかけてられているような気持ちの悪さだった。だけどその言葉はすんなりと理解できる。
『一度だけ、選ばせてやる機会をやろう。お前はここで死ぬことを望むか? 我が■■よ』
その声は、不思議なことを言った。
それはゲームのコンティニューの選択を迫られているような気軽さだった。
だけどそいつの言い方というか、垣間見える意思みたいなものは、俺がここで死ぬってのを選んだほうがいい、みたいな感じだった。
俺は一体何が起こっているのかわからなかった。
だから正直に、そのままの気持ちを示した。
「俺は……死にたくない」
それが俺の本心だった。
まだ俺にはやりたいことがたくさんあるし、俺が死んだらたぶんだけど、色んな人が悲しむと思うから。
少なくとも、母さんより先に死ぬ不孝者にはなりたくない。
そう、普通ならそれが正しい選択のはずなんだ。誰だって死ぬのは嫌だし、死にそうな状況で、生きる道があるなら、生きたいと思うはずだ。
だけどその声は俺の言葉を、待ち望んでいたような、それでいて我が意を得たりとほくそ笑むような、とにかく満足したのがわかった。
『ふむ、ならばお前を生かしてやろう。歓喜に狂え、これでお前はもう死なない――』
「それは、どういう……」
そこで再び、俺の意識は途絶えた。
今度はまるで、テレビのコンセントを急に引き抜いたように――――。
■■
「かはっ……、はぁ、はぁ――。あれ、ここどこだ?」
翼は真っ暗な水の中で意識を取り戻した。
体はびしょびしょに濡れているが、しかし生きている。
翼には確かに、心臓を潰されて死んだという記憶があった。ハデスと名乗る者に殺されたという認識があった。
にも関わらず今、翼は五体満足で、傷のひとつもなくピンピンとしているのである。
「ははっ、なんだよ。俺、ちゃんと生きてるじゃん」
渇いた笑みが自然とこぼれてきた。
翼には、先ほどの意識の混濁の中での、何者かとのやりとりの記憶がない。
ただ、死んだはずが生きている、ということ以外はわからないでいた。
「どういうことだ?」
と翼は少し考えたが、やがて諦めた。両腕を投げ出し、ばちゃりと再び水の中に体を沈める。四月の夜の川は少し寒いが、それでもひやりとして気持ちがよかった。
「考えたって仕方ないし、今こうして生きてられるならそれでラッキーってことにしとくか」
それはとても、危ういほどに楽天的な思考だった。
しかし翼にその自覚はない。水に体をつけながらぼんやりと空を眺めていて、そこで何かが目に入った。
それは人のようだった。翼がいるところから少し離れた岩場のようなところに、誰かがうつぶせになって倒れているのである。
「ちょ、どういう状況なんだよこれ!?」
翼はがばりと体を起こし、慌ててそこへと駆けていった。
■■
た易く得たものは、失う時もまたた易い。そして、世の理を無理やりに捻じ曲げるものは、いつか必ずその報いを受ける。しかしそれを理解できるのは、たいていの場合、その報いを受ける段階になってからだ。
と、ボクの語りはこのあたりにしておこう。我らが光の剣士と我らが闇の剣士との物語は、ここで一先ず休止符だ。
次なる物語は我らが光の剣士と、ある姉妹の物語。
今、我らが光の剣士に助けられた人物は、後に光城翼の人生を変えることとなるある出会いをもたらすことになるわけだが――。それはともかくとして、我らが光の剣士の剣はいつまで折れたままなのだろうね?