2、そして日常は終わる
「とりあえず、本屋でも行くか?」
「オーケー」
翼がイオンに入るなりアルトを誘った場所は本屋だった。
それなりに大きい本屋で、だいたいのジャンルの本ならば揃っているという書店である。
翼が真っ先に本屋に誘ったのは、アルトの趣味が知りたいからであった。読書が趣味ではなくても、何か趣味があればそういったジャンルに関係するところへ行くだろうから本屋は他人の趣味を知るのに都合がいい、というのが翼の自論である。
「で、本屋に来たのはいいんだが翼」
「ん、なんだよ?」
「お前、なんでそうやって入口のとこでジッとしたまま俺を見て来るんだよ?」
「いや、アルトこそ。どっかみたいところとかないのか?」
「翼が本屋に誘ったんだから、お前が何か見たいものがあるんだろ?」
そう言われると翼は黙り込んでしまった。
(そういや、そう言う風に思われるか)
普通はそうとしか思わないと思うが、翼の思考は少しずれていた。
しかしアルトの発想と自分の発想がずれているとわかると、あっさりと、
「いや、アルトはどんな本に興味があるんだろうなって思ってさ」
と本屋に連れてきた意図を語った。
訊かれるとアルトは遠い目をしながらぐるぐると本屋の中を眺めていたが、やがて目当てのコーナーを見つけたらしく、そのほうへと歩いていった。翼が興味津々に後ろから着いていくと、そこは手品の本が置いてあるコーナーだった。手品の入門書から、現役マジシャンの自伝まで色々な本が置かれていた。
(『初めての手品』、『今日から使えるマジック百選』に……『鉤山大夢の手品放浪記』? なんだろこの本、ちょっと気になるかも)
基本的に本屋コーナーに来ても漫画か小説のコーナーにしかいかない翼にとって、その棚に並ぶ本の背は新鮮なものだった。特に最後の自伝が気になって手を取ろうとしたが、先にアルトがそれに手を伸ばした。
「あれ、アルトそれ買うの?」
「……ああ。悪いけど、これは俺に譲ってもらうぞ」
そういうアルトの声は低く、一瞬だけ目つきがキッとしてきつくなっていた。
しかしすぐにその堅い顔は消えた。そしてさっさとレジのほうへ向かうと会計を済ませてきた。
「なあ、今度その本貸してくれよ。もちろん、読み終わったらでいいからさ」
「……そうだな。考えとくよ。それより、次はどこに行く?」
アルトは急かすようにして翼に訊いた。
はっきり言って翼に計画というものはほとんどない。というよりも、アルトが誘ってきたのだから、アルトのほうにこそ何か行きたいところがあるのではないかと思ったのだが、アルトはどうもそういうわけではないようである。
「なあ、なんで今日は俺を誘ったんだ?」
翼が真面目な顔で訊くとアルトは黙り込んでしまった。何か考えているようで、やはりその際に一瞬だけ、キッとした堅い目つきをした。そして、
「うーん、そうだな。お前のことを知りたかったから、かな。だからさ、今日はお前が普段遊んでるところとか遊びとかを教えてくれよ。どうも俺はそういうことに疎くてさ」
などと至って真面目な顔で言うのである。
翼にはそれが何故かおかしくて噴き出してしまった。
「なんだよ翼? 何か悪いのか?」
「いや別に。ただお前って、なんかそういう風に見えないからさ」
「そういう風ってなんだよ?」
「なんかこう、普通にノリいいし、今までも友達とかと遊びに行ったりしたことくらいあるんじゃないのか?」
その言葉にアルトは、どう答えたものかという風に天井を見つめていた。
翼は話していて、アルトはどうも何か、自分が今まで生きていた世界と違うところで生きていたような気がした。うまく言えないが、相手のことを知らないとか、知りあってからの時間が短いとか、時間をかければどうにかできるようなことでは埋められないような何か、溝のようなものの存在を感じたのである。
「あー、いや、悪い。言いにくいことがあるなら言わなくてもいいぞ」
それが何なのか、踏み込むのが恐ろしくなって翼はそこで会話の流れを切った。
そして話を変えるように、どこか誤魔化すようにわざとらしいほど明るく振る舞って、
「それよりもさ、ほら、遊びにいくんだろ。じゃあゲーセンいこうぜゲーセン。カーレースゲームやろう」
と言ってイオンのゲームコーナーへとアルトの手を引いて連れていった。
アルトは自分からどこかへ行きたいとか何かをしたいとかは言わずに、ただ翼に連れられるままにボーリングやカラオケ、おもちゃ屋などへ行き、そして翼と一緒になって遊んでいた。
翼はそれで楽しかった。
アルトも、主体性がないというだけで楽しそうであった。
昼の三時くらいまで、二人はあちこち移り歩いては遊んでいた。夢中になりすぎて昼食を取ることも忘れていたほどだが、翼の腹の虫が鳴って、さすがに何か食べようということでフードコートへと向かうことにした。
「はー、楽しかった。なんか久しぶりに、遊んだなーって感じがする」
二段のハンバーガーと山盛りのポテトフライにチキンナゲットを前に翼は満足そうに笑っていた。
アルトはというとSサイズのポテトフライに水だけというなんとも質素なものだった。翼が、
「アルト、それで足りるのか?」
と心配そうに訊いたが、アルトは素っ気なく、
「大丈夫だ」
と答えるだけだった。
翼は自分のナゲットを少しあげようとしたがアルトが拒んだので、単純にアルトは小食なだけなのだろうと思ってそれ以上は何もしなかった。
「あれ、翼じゃない」
二人がある程度食べ終えたときだった。翼は後ろから誰かに声を掛けられた。
相手は奏である。
「もしかしてそっちの男の子が、この前言ってた子?」
奏はアルトを指して言った。
よくわからぬままに話題にのぼったアルトはやや戸惑いながらも軽く会釈をする。そして、
「なんだよ翼。何か、俺のいないところで俺のこと話してたのか?」
と少しだけ興味を持った。
「うん。面白そうな奴で変な奴。だけど悪い奴じゃなさそう、だったかな? 翼にそう言われたときはなんだかよくわからなかったけれど……」
そう言って奏はしばらくアルトの目を見つめていた。
アルトはその間、固まって動けないでいたが、やがて奏が視線を再び翼へ戻すと、安心したように肩を落とした。
「そうだね。今なら翼が言った意味がわかる気がする。えっと君、名前なんていうの?」
「あ、はい。闇町アルトっていいます」
まるで授業中に急に当てられたときのようにアルトはどきりとした様子で、少しだけ噛みながら自己紹介をした。
「私は翼の従姉の弓月奏。翼は自分勝手でわがままで色々と唐突だけど、悪い奴じゃないからさ。だからこれから、翼のことよろしくね」
爽やかな笑顔で言われて、アルトはなんと返していいものかわからなさそうに茫然としていた。
「あ、私そろそろ行かなきゃ。友達待たせてるんだ。じゃあまたね、翼。アルトくん」
その間に奏は挨拶を済ませると去って行ってしまった。
アルトは奏の姿が見えなくなると、疲れ切った様子で肩を落とし、椅子に体重をかけて体を投げ出した。
「どうした、アルト?」
「いや、なんていうか――苦手なタイプの人だなと思ってな」
「なんでだよ? フランクな人だし美人じゃん。なんか苦手に思う要素ある?」
「きっとお前にはわからない感覚だよ。実際、あの人を苦手に思うような人なんてほとんどいないと思う」
「なんかはっきりしない言い方だな」
翼はアルトの態度が気に入らなかったらしく、少しだけ声にトゲがあった。
そんな翼を見てアルトはさらりと、
「お前、もしかしてあの人のこと好きなのか?」
と訊いた。
しかし翼は特にそれらしい反応も示さずに首を横に振った。
「いやぁ、別にそんなんじゃないよ。ただ、奏さんにも奏さんのご両親にも色々世話になってるからね。それだけだよ、本当にさ」
「なんだ、つまらないな」
「うるせー。そんなこと言うならお前こそ、何かないのかよ? 好きな子とかいないのか?」
質問を返されてアルトはまた少しだけ考え込んだが、まあいいか、とぼそりと呟いてから言った。
「いるよ、好きな子。好きっていうか……気になる子っていうか、気にしておかなきゃいけない子って感じだな。俺はその子にもっと素直にならなきゃいけないんだけど、でもなれないんだ。色々と複雑なんだよ」
アルトの言葉はかなり具体的で、はっきりと誰かのことを思い浮かべながら話しているのが翼にはわかった。
しかしその感情はアルトの言ったとおり複雑そうで、アルト自身、言ったはいいがあまり掘り下げる気もなさそうであった。翼はもう少し踏み込んでみようかとも思ったが、アルトのなんとも言い難そうな表情を見てやめた。
(またそのうちにでも、訊けそうなら訊いてみるか。機会なんていくらでもあるだろうしな)
■■
この時、我らが光の剣士は幸せだっただろう。
自分が、曰く「選んだ」という運命のことなんて忘れて、ただ浮かれていたのさ。
新しいというのはそれだけで不思議な魔力を孕んでいるからね。新しい生活、新しい学校、そして――新しい友人。そういったモノに心躍らせるのは我らが光の剣士といえど年相応にある感情だろう。いや、なくてはならない。
だけど同時に、やっぱり自分には根本に他人と違う特別なものがあるということも忘れるべきではなかった。
■■
「じゃあな、アルト。また学校で」
どっぷりと日が暮れるまで俺はアルトと遊んでいた。
さすがにそろそろ解散ということで俺はそう言って手を振ったが、アルトから返事が返ってくることはなかった。さっさと帰ってしまったのだろうか?
少しくらい、余韻とかそういうのはないのかよと思うとちょっと寂しくなってくる。
俺は実際、まだなんだか心がうきうきしていて、このまま家に帰るのはもったいないと思った。いつもと違う、人気の少ない遠回りの道を選んで歩いて帰ることにした。
日が暮れかけて薄暗くなった川沿いの道を一人で歩いている。
音楽を聴きながら、鼻歌を歌って道を歩いていると、不意に何か――嫌な気配がした。
まだ日は沈んでいないはずなのに、しかし周囲が暗くなった。いや――黒くなった。
そして、
「当代の光の剣士――光城翼」
声が聞こえた。
その声の主の姿ははっきり見えた。しかし、周囲はどんよりと黒い。自然的な闇ではなく、空間にペンキで黒く色をつけたような不自然さだった。
「お前の命、ここでもらうぞ」
シンプルな黒い服を着た男だった。
背中には大きくて物々しい剣を背負っている。顔には鬼のような、左右非対称の面をつけている。
そしてその腰には、紐で括りつけた四つの、俺の持つ「鋼」のそれと似たような宝玉をつけていた。
「行くぞ」
それがそいつにとっての合図だったのだろう。俺の都合などおかまいなしに踏み込んで、俺の顔面目がけて殴りかかってきた。本当に俺はただの偶然でそれを躱す。
転がって、ポケットから音楽プレーヤーが落ちた。
イヤホンが外れて、黒い空間に音楽が流れてくる。
ちょうど頭から流れ始めたその曲は――ストーンズの「Paint It Black」だった。
■■
かくして運命は「彼ら」を結び付けた。
我らが光の剣士と、我らが闇の剣士との初手合わせというわけさ。記念になるかはわからないけれど、一番最初というのは特別なものさ。これから「彼ら」は何度も戦うことになるわけだからね。
しかしこの勝負に関しては、そもそも、勝負と呼んでいいのかさえわからないね。
何せ我らが光の剣士、光城翼はこの戦いではほとんどなすすべもなく敗れ、そして死んでしまうわけだからね。