2、「鋼」の継承
「うーん、これ、なんて書いてあるんだ?」
朝の教室で、翼は一冊の本を前に頭を抱えていた。
いかにも時代劇に出てきそうな、和紙を紐で束ねた本である。当然、字はすべて墨で書いてあり、厚紙で作られた分厚い表紙には『光城家秘史』。多少埃っぽくはあるが、まだ十分に字は識別できるていどの保存状態であった。
そう、字は識別できる。
ただし、達筆な上に漢文で書かれており、返り点なども全くふられていないため、翼には何が書いてあるかがさっぱりであった。
「翼、それなに?」
「ん、あぁ、なんかこう……漢文?」
「いや、それは見ればわかるけど…………」
翼の後ろから、眼鏡をかけた小柄な男子が話しかけて来る。クラスメイトの仁藤長人だ。翼とは小学校が同じで、図書室が好きなタイプの男子である。
「あ、そういや長人って、確か漢文とかも好きだったっけ?」
「あぁ、おじいちゃんの影響でね。一応、多少なら読めるよ」
「これ、読めたりしない?」
差し出された本を手に、長人はぱらぱらとページをめくる。
「これ、だいぶ旧字とかも使われてるし、辞書を使ったりしながらだと……なんとか、って感じかな?」
「ちょっと翻訳頼めないか? 今度、飯とか奢るからさ」
「別に、それはいいんだけど、これ、『光城家秘史』ってなってるけどいいの?」
「別に俺、悪いことしてないしヘーキヘーキ」
そういう問題なんだろうか、と思いつつも長人は改めて本を眺める。
拾い読む限りでみつかる元号らしきものには、近代になってからのものはないので、どのようなことが書かれていても、今の翼にとっては確かに関係のあるものではないだろう。それでも、本来は関わりの人間がこういったものを読むのはあまりよくはないのだが、長人にも好奇心があった。
「じゃあ、少し預からせてもらうけどいいかな?」
「おお、頼む」
■■
放課後、帰ろうとしたら、棟梁からメールが来ているのに気づいた。
『事務所に来てくれ。渡したいものがある』
件名のない、たったこれだけの本文の素朴なメールだった。それがすごく棟梁らしい。
しかし、渡したいものって一体なんだろう? せめて、それくらい書いてくれてもいいのにな。
そんなことを考えながら、歩くことだいたい20分くらいで、棟梁の事務所についた。
周囲には他に駐車場くらいしかない場所にある二階建ての建物がそれだ。
事務所の前にある自販機の前に棟梁が立っていた。
「おお、来たか翼」
「こんにちは」
「とりあえず、なんか飲むか?」
「あー、じゃあ……コーヒーで」
今までコーヒーとか飲んだことないけど、俺ももう中学生になったんだし大丈夫だろう。たぶん。
「普通にジュースとかのほうがいいんじゃないのか?」
「だ、大丈夫っすよ。いつまでも子供扱いしないでください」
少しムキになって言うと、棟梁はにやっとからかうような笑みを浮かべた。
「ほう。なら、絶対に残すなよ。最後まで飲みほせよ」
「……コーラでお願いします」
うん。コーヒーはまたの機会にしよう。やっぱり苦いより甘いほうがいいし。
「ほらよ」
大きな手で缶コーラを手渡してくる。棟梁が持つと250mlの缶がまるでおもちゃみたいだ。
「いつもありがとうございます」
「そんな、缶ジュースくらい気にするな」
棟梁はいつも、こう言って笑いながら、俺に色々と奢ってくれる。そして全然恩着せがましくない。
買ってもらったコーラを手にとって、自販機近くのベンチに腰かける。
「それで、渡したいものってなんですか?」
「ああ。実は生前、龍からもらったものなんだが……そのペンダントと同じで、お前の祖父の遺品らしい」
じいちゃんの遺品、という言葉に俺は喰いついた。
経緯はどうあれ、親父が棟梁に渡した物をまたもらうのは、本来なら遠慮すべきだと思ったが、手がかりがほしい俺は、それが何なのかが気になってしかたがなかった。
「ああ。ちょっと待っててくれ。今、事務所からとって――」
棟梁がそう言って立ち上がろうとした時。
ズン、と俺の体の上に、何かが降ってきたような感覚が走った。巨大な鉄球でも背負わされたような重圧に支配されながら、棟梁のほうを見ると、棟梁は俺の目の前で、今の状態のまま、まるでその場面だけを写真に取って切り取ったように、ぴたりと動きを止めていた。
「これ、どうなってるんだ?」
おそるおそる、指先を伸ばして棟梁の体に触れる。そこに生物的な柔らかさはなく、石像にでも触れているかのような気持ちの悪い冷たさがあった。
「こんにちは。光の戦士殿」
声がした。
一度聞いただけなのに、忘れたくても忘れられない声だった。蛇のように生暖かくて、狐みたいな性の悪さを前面に押し出したような声だった。大した内容を話していないのに、聞くだけでこれだけの悪口が思いつくような声がこの世に存在すると、俺は初めて知った。
「メーリィ……だっけか? お前、何の用だ?」
声の主、メーリィは気が付くと俺の前に立っていた。
道化師みたいなふざけた、無駄に派手で悪趣味な服装に、仮面舞踏会で使うような、目だけを隠す白いマスクと、それと対になるようなまっ黒な羽帽子。昨日会った時は、その声だけでも不快だったのに、こうして姿を現されると、存在自体にイライラする。
「何の用、と申されましても。そうですね、強いて言うのであれば、あなたには死んでいただこうと思いまして」
世間話でもするような気軽さで、こいつは言った。
軽くてふわふわとした口調だが、こいつがそれを本音で言っているのだということが俺にはすぐにわかった。
「なら、その前に俺がお前をぶっ殺してやるよ!!」
流れるように口から出た言葉に、自分でも驚いた。
ポケットにしまった羽根のペンダントを俺が取り出そうとしたが、メーリィはそれを察したのか、軽く地面を蹴った。それだけでメーリィの体は、水に潜るようにして地面に沈んでいった。
「私の相手は、彼に任せることにしましょう」
パン、と何かが弾けるような音と共に、俺を縛っていて重圧は消えた。
すぐに棟梁のほうを向くと、その体の中から鎖のようなものが何本も生え出てきて、棟梁の体を縛っていく。やがて完全にその体を覆い尽くしたかと思うと、次は一気にその鎖が弾けた。
そしてその中に、もはや俺が知っている棟梁の姿はなかった。全身を岩で多い固めたような無機質な灰色の巨人が、2mはあろうかという巨大なハンマーを持って立ちはだかっていた。
「お前らが何で、これが何なのかはわからない。だけど――俺の大切な人たちに、手を出すなッ!!」
■■
叫びと共に、翼がペンダントを前に出す。
光に包まれ、翼の体が変わっていく。昨日と同じ、戦うための姿へと。
変身したことで翼を敵として認識したのか、岩の巨人が翼をぎろりと睨む。
ズシン、と大地が揺れた。それは岩の巨人がハンマーを地面に叩きつけたことで起きた振動である。
巨人を中心に地割れが起き、翼が立っているところまで巻き込んだ。翼は地面を蹴って跳びあがるが、その動きが空中で止まる。割れた地面の石や砂が鎖へと変化して伸びてきて、翼の足を捕まえたのである。
鎖はまるで、それ自体に意思があるかのように動き、翼を勢いよく地面へと叩きつけた。
「痛ってぇ!! こんなことができるのかよッ!!」
地面に叩きつけられながらも、すぐに反応して足元の鎖を剣で斬る。しかしそれで安心してはいられない。
既に翼の周囲には、翼を囲むように無数の鎖が地面から生えており、翼の動きを拘束せんとして次々に襲い掛かってくる。翼はそれらを、あるいは身をよじって、あるいは剣で斬って防ぎながら逃げ回ってはいるが、いかんせん数が多い。
「この戦士の名は、ムルキベル。万物、あらゆるものを生み出すことができる錬成の戦士。あなたに倒すことができますかな、光の戦士殿」
「うるっせぇッ!!」
メーリィは逃げる翼を笑うように、高らかに謳いあげる。声はすれど、その姿は見えない。
翼は苛立ちながらも、極力その声を聞かないようにしながら鎖を防ぐことに、それだけに集中していた。
そのせいで、岩の巨人――ムルキベルのほうへの注意が散漫となっていた。
再び大地が揺れる。再び大地に亀裂が生じるが、今度は砕け散った地面が、高さ10mを越える巨大な壁となって翼の四方を囲む。押し寄せる壁の津波に逃げ道がなく、翼の体は押しつぶされそうになった。
が。
「舐めんなッ!!」
押しつぶした。ムルキベルからはそう見えたが、突如として壁の一部に綺麗な三角形の穴が空く。翼が剣で壁の一角を切り取ったのだ。
翼は壁から脱出した勢いで、そのままムルキベルのほうへと一目散に駆け出す。そして、昨日そうしたように、ムルキベルに向かって剣を振り上げる。
「待ってろよ棟梁!!」
必ず助け出す。そう決意を込めて、剣を振り上げる。
翼の剣は確かに、ムルキベルの堅い頭部を捉えた。
そして――バキンという音が響く。ひゅう、と何かが宙を舞い、地面に落ちた。
「……え?」
それは、翼の剣が折れた音だった。ムルキベルの体の強度に剣が耐えきれず、刀身の半分のところから勢いよく切断されたのである。
「お、折れたあぁぁぁぁ!!??」
間抜けな叫び声をあげる翼。そして、その目の前には巨大なハンマーを持ったムルキベルが立っていた。
「チッ、やば……」
咄嗟に距離を置こうとした翼だったが、それよりも先にムルキベルのハンマーが振るわれた。
砲弾を受けとめたような鈍く重い一撃が、翼の腹部に走る。ハンマーのフルスイングによって翼の体はピンポン玉のように軽く吹き飛ばされた。
翼の体は鋼の事務所の二階部分の窓ガラスへと打ち付けられ、そのまま鋼の事務所と思われる場所にまで飛ばされた。翼が飛んできた衝撃で、事務所の机はいくつか倒れ、書類などが舞い散っている。
「くそ……。剣が折れた。……どうすりゃいいんだよ、あんな奴」
散らかった事務所の中で、翼は仰向けになりながらぼそりと呟く。
全身が痛い。武器も、おそらくほとんど役に立たない。鋼のことを助けたい気持ちに嘘はないが、そのためにどうすればいいかが見えなくなっていた。そんなとき。
「ん……?」
翼の頭の上に、何かが落ちてきた。
拾い上げてみれば、それはこぶし大の球体だった。灰色で、しかし磨かれた宝石のように輝いており、その中心には文字が刻まれていた。「鋼」と。
そして、持っていた剣の、ぽっかりと空いた中心部分が、光を放っていた。
「もしかして……これって…………」
ちょうど、剣にあいている穴に嵌りそうと、翼は思った。
「ありがとう、棟梁」
折れそうになっていた心に、光明がさした気がした。
偶然かもしれないが、心が折れそうになったときに翼の前に現れた球に、「鋼」という字が刻んであることが、何か運命のようなものを感じた。まるで、鋼が翼を励ましてくれていたような、そんな気になった。
「そうだよな、棟梁。こんなところで折れてなんかいられるかよ!!」
その球を掴むと翼は、勢いよく事務所の二回から飛び出た。
■■
事務所の外に出ると、ムルキベルはゆっくりと事務所のほうへと近づいてきていた。
こいつに何か意思とか目的とかがあるのかはわからないけど、棟梁の体を使ってこの事務所を壊させるなて、そんなことは絶対にさせない。
俺は、「鋼」と刻まれた球を前に剣の柄のところへとはめ込む。
「鋼を鎧て盾と為す!!」
気が付けば俺は、叫んでいた。
その叫びに応えるように、剣が光を放つ。俺の両肩と手首、そして頭に何かが現れた。
両肩のところに現れたのは、金色に輝く五角形の盾だった。そして、両手首のところには黒い手甲。頭には、布のような薄さと柔らかさを持った、赤い鋼のバンダナが。
そして剣は、俺の持ち手を覆うように柄が大きくなり、閉じられた一対の翼のような赤い盾のついたものへと変わっていた。
もっとも、刀身が折れているせいか、盾の上部分から少しだけ折れた剣先が顔を出しているだけで、実質、ただの盾と大差ないが。
「とっとと棟梁の体から、出ていきやがれッ!!」
盾とかした剣を前に出しながら、ムルキベルに向かって駆け出していく。
ズシンという衝撃が足元に走り、亀裂から生まれた岩や土が鎖となって向かってくるが、気にしない。それらはすべて、俺の肩の盾や手甲が防いでくれている。
攻撃の雨を掻い潜って、俺はムルキベルの眼前に迫っていた。
高く振り上げられたハンマーが、俺の頭上めがけて勢いよく向かってくる。一撃で地面に巨大な亀裂を生み出すほどの攻撃を、しかし俺は剣の盾を掲げて受け止める。
「グッ、おおおおおおッ!!!!」
盾は壊れることはなかったけど、当然ながらその一撃は重い。
盾を両手で抑えてどうにか持ちこたえてはいるが、気を抜くと釘でも打ち付けるみたいにして地面に沈められそうなくらいの重圧が、俺の体にのしかかってきていた。
それでもなんとか耐えながら、俺は剣に「鋼」の球に手を伸ばす。いや――手が伸びる、と言った方が正しい。
俺の右手が「鋼」の球を回転させていく。剣の中で地球儀のようにくるくると回転していくなかで、「鋼」の球を中心に俺の体を灰色の光が包んでいく。
「スティール・インパクト!!」
盾を中心に衝撃波が生まれ、ムルキベルの巨体を一撃で吹き飛ばした。宙高く、10m以上打ち上げられてから地面に叩きつけられ、その衝撃でムルキベルは棟梁に戻った。あとには、ムルキベルの持っていたハンマーがズシンと地面に落ちてクレーターを作る。
「やった、のか……?」
無我夢中で体を動かしたけれど、何が何だかわからない。どれくらいの間かわからないけれど、俺が茫然としていると、ふと俺の耳に渇いた拍手が届く。
「さすがですね。いやいや、これくらいはしていただかねば困りますが」
メーリィは薄気味悪い、見ているだけで殺意を駆り立てる笑顔を浮かべながら拍手をしていた。
「次はお前だ……」
「おっとと、怖い怖い。今日のところは、私も目的は達成しましたし、退散させていただきますよ」
俺がメーリィを睨むと、おどけるように肩をすくめながら影の中へと消えていった。
俺は自分のこと喧嘩っぱやい性格だとは思わないけど、なぜかあいつは存在がいるだけですっげぇイライラする。
けど、そんなことより今は棟梁だ。
■■
幸い、鋼には多少の打撲がある程度で特に大けがというほどにはならなかった。
鋼には、鋼が少しの間、立ちくらみか何かで気を失ったと適当に誤魔化していた。
「それで棟梁、結局、棟梁の渡したいものって、もしかしてこれですか?」
「鋼」と刻まれた球を翼は取り出して鋼に見せる。
「ん、ああ。でも、なんでお前が持ってるんだ?」
「いや、その……さっき棟梁の懐から落ちてきたから」
嘘に嘘を重ねるようで心苦しかったが、翼はそういうしかなかった。
今の事務所の惨状を鋼に見せればそれこそ警察を呼んでの大騒ぎになるに違いない。鋼には悪いと思っているが、翼はあまり自分の力のことを他人に知られたくないと思っている。
「あぁ。じゃあ、渡そうと思って持ってきてたのか。どうもいかんな。齢のせいか、持ってきた記憶がないぞ」
「齢だなんて、まだ棟梁若いじゃないっすか。あっはっはっは……」
不自然なほどの大笑いをしながら、翼は心の中で鋼に謝り続けている。
「それで、これなんなんですか?」
翼はこの空気に耐えかねて、強引に話題を変えた。
「あぁ、これか。昔、酔った勢いでリュウから押し付けられたんだが、俺もよくわからん。ただ、親父さん、要するにお前の爺さんの遺品らしい」
「それを棟梁に押し付けたと。麗華さんじゃなく棟梁に」
「ああ。リュウらしいだろう」
「らしすぎてため息でてきますよ」
本当にいいかげんな親父だと、ため息をつく。
「だけど、今思えば、いつか俺からお前に渡してくれって、アイツはそういうつもりで渡したのかもしれないな」
「考えすぎですって棟梁。あの親父ですよ。絶対、気まぐれかその場の勢いとかですよ」
それもそうだなと、鋼もため息をつく。
「まぁ、とにかくそれはお前に返すよ」
「ええ。返すって言葉が適切なのかはわかりませんけど、ありがたく受け取っておきます」
棟梁から正式に「鋼」の球を手にして、翼は思う。
(不思議な縁だけど、でも確かに――棟梁の言ったみたいに、「返す」ってのは正しいような気がする。俺はこれを持っていなければいけない気がする。それが何でなのかはわからないけど)
■■
かくて我らが光の剣士は一つ、新たな力を手に入れた。
まあその代償として剣の一本を折ってしまうというおまけつきではあるけれどね。
それがとても大きな代償であることを彼はまだわかっていない。自分の命がかかっているというのに彼は、本当に根拠もなくただ漠然と、なんとかなると思っていたのさ。いいかげんな話だと思わないかい? いかに平和ボケしていたとしても、普通ならばもう少しくらい危機感とかそんなものを感じてもいいだろう。
もちろん、そんなものを持ったままではやっていられないというのはあるだろうけれど、しかし彼の危機感の欠如の理由はそれだけではないのさ。今の段階でそれを説明するなら、「彼が光城翼だから」という言葉でしか言えないのだけれどね。
予定を変えて、これから呪剣は第一、第三、第五土曜日更新にしようと思います。というわけで、来週も更新しますよ。
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