1、運命は坂を転がる石のように
その日は、雲一つない、清々しいくらいに晴れた日だった。絶好の入学式日和だ。
中学1年生になって、初めての日。クラス発表を見て、入学式をそのクラスで終えて、とりあえず新しいクラスで全員での自己紹介が終わってから。
「光城、って変わった苗字だよね」
俺、光城翼はそんな風に声をかけられた。
俺の入ったクラスは全員で30人。うち、男子が11人くらいというクラスだった。
俺に話しかけてきたのは、髪が少し伸びた男子だった。
「んー、そうかな? 確かに、親戚以外じゃ見たことない苗字だけど」
「じゃあ、珍しいんじゃない?」
「でも、漢字変換じゃ普通に出てくるしなぁ。ってか、それいうならそっちは……えっと、苗字なんだっけ? てかフルネームなんだったっけ?」
クラス全体での自己紹介は一回したけれど、正直それだけで覚えきれるものじゃない。特に俺は、自分の順番が来るまでめっちゃ緊張してたし、自分の番が終わったあとは安心しきってて力抜けてたし。悪いけど、小学校からの馴染みのやつくらいしか覚えてない。
「僕は、闇町アルト。闇市の闇に町で闇町だよ」
「そっちのほうが珍しくないか? 苗字も名前も」
「そうかな?」
闇町は、心底わからない、といった風に首をひねる。
「まあ、日本人の苗字なんて珍しいやつが多いっていうか、そもそもポピュラーな苗字ってなんだろうなって言われるとそんなたくさん挙げられないし」
「うん、そうそう。だからさ、苗字が珍しいとか珍しくないとかそんなことどうでもいいじゃん?」
まあ、確かに。田中、とか山田って苗字なら「よくある苗字」で通るけど、読みは同じでも漢字が違うとか、漢字が同じでも読みが違うとかも割とあるし……って、ちょっと待て。
「お前が振ってきたんだろ!! 俺の苗字が珍しいって話で!!」
「あ、そういえばそうだったね」
「お前、もしかして天然なのか?」
「まさか。オオカミ少年じゃあるまいし。ちゃんと人に育ててもらったぞ」
「そういう意味じゃねぇッ!!」
変わった奴だな。まあ、でも、なんというか、うまく言えないけど面白そうなやつだ。
このクラスは男子の数があんまり多くないし、たぶん男子だけでつるむことも多くなるだろうけど、なぜかこいつとは――アルトとは、仲良くなれる気がする。
「ところでさ、首にかけてるそれ、何?」
翔に言われて俺は、首にかけていたペンダントを取り出す。
皮でできたひもに、鳥の羽を模した金色の鉄の塊がついただけの簡素なネックレスだ。たぶん、校則的にはあんまりよろしくないと思う。
「あー、できれば先生には黙っててくれない? ほら、見つかると面倒だから」
「その割には隠す気がないよね、光城君?」
「あー、うん。そうだな。次からもうちょっとうまく隠す」
俺だってあんまりこんなことしたくないんだが、これだけはなぜか、どんな時にも手放す気になれない。
一つにはこれが、死んだ俺の親父の形見だからってのもある。
だけど、それだけじゃない。一度、遊びにでかけるときにたまたまこれを家に忘れて行ったことがあった。その日、俺は車に轢かれかけた。幸い大事には至らなかったが、そのとき俺は、車が目の前に迫ってくるのを前にして、真っ先にこのペンダントのことが頭に浮かんだ。
そして思った。きっとこれは、俺にとって絶対に手放しちゃいけないものなんだ、って。
「ま、俺には別に関係ないことだからね。特に密告みたいなことはしないよ」
「サンキュー。助かるぜ、アルト」
「さっきの今で、もう呼び捨て?」
「あ、気に障ったなら闇町って呼ぶけど?」
「別にいいよ。そのかわりこっちも、翼って呼ばせてもらうから。それくらいいだろ? 君が先にしてきたことだし」
少しあきれたような口調でアルトはいう。実際、たぶんあきれられてるんだろう。
何の自慢にもならないが、馴れ馴れしい奴だ、ってのは言われなれている。
「ところでアルト、ってどんな漢字なんだ?」
「有名の有に人で『有人』だ。たまに、ありと、って誤読される」
確かにそれは、いきなり漢字だけを見せられたら間違いそうだ。
■■
その日は、授業もなく学校は午前中で終わった。荷物をまとめて下校していると、家の近くで声をかけられた。
「よっ、翼。初めての中学校はどう?」
「あ、奏さん」
長い髪の毛を後ろで束ねた知的で物静かな美人さんは、弓月奏さん。同じ中学の二年生で、俺の従姉だ。
家が近所なのもあって昔からよく遊んでもらってる。
「ん、まあまあですね。まだ1日目ですし」
「そっか。友達はできた?」
「ん~、まあ半分くらいは顔見知りですし。あ、でも……なんていうか、友達になれそうな奴ならいましたよ。面白そうな奴」
「翼に面白そう、なんて言われるなんて、きっとその子は変わった子なのね」
奏さんは口もとをおさえてクスクスと笑った。それじゃあまるで、俺が面白いか変わった奴みたいじゃないか。……いや、まあ少しは自覚あるけどさ。
「まあ、変な奴っちゃ変な奴ですね。でも悪いやつじゃなさそうですよ」
「それ、褒めてるのか貶してるのかわかんないよね」
「ま、これからっすよ。これから。一日二日ですんなり誰かと仲良くなるなんて無理じゃないですか」
「そう? 翼は割と、気があったら一直線、みたいな性格だと思うけど?」
「そうですかね? あ、というかそんなことより奏さん、これからどっか行くとこじゃなかったんですか?」
俺はまだ制服だけど、奏さんはいったん家に帰ったのか、今は私服だ。
水色のスカートに白い七分のTシャツがとても似合ってる。
「あぁ、そうそう。これからちょっと塾のほうにね。駅のあたりだけど、翼も来る?」
「いや、俺は別に塾には興味ありませんけど」
少なくとも、中学入学初日からガッツリと勉強のことを考えるのは嫌だ。中学の勉強にどんだけついていけるかはわからないけど、塾なんてもの、無縁でいられるなら一生無縁でいたい。
「そりゃ残念。進学祝いに駅前のロッ○リアでハンバーガーでもおごってあげようと思ってたのに」
「それは魅力的なお誘いですけど、塾のほうは別に……」
「私、塾に来いなんて言ったつもりはないけど? 普通に駅前のロッ○リアに一緒に行こう、ってだけのつもりだったんだけど」
「行きます!!」
俺は即答した。
鞄を置いて着替えるために一旦家に帰ろうとすると、
「あ、そうだ、翼」
「なんですか?」
「制服姿、似合ってるじゃん」
「本当ですか?」
「うん。馬子にも衣装、ってやつかな?」
これは褒められてるんだろうか? と少し疑問には思いつつも、似合ってると言われたことは嬉しかった。
■■
その日。奏が通う学習塾の一室で二人の男が話していた。
一人は四十代半ばといった、グレーのスーツをカッチリと着こなした男。この塾の塾長だ、もう一人は、大柄で背丈は180はあるかという20代前半といった風の、この塾の非正規雇用の教師、赤星陣だ。
「赤星君、どうかね。前に話していた件なんだが。この塾の正規社員になるという件、考えてはくれたかな?」
塾長が赤星に訊いた。
「ありがたいお話しではあるのですが……もう少しだけ考えさせてはいただけないでしょうか?」
赤星は塾長の質問に、申し訳なさそうに言葉を濁した。
「そうか。君にとっても、悪い話ではないとは思ったのだが……」
「ええ、もちろんありがたいお話しではあるのですが……すいません」
赤星はそういうとその部屋を出た。その顔は曇っており、赤星が何かに悩んでいることが一目で見てとれた。
「塾長の提案はありがたい。だけど、俺は……」
「学校教育の現場に未練がある、ですかね?」
赤星の言葉の先を、何者かが代弁するように続けた。赤星の意図しない形で。
「あぁ、はじめまして。私の名は、メーリィ。以後、お見知りおきを。赤星ジンさん」
その声の主は、赤星の影の中にいた。原理は不明だが、赤星の影の中から言葉だけを伝えてきているのである。
「あなたは、お悩みなのでしょう。ええ、わかりますともその気持ち。その心中。まるで我が事のように心苦しい。とかくこの世界は不条理と艱難に満ちている」
突然の声、常識ではありえないような現象に赤星が困惑しているのを意にも介さず、メーリィと名乗った声は一人、滔々と言葉を連ねる。
「故に、あなたに力をあげましょう。あなたにはその素質がある」
「な、お前は一体何を言っているんだ?」
「あなたは、もう何も悩む必要はありません」
影の中の一点が紅に光を放つ。その光に飲み込まれるように、赤星の心の中にある感情の堰から、溢れだすように負の感情が暴れる。
「俺は、悪く、ない……っ」
「ええ、あなたは何も悪くはない。故に、何を壊しても許される。さあ、デイモスの神武具を持つものよ。これより舞台の幕開けです。我が主の宿願の先駆けとして、まずは――助演を舞台にご招待していただきましょう」
謡うような言葉とともに、赤星の体が変化していく。赤の鎧を纏い、巨大な包丁のような形状の刃を持つ剣は、右手に鎖で固定されている。
中世の騎士のような姿の怪物がそこにあった。
■■
昼飯は奏さんにおごってもらったハンバーガーとポテトで済ませた。
ロッ○リアを出ると、塾に行くという奏水さんと別れて、俺はしばらく駅前のベンチで座っていた。
「さて、これからどうしよっかな? せっかくこのあたりに来たんだし、どっか適当な本屋でもぶらぶらすっかな?」
特にやることもなくぼんやりと空を眺めて、これからどうするか考えていると、不意に、一瞬だけど、俺の頭に衝撃が走った。何が起こったのか、うまく言えないけど、「何かが起きた」ような感じがした。
周囲を見渡しても、その違和感を覚えたのは俺だけだったみたいだけど、気のせいじゃない。
いてもたってもいられなくなって、無我夢中で俺は走っていた。
何も考えずに、これだと思う建物に入って、階段を数階分駆けあがった先で見たのは、異様な光景だった。
「なんだよ、これ?」
荒らされた学習塾らしきオフィスの一角。その中央には、巨大な包丁のようなものを持った鎧武者みたいな奴が立っていた。
「俺の、せいじゃない。俺は……俺は……」
鎧武者はうわごとのように同じような言葉を何度も繰り返していた。
まだ俺には気づいていない。たぶん、ここは一旦ここから逃げて通報なりをするのが正解なんだろう。俺、携帯電話とか持ってないし。
けど、俺は気づいてしまった。ここは、奏水さんが通ってる学習塾だってことに。
さっき奏水さん、塾に行くって言ってたし、このあたりで学習塾ってここだけだから、間違いないと思う。だったら、どうするのが一番いいのか、なんてことを考えていると……。
「お前、もか……」
鎧武者と目があってしまった。
血走った巨大な瞳が、殺意を込めて俺を見つめている。逃げなきゃ、たぶん殺されるってわかってるのに、足が怯えて動かない。気が付くと鎧武者は俺の目の前にいて、巨大な包丁を俺の頭めがけて振り下ろした。
しかし、いつまで経ってもその刃が俺の体に届くことはなかった。
胸のペンダントが光を放ち、2mはあるかという大きな剣の形となって俺の体を守っていた。
「え、何これ? ありえな……」
ありえない。そう言おうとして、思わず口が止まった。
この塾で今起きていることを前にして、ペンダントが剣になるくらいのことを「ありえない」なんて、馬鹿らしくて言えなかった。
剣が、俺に呼びかけているような気がした。何故、親父の形見のペンダントが剣になって俺を守っているのかはわからい。だけど、その剣は俺に、剣を取るように誘っているように思えたんだ。右手が無意識に、剣に伸びていっていた。
『待って――』
「誰だ?」
あと少しで剣に手が届く。その直前、俺の頭の中に声が響いた。
聞き覚えのない、けど何故かとても懐かしいような気がする、そんな声だった。
『その剣を取ってしまえば、運命が動き始める。もう一人は、既に剣を手に取って歩きはじめている。あなたもまた剣を取るのであれば――運命は坂を転がり続ける石のように、もう誰にも止められない』
「運命? 相手? 一体、何のことを言っているんだ?」
俺が誰かと話している間に、俺を守る剣が少しずつ押されだしていた。
『ここで剣を取らなくても、一度だけならあなたはここから逃げられる。けれど、剣を取れば……』
剣を取ればどうなるのか。そこから先に、ノイズが走ってよく聞き取れなかった。
だけどたぶん、碌なことが待っていないんだろうなってのはなんとなく想像が付く。この声は、純粋に俺を心配していて、悪意を持って俺に剣を持たせないようにしてるわけじゃない。
だから俺は、
「ありがとうございます。そして――すいません」
剣を手に取った。
さて、ここで一つ断っておかなければいけないことがあります。
それはこの「闇町アルト」というキャラクター、実は自分が一から作ったキャラクターではありません。
S・Sさんという方がハーメルンというサイトで連載されている二次創作の中のオリジナルキャラクターの一人です。
まあこれには話せば長くそれなりに複雑な事情がありましてですね。
それはそのうち、機会があればしようかと思っています。
S・Sさんに許可は取っています。そして上記の二次創作の元ネタとなったものとこの「呪剣」の世界観は全く関係ありません。本当にただ人格とキャラクターだけが別のキャラクターというだけでございます。